月夜ノ夜 月は好き だけど 月夜は嫌い…─── 山道を登っていく。 流石にジープで登る事は無理ということで、徒歩で。 西へ行くには、この山を越えるか。 もしくは遠回りしていくかの二つしかなく。 だが先の街で聞いた話では、迂回していくと向こう側に出るまで一月かかるといわれた。 反面、山登りなら向こうに着くまで一週間。 それならばと三蔵が決定した。 それでも。 「つかれたぁ〜……」 最初にへたり込んだのは悟空だった。 以外にも、最も体力のある悟空が。 「腹減ったよぉ」 「それかよ」 悟空の言葉に、悟浄も脱力した。 大体予想していた言葉ではあったが。 よっぽど空腹なのか、悟空は立ち上がらない。 立ち上がらない悟空に、八戒が歩み寄った。 「悟空、もう少し頑張って下さい。そしたらご飯にしましょう」 優しく言われても、悟空は動かない。 八戒の肩にいたジープも、じっと悟空を見る。 三蔵は立ち止まって、それを見ていた。 「足、痛くなった」 「結構急な山ですからね……」 「オイ猿、早く立てって」 「だって疲れたんだもん」 駄々っ子のような悟空に、悟浄と八戒は顔を合わす。 悟空はずっと頬を膨らませている。 「悟空、もう少しだけ。ね?」 「だって腹減ったし…」 八戒が悟空の頭を撫でてやる。 いつもなら、それで素直に言う事を聞くのだが。 今日はどうしたのか……。 「しょーがねぇなぁ」 言って、悟浄が悟空を引っ張る。 八戒が諌め様とした一瞬前に。 ぽんっと悟空は、悟浄の背に収まっていて。 悟空自身もどうなっているのか、判らないという表情で。 自分が負ぶわれている事に、気付いていないようだ。 「……ごじょ?」 「歩かねーと先進めねぇんだぞ」 どうやらこのまま進む気らしい。 「嫌なら降ろすぜ。置いてかれても知らねぇけど」 「ヤだっ!! 絶対ヤだ!!」 置いていかれると言われ、悟空は悟浄の背にしがみ付く。 ちらっと悟浄の視線が八戒に向けられた。 これいいだろ、と。 「落ちたくなかったらしっかり掴まってろよ」 「……悟浄こそ落とすなよ」 「落としたろか、てめぇ」 言いながらも、悟浄は悟空を背負いなおす。 「八戒、お腹減った」 悟浄に負ぶわれたまま、悟空が言う。 八戒は微笑んで、いつもよりずっと上にある悟空の頭を撫でる。 「もう少しですよ」 「そしたら、飯作ってくれる?」 「ええ。勿論です」 ぱっと悟空の表情が明るくなる。 思わず悟浄にしがみ付いて。 「バカ猿ッ! 首入ってんだよッ!!」 「へ? あ、ごめん」 ぱっと手を離す。 力が入った勢いで、悟浄の首を絞めてしまったようだ。 しばらくは、いつもと同じ口論が続いた。 小一時間ほど歩いたろうか。 「今日はここで野営する」 三蔵の言葉に喜んだのは、悟空だった。 ようやく食事が出来るからだ。 悟浄に降ろされた悟空は、今度はジープをじゃれ始める。 遠巻きにそれを見ながら、悟浄は薪拾いをして。 八戒は手際よく、夕飯を準備して。 最高僧はと言えば、相も変わらず煙草を吹かしている。 「ちょっとは働けよ、お前」 「知ったことか」 悟浄の言葉に、三蔵はきっぱりと返す。 言ったところで、手伝うわけも無い。 判っていた返答だったので、悟浄は注して何も言わなかった。 そうしている間も、三蔵はじっと煙草を吸っていた。 三蔵の視線がずっと誰に向けられているか。 それに気付いていないのは、向けられている人物だけだろう。 「悟浄、それ返せ!」 「うるせーな。疲れたお前を負ぶってやったのは俺だぞ」 「関係ねーよ!」 「大有り。お前より労働してんの、俺様は!」 「あっ、テメェ!!」 「取ってみろほら。チビだから届かねーだろーよ」 大人気ないというか、相変わらず。 悟浄と悟空は、取り合いを繰り返していた。 「はいはい、悟浄いい加減にしなさい。悟空も、ほら」 「だって悟浄がっ」 「僕の分上げますから」 その一言に、悟空の表情はころりと変わる。 ガキだな、と三蔵は一人ごちた。 ……なんだろ? ふと目が覚めた悟空は、周囲を見回す。 そこには、いつもの野営風景だけ。 悟浄が少し徒奥で寝転がって。 八戒はジープを傍に寝させて、一緒に寝ていて。 三蔵は木に背を預けて眠っている。 山登りで疲れたからか、誰も見張りをしなかった。 別に妖怪が来ても、誰か一人は起きるだろうけれど。 ───なに? そんなことよりも。 悟空は何かを感じていた。 だから目が覚めたのだ。 けれど、敵襲ではない。 殺気なんてものは無いし、そうだとしたら自分以外にも誰かが起きる。 気配に人一倍敏感な三蔵なんか特に。 起き上がって歩き出す。 三人を起さないように、足音を立てないように。 普段なら、もっと警戒するべきだろう。 けれど悟空は、何故かそんな疑問すら抱かず。 敵じゃない。 そんなのじゃない。 確固たるものもないのに、そんなことを考えて。 ただ感じる気配に。 感じる気配に導かれるままに。 まるで誘われているように。 歩き出す。 ………誰かが、呼んでる。 そんなことさえ思い浮かんで。 まるで、懐かしささえ感じて。 呼ぶ声を、振り払う事が出来ない。 行かなければならないとしか、思えない。 三蔵に見つかったら、何言われるか、判ったものじゃないのに。 生い茂った木々が、左右に分かれて。 まるで悟空に道を作るかのように。 呼ぶ声が、大きくなる。 …誰かいるの? 声に出ない言葉を、胸の奥で繰り返す。 視界が一気に開けた。 途端、眩しくなって掌で瞳を覆う。 ニ、三度呼吸して。 ゆっくりと瞳を開ける。 ───満月。 あまりにも近い、大きな満月。 座り込む。 なんだか、立てなくなって。 全身の力が抜けた気がした。 声が少しずつ、大きくなる。 気配がすぐ傍にある。 それでも、動く事が出来ない。 一体何故なのかなんて、見当もつかない。 ただ、思う。 『………悟空……』 だから、月夜は嫌いだ。 「───悟空!!」 後方から響いた声に。 悟空はすぐさま振り返った。 月の光に煌く、金色の糸と。 深い紫闇の眼光。 そんなものは、彼以外の人間で見たことはない。 なのに。 一瞬何かが浮かんで。 そしてすぐ、消えた。 「……何やってやがんだ、てめぇ!!」 耳に馴染んだ、声。 大好きな、声。 こんな声も、彼以外知らない。 それなのに。 浮かんでくるこの虚像は、なんなのだろう。 「………さんぞ……」 ようやく絞り出した声が震えている事に。 自分は欠片として、気付いていなくて。 ただ三蔵が怒っていたというのは、判った。 それ以外は、何も──── 「呆けてんじゃねぇよ!!」 肩を掴まれ、怒鳴られて。 やっと意識が返ってくる。 見上げた其処にあるのは、いつもの彼で。 いつだったか、自分が『太陽』だと仰いだ───…… それだけなのに。 誰かが、重なる。 彼以外、太陽と言える何かなんて、知らないのに。 無意識に上がった右手。 18にしては小柄な掌は、金糸に触れて。指先が、絡む。 ……拾われたばかりの頃、よくこうした。 仕事中の三蔵にこうやってじゃれて、叱られた事もある。 それでも悟空は、三蔵の金糸が好きで。 「……悟空」 腕を掴まれて、現実に戻った。 悟空の綺麗な金色に、今は三蔵だけが移る。 ───また重なる。 大好きなこの人と、知らない誰かが。 勝手に自分の中を侵食していくそれが。 苦しくて、痛くて、我慢できなくて。 ───縋りついた。 太陽は、三蔵だけ。 それ以外になんかいない。 どんな事があっても。 求める光は、彼だけ。 「──……さんぞ…だよね………」 「当たり前だろうが」 はっきりと返された言葉に、安堵を憶えて。 「俺以外に誰がいるってんだ。馬鹿が」 素っ気無い言葉とは違って。 優しく大地色の髪を撫ぜてくれる。 そうだよね、とぽつりと呟いて。 他に誰かいるはずも無いんだ。 こんなに綺麗に煌くのは、三蔵だけで。 他の誰が、いるはずも無い。 ……安堵した。 気が抜けて眠ってしまったらしい。 腕の中で規則正しい寝息を繰り返す悟空。 一体何を感じて、こんな所まで来たのかは判らない。 それでも、何らかの不安を抱えていた。 もともと18には見えない容姿だが。 不安を抱え、すがり付いてくる姿は、それ以上に幼く見える。 「……馬鹿猿が…」 一体自分以外の誰を見ていたのか。 きっとそれは、五百年の刻に埋もれた記憶の人物。 三蔵がどれだけ苛立っても、消す事は出来ない。 出来る事ならば、過去などなくなってしまえばいいのにと思う。 それが出来ないから、苛立つ。 「俺以外を見るんじゃねぇよ」 キスを施せば。 子供のようにしがみつく手に力を込める。 まるで子が、親にするように。 「………だから、月夜は嫌いなんだよ」 悟空が不安になるから。 知らない誰かを見ているから。 恋人ではなく、父親のように見詰めるから…… FIN. 後書き |