血と痣と 紅に染め上げられた姿 どこかで望んでいた、光景 俺の手で 忘れかけていた痛みが、ずきずきと疼き始めている。 ……雲行きが怪しい。 さっさと街に着いて、宿で眠りたい。 けれど八戒が広げている地図には。 日暮れまでに着ける街はどうやらないようで。 後部座席は珍しく静まり返っていて。 時折、悟浄と悟空が小声で話をするのが、僅かに聞こえる。 「……今日は野宿になりそうですね…」 八戒の言葉に、異論は聞こえない。 異議を上げる事すら、面倒なのだろうか。 「いいですか? 三蔵」 「…着けないなら仕方ねぇだろう」 煙草の煙が、灰色の空に昇っていった。 適当な大きな巨木の根元に野営地を決めた。 さっき拾い集めた枝に非を灯す。 流石に肌寒さを感じるのだろうか。 悟空は動物のように火の傍に蹲っている。 その隣で、悟浄は煙草を吹かしている。 八戒は一人、夕飯の用意をしていて。 ジープは相変わらず、八戒の肩の指定席にいる。 「……痛むか?」 ふと聞こえた悟浄の言葉。 それは隣で蹲る子供に向けられたもので。 「…んーん……」 緩く首を横に振った。 悟浄が指し示すのは、今日の戦闘中のこと。 そのときに出来た、傷痕。 僅か数時間前。 相も変わらず、敵襲にあった。 やはり数ばかりが多く、実力の程はいまいちで。 ただ違うのは、天候。 酷い土砂降りで、足元の地面はどろどろで。 動き回る悟空などは、何度も地面に転がった。 「サイアク!!」 そんな台詞が、何度も口を突いて出た。 錫杖を振るう悟浄も、雨で視界が悪くて。 八戒も、雨で古傷が痛むのだろうか。 本調子は、出ない。 誰より雨に苛立っていたのは、三蔵だった。 弾丸を使い切るのも、いつもより早くて。 腕が鈍ったわけでもないのに。 だから、と言う訳ではなくて。 言い訳なんて、幾らでも出来る。 雨で視界が悪かったからとか。 相手の数が多すぎたとか。 泥沼と化した足元が悪かったとか。 けれど、そんな言い訳はどうでもいい。 ただ、現実にあるのは。 ───紅い何かが、べっとりと付着した。 僅かに生温いその紅い液体は、三蔵の白い法衣を汚して。 降りしきる雨に流されていく。 「───…………… ……悟空────……」 まるで抉り取られたような気がした。 思い出して、三蔵は舌打ちした。 ………庇われた。 それは自分に取って、最悪の事実だった。 半分まで吸いきった煙草を捨てる。 苛立ちを煽るようにして、また一本を咥えた。 ただ、静かな時が流れていく。 膝を抱え、燃える炎を見詰める子供。 いつもより、ずっと小さく見える背中。 いつものように騒がしい事もなくて。 ただ沈黙だけが、居心地の悪い空気を支配する。 (…胸クソ悪ぃ……) 口に出さないそんな考えが、やはり本能が悟ったのだろうか。 じっと動かなかった悟空が、僅かに身動ぎした。 悟浄があやすように、その大地色の髪を撫でる。 透明な雫が、天から流れ落ちる。 「降って来ちまったな」 「…そうですねぇ……」 夕飯の支度を続けたまま。 八戒が、悟浄の言葉に短く返す。 「悟空はもう寝たほうがいいですよ」 「…なんで? オレ眠くない」 そう言いながらも、ほんの少し目蓋は落ちかけていて。 意地を張る子供の頭を、悟浄が荒っぽく撫でた。 「ガキは寝る時間だぜ」 「ガキじゃない!」 おちゃらけた悟浄の台詞。 重苦しかった空気が、少しだけ、なくなった。 ガキじゃないもんと頬を膨らますソレは。 どこをどうみても、子供だった。 もう、18になるのに。 それでも悟空は眠る事を良しとしない。 じっと向けられる瞳。 それは、他でもない金糸に向けられていた。 三蔵はただ何も言わず、煙草を吸っている。 この僅かな時間だけで、どれだけの数を吸ったのだろう。 今、視線が交わる事は赦さない。 泣き出しそうな表情をしているのは、見なくても判る。 今あの金色を見たら。 己の感情に留め金が掛かるか判らない。 ───あの紅を浴びた瞬間。 湧き上がってきた、どす黒い感情。 紅に染め上げられた小さな体を見て。 今まで無意識に抑えてきた感情が溢れた。 【赦さない】……と。 おそるおそる、悟空が立ち上がる。 ゆっくり、近付いて。 「……さんぞは…寝ないの?」 子供のように。 実際子供ではあるのだけれど。 不安そうな声で聞いてきた。 三蔵は答える事はしない。 ただ、新しい煙草に火を点けて。 どうするかぐらい、判ったのだろう。 踵を返して、焚火の傍へ戻る。 「動いて大丈夫だったか?」 「うん。…そんな痛くない」 「じゃあ悟空はもう寝ましょうね」 言いながら、八戒が毛布を手渡した。 小動物のように毛布にくるまると、すぐに寝息は聞こえてくる。 その横で、ジープがまた蹲った。 夜になっても、雨は降り続ける。 悟浄も戦闘時の疲労はあったのか、しばらくすると眠った。 八戒は寝辛そうにしていたが、雨の音を聞くのは耐えられなかったのか。 無理やり意識を虚空に投げた。 悟空は今のところ、目を覚まさない。 ジープは気になるのか、時折目を覚ます。 それでもすぐに眠ってしまう。 ───煙草が切れた。 ずっと吸い続けていたから当然だ。 それでも苛立ちは収まらず、空箱を握り潰した。 静まり返ったこの空間。 聞こえる音は、振り続ける雨の音だけだった。 ……傷を、抉られる気分だ。 ……赦さない。 あの瞬間、そう思った。 一体何が赦せなかったのか。 庇った悟空に対してか。 庇われた自分に対してなのか。 ───あの金色を、消そうとした妖怪か。 なんだって構わない。 …赦さない。 それと同時に、何かが目を覚ました。 紅に身を染めたその姿が、やけに瞳に染み付いた。 何処か恍惚としてさえ見えていた。 まるで洗練されたようで。 ───目覚めたものは 狂気。 赦せなかったのは、庇った悟空。 赦せなかったのは、庇われた自分。 赦せなかったのは、牙を剥いた妖怪。 そして。 ……赦さない。 ……俺以外の存在に殺される事。 ───あれは、俺のだ。 目覚めた狂気は、全てを引き裂く。 FIN. 後書き |