透明な約束 やくそくしたのに いっしょにあそぼうって てんかいあんないしてくれるって ……やくそくしたのに 「猿! 何処に行くつもりだ!!」 響き渡った怒号に身を竦ませる子供。 小動物の尻尾のように、長い大地色の髪が揺れた。 そっと振り返るその姿は。 悪戯をして怒られるのが嫌で、逃げ回る子供だった。 実際、今はその通りで。 「何回言ったら判る!? 書類を折り紙にするなっつっただろう!!」 怒鳴り散らす保護者の金蝉に、何も言い返さないで。 殴られやしないかと、ちらちらと見上げている。 これで何度目か。 数える事すら気が重い。 天蓬も捲簾も不在の今、悟空は遊び相手がいない。 金蝉は相変わらず書類と睨めっこをしていて。 一人、退屈な時間を持て余すばかり。 目に付いたのは重要書類の紙。 以前からラクガキするな、折り紙にするなと言われていた。 けれど他には何もなくて。 遊んでくれと煩くしても、金蝉は相手にしない。 悟空の遊び相手は、何も言わない紙切れだった。 怒られると判っていても。 退屈を持て余すのは嫌で。 大目玉を食らうのを重々承知で、またやってしまったのだ。 「聞いてるのか!!」 俯いてしまった悟空に、金蝉の叱咤が飛ぶ。 悟空が何かすれば、それは保護者の金蝉の責任。 ここしばらくの生活で、悟空もそれは理解できた。 けれど、無邪気な子供を縛り付ける事は出来ない。 ……悟空は、遊んで欲しいだけ。 遊んで欲しいと言う理由で。 迷惑をかけるのは、我儘だ。 けれど。 「だって……」 言い訳の言葉なんて浮かばない。 思うのは、ただ遊んで欲しかった。 いつも金蝉は書類を睨んでいるだけで。 遊んでといったら、「後で」という答え。 待っていられず、悟空も寝てしまうのだけど。 「だってじゃない」 「……だって…」 ぴしゃりと言葉を締める金蝉。 悟空は段々、目元が熱くなるのを感じていた。 ここで自分が泣くのは可笑しい。 怒られて当然の事をした。 金蝉が見逃してくれるとは思っていない。 我儘だけで、自分が泣くのは可笑しい。 「………だってぇ……」 それでも、溢れそうになる涙は止まらなくて。 顔を見せたくなくて、また俯いた。 泣くのを必死に堪える悟空。 金蝉もばつが悪くなってきたのか。 溜息を吐いて頭を掻いた。 それでも横に積まれた書類は、大層な量で。 「……外で遊んでろ」 「…一人じゃやだ」 「見て判るだろ、俺は暇じゃない」 それ以上は悟空も何も言わず。 重い足取りで、部屋を出る。 金蝉はドアの向こうに消えた子供と。 横に積まれる書類に頭を抱える。 ───悟空がいつも一人なのは、知っていた。 金蝉はお仕事で。 ケン兄ちゃんもお仕事で。 今日は天ちゃんもお仕事で。 皆いないんだよな…… 繋ぎ回廊の柵の上で、悟空はぼんやりしていた。 結局、暇を持て余したままだ。 「……誰もいないのに、遊んだって面白くないやい」 部屋から出ることを告げた金蝉に。 届く訳がないと知りつつ、呟いた。 この回廊に来るまで、何人かと擦れ違った。 誰か遊んでくれないかと思った悟空だが。 向けられる奇異な目が、どうしても怖くて。 いつもなら、一人で人通りの多い所を歩かない。 けれど今日は……誰かに逢えるかも知れなかったから。 それでも、 一人でここまで来てしまった。 今更戻って、金蝉に構って貰う事は出来ない。 彼も決して、暇ではないから。 正直に言えば、帰りたいいけれど。 誰か、構ってくれないかな、と思い起こす。 観世音菩薩が最初に浮かんだ。 けれど金蝉に、「奴の所に一人で行くな」と言われた。 どういう意味かは判らなかったが、頷いたのを覚えている。 悟空を“悟空”として見てくれる人は、少ない。 誰もが“異端の者”として見るから。 悟空には、よく意味が判らないけれど。 良くない者として見られるのは感じ取れた。 ───別になんにもしてないのに。 変わることの無い空を仰ぐ。 なんだか、酷く淋しくて。 ……泣きたくなった。 でも、涙は聞き慣れた声に消される。 「……お前、そんなとこで何してんだ?」 勢いで振り返って。 そのまま、赤い手摺から落ちてしまった。 背中を強打した悟空の視界に、影が落ちる。 銀色の髪と。 藤色の瞳。 那託。 たった一人の悟空の同い年の友達。 最初に出来た、悟空の友達。 彼は確か、療養中では無かっただろうか。 「何落ちてるんだ、早く起きろよ」 笑う少年の声に。 悟空も起き上がる。 「久しぶり」 近い距離で、言われた。 本当に、久しぶりだ。 大分前に那託の部屋で、二人で寝てしまって以来。 それからは那託は療養中だからと。 安静にしていなければならないから、と。 逢えなかった。 最初に出来た、大事な大事な友達なのに。 「那託ぅっ!!」 「わっ?!」 勢いよく抱きついてきた悟空を、那託は受け止めきれなくて。 そのまま二人揃って、床と仲良しになってしまう。 「なたく、なたくぅぅ〜〜っ」 「なんだよ、どうしたんだ?」 「ふぇっ、うえぇええ〜〜〜」 「なんで泣くんだよ」 よしよし、と那託が悟空の頭を撫でた。 なんとなく困ったような表情で。 「那託、ケガもういいのか?」 「粗方治ったよ。あんまり派手に動けないけど」 「じゃ、遊べる?」 嬉しそうに。 けれど何処か不安そうに。 悟空は訊ねる。 那託は、目一杯嬉しそうに笑って。 「そー思って、お前探してたんだ!」 悟空はもう一度、そう変わらない体格の那託に抱きついた。 那託も嬉しそうに笑って、悟空とじゃれる。 それはまだ、何も知らない子供が遊ぶ様で。 “異端の者”などではなくて。 二人は、まだ小さな子供なのだと…── 那託の体調は万全ではない。 だから遠くには行けなくて。 「ごめんな、案内してやる約束だったのに」 はにかんで言う那託に。 悟空は「今度絶対ね!」と笑った。 言葉だけの約束を信じれる。 純粋な子供だから出来る、透明な約束だった。 誰も知らない隠れ家とか。 木苺が沢山なってるトコとか。 今日は、行けないけれど。 近くの花畑で、二人で遊んだ。 那託は、花の種類を悟空に教えて。 悟空は、花輪の作り方を那託に教えて。 舞い散る花弁は、二人を護るように思えて。 望むのは、この時間が永く続けばいい。 この子供たちの無邪気な笑い声が、消えなければいい。 それでも、刻は過ぎる。 時刻を知らせる為だけに、陽は傾き始める。 もうそろそろ帰らないと、悟空は金蝉に叱られる。 今日はもう怒鳴られたく無かった。 けれど、那託と別れたくなくて。 那託も無断で部屋を抜け出してきた。 いい加減、本館は騒がしくなるだろう。 それまでに戻った方がいい。 でも。 「……もう夕方だよな」 「………うん」 一人ごとの様な那託の言葉に。 悟空はそれだけ返す。 二人の首には、お互いが作って交換した花輪。 もっともっと遊びたいのに。 「…もう帰んなきゃな」 「……うん…」 朱色に染まっていく空を見上げる。 那託が花の絨毯に寝転ぶと。 悟空も真似るように隣に寝転んだ。 楽しかった時間は、過ぎていって。 二人で遊び尽くすには、時間は全然足りなくて。 今度はいつ逢えるかも判らなくて。 「……オレ、もう帰んないと、金蝉が怒る…」 「俺も目付けが煩いしな…」 「晩御飯食べ損ねちゃうし」 「腹減るよな、それって」 「ご飯抜きって、マジでキツいんだ」 「それで夜中、腹減って起きるよな」 「そうそう! なのに金蝉は寝ろって」 「えー? 寝れる訳ねーじゃん。腹減りでさぁ」 「だよねー」 「だよなぁ」 どちらともなく笑い出す。 突然、悟空が起き上がる。 那託が不思議そうに見上げてきて。 悟空の金色の瞳と。 那託の藤色の瞳が交差する。 「オレ、名前付けてもらった!」 「え、マジ? 良かったじゃん!!」 「うん!」 また忘れるとこだった、と悟空が呟く。 僅かに耳に届いたその言葉に。 那託は笑い出した。 「それで、なんて名前なんだ?」 まだ収まらない笑いを堪えながら。 那託は悟空に訊ねる。 聞かれた悟空は、嬉しそうで。 「あんな、オレの名前な……───」 「───猿!!」 二人の耳に届いた、声。 那託がむっとして声のほうを向けば。 そこにいたのは、悟空の保護者で。 「金蝉!」 「いつまでウロついてる気だ、この馬鹿が!!」 響き渡る怒声に、悟空は落ち込み気味の表情で。 那託は軽い苛立ちを覚えながら、悟空を見た。 帰らなければ怒られる。 けれど、まだ名乗っていない。 迷っているように、金蝉と那託を見る。 「……いいよ」 ほんの少し笑って、那託が告げた。 「お前の名前、今度でいい」 「だって……」 「ほら、行かないと怒られるだろ? 今度でいいよ」 今度。 今度でいい。 それはまた遊ぼう、と。 悟空もそれに頷いた。 「また遊ぼうな!」 「そん時、名前教えてくれよ!」 手を振る悟空に、那託も同じように返して。 ────………“今度” ……やくそくした やくそくしたのに、なんで? “こんど”……あそぼうって ……やくそくしたのに……… FIN. 後書き |