子供達の箱庭








こんな狭い箱庭じゃ

子供は自由に笑えない











もっと広い世界があるんだぜ













お前に似合いの世界がさ
























鎖のぶつかる音が聞こえた。





捲簾が振り返ると、其処には小さな子供がいて。
少し遠方から、こちらに駆け寄ってくる。

捲簾は少し身を屈めて、両腕を広げる。
小さな子供は、捲簾に思い切り抱きついた。




「ケン兄ちゃん!!」
「おう、どーした?」





小さな身体を抱き締めて、頭を撫でる。
それだけで子供はくすくすと笑い出す。




「金蝉に遊んでって言ったら、仕事中だっておんだされた」
「相変わらずだね〜、あのオトーサンは」
「だからね、オレ暇なの」




言外に遊んでと言っている訳で。
それを捲簾が拒む理由は何処にも無かった。
収集も無いし、自分も暇を持て余していたのだから。

悟空と手を繋いで、回廊を歩く。



今までにも何度か、この小さな子供を手を繋いだ。

その度思うのは、自分よりずっと小さな掌。
子供特有の高目の体温。
遅れないよう、一生懸命に早足になる小さなコンパス。



置いて行かれないようにと。
そればかり考えているのか、悟空はいつも早足で。
苦笑しながら、少しだけ歩くペースを落とす。



不思議そうな視線が向けられたが、答えないで。





「ケン兄ちゃん、何処行くの?」
「適当に広いとこ」




この子供が、心置きなく駆け回れる場所。
子供が心置きなく笑える場所。

“異端”とさげずまれない場所。









「ケン兄ちゃん、大好き!」




突然そんな事を言い出す悟空。
立ち止まって捲簾が視線を下ろすと、悟空は笑顔で。



「……俺もお前が大好きだぜ」



くしゃくしゃと頭を撫でてやる。
大きな手が、悟空の大地色の髪に絡まる。



「天蓬は?」
「天ちゃんも大好き!」
「じゃ、金蝉は?」
「金蝉も大好きだよ!」



「……俺は?」
「ケン兄ちゃん、大好き!!」




言って悟空は、捲簾の腰に抱きついた。






「さんきゅ♪」







抱き締めてみると……なんだか、太陽の匂いがした。















この子供は、自分が見る限りはいつも笑顔で。

けれど、何時だったろうか。
討伐の事後処理を終え天界に帰った時、その日は既に夜で。
寝る気分でもなくて、ただ館をぶらぶらしていた。


不意に聞こえてきた泣き声。
その声は、自分の良く知る子供だと判った。

気になってその声の方向に行ってみた。
辿り着いたのは勿論、あの金髪の青年の部屋。




『やぁだ……こんぜぇ………』
『ったく…また嫌な夢でも見たのか?』




その時驚いたのは、無愛想な青年の言葉の方。
自分の知る限り、彼はこんな事は言わなかった。

子供の声が泣き声から、愚図る声に変わった。
なんだか子供の様子が気になって、其処から離れ難くて。



『ふぇぅ…えっく……やぁあ…やぁ……』
『またいつもの夢か?』
『ひくっ……ひっ……うぇえ……』



子供のくぐもった声。
壁越しの捲簾には、何を言っているかは聞こえない。

ただその声が、酷く居た堪れなかった。




『何度も言っただろ、ただの夢だと』
『だぁって……だってぇ………』
『もう寝ろ。此処にいてやるから』







その言葉を聞いた時。

子供は、一体どんな顔をしたのだろうか。















駆け回る悟空を、捲簾は樹に背を預けて見ていた。

無邪気に駆け回る様は、本当に見ていて面白くて。
駆け回っては転んで、その度に起き上がって。
何かを見つけると振り返って笑って。

捲簾は小さく笑みを返してやる。



悟空がこちらに駆け寄ってきた。
鎖が擦れ合って小さな音を立てる。



(…外してやりてぇな……)



目の前まで来た子供に、そう思う。

鈍い光を放つ、両手足の枷。
此処までする必要が一体何処にあるのかと思う。



「ケン兄ちゃん、ちょうちょ捕まえた!」



こうやって屈託無く笑う子供の。
一体何処が恐れられる存在だというのだろうか。


蝶を捕まえたと言って突き出す小さな両手。
閉じていた両手を悟空が開くと、其処には小さな蝶。

空が見えると気付いたのだろうか。
蝶はまた、悟空の手から離れていった。


「あ……」
「……ま、そうだよな」


残念そうな悟空の頭を撫でてやる。
遠くへと飛んでいく蝶を見詰める悟空。




「でもなぁ悟空、いいんじゃないか? あれで」




悟空を隣に座らせて、捲簾は空を仰ぐ。



蝶がはらはらと舞い、高く飛んでいく。
一体何処まで、高く飛ぶのだろう……



……果ての無い、この小さな箱庭の中で。











「狭くて暗い場所よりも、太陽の下に居る方が……───ずっといいって、俺は思うんだけどなぁ………」











蝶は少しずつ、見えなくなっていく。

それを見送っていく捲簾を、悟空が見上げた。
悟空の位置からでは、空を仰ぐ捲簾の表情は見えなくて。
だけどなんだか、淋しそうに見えた気がして。



……何処かに行ってしまいそうな。




「なぁ悟空……空ってなぁ、広いんだぜ」
「広いよ。すっごく広い」
「お前や俺が見てる空は、ちっぽけなもんだよ」




頭を撫でてそう言った。
悟空も捲簾のように空を仰ぐ。



下界の空はもっと広くて。
時が経てば色が変わり、空気が変わる。

太陽はいつでも大地を照らしている訳じゃない。
時折暗い雲に覆われる事もある。
そして雲が通り過ぎ、また大地は陽光に照らし出される。




「夕焼けが好きだな、俺は」
「ゆー…や、け?」
「太陽が橙色になって…空も大地も、それに染まって」




綺麗なんだよ、と。



捲簾の心に浮かび上がるのは。
色んな色が混ざって千切れて作られる、綺麗な空。

討伐に向かう度、あの空が見れないかと思った。
そして見る度、いつかこの子供に見せたいと。


箱庭の中にいるには、勿体無いから。




初めてあの空を見たのは何時だったろう。
討伐に疲れて、ぶらぶらと歩いていて。
小高い丘の上に辿り付いた。

既に陽は傾き始め、青い空は見えなくなっていた。


どれだけ昔だったかは判らない。
ただ、酷く遠い昔の事のように思う。


退屈など無かったが、不満だらけだった己の心。
その心の隙間に入り込んだ、橙色の光。
加えていた煙草が、音も無く落ちて消えた。

遠くで天蓬の声が聞こえた。
けれど振り返ることはしないままで……




綺麗だと、思った。

大地を照らす、戯れのない光も好きだった。
そして同時に、この橙色の輝きも好きだと。







傍らの子供を膝の上に乗せた。
意外とこうしていると、枷はそう重くなくて。



「いつか絶対見せてやるよ」
「……いつ?」
「そいつは、約束できねぇけど」



でも絶対に、と言った後で。
ああ、大人はずるいんだなと思った。

だってこう言うだけで、目の前の子供は笑ってくれて。
形にならない約束ですら、信じてくれる。




(でも、嘘じゃない)




いつになるか判らないけれど。
本当に、いつになるか判らないけれど。
だけど、この約束はいつか果たす。

この小さな子供を下界に連れて。





この箱庭から、解放してやろう。








この子供は、下界で生まれ、そして育った。

大地の恩恵を受け、太陽の光を与えられて。
こんな形だけの箱庭じゃ、狭すぎる。



もっと、笑って欲しい。
独りに脅えないで。









「もっと、広い世界を見せてやるよ。お前に似合いの世界をさ!」










………俺が連れて行ってやるから。

















空と大地と

作られた世界じゃない場所へ








俺が其処に連れていく

もっと広い世界を見せてやる









果ての無い空の下へ─────















FIN.

後書き