Swallow the wind










空に舞う羽根を追う事はしない


お前が空を求めるなら、この手を離して……────














───そう決めていた筈なのに




















傍らで眠り続ける養い子。
規則正しい呼吸を繰り返し、安らかに眠っていて。

けれど、自分の服裾を掴んだ手だけは離そうとしない。



久しぶりにとれた休暇。
此処しばらく相手をされていなかった悟空は。
それを知るなり、傍に引っ付いて離れようとしなかった。

振り払おうとすれば、一層強く。
放って置けば、今度は「こっちを向いて」と法衣を引いて。


どうあっても離す様子が無いから。
折角の休日だし、三蔵ものんびりしたくて。
いつもの法衣じゃなく、適当な私服を着て(この時ばかりは悟空は引き剥がした)。


暖かな陽光が差し込む部屋で、何もない時間を過ごしていた。





咥えた煙草に、火はついていない。
別に傍で眠る子供を気にしているわけじゃなく。


もぞもぞと悟空が身動ぎした。
起きたかと思って視線を落としてみる。
しかし大きな金瞳が覗かれる事は無かった。

悟空の頬に手を伸ばす。
子供特有の体温が、すぐに感じられた。





「ん〜ぅ……にゅ」





くん、と三蔵の服裾を引っ張る。

裾を握ったまま眠ってしまった養い子。
小さく丸くなる姿は、動物と同じ。


悟空の長めの前髪を掻き揚げる。
いつもは真っ直ぐに見上げてくる金瞳。
今だけはそれも、大人しく閉じられていて。



悟空の目蓋が揺れた。
三蔵が手を離すと、ゆっくりと開かれて。

まだ少しもやの入ったままの金瞳で。
悟空は目の前の人物を、真っ直ぐ見つめた。




「さぁんぞ……」
「…なんだよ」
「…おしごとはぁ…?」
「今日は休みだっつただろ」




だからこの子供は、傍から離れないで。
服を掴んだまま、離そうとしないで。


「あ…そっかあ………うにゅ…」


悟空は目を擦りながら起き上がる。
しっかりと服の裾を掴んだままで。


「さんぞ、外行こう」
「ああ? このクソ寒ぃのにか?」
「だって今日いい天気だよ。そんな寒くないよ」






確かに、今日は何処までも青空が続いていて。
太陽は大地を、余す事無く照らしている。

悟空はその大地の上を、無邪気に駆け回って。
その少し後ろを、三蔵は歩いて行く。
はしゃぐ子供の後姿を見つめながら。




…ともすれば、直ぐに何処かに消えていきそうな背中。
それこそ悟空に取っては、自分の思いのままで。






ただ見たいものを見る為に。
聞きたいものを聞く為に。


この視界の中から、忽然と。






「さんぞー、早く!!」







…そうやって呼ぶ声ですら。
一体何時まで、聞いていられるだろう。








悟空が足を止めた。

三蔵がその隣に並ぶと。
悟空は心底、嬉しそうに見上げてきた。




重力に反する事無く下ろされていた、三蔵の腕。
その腕に、悟空は自分の腕を絡めてきた。

単に甘えたいだけなのだろう。
普段ろくに構ってやれないままだから。



だが、そうする事で。
少しずつ、三蔵の中の想いが煽られる。

こんな子供に対しての想いが。





「三蔵、あったかいな!」
「ガキが何言ってやがんだ」





実際、三蔵の体温はそんなに高くない。
子供の悟空の方が、ずっと暖かい。

なのに悟空は、時折そんな事を言う。






「三蔵、鳥!!」






言って悟空が、空を指差した。
三蔵が顔を上げると。遥か上空を、一羽の鳥が過ぎ去っていく。

……ツバメ、だろうか。



「あ、遠く行っちゃう……」



彼方へ消える鳥を、追い駆けようとして。
三蔵の腕にあったはずの、悟空の温もりが離れる。


思わず、その腕を掴んだ。














───遥か蒼の向こうに消えるその翼を。




追う事はしないで……────















掴んだ腕は、細くて。
力を入れると、折れるんじゃないかと。
其処まで弱い子供ではないけれど。


きょとんとして振り返る悟空を、引き寄せる。
金瞳が緩く非難を映し出した。

けれど、それを言葉にする事はしない。



「追い駆けてどうする気だ」
「……どうするんだろ」



自分の行動が判らないらしい。
まぁ、興味本位だったのだろうけど。

悟空がまた、空を見上た。




「あ、もういない」
「別にいいだろ、ツバメなんぞ」
「つばめ? あれ、つばめってゆうの?」




また興味を煽ったらしい。
三蔵は溜息を吐いたいて視線を落とした。

悟空が先程のように、また腕を絡めてきた。
少しだけ不安げな瞳が其処にある。
怒らせたとでも思ったのだろう。



三蔵はその場に腰を下ろした。


特に何も無い、小高い丘の上。
空の位置は、ずっと高いはずなのに。
なんだか距離は縮んだように思えて。



悟空もすぐ傍に座った。
三蔵が空を見ていると、それを真似しているのか。
同じように空を仰いだ。



ツバメの姿は、もう何処にも無い。
それどころか、通った道しるべの風さえ、感じられない。




「さんぞ?」
「…別に怒っちゃいねぇよ」




煙草を取り出して、火をつけた。



「つばめ、通んないね」
「そう居るもんでもねぇよ」


遠くで鳥の鳴き声が聞こえてきた。
けれど羽ばたいてくる様子は無くて。



「三蔵、なんでさっき腕掴んだの?」
「………気紛れだ」
「そーなの?」



悟空の問いに、それだけ答えて。
それ以上教えてくれないと悟空も悟ると。
追求はしないまま、空を見つめていた。

その瞳が一体何処を見ているのか。
遠い空を見て、一体何を思っているのか。

それは三蔵の知る所ではない。








けれど。



悟空がツバメを追おうとした、あの一瞬────……









悟空が三蔵の肩に頭を置いた。

叱ろうと思って振り返ってみれば。
子供は、穏やかな寝顔で眠っていた。


さっきまで駆け回っていた癖に。
こんなにも寝付きがいいのは、子供だからか。
あんなにも元気に、ツバメを追おうとした癖に。



少しだけ悟空の顔を引き寄せて。
その小さな唇に、口付けた。

悟空は少し身動ぎしたが、起きることは無く。
三蔵が緩い力で抱き締めると、ほんの少し、笑ったようで。









遥か空で、ツバメがそれを見ていた。
















遥か遠くを舞う羽根を追わないで

手の届かない、遥か遠くを舞う羽根を









すぐ傍らにあるのはそれじゃない

すぐ隣にあるのは、遥か遠くの翼じゃない










手放すつもりだった腕を、気付けば掴んでいた











FIN.

後書き