世界で一番甘いもの









どんなものより甘いもの






きっと君は知らないだろう

きっとずっと知らないまま













だって、すぐ其処にあるものだから

























甘い匂いが街中を包み込んでいた。
胸焼けになりそうな程の、甘い匂いが。



八戒は暢気に「チョコレートみたいですね」と呟く。
悟浄はあまり興味の無さそうな顔をしていた。
そして三蔵は、これでもかとばかりに不機嫌な表情で。

おそらく三蔵は、甘い物が嫌いだからだろう。
寺にいた頃は饅頭をよく粗食していたと悟空は言うが。


そして悟空はといえば。
八戒の「チョコレート」という言葉に、目聡く反応して。
周囲を漂う甘い匂いに、意気高揚としている。

後から誰かにねだるつもりなのだろう。


ジープは八戒の肩の上で、不思議そうに周囲を見回していた。




「そういや、そんな時期だっけなぁ」




悟浄がぽつりと呟いた。

聞きつけた悟空は、一体なんだと服袖を引く。
しかし悟浄はそっぽを向いて煙草を吹かして。



「教えろよ、悟浄!」
「お子様には関係ないことだろ」
「んだよ、気になんじゃん!」



食って掛る悟空を、片手で制して。
悟浄は口内に含んでいた煙を吹きかける。

悟空が煙草にむせ返った。



「悟浄、何やってんですか」
「べっつにぃ〜?」



むせる悟空の肩にジープが降り立つ。
小さく鳴いて、大丈夫かと言っている様で。
平気だと悟空は笑っていった。



ガキ、と呟いて悟浄が笑う。
むせる悟空を、八戒が落ち着かせていた。

悟空は煙草が嫌いだ。
匂いは嫌いではないらしいが(何処かの保護者の所為か?)。
煙の方はどうしても駄目なのである。


悟浄の背後から、空気が冷えていく。
その意味が判らぬ悟浄ではない。



「………すいません…」
「……二度と余計な真似はするなよ」




独占欲の塊のような最高僧。


三蔵はまだむせている悟空に歩み寄る。
一命を取り留めたと悟浄は息を吐いた。



「さんぞ、喉痛い……」
「当たり前だ、バカ猿」



さっきまでの氷点下は何処へやら。
八戒が呆れたように溜息を吐いた。


























「ねぇ、今日なんかあんの?」





宿に着いて、悟浄と悟空が同部屋になって。
悟浄が一服している時、悟空が突然聞いてきた。

それが先刻の「そんな時期」の事だと察して。



「マジで知らないんだな、お前」
「なんだよー」



ぷくと悟空が頬を膨らませる。
けれど悟浄は、知らない事に疑問を抱いていなかった。

あれは仏教とは関係の無い事だ。
寺院暮らしだった悟空が知らなくても可笑しくない。

そして三蔵の過保護さ故に。
もしかしたらとも思っていたのだが。
三蔵はしっかり、俗世間の事業と悟空を切り離していたようだ。




「バレンタインなんだよ、今日は」




聞きなれない言葉に、悟空は首を傾げた。
言外にそれはなんだと問うている。



「誰かが誰かに、チョコ渡す日」
「そんなの何時でもいいじゃん」



きっぱりと言い切られた。
まぁ確かにそうかも知れないのだが。


「ちょっと違うな。ただ渡すだけじゃねぇよ」
「???」
「好きな奴とか、世話してもらってる奴とかに、色んな気持ち込めて渡すんだよ」


昔はモテたっけなぁ、などと呟いた。

悟空はまだ、理解しかねているようだ。
けれど、人によっては重要なものだと思ったのだろうか。
ふーん、とだけ呟いた。


悟空が立ち上がった。
自分の荷物袋をごそごそと漁って。
それから何かを手に持って。

そのまま部屋から出て行こうとする。



悟浄は慌てて呼び止めた。
このまま行かせたら、残る二人に何をされるか。
想像したくも無かったから。





「おい、猿!!」
「ちょっと街出て来る!」





そう言って悟空は、軽い足取りで走っていってしまった。

止めようと思って中途半端に伸ばしたては。
行き場をなくして、頼りなく彷徨っていた。






(……殺されませんよーに……)






せめてそれまでに帰って来いと。
祈るように思う悟浄だった。























悟浄は食堂へと重い足取りで歩く。

結局悟空は、夕飯までに帰ってこなかった。
あいつにしては珍しいと思う。
いつも「喰い損ねはヤだ」と言っているから。


食堂にて、三蔵と八戒を探す。
目立つ二人はすぐ見付かった。



「おや? 悟空はどうしたんですか?」
「……ちょっと街出てくるってよ」



そう言ってテーブルの席についた。


「一人で、ですか? 迷子になっちゃいますよ!」
「動物だし…大丈夫じゃねぇの」
「大丈夫じゃないですよ!!」


この心配性はどうにかならないのだろうか。
悟浄はそんな事を思った。

言葉に出さず、絶対零度の金糸の男にも。


それにしても、本当に何処に行ったのだろうか。
知らない街に、たった一人で出て行って。

動物だから、と八戒に言った。
しかし生憎、彼の帰巣本能はあまり当てに出来ない。
食い物関連ならばアンテナも凄いのだが……



「いつ出て行ったんですか?」
「…部屋入って、10分ぐらいして……かな?」



確かそれ位経ってから、バレンタインの事を話した。
それを聞いた八戒はといえば。




「じゃあ二時間以上も?!」
「確実に迷子だな」




黙っていた三蔵が呟いた。

まぁ確かに、その確率も無い訳では無くて。
むしろ迷子になると言うほうが確率が高かった。


ガタ、と八戒が立ち上がった。
探しに行く、と言い切って。

しかし。








「あ、晩飯間に合った!」









後ろから聞こえてきた声に。
三人が一斉に振り返った。


その行動に驚いたのだろう。
二時間以上姿を見せなかった悟空は、半ば呆然として。




「な……何……?」




両手に袋を何やら、袋を抱えて。
半立ちになっていた八戒が詰め寄った。
その表情は、心底不安に満ちていて。





「一人で出て行ったら駄目でしょう!?」





八戒にしては珍しく、声を荒げていた。
悟空は驚いて、自分より高い位置にある八戒の顔を見上げた。



「ご……ごめん、なさい……」



心配をかけたのは判っているのだろう。
何も言わない三蔵にも。
向けられる視線が、僅かに厳しいものだから。


なんとも居心地の悪い空気だ。

昂ぶった気持ちを直ぐに抑えられないでいる八戒と。
悟空の勝手な行動に、見なくても判る三蔵の表情。
当の本人は、心の底から悪いと思っているようで。


もとはと言えば。

あの時、悟浄がついて行かなかったから。
追いかけてもっと話を聞かなかったから。



「……もういいじゃんよ、反省してんだし」



ぽん、と悟空の頭を撫でた。



「それで、何しに行ってたんだ?」



自分は怒ってないからと。
笑って問い出した。

笑顔を向けられて、ほっとしたのだろう。
悟空の表情にも、笑顔が戻る。


持っていた袋をテーブルに置いた。
一体なんなのかと、悟浄が中を覗いてみる。

綺麗にラッピングされた箱が四つ。
一つ一つに巻かれた、色違いのリボン。
色は赤、緑、白、紫の四色。




「今日って、お世話になってる人とか、好きな人にチョコ上げる日なんだよな」




言葉は悟浄に向けられたもの。

それは悟浄が教えた通りで。
自分の言った事だし、悟浄は頷いた。


悟空の顔が破顔する。




「オレ、皆に世話してもらってるから……ジープにも」




八戒の肩に乗っていたジープが鳴いた。
自分を覚えていてくれている事に。




「それにオレ、皆の事好きだもん。それで皆の選んでて…」




その上、ラッピングまでして。
リボンの色は、一つ一つ違う色で。


中身のチョコは、紫色のリボンの箱だけビターチョコ。
あまり甘いものは好きじゃないと人がいるから。

白リボンの箱は小さかった。
けれど、きちんとラッピングしてあって。
それは思いが偏っている訳ではないのだと。




「どんなのがいいかなって……時間かかっちゃって……」




ごめんなさい、と小さく聞こえた。


ジープが悟空の肩に降りた。
頬を舐めて「ありがとう」を言っているようで。
悟空がくすぐったそうに笑った。




「どれが誰のか、大体判りますね」



言って八戒が手に取ったのは、緑のリボンの箱。
それから悟浄に、赤いリボンの箱を手渡した。

白いリボンの箱は、ジープのもの。
口に咥えて嬉しそうに首を伸ばした。


最後に、三蔵が紫のリボンの箱を手にとって。



「なんで判ったの?」
「なんとなく、ですよ」



八戒の言葉に、悟空がすげぇ、と呟いた。



「……以後、勝手な行動は許さんからな」
「あ……う、うん!」



少し優しい声音で三蔵が言った。
今日だけは不問にしてやると。




「これに免じて、だ」




言って三蔵が見せた、紫リボンの箱。
悟空がまた、嬉しそうに破顔する。


八戒が悟空の肩に手を置いた。



「ほら、お腹空いたでしょう?」
「うん、すげー腹減った!」
「今から注文するぜ」



言って悟浄が、メニュー表を悟空に投げた。



八戒が悟浄に小さく呟く。

後で作るから、手伝ってくださいと。
それと三蔵も巻き込むつもりのようで。








ホワイトデーの三倍返しまでに、我慢できなくなってしまった。
















チョコより甘い物がある

きっと君はそれを知らない









聞いてきたって教えない









だってそれは、キミなんだから















FIN.

後書き