蒼い月












月光の下で

今だけは他の誰も見ずに








すぐ傍らの満月は、どんなものより眩しくて









優しい夜明けが来るのを待っている




























一週間ほど野宿が続いたからだろう。

悟空はやっと街に着いた事に、諸手で喜んでいた。
悟浄と三蔵は尽きかけていた煙草の中身にほっとする。
八戒もジープを休ませれる事に安堵していた。


久しぶりの宿屋は、ツインが一部屋と、シングルが二部屋。
当然、こぞってシングルがいいと言う。

ツインの部屋に入って、部屋決めをする。
誰かが退くなんて有り得ない訳で。
カードで決めようと言えば、八戒が勝つと悟空と悟浄が言う。
それは確かな事ではあるのだが。


しかしそれ以外にいい決め方がある訳でもなく。
いつもと大して変わらない部屋割りとなる。

悟空が最後に一度文句を言ったけど。














「あーもーっ! なんで悟浄と一緒なんだよ!」





未だに悟空は文句を口にしている。
部屋が決まった時は、三蔵に諌められて終わった。
それがまた不服なのだろう。

悟浄はと言えば、終わった事だし、と。
気に止める事も無く、煙草を吹かしている。



「悟浄もシングルが良かったんじゃ無いのかよ」
「まぁなー……でもあいつらに逆らっても良い事無いし」



だって寧ろ銃弾をお見舞いされるか。
さもなければ、笑顔で脅されるかだろう。

悟空にだけはやけに甘いあの二人。
それは悟空は気付いていない事だ。
この無邪気な子供にとっては、普通との事だから。


唇を尖らせている様は、まるで子供。
見慣れた表情ではあるけど。



「もうういじゃねぇか。いつまで不貞腐れてんだよ」
「……不貞腐れてない」
「そんな顔しといてか?」



そう言うと、悟空は益々拗ねてしまう。

ベッドに座って、枕を抱える姿は子供そのもの。
18を迎えたようには到底見えない。




自分が18の頃はどうだったろうか。

ふと考えてみたが、思い出せなかった。
ただ悟空のようにガキじゃなかった。
それだけははっきりと判っている。


……というより、悟空が不思議なのだ。

500年も閉鎖空間にいた反動なのか。
悟空の成長は見かけも中身も遅いのだ。



食べ物をくれる人はいい人。
だから菓子で釣られて、知らない輩について行くこともある。

それに対し、三蔵は何度も厳重注意したらしい。


三蔵がいう事はいつも正しいとか。
物事に対する判断基準の中心は、ほとんど三蔵だ。
親を盲目的に信頼する幼子のように。

また八戒に対してもよく甘える。
三蔵が冷たい時は、大体ターゲットは八戒に切り替わる。
彼なら優しい言葉を掛けてくれるから。



妖怪と闘う時もまるで子供だ。
生死を分ける事なのに、いつも楽しそうで。


今目の前で文句を言っている悟空は。
親に相手にされなくて、不貞腐れているのと同じ。

これを子供と言わずなんと言おう。







ふと部屋の時計に視線を移した。
針が指す時間は、11時前と言った所で。
子供はもうとっくに寝る時間だ。

これ以上悟空の愚痴に付き合うつもりもなく。
悟浄は自分が座っていた、悟空と対になるベッドから下りた。



「…電気消すから、もう寝ろ」
「オレ眠くないってば!」
「バーカ、お子様はとっくに寝る時間だよ」
「ガキじゃな……あっ!!」



最後の言葉は電気が消えた事によるもの。
何かブツブツと呟くのが聞こえた。
しかし悟浄は気に止めずにベッドに入った。









月の蒼い光が、決して広くない部屋を照らし出していた。







































人の動く気配がして、目を開ける。
こういう時、気配に聡い自分が嫌になる。
ゆっくり休んでいたいというのに。

一度吹き飛んだ睡魔は、中々戻ってこない。
仕方無に起き上がって、寝癖のついた髪を掻いた。


ふと隣のベッドに目を向けた。

するとある筈の子供の姿が無くて。
先刻の気配は悟空だったのかと気付いた。


意外と部屋の中が明るかった。
窓から差し込む月光が、必要以上に明るい。




「……あの猿…何処行く気だ?」




窓から見える月は、高い位置にある。
流石に時計までは見えないが、日が変わっている事は判った。



見知らぬ土地に、夜中に子供一人が街に。
それを思うと、あの二人にバレた時の反応が怖い。

もしかしたら、迷子で朝まで帰って来れないかも知れない。
十分有り得る事項に、悟浄は溜息をついた。
こうなっては放って置く事は出来ない。



「……ったく、あのガキはよー…」



誰に言うでもなく呟いて。
悟浄はいつものジャケットを着ないで外に出る。
少し冷えた空気が肌を刺した。

宿の外に出ると、静まり返った街並みが其処にあって。
悟空はこういう静けさを嫌うと思うのだが。





「さて…何処行きやがったかな、と……」





一先ず今朝街についた時の風景を思い出した。
























思い起こした風景から、悟空の行きそうな場所を考えて。



しかし朝と夜では、街の光景も一変する。
騒がしかった街並みは、今は酷くしんとしていて。
当然、店などが開いている訳も無かった。

もう少しよく考えて、記憶を辿っていくけれど。
やはり思い当たる節は無かった。


不意に視界に落ちた月光。
見上げると蒼い光を放つ、丸い月。
なんとなくそれに誘われるように歩き出した。






「……結構月って明るいんだな」





今までよく見ていなかったと思う。
悟空は暇な時に空を見上げる事はあるけど。
悟浄の場合は煙草で暇を紛らわすから。

月を真っ直ぐ見たのは、初めてかも知れない。











気付けば、何処とも知れない丘の麓にいて。
引き返す気も無かったから、歩を進めた。

その頂上なのだろうか。
なだらかな坂の上に、小さな影。
大地色の髪が緩く揺れていた。



「こんな所にいやがった」



呟くと、その声が聞こえたのだろうか。
肩越しに小さな影がこちらを見れば。

満月よりも目映い金色が、悟浄の紅を映した。





「……悟浄…───」





自分の名前を呟いた、その瞳が。
なんだか淋しそうに、泣いているように見えて。
それは、月の淡い光の所為なのだろうか。

悟浄は何も言わず、悟空に歩み寄った。



少しバツの悪い表情をしているのが見える。
心配をかけたと思ったのだろう。





(実際、心配したけどよ)





見知らぬ土地に子供を一人で。
実際はもう子供と言う程の年ではないけれど。
彼の内面を知っているだけに、子供だと思う。

悟空のすぐ隣に立つと、月明かりがよく見えた。
今まで月は黄色だと思っていたけれど。
本当は薄い蒼なんだと、よく判る。



「………ごめんなさい」



不意に悟空が口にした言葉。
それが心配をかけた事に対してだと。



「別に怒っちゃいねぇぜ。ただバレたら、二人が煩いしな」
「……だから…ごめんなさいってば」
「何度も言うけど、俺は怒ってねぇよ」



謝罪を繰り返そうとする悟空の言葉を制して。
悟浄はポケットの中の煙草を探る。
しかし生憎ながら見付からなくて。



(ジャケットに入れてたんだっけな)



悟空がその場に腰を下ろした。

膝を抱えている姿は、全くの幼子のようで。
いつも以上に子供のように見えた。



「なんでこんな時間に、此処に来たんだ?」




悟空の隣に座って問う。
しばらく悟空は眼を閉じていたけれど。

小さな声出呟いた。









「───月が…蒼かったから」









その言葉の糸は、悟浄に手繰り寄せる事は出来なくて。



「………月?」
「…うん……だからなんか…外に出たくなって…」



自分でも理由がはっきりしないのだろう。
悟空は途切れ途切れに口にする。



「ごめんな…オレもよく判んないんだけど」



小さく笑って悟空が言った。
その笑顔が蒼い光に反映された所為なのだろうか。
酷く淋しげに見えて仕方が無くて。

いつもだったらそんなもの、消し飛ぶ位に笑うのに。
こういう時は、いつも泣きそうな笑い方をする。






「近くで見たいって思ったんだ……」






誰に対する言葉か判らないほど、小さな声で。
そんな悟空を、悟浄は優しく撫でる。



「ご…ごめんな、マジで……」



申し訳無さそうに頬を赤くする悟空。
悟浄は三度目になるだろうか、怒っていないと。



「それで……戻る気は無いんだな」
「うん……もうちょっと……」



月を見ていたいんだと。
それは言葉にされなかったけど、判る。
悟浄も無理に連れ帰ろうとは思っていなかった。

悟空の金瞳が不思議そうに自分に向けられる。
帰ろうとしない事に、疑問を抱いたのだろう。



「ガキ一人、放っとけねぇって」
「…なんだよ、それ…」



悟浄の言葉に、悟空は少し頬を膨らませて。
けれど、傍にいてやるんだと瞳で言えば。
嬉しそうに悟空の口元が緩んだ。


悟空の頭が悟浄の肩に乗せられた。
視線を落とせば、金瞳は閉じられていて。
眠っているわけではないのだろうけど。

別に邪魔だとは思わない。
だから、好きにさせてやると。




「───煙草の匂い、する……」
「そうか? 晩飯食ってから吸ってねぇけどな」
「でも、なんか匂いするよ……?」




ほんの少し、金瞳が覗いて。
穏やかな色をしていると思った。
それは蒼い月の光の所為なのだろうか。

いつも太陽の様に明るい色が、僅かに淋しく見えるのは。



「お前、煙草の匂い嫌いか?」
「…あんま好きじゃないけど……」
「……嫌いじゃない、って事か」




悟浄の言葉に、小さく頷く悟空。
細められた瞳は、就寝前の幼子だ。

それを見た悟浄は、小さく笑って。



「なんだよ、眠いのか?」
「んー……ちょっとだけ…」



睡魔はしっかりと悟空を抱き締めていて。

暖を求めるように、小さな身体が擦り寄ってきた。
それをそっと抱き寄せてやると。
何処か不思議そうに見つめられた。

けれど甘えさせてくれる事に気付くと。




「えっと……寝ていい?」
「ああ。ガキはとっくに寝てる時間だぜ」
「……ガキ言うなぁ…」




言葉と同時に漏れた欠伸。
そのままゆっくりと瞼が下ろされた。







悟空を少し抱き上げて、膝上に乗せる。

思い出すと、旅に出る前もよくこうしてやった。
そうすればこの子供は、大人しくなるから。



すぐに聞こえてきた寝息。

月が僅かに降りている事に気付く。
それでも悟浄は立ち上がることはしないで。
腕の中に収まった小さな身体を見下ろした。





夜の街に出た悟空を、放って置けなかった理由。
あの二人に色々言われるのが嫌だったのも理由の一つ。

でもそれよりも、この子供を一人にしたくなくて。
蒼い月に誘われて、此処に来たら。
同じように蒼い月に誘われたんだと、金瞳の子供がいて。





少しずつ、夜明けへと月が降りていく。





夜明けまでに帰らなかったら、きっと二人に知られるだろう。
けれど別に構わなかった。







「もーちょい……このままでいたいしな」







大地色のふわふわとした髪を撫でて。
傾いていく月を、少し疎ましく思った。

あの月が最後まで降りなければ。
ずっとこのままでいられると思うのに。


だけど、朝が来るのが嫌な訳じゃない。
ただ今しばらくは、この子供を離したくないだけ。











今は蒼い月に照らされて───優しい夜明けを待っていよう。































何処か淋しさを惑わせて

蒼い月明かりに誘われ歩いて








腕の中に、大事なもの抱いて離さないで

月の光に誘われて、何処かに消えていかないように










───………二人で優しい夜明けを迎えよう






















FIN.

後書き