生と共に有る音














全てが無機質なものだった


人も、色も、水も、風も、空も、光さえも









全てが狂い始めたのは、いつだったろうか
ああ、あの煩い声が聞こえてからだ

ならその声は、一体いつから聞こえていた?









いつだって構わない

だってこの子供が傍らに居る事実は変わらない


























どうやら気付かない間に眠っていたらしい。

らしくないながらも、もう少し睡魔に身を任せるかと考える。
だが一向に減ることの無い白い摩天楼を思い出して。
どうも自分が休む時間はまだ無いのだと。




三蔵が目を開けると、小さな影が目の前を横切った。
影はカサリと小さな音を立て、机に落ちた。
机は三蔵の執務机で、書類が散らばっている。

その机の上に落ちたのは、橙色の紙飛行機。


飛んで来た方向に目をやってみれば。
小さな子供が、備えられたソファの上にいて。
真剣な顔をして、折り紙で遊んでいた。

三蔵は机の上の紙飛行機を取って見る。
何度も折り直した後があった。



真剣な表情の悟空に向けて、紙飛行機を飛ばす。
紙飛行機が、悟空のこめかみに当たって。
床に落ちると同時に、金瞳がこちらを向いた。

そして三蔵の紫闇と真っ直ぐにかち合うと。
悟空は嬉しそうに笑って。



「三蔵、起きたの?!」
「お前はいつからいたんだ」
「んーとね…時計の短いのがね、1の時から」



悟空の言葉に三蔵は部屋の時計に視線を移す。
時計が指し示す時間は、三時半だった。


三蔵の記憶には、悟空が部屋に来た覚えが無くて。
自分が寝ている間に入ってきたのだとすれば。
悠に二時間以上は寝ていた事になる。

しかも悟空が部屋に来た事にも気付かずに。



悟空がソファから降りて駆け寄ってくる。




「三蔵、ここんとこずっと仕事だったもんね」




疲れたんだもんね、と言って。
悟空は机によじ登って、三蔵の頭を撫でる。



「……何やってやがる」
「いっぱい頑張ったからごほーび」
「バカバカしい事すんじゃねぇよ」
「だって三蔵、オレにしてくれるもん」
「お前がガキだからだ」








悟空を拾ってからもう三年ほど経つ。
その間に、三蔵が遠方へ出る事も良くあった。
一年目は悟空が傍を離れるのを嫌がったから、断っていた。


しかし二年目からは、悟空も我慢すると言って。
泣きそうな顔をしながら、三蔵を見送る。

寂しいのを必至に堪えて。


いつまでに帰る、とは言ってあって。
だからその日、朝からずっと待っている。
寺院の門の前で、他の僧侶の視線もあるけど。

それより早く、三蔵に逢いたいからと。



夜になれば、寝ないでじっと我慢して。
時には待ち切れずに、眠ってしまう事もある。
それでも、悟空はじっと待っているから。


帰ってきたと知るやいなや、笑って「おかえり」を言う。
その都度、金瞳が少しだけ赤くて。
なんども目元を擦った後も見受けられて。

本当は寂しくてたまらない癖に、我慢して。




三蔵が帰ってくるまで頑張ったんだ、と。
そう言われた時、撫でてやるのが癖になった。










「三蔵、いっぱい頑張ったから」
「だからってガキじゃねぇんだ。その手を退けろ」
「なんで? ごほーびだよ?」
「俺はやらなきゃならんからやった。それだけだ」



悟空は未だに机の上に登ったままで。
三蔵の言葉に、悟空は少し小首を傾げる。



「でも三蔵、頑張ったんでしょ」
「………」



この子供はどう言えばどう理解するのか。
三蔵は目元を覆って少しばかり考える。
しかし、悟空の思考回路など三蔵が知る事は出来なくて。

確かに、頑張ったというかもしれない。
やらなくてはならない、けれどやりたく無かった。
でも仕事をしたのだから、頑張ったと言うかも知れないが。



ふと三蔵は室内を見回した。

先刻悟空が机に上った時散らばった書類以外にも。
赤、黄、緑など、様々な色彩の紙が落ちていた。
その色紙には、それぞれ折り後もついていた。


三蔵の視線に気付いたのだろうか。
悟空が少し笑っていった。



「いっぱい折ったんだ、紙飛行機!」
「……その割には失敗ばかりのようだが……」
「だって折ってるうちにくしゃくしゃになるんだもん」



悟空が上手く折れないから。
それはきっと不器用な所為なのだろう。

折れても納得のいく仕上がりにならなくて。
折っては開き、開いては折りを繰り返すうちに。
紙がしわくちゃになり、使えなくなったのだ。


三蔵みたいに上手く出来ない、と。
子供の呟いた言葉が、耳に届いた。

先刻の橙色の飛行機を思い出した。
決して上手い出来栄えだとは思えなくて。
それでも、飛んだ。



「……いいじゃねぇか、どうせお前は不器用なんだ」
「でもキレイに折ってみたいもん」
「じゃ不器用を直すんだな」



三蔵の素っ気無い言葉に、悟空は頬を膨らませた。

そんな悟空の頭を撫ぜてやれば。
拗ねてしまった表情は、すぐに消えてしまう。


悟空はいつも、これだけで機嫌を直す。
相手にされないと捨てられた仔犬みたいな顔をして。
かと思えば、声をかけてやるだけで破顔するのだから。

単純だと思う。




悟空はよく表情を変える。

それに反して、三蔵は無表情だ。
寧ろ、感情の起伏自体が薄い方だった。



目の前で機嫌よく笑う子供を見ている間に。
気付けば、悟空が机に乗り上げている事はどうでもよくて。
それでも、なんだか足りないような気がして。

両脇の下に手を差し込んで、膝上に乗せる。




「……さんぞぉ?」




悟空の呼ぶ声には答えないで。
胸元に小さな頭をぽすんと押し付けた。

滅多にしない、密着状態。
甘えさせてくれていると思ったのか。
悟空が嬉しそうに頬を摺り寄せてきた。



「さんぞぉ、あったかい……」
「……言ってろ」



素っ気無い言葉を返すけど。
悟空の言葉に、不快感は無かった。

悟空が三蔵の胸元に耳を当てる。
何をしているのかと見下ろすと、瞳を閉じていて。
その表情が、なんだか幼子のように見える。








「───……おとがする…」








それが心音だと判って。



「……生きてるからだ」
「…オレも、音する?」
「当たり前だ」
「どうやったら判るの?」



言った悟空の右手を取って。
子供の左胸の辺りに、小さな掌を押し付ける。
しばらく、悟空はそうしていた。

三蔵も何も言わず、膝上に悟空を乗せたままで。
仕事は後回しでいい、と頭の隅に追いやった。


悟空がゆっくり瞳を開けて。
透明度の高い金色と、深い紫闇が交錯する。



「おと、するね」
「生きてるからな」



三蔵の言葉に悟空が笑う。
















───『生きてるから』








悟空に言った事を、胸中で繰り返す。
生きているから、心音は聞こえる。
規則的に鳴る、鼓動がある。


つい最近まで、そんな事は考えなかった。
いつからこんな言葉を言うようになったのだろう。
今までは「生」自体が希薄だったのに。

見る物全てが無機質だった。
色の無いものに見えていた。


なのに、いつから「生」を口にするようになったのだろう。

















小さな身体を優しく抱き締めて。
三蔵は何度も思い返す。

いつから、自分はこんな人間になったのだろう。


誰にも心許さずにいたはずなのに。
大切な師を失った日から、ずっと。

『声』が聞こえて、この子供を連れ出して。
気付けば三年も同じ刻を過ごしていて。
無機物に覆われていた自分は、何処に行ったのだろう。




「さぁんぞ……」




眠気を訴えるような声で呼ばれて。
三蔵の頭にも、小さな子供の『声』が届いてきて。



「……寝ていい」
「…んぅ……」



それだけで、子供は無防備な寝顔を見せる。
三蔵がすぐ傍にいてくれるというだけで。


悟空は既に、夢の世界へと旅立っていて。
なのに三蔵の法衣を掴む手の力は緩まない。

この子供は、三蔵の温もりをやけに気に入っているから。




そっと子供の胸の辺りに手を置いてみると。
小さな鼓動が、確かに感じられた。







『生きているから聞こえる音』






三蔵は小さく笑って、悟空を抱え直す。
精神年齢も外見年齢も、実年齢に追いついていない悟空。
幼い身体は、やけに軽くはあったけれど。

温もりは嘘偽りの無いものだった。








────………小さな鼓動の音とともに。




















無機物の一部だった自分自身

引きずり出したのは、煩い声で呼ぶ子供









いつから自分は、こんな人間になっただろう

真っ直ぐ見つめられる事は嫌じゃない
温もりを与えられる事が嫌じゃない
名前を呼ばれる事が嫌じゃない………










…子供の『生きているから聞こえる音』が嫌じゃない


















FIN.

後書き