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手を伸ばしたらすぐ届く

空回りする手を、しっかり掴んで









繰り返して約束する









『離さない』、この一つの言葉だけ繰り返す




























宿について気付いたが、珍しい事に悟空が体調を崩した。
どうやら昨晩の野宿時、水浴びしたのが原因らしい。
しかも相変わらず上がってからしっかり拭かなかった。

一緒に水浴びしていた悟浄は、平然としていて。
悟空だけが風邪を引いてしまったようだ。







「……バカは風邪ひかねぇって、ありゃ嘘だな」



悟浄がぽつりと呟いた言葉。
ベッドに寝転がっていた悟空は、それに頬を膨らませて。
ふいっと悟浄から視線を逸らしてしまった。

今日は四人部屋が取れて。
現在三蔵は煙草を買いに、八戒は粥作りの最中。
だから今、部屋にいるのは悟空と悟浄だけ。


取り残された形で、今に至る。

三蔵は煙草を買いに行っているけど。
その節、薬局にでも足を運んでいるだろう。
結局は彼も、この小猿が心配なのだから。



悟空が呼吸するごとに。
少しばかり乾いた喉が引き攣る音が聞こえて。

幼さの残る頬が、熱の所為で少し火照っていた。




「八戒が粥持ってくるまで寝てな」
「……眠くないんだもん…」




布団に埋もれながら悟空が呟いて。
大地色の髪がちょこんと覗いていた。
悟浄は手を伸ばして、その頭をくしゃりと撫ぜる。

が、その手を払われてしまって。
子供扱いするなと言外に告げているのだが。
それを気にする悟浄ではなかった。


また同じように頭を撫でてやる。



「やめろよ、それ…」
「やだね」
「…子供じゃないんだよ……」



悟空の言葉に、悟浄は小さく笑って。
少しだけ少年の前髪を掻き揚げてやって。
金色の金鈷に、小さく口付けを落とす。

悟空が不思議そうに見上げてきた。
何をやっているのだろう、と聞きたげな顔をして。




「…まじないって事でな」
「……まじない?」
「願掛けみたいなもんさ。早く直るよーにってな」


「それはいいですねぇ♪」




悟浄の言葉の後に続いた声。
それはまるで朗らかに、怒気を含んでいて。

ギギギ、と軋んだ音を立てるように悟浄が振り向いて。
悟空は布団からひょっこりと顔を出して。


視線の先には、極めて穏やかな瞳の青年がいる。
手に持ったお盆がカタカタと音を立てるのは何故か。

悟浄の背中に冷たいものが流れていく。



「人がいない間に……何してるんでしょうねぇ?」
「……いや……その…」



笑顔の奥に隠された怒気。
それに気付かない程、鈍い悟浄ではない。
悟空も空気を拾って、隠れるように、また布団に潜ってしまう。

そんな小猿に悟浄は恨めしげな視線を向けながら。
目の前に迫る八戒に、降参ポーズをしてみせる。



「まぁ、ほら、粥持って来たなら……そっちに…」
「まぁ、悟空の横で怒鳴るのも身体に良くないですからね」



だから後で、と笑顔で付け加えられる。


八戒は粥の乗った盆をテーブルに置いて。
ベッドに横になる悟空に優しい笑みを見せる。
ベッドシーツの隙間から悟空がそれを見て。

ようやく、悟空が顔を出した。



「はっかい………」
「気分はどうですか? 悟空」
「んー…ちょっとだけ楽になったよ」
「そうですか。でもまだ安静にしてるんですよ?」



八戒の言葉に、悟空が頷いて。
彼の掌が、優しく悟空の頭を撫でる。
悟空もそれを甘んじて受けていた。

悟浄がしたときは「子供扱いだ」と言う癖に。



「お粥、今食べれますか?」
「……後でゆっくり食べる」



悟空という人物を知る者としては、珍しい台詞だ。


心配げに見下ろされる八戒の視線に気付いたのか。
悟空が「平気」という意思表示で、力無く笑う。
それに八戒も、幾分表情を和らげて。



「それじゃあ、僕は買出しに行ってきますから」
「……へーい」
「余計な事したら、お仕置きですからね」
「……………へーい……」



八戒の言葉に、悟空はくすくす笑っている。
どうせ冗談だとしか思っていないからだろう。
この少年の前では、八戒は優しい保父だから。


八戒が部屋を出て行って。
それでようやく、悟浄は詰めていた息を吐く。

三年間同じ屋根の下に暮らした人物ではあるが。
どうしてもあの完璧な笑顔は苦手だ。
あれで脅された事もよくある事だし。






「悟浄……」
「ん?」







悟空の呼ぶ声に振り返ると。
いつもとは少し違った少年の面持ちがあって。

なんだか、親とはぐれた仔犬みたいだった。


病気になると気弱になると言う事がある。
確かに一人でいるのは、少し寂しくなる。
耐えられないと言う程では無いけれど。

でも、この少年はどうだろう。
一人ぼっちが大嫌いな、この幼い少年は。



「俺は今日は、何処にも行かねーよ」
「………ほんと?」



一人にしないと言外に告げれば。
翳りが少しだけ、消えてなくなる。



「今のお前放っといたら、殺されるだろうし」
「へへ……良かったぁ……」



手を伸ばして、大地色の髪を撫でてやる。
先刻の様にはね付けられる事は無かった。


ベッドに腰を下ろす。

すると、服の裾を悟空が掴んできた。
別にそれを嫌だと思う風も無かったから。
不安なんだろう、と好きにさせた。

ふと、テーブルに置いてある粥に視線が行く。



「……腹減ってないのか?」
「今はあんまり……」
「…明日は天変地異でも起こるな」
「なんだよそ……っ!!」



悟浄の台詞に反論し様として。
勢いで起き上がろうとした途端に、言葉が切れる。

悟浄の視線が向けられると。
枕に顔を埋めた小猿の姿があった。



「頭に血ぃ上らせると、辛いぞ」
「……うん……」



いつもなら「悟浄の所為だ!」と言うだろう。
今はそんな気力すらないらしい。


悟浄は出しかけた煙草を引っ込めた。
病人の前なのだから、控えておくべきだ。
それに八戒にバレたら何を言われるやら。

目聡くそれを見つけたのだろうか。
悟空が悟浄の服裾を引っ張ってくる。
振り向くと、無理に作ったと判る笑顔で。




「別にいーよ、たばこ」
「……出来るかよ」
「さっきより楽だもん、へーきだよ」
「お前はいらねー気遣いすんじゃねぇよ」




悟浄は小さく笑って、煙草をテーブルに放る。
それを悟空は少し不思議そうに見ていた。

悟浄がヘビースモーカーという事は、悟空も周知の事実で。
暇さえ出来れば彼も煙草を吸っている。
それは悟空の保護者も同じ事だった。



「なんともないよ、布団潜ってるから」
「だからいいっつの」
「だってクチサビシイんだろ?」



悟空の言葉に、悟浄は軽く頭を抱えた。
そう言えばいつだったか、そんな事を言った気がする。

悟浄が煙草を吸う事に、悟空が不思議そうに聞いてきて。
その時返した言葉が「口寂しいから」で。
それを意味が判らないまま、覚えているようだ。



「……ガマンすりゃいい事だよ」



そう言った後に、悟浄は小さく笑った。
昔はそんな事の思いつく事も無かったのに。










行き倒れた八戒を助けた時だって。
医者に散々言われたから、仕方なかっただけで。
八戒が目覚めたら、すぐに火を点けていた。

なのに今は、自分から「我慢すればいい」なんて。









ふと、小さな寝息が耳に届いて。
悟空を見ると、いつの間にか眠ってしまっていた。
寝つきの良さに悟浄は笑ってしまう。

ベッドから少し離れようとして、阻まれる。
悟浄の服裾を掴んだままの手に。





「…おい、サルー……」





返事は無いまま。
ただ穏やかな呼吸が繰り返されている。
服裾を掴んだ手は、そのままで。



「あーあ、ガキなんだからよぉ」



そう言う悟浄の表情は、優しいもので。
離そうとしない手に、笑みが零れてしまう。


そこから離れる事は適わないままで。
けれど嫌悪感なんてものは何処にも無くて。
服裾を握る手に、自分の掌を重ねてみる。

悟浄の手が大きいのか、それとも悟空が小さいだけか。
発展途上の悟空の掌は、なんだか幼さが残って。
尚の事、子供なんだと感じてしまう。



「何処も行かねーから、ちょっと手ぇ離せよ?」



背を向けたままベッドに座っていたから。
このままだと、振り返らないと顔が見えない。
肩越しにしか、穏やかな寝顔が覗けない。

なんだかそれは嫌な気がしたから。
ちゃんと、真正面から見ていたいから。


今度はベッド脇に椅子を寄せて。
そこに座って、悟空の手を握る。

ほんの少し、熱で汗ばんだ手のひら。
いつも以上に体温が高い気がして。
けれどそれも、嫌なものではなかったから。





(……こいつ相手に嫌なもんって、ねーのかも)





今更、とでも言われそうな事を考えて。
悟浄は笑って、もう一度悟空の手を握る。
するとほんの少し、無意識だろうけど握り返してきて。

それが「離れちゃヤだ」と。
言っている事だと、悟浄にはよく判ったから。









「離れやしねーよ……ここにいるからさ」










言って、ほんの少しだけ口付けた。


























多分、離れてくれって言われても

今度は俺が離れられないって、そう思う








聞こえてないかもしれないけど

何度も繰り返し、約束してるから









『離れない、ここにいる』……────










FIN.

後書き