千に消える夜









この場所を出て歩く道の事を考える
空はまだ早い夕方……雲に色を残して








『始めも終わりもいらなかった』……君の目が呟いた
どんな記憶を探したら、胸の深みへ届くのだろう?



『長すぎた』……君の言う日々は、一夜の夢のようで




終わる言葉、信じられない……目覚めの時はまだ遠い

























何度手を伸ばしても、すり抜けていってしまう。
一人の少年に想いを馳せては、それを考える。

あの金色の輝きは、決して幻では無い筈なのに。



所詮、自分には届かないものなのだろう。
けれど、簡単に諦められるほど、想いは小さなものでは無く。
遥か500年の昔から、何度も焦がれてきた。

屈託無く笑う子供を、守りたいと。
無邪気に駆け回る幼子を、守りたいと。
強気な金色の瞳を、壊したくないと───



もう何度思ったのか判らない。
ただ抱き締めていたいだけなのに………








……それすら、適わない………


























陽光が西へと深く沈んで。
蒼の月が空へ高く上っている刻だけ。
許されぬ逢瀬が許される。

腕の中に幼い少年を閉じ込め、焔は瞳を閉じていた。


腕の中の少年は、一体何を思っているだろう。
金色の瞳は、いつも言葉無く雄弁に語る。
けれど今は、それを見る事は出来なくて。

だから逃げるように、焔は瞳を閉じていた。




出逢ったばかりの頃は敵同士だった。
こんな風に密接するようになったのは、つい最近。



この蒼の月が大地を照らす間だけ。
刃が向き合うことは無くて。

………ただ、温もりが擦れ違っていくだけ。





















「───焔……もう帰りたい」





悟空の言葉に、焔は答えない。
ただ小柄な身体を抱き締める腕に、力が篭る。



「三蔵、多分起きてるから」
「……そうと決まった訳じゃないだろう」
「…起きてる、三蔵の事だから、多分」



言って悟空は、見をよじった。
焔の腕から、離れようとしての行動で。


いつもならそれで、素直に離してやる。
他愛も無い話をして、僅かに触れ合って。
だけど今日は、ただ抱き締めていただけで。

言葉らしい言葉なんて、交わしていない。



「やけに気にするんだな」
「…バレたら怒られるもん」
「なら戻らなければいいだろう」



その言葉の後に、頬に軽い痛みが走る。




「勝手なこと言うな」
「思ったままを口にしただけだ」




悟空がまた、手を上げようとして。
手首を掴んで、制してみれば。
僅かに雫を浮かべた金瞳で、睨んできた。

真っ直ぐ見つめられる事は嫌じゃない。
ただ、泣きそうな顔をされるのは、苦手だった。



「………裏切ったりなんか出来ない」
「……また、それなんだな」



気付けば悟空も焔へと想いを寄せて。
だけどそれは、決して許される事がないと。
だから始めは、何度も想いを否定した。

けれど、悟空が自分を偽り続ける事が出来る筈もなかった。


最初に悟空の手を取ったのは三蔵で。
彼への想いも、偽りなんかではなくて。

そして焔への想いも、悟空は偽る事は出来なくて。
裏切る事も、戻る事も出来ないまま。
今は蒼い月の下、許されぬ逢瀬に甘んじる。





「…どうすれば、お前は俺だけを見てくれる?」





問い掛けるように言葉を紡いで。
悟空は何も言わず、真っ直ぐに見つめるだけ。
その金瞳を、焔は何処か哀しげに受け止めていた。

焔の問い掛けに答えるものは、恐らく何処にも無い。
唯一言葉を向ける悟空さえ、俯いたままで。







「どうすれば、俺たちは一つになれる……?」








こんなにも、近い存在筈なのに。




沈黙の戸張は、嫌いだった。

昔はそれ程でもなかったと思うのだけど。
一人、光の当たらない闇の中にいた頃は。
傍にあるのは、孤独の闇と、沈黙の戸張だけ。


けれど今は、この少年がいて。

悟空が黙り込む事が、焔は嫌だった。
このまま何も言わないままに。
あの太陽の光へと、帰って行ってしまいそうで。

光を知らなかった自分では、届かない場所へ。





「傍にいるのに…───どうしてお前は、こんなに遠い?」





抱き締めあえば分かち合える温もりも。
擦れ違うまま、一つになることはない。
交錯して、つかみ合う事が出来ないまま。

許されぬ逢瀬を許す刻は、終わりへ向かう。





悟空がゆっくりと口を開いて。
聞き取れない声で、言葉を紡ぐ。

それでも、その言葉は知らず焔に届いて。
泣きそうな顔で見上げてくるから、焔も何も言えなくて。
その言葉を否定する事も、出来なかったから。










始まりが無ければ良かったのか。
終わりが無ければ良かったのか。
始まればいつか、終わるのだから。

始まりが無ければ、終わりは来ないのに。


あの500年の昔抱いた、想いを。
何故終わらせないまま、今も抱くのだろう。
何故終わらせようとしなかったのだろう。

この少年に、思いを抱かなければ。
あの幼い金瞳に、出逢わなければ。





だから、悟空の言葉を否定する事は許されなくて。









『───出逢わなければ良かったのに』









だけど、出逢わなければ今の自分はいなかった。
この綺麗な光を宿す少年に出逢わなければ。
遥か昔、生も死も感じられなかったままだった。

それでも、悟空はそんな事は知らない。
遠い日に出逢った事さえも。
知らず擦れ違っていた事さえも。



500年前に手を離さなければ良かったのか。

出逢わなければ良かった……
出逢わなければ、『生』きていなかった。




どうしてこんなに擦れ違うのだろう。











そっと悟空の身体を腕の中から解放して。
東の空が、僅かに淡色を宿していく。




「……涙は拭いていけよ」




悟空が小さく頷いて。
けれど俯いたままだから、顔は見えない。
泣きそうな顔をしているのは、判る。

焔は悟空に背を向けて。
其処から立ち去る事はしなかった。
悟空がこの場を去るまでは。


背中に小さな手のひらが触れても。
振り返り、その手を握る事はしなかった。

本当は今直ぐにでも、そうしたいのだけど。



「…早く行け……───怒られるんだろう」



悟空は何も言わないまま。
焔の背に、自分の頭を押し付けた。


もう少し、一緒にいたいんだと。
けれど、焔は早く離れてしまいたくて。

これ以上同じ場所に立ち続けていたら。
最後の刻が来る事が、怖くなる。


何故こんなにも遠いのだろうか。
傍にいたいと思うのに、想いは擦れ違うばかりで。

確かに、向き合っている筈なのに。



背に触れていた手が離れて。
焔は、戒めが解けたように振り返る。





「焔………っ!?」





深く深く口付けて。
もうこれで最後にするからと、心で呟いて。
震えに気付かれなければいいと思う。

悟空が焔に身を委ねて。
その行為が嬉しくて、少し哀しかった。
別れがまた、辛くなるだけだから。




そっと身体を離して。
悟空も何も言わず、踵を返す。
ゆっくり、焔から離れる為に歩き出して。

焔もその光景から目を逸らし、背を向ける。
あまりにも短い逢瀬に、苛立ちを覚えながら。


小さな存在が、立ち止まって振り返る。
けれど金瞳に映るのは、男の背中のみで。
もう手を伸ばしても、届く事は無い。




悟空が、逃げるように駆け出した。










焔は立ち尽くしたまま、空を仰ぐ。

高い位置にあった月は、既に西に低くある。
少しずつ白む空に、蒼の月は霞んでいく。











────逢瀬の終わりは、既に少しの刻も無い。
























誰の心も動かせない、ただの無口なシエラザード


幾つの夜を重ねても一つの恋さえ語れない









温もりにもなれなかった寝物語は何処へ消えて

君の優しい言葉だけ、せめて覚えておきたかった………










一つの夜に消えた────……千の夜を─────………















FIN.

後書き