笑顔の貴方に












キミが今ここにいてくれる事

何気ない事だと思いがちではあるけれど









この日キミが、この世に生を受けた事

それは今、キミがここにいてくれる事と繋がっている































4月5日。
この日が一体何の日なのか。
肝心の当事者である少年は、いつも覚えていなかった。

そもそもこの日がなんなのか。
ほとんど記憶に残っていないのだろう。


ただ悟浄や八戒と出逢ってからは、少しだけ。
二人があれこれと世話を焼いたり、甘やかしたり。
今日はあなたの、と教えたりもするから。

寺院にいた頃は、指折り数える姿もあった。




しかし今年は、そうは行かない。

西への旅の途中で、のんびりとする暇は無い。
悟浄や八戒は構わないのだが、問題は三蔵だった。
行けるのなら、その間に行けばいいと。




その言葉を聞きながら、後部座席では小猿が眠っていた。





































連日の強行軍で、思いの他疲れたのだろうか。
こじんまりとした街についても、悟空は夢の中だった。

道中で悟浄が悟空の鼻を塞ぐような悪戯もした。
いつもならそれで「何すんだ!」と目覚めるのだが。
悟浄の予想に反し、寝息は続いていた。



「悟空は一番よく動きますからねぇ」
「落ち着きがねぇからな」



後部座席で眠る悟空を見下ろし、八戒が漏らした言葉。
合間なく押収したのは、三蔵だ。



「で、どうすんだよ、これ」



言ったのは悟浄だ。
暢気に寝息を立てる悟空は、起きる様子が無い。
このままでは、宿にも行けない。

置いて行くという選択肢は、保父が許さないだろう。



「仕方ねえ、お前が運んでいけ」
「はぁ!? なんで俺よ!!」



三蔵が指したのは、悟浄だった。
落としたらぶっ飛ばしますよ、と八戒が笑う。


暢気に寝ている悟空に罪はないと思う。

喰う寝る遊ぶの三原則を守るこの子供。
疲れて眠る事も、仕事の一つになるのだろう。
連日の強行軍は、流石に応えただろうとも思う。

そしてその後、貧乏くじを引くのは、いつも悟浄。




起きたら一発殴ってやろうか。
そんな事を思いつつ、悟空の体を負ぶってやった。

出逢ってから三年経つ筈なのに、発展途上の体は軽かった。






























死んだように、という訳でもないだろう。
けれど悟空は、随分疲れていたのだろうか。
宿に入ってベッドに寝かせると、一層深い眠りに入った。

これでは多少の殺意を向けられても、起きそうに無い。


そんな悟空を一人残し、悟浄は部屋を出る。




「どうですか?」




その途端、八戒に問われた。
悟空の事を指す事は、指摘されなくても判る。



「ぐーすか寝てるよ。ありゃしばらくは起きないな」
「何処か悪くなければいいんですけどねぇ」
「あいつに限ってそれは無いだろ」



八戒の漏らした心配に、悟浄が言った。
悟空もそんなに柔ではないだろうから。


さて、と八戒が呟く。

何かする事でもあったのだろうか。
悟浄がそう思いながら視線を向けてみると。
神妙な顔付きで考え込む、元同居人がいた。

また悟空関係だろうと、煙草を口に咥える。
そんな悟浄に、八戒のまた唐突な言葉。



「今日、4月5日ですよね」
「ん? …そうだっけな」



そう言えばそうか、と悟浄は思う。
この旅に出てから、細かい日付に気を配った事は無かった。
前からその頻度は低かったとも思うが。


今日何かあっただろうか、と考える。
何かあったような気もするのだが。
確かに何か、あった筈なのだが。

思い出せないでいると、笑顔で八戒に睨まれていた。




何かあったか? と聞く事も怖い。
どうにか記憶を引っ張り出してみる。
確かに毎年、何かしていた筈だ。


確か。
今日は。





「……あ」
「遅いんですよ」






悟空の誕生日。
正確には、三蔵に拾われた日らしいが。


出逢って寺院にいた間は、祝ってやっていた。
バースディパーティなんて程でもないのだが。
ケーキやお菓子や、皆が構ってくれる。
三蔵までもが渋々とはいえ、それに参加した。

悟空はそれを、酷く喜んでいたものだ。



「でも今年は無理じゃねぇか?」
「そうかも知れませんけどねぇ……」
「猿も覚えてねぇみたいだしな」



暢気に寝ているのを見ている限りでは。

もともと誕生日、ではなく。
皆が自分に構ってくれる日、として覚えているようだった。
それでも、喜んでくれる顔は見たいから。



「あれじゃ一日起きないかも知れないぞ」
「遅れて祝う、というのも……」
「悪い事じゃねぇと思うけどな、それも」



祝ってあげたいと思う気持ち。
それだけで、喜んでくれる人もいるのだ。

でも、思うだけじゃなくて。
相手が悟空なら、祝ってやりたい。
生まれてきてくれた事に、今ここにいてくれる事に。





無邪気に自分たちに笑顔を向けてくれる、感謝と共に。





































悟空が薄ぼんやりと瞳を開けてみると。
ほの明るい、青白い月明かりが窓から見えた。

ジープの上で寝てしまった事を思い出す。
ここが宿屋だと判ると、ほぼ一日中寝ていたようだ。
その間に街についてしまったらしい。


目を擦りながら起き上がってみる。

服は、いつものコスチュームのまま。
体の節々が少し痛んだ気がした。




「……皆、何処だろ」




夜目の利く瞳で見回してみる。

ベッドは自分が今使っている他に、三つあった。
どうやら大部屋を取ったようだ。
しかし其処に、彼ら三人の姿は見受けられなかった。



部屋の掛け時計に視線を移してみる。
まだ11時を回ったところらしかった。



ふと悟空は息苦しさに気付いた。
窮屈な格好のまま、眠った所為だろうか。
着替えよう、とベッドから降りる。

上着もズボンも脱ぐと、寝巻き代わりの格好に着替えた。
そうしている間にも、まだ眠気はあった。


着替えて、悟空はこれからどうしよう、と思う。

遊び相手の悟浄やジープはいない。
話し相手の八戒も不在のようだ。
保護者の三蔵も、ここにはいない。



ただ月明かりだけが、悟空の姿を淡く照らす。





「…皆、何処行ったのかなぁ…」





呟く言葉に、答える人はいない。

置いて行かれたてないだろうか。
ふと過ぎった不安を、そのまま抱いて。
悟空は居所なさげに視線を彷徨わす。


いつも隣にいてくれる人がいない。
拾ってくれたあの日から、傍にいてくれた人がいない。
それだけで、嫌になる。

一人ぼっちは、嫌い。




「……何処行ったんだよぉ…」




泣き出す一歩手前の、自分の声。
それに言葉をくれる人は、大好きな人。









「───何泣いてやがる、バカ猿」









低い声は、いつもより優しく聞こえて。
気付けば大地色の髪を撫でられていて。

途端に溢れてくる涙は、止まってくれなくて。




「バカ面曝してんじゃねぇよ」




傍にいてくれるだけで、嬉しいから。
それだけで、酷く暖かくなれるから。

不意に、ドアの開く音が聞こえて。
悟空がそちらに視線を向けると、鮮やかな紅があった。




「お、猿の奴起きてるぜ」
「それは丁度良かったですね」




悟浄が部屋の中に入ってくる。
それに少し遅れて、八戒が入ってきて。
二人の手には、何やら沢山の荷物があった。



「……それ、何?」



悟空の疑問に、二人は答えない。
小首を傾げると、悟浄が「お楽しみな」と言った。


一体、なんだと言うのだろう。
そんな悟空の様子を見て、三蔵が溜息を吐く。






「今日はお前の誕生日だ」






三蔵の言葉に驚いたのは、悟空だ。

言われれば確かに、桜はもう咲いているから。
そんな時期だとは思っていたけれど。
誕生日なんて、忘れていた。



「あーあ、やっぱ忘れてたみたいだな」
「いいじゃないですか、どっちにしても僕はお祝いしますよ」



悟空が生まれてきてくれた日に。
ここにいてくれる事を、許してくれた日に。
そして今、笑ってくれている事に。

感謝なんて言葉じゃ、足りないと思うけど。



「三蔵もさ、プレゼント考えてたんだぜ」



悟浄の言葉に、悟空が三蔵を見上げる。
不機嫌全開なのは、悟浄が余計な事を言ったから。


それでも、悟空は嬉しかった。
いつも素っ気無い三蔵が、そんな事を考えてくれていた。

それだけで、本当に嬉しいのだから。



「結局、いいのが見つからなかったんですけどね」
「お前は料理がプレゼント、だもんな」
「今日はいつもより頑張っちゃいましたからね」
「そういう貴様はどうなんだ」



三蔵の言葉は、悟浄に向けられたもの。
悟浄はその台詞に、言いよどんでいるようだった。



「貴方も決まらなかったんでしょう」
「仕方ねぇだろ、思いつかなかったんだから!!」



開き直る悟浄に、八戒が嘆息した。
人の事ばかり言っておいて、と呟いて。
それはしっかり、悟浄の耳に入っていた。





「……ありがと………」






掠れ気味の声で、やっと搾り出した言葉。

三蔵、悟浄、八戒は、それを聞き分けて。
八戒が作ってきた料理を、備えられたテーブルに置いた。


プレゼントなんて、無くても良かった。
こうやって一緒にいられるのが、一番嬉しいから。

一人ぼっちでいるなんて、嫌だから。



「何か、欲しい物があったら言ってくださいね」
「俺らで出来る事なら、やってやるからさ」
「……今だけは付き合ってやる」



やけに目頭が熱くなってくる。

哀しい事なんて無い筈なのに。
心の中は、暖かさで一杯の筈なのに。
溢れてくる涙は、止まってくれなくて。


一番欲しいものは、今、ここにある。
確かに今、手が届く場所にある。
でも、今日は我儘を言わせて欲しい。

たった一つの、願い事。











「……ずっと……一緒にいて……────」











きっと、切ない願いではあるのだけれど。
我儘な願いかも知れないけれど。
今日ぐらいは、言わせて欲しいから。

そしてをれを聞く、彼らも。
この願いは、違える事はいないように。
優しい笑顔をなくさない為に。












キミが生まれてくれた日に、誓う。


























キミが生まれてくれた事

キミがここにいてくれる事

キミが笑ってくれる事









それを虚像のように思うことはしないから

キミが生まれてくれた日に、優しい願いを叶えよう





















FIN.

後書き