-春桜-













咲いた 咲いた 都会の隅に


ケナゲな花が













あなたにだけは 見つけて欲しい


巡る季節の中で……

























ドアを叩く音が聞こえた。



ここは三蔵の執務室で。
詰まれた書類を見ては、苛立ちを覚える。

いつも傍らにいる煩い小猿はいない。
かと言って、先刻のノックは小猿のものではない。
寧ろ、あの子供はノックだなんて行儀のいい事はしない。

躾てはいるのだが、面倒臭いというのだ。
その度にハリセンが飛ぶのは、毎度の事だ。



ノックに返事をしないでいると、勝手にドアが開けられる。
この訪問者も、大概礼儀を無視するのである。





「おう、猿いるかぁ?」
「お菓子持ってきたんですよ」





赤髪の軽薄そうな男と、終始笑顔の男。
それに加えて、白い小竜が細く鳴いた。


去年出逢った、二人の青年。
一年経った今も付き合いは続いている。
最も、二人は専ら悟空に構っているのだが。

そして八戒の肩に乗る小竜も、それは同じ事。
動物同士気が合うのか、よく一緒に遊んでいた。



三蔵は煙草を口に咥えて、火をつけた。



「あの馬鹿猿なら、外だ」
「え? そうなんですか?」
「朝から出て行きやがった。山の方だろうな」



意外そうに聞き返してくる八戒に。
三蔵は子供の気に入りの場所を口に出した。

それに対し、悟浄が揶揄を呟く。



「野生に帰ったか、あの猿」
「最初から野生だ、あれは」



三蔵の返しに、悟浄はそーかも、と呟いた。


八戒が手に持っていたビニール袋を三蔵に見せる。
半透明の袋からは、菓子がうっすらと見えていた。

全て八戒の手製なのだろう。
そして全て、悟空用のものなのだと。
また悟空も、それを嬉しそうに平らげてしまうのだ。



「どうしましょうか、これ」
「置いとけ。そのうち戻ってくる」
「渡しておきたいんですよ。貴方に任すと処分されそうです」



きっぱりと言った八戒に、三蔵は皺を寄せた。


八戒の肩に乗っていた白竜が、悟浄の肩に移る。
どうも外に行きたがっているらしかった。
悟浄の真紅の髪を、加えて引っ張ってくる。

多少の痛みを覚えつつ、悟浄は三蔵に向き直る。
あの元気な小猿の居場所を聞く為に。



「なあ、あの猿どこだ?」
「山だっつってるだろ」
「山のどこかって聞いてんだよ」
「俺の知った事か。うろうろしてるようだしな」



確かに、あの小猿が一箇所に留まる事は無いだろう。

時折何かを見つけ、立ち止まりはするけれど。
もっと近くで見たい、とその場から動いてしまう。


また、あの子供はじっとしているのが苦手のようだ。
寺院の中でも遠慮なく駆け回っているようで(怒られるが)。
外では何処を歩くのか、泥塗れになる事もある。

山の一所に留まっている可能性は低い。






「でも、お前なら判るんじゃねえのか?」






二人の関係を考えて、悟浄は言った。



初めて聞いた時は、信じがたかった。
声が聞こえる、ということは。
でも、この二人なら繋がる事なのだ。

聞こえない声を聞き、互いを見付ける事が出来る。


特に三蔵は、悟空を容易に見つけられるのだ。
それがどんな山奥であっても。
三蔵の知らない場所であっても。
悟空が判らぬ場所で迷子になっていても。

間違う事無く、見つけるのだから。




「折角天気もいいんだし、お前も外出たらどうよ」
「……見て判らんか、貴様……」




悟浄の台詞に、三蔵は眉根を寄せた。
机の上に乗せられた、大量の書類。
ちょっとやそっとで片付く事はないだろう。

だが、その内容は下らない物で。






「どうせ悟空が気になってたんでしょう?」






八戒の言葉に、三蔵は答えない。
それは肯定の意を、八戒に見せるようなもので。

結局過保護なのだ、この鬼畜坊主も。
そして悟浄も八戒も、果ては白竜までも。
あの金色の輝きを持つ子供が、お気に入りで。




「―――息抜きだ」




がたん、と三蔵が椅子から腰を浮かせた。
煙草を片手に、執務室から出て行く。
その後を二人と一匹がついていった。

呼び止めようとする僧侶の声は、届かない。





彼らに聞こえる声は、一つだけで十分だから。



























咲いた 咲いた 都会の隅に

ケナゲな花が



あなたのそばに 変わらずいたい

巡る季節の中で









咲いた 咲いた 都会の隅に

ケナゲな花の様に



風に吹かれて 生きてゆけたら

いつか幸せになる






























あの子供がよく足を向けると言う山は。
今は桜の淡い色で覆われていた。

風が一吹きする度、花弁が舞う。


悟浄が手を伸ばし、それを掴もうとして。
寸での所で、それは悟浄の手をすり抜けた。
八戒も手を差し出してみたが、そこに乗る様子は無い。



「桜の花びらを取ると、お願いか叶うって言いますね」
「飛んでる奴だろ? 取れねえよ、こんなひらひらしたの」
「……あの馬鹿猿は取ってやがったな」



三蔵の一言に、二人が顔を上げた。

別に、八戒の言った事を知っているとは思えない。
その時三蔵は、たまたま一緒にいた。
舞い散る花弁を取って、嬉しそうに笑っていたのを覚えている。


悟空は春、この山に来る。
そして三蔵は、それをよく迎えに行った。


いつだったか、門限を過ぎても帰らなくて。
仕方なく、迎えに行ってから定着してしまった。

春、この時期だけは。
悟空の外出を、許される限り自由にした。
門限もいつもより、伸ばしてやったりして。



「それで、悟空は何処にいるんですか?」



八戒の言葉の直後、三蔵は立ち止まる。
二人と一匹も、進む事を止めた。

三蔵の視線が、直線上に正面を向いた。
そこには、一際大きな桜の樹があって。
風に凪ぎ、さわさわと揺れていた。





まるで、春そのものを抱くようにして。








三蔵がそこに歩み寄ると。
悟浄と八戒と白竜が、少し後ろで様子を見ていた。

深い紫闇が、咲き誇る桜に向けられる。
舞い落ちる花弁が、何度か三蔵の視界を遮りもしたが。
三蔵の視線が、逸らされる事は無くて。






「―――出て来い、悟空」






三蔵の低い声が、桜の空に溶けて。
幾瞬とせぬうちに、かさり、と音が聞こえた。
それは高くそびえる、桜から。

零れんばかりに大きな金瞳を宿した子供がそこにいて。
見紛う事無く、それは大地の幼子だった。







「さんぞーだぁ」







舌足らずな口調と共に、そこから軽く飛び降りて。
長い髪が、しっぽのように揺れた。

とん、と悟空が大地に下りた。
いつもの子供の笑顔で、三蔵に抱きついて。



「仕事、終わったのか?」
「…息抜きだ」



終わってはいない、と言ってみても。
悟空に取っては、そんな事はどうでも良かったのだ。

悟空の視線が、悟浄たちを捕らえて。
数少ない友人の訪問に、破顔する。
悟浄と八戒は、それを見て誘われるように笑った。



「お菓子、持って来ましたよ」
「遊びに来てやったぜ、小猿ちゃん」
「ありがと、八戒! 猿言うな、悟浄!」



八戒には笑顔で、悟浄には拗ねた顔で。
ころころよく変わるな、と思う。

白竜が悟空の肩に飛び乗って。
悟空の頬に顔を摺り寄せていた。


八戒から菓子袋を受け取って。
悟空は、三蔵の方へと向き直った。
金の瞳に、少し不思議の色を乗せて。





「な、三蔵。なんでオレがここにいるって判ったの?」





それは、いつも悟空が思っていた事。
今日はこの桜の樹に抱かれていたけれど。
いつもここにいる訳じゃなくて。

でも三蔵は、真っ直ぐここに来てくれた。
先刻まで眠りに誘われていた悟空だけど。
何故だか、夢の中でもその気配はあったから。


でも、三蔵がそれに答えてくれる事は無い。





「………適当だ」





返されるものは、素っ気無いもので。
それでも、悟空は構わない。
見つけてくれた事に、変わりは無いのだから。


悟空が悟浄の頭をくしゃくしゃと撫でた。
突然の事に驚く悟空だが、嫌がってはいなくて。
それをいい事に、悟浄は悟空の首に腕を回す。

背後からのヘッドロックに、悟空が暴れて。
八戒、と助けを求めるような声。



けれど、その表情は本当に嫌がっていないから。
悟浄も本気で力を入れてなどいないから。
それが判るから、八戒はそれを見て笑っているだけ。
三蔵は桜の樹に背を預け、煙草を吸っていた。

白竜は面白そうにしながら、四人の頭上を飛び回っていた。










そして、季節は桜に抱かれ流れていく。



























咲いた 咲いた 都会の隅に


ケナゲな花が









花の命は 短すぎても


残る ココロの奥に








笑え 朝日を浴びて


決して 無くさぬように――――……
















FIN.



後書き