Trick or ....













忙しいって判ってる

仕方ないって判ってる









でもやっぱり、こっち向いて欲しいもん





























「さんぞー、あそぼー」

「………」

「なーあそぼーよー、ひまだよー」

「………」

「ねーってば、あそぼー」

「………」

「ひまだよ、あそぼーよ、さんぞー」









静かな筈の執務室に反響する、子供の声。
そしてその声が響くたびに、空気の温度が下がる。

ただその空気の持ち主に張り付いている子供は。
鈍いのか、気にも止めていないのか。
ただ「遊ぼう」と繰り返しているばかりだった。



「三蔵、ずーっと仕事ばっかじゃん」
「………」
「なあ、いつ終わるの? いつ遊んでくれる?」



書類に向き合う三蔵の背中に。
悟空はぴったりと、コアラの子供のように引っ付いていた。



悟空が執務室に来て、どれだけ時間が経っただろう。
時計を見ていないので、あまり把握できないが。
一時間は軽く過ぎているだろうと、三蔵は思う。

入ってくるなり、三蔵に飛びついて。
暇だ遊んでと、そればかり繰り返す。


三蔵の忍耐が切れるのも、そろそろ。
寧ろ放置していたとは言え、一時間以上に好きにさせて。
そちらの方が珍しい事だろう。

三蔵は元来、我慢強いなどと言う言葉と縁遠いから。






「うるせえ、バカ猿!!!」






怒号と共に、ハリセンの音が響く。
それでも悟空は、三蔵の背中から離れなかった。

頭部の激痛に、涙を浮かべてはいたけども。


はあ、と三蔵は溜息を吐く。

執務椅子から立ち上がると、小猿はぽろりと背中から落ちた。
立ち上がる際の振動に、耐えられなかったようだ。



床に座り込んだ悟空は、三蔵を見上げた。
彼はここしばらく、一日中この部屋にいる。
そして毎日、疲れた顔を隠しもせず、寝所に戻ってくる。

だからここしばらく、まともな会話をしていなくて。
どうしても構って欲しかったのだ。
三蔵の仕事が重要なものだとは、判っているけれど。



けれどそんな悟空の思いに、三蔵は素っ気無くて。





「暇ならあいつらの所にでも行け」





と、部屋から追い出されたのだった。


























「……で、こっち来た訳?」




拗ねた面持ちの悟空に、悟浄が言えば。
目の前の金瞳の少年は、こっくりと大きく頷いた。

確かに、三蔵に構ってもらえないとなれば。
悟空は寺院にいる場合、一人で遊ぶしかなく。
街に出るなら、悟浄や八戒の家しか行く場所は無い。
他にそれらしい顔見知りなど、悟空には無いのだから。


悟浄の家に来た悟空は、ずっと拗ねた表情をして。
八戒は間の悪い事に、体調を崩していた。
心配そうな悟空の視線に、平気ですよと笑っていたけれど。

そして相手をしてくれるのは、悟浄だけで。
今の今まで、今日一日の事を愚痴っていた。

三蔵が遊んでくれない、と。




悟空が言う事は、どれも子供の我儘だった。

『三蔵法師』という職業柄を考えれば。
暇だと言われる方が、寧ろ不思議だろう。
忙しさは折り紙つきと言った所か。




「仕方ねえだろ、あれでも最高僧なんだからよ」



だから出て来る言葉は、結局これで。
それは一応、悟空も判っている事だった。

ただし、頭の中では、という事で。



「だって遊んで欲しいもん」
「お前なあ……」
「おはよーもおやすみも、言ってないんだもん」



悟空の言葉に、悟浄は溜息を吐いた。

何を言っても、子供は聞かない。
ただ自分の欲求に正直なだけなのだから。
ただ、甘えたいだけなのだから。



目の前で泣きそうな顔をされてしまって。
悟浄はどうしたものか、と頭を掻いた。

この子供と知り合って数ヶ月が経つ。
その間に、一つ知った事がある。
自分が思ったより、子供に弱いと言う事に。


あまりにも素直すぎるからだろうか。
泣く事にも、怒る事にも、笑う事にも。
だから放って置けなくなるのだろうか。

そしてそれは、今回も例外ではないようで。




「三蔵にどうして欲しいんだ?」




つい、そんな言葉が出て来て。

見上げた金瞳は、なんだか嬉しそうで。
相談に乗ってくれると思ったからだろう。




「ぎゅーってしてほしい!」




悟空の言葉に、吸っていた煙草にむせた。
何してんだよ、と語る金瞳がこちらを見る。

悟浄が知る限り、あの人物がそんな事をするとは思えない。
触れられるのも、触れるのも嫌がる奴だから。
それとも、この子供にだけは別なのだろうか。



「話したいこともあるし、頭撫でて欲しいし」
「へーえ……頭撫でて欲しい、ねえ」



どんな顔してやってやるのか。
見れば鉛の嵐にあうだろう事は予測できたのだが。
なんとなく見てみたいと思う悟浄だった。

が、ともかく命は大事にしておく事にする。



「でも、ずーっと仕事ばっかなんだ」
「それも酷ぇ話だな。保護者のくせに」
「だよな、そーだよな!」



味方が出来たとでも思ったのだろうか。
悟空は嬉しそうにして、悟浄に詰め寄る。

が、それも直ぐに引っ込んでしまって。






「オレは一緒にいたいのに……三蔵は嫌なのかなぁ………」






翳りを持って呟いた言葉に。
悟浄はそんな訳はない、と確信に近く思った。

悟空の言う通りなら、傍に置く事なんてしない。
短い付き合いだが、彼は寛容な人間ではないと判っていた。
気に入らない者を、しかも小猿を傍に置くなんて。


けれど彼は、言葉も態度も足りないのだ。
この子供に伝えるには、あまりにも。



「お前がそう心配しなくても大丈夫じゃねえか?」
「だって……なんにも言ってくれないもん」



最近は、顔を合わせることもなくて。
そのうち、自分の事を忘れてしまわないかと。
彼が不必要と思えば、覚えていなくても不思議ではないから。

でも、確認する術すらなくて。
面と向かって聞く勇気も、今の悟空には無かった。




「それなら、こっち来たらどうだ?」




悟浄の一言に、悟空は顔を上げた。



「前から言ってたけど、俺らなら暇だしな……って、無駄か」



悟浄達は、前々から悟空が寺に居る事を良しとしない。
だから時折、うちにこないかと言う事がある。
その度悟空は断ったし、三蔵も許さなかった。

悟浄としては今回は、本気で誘う気は無くて。
少し元気付けようとしたくらいなのだが。



「それいいかもっ!!」
「はあ?!!」



予想だにしなかった言葉に、悟浄は間抜けな声を出して。
意気高揚とした悟空の顔を凝視する。

幾ら三蔵が相手をしてくれないからといって。
あっさり悟浄たちの下に来る事があるような。
二人の間は、そんなに弱い絆では無かった筈だ。



が、悟浄の杞憂はすぐに終わる。






「悟浄、ちょっと耳貸して!」






そして聞かされた言葉に、溜息を吐いて。
あまりにも幼稚なやり方に呆れつつも。

後日、自分が死に目に会わないことを望むのだった。































月が南天に昇る頃に、悟空は寺院に帰り着いた。
既に門は閉まっていたから、垣根を越えて中に入る。
なるべく、巡回の僧には見つからないようにして。

寺の中には上がらないで、庭をぐるりと回る。
廊下を歩けば、誰か僧に逢いかねないからだ。
こんな夜遅くに、それは避けておきたい事だった。


三蔵と悟空が使う寝所の真下に来て。
見上げれば、一つの部屋の窓が開いている。
傍にあった木に登って、それと同じ高さに立つ。

とんと枝を蹴れば、なんなく窓辺に届いた。




「ん……っしょ、と」




宙にぶら下がった格好で、腕に力を入れて。
部屋の中に、身を乗り出した。


その途端に、首根っこを誰かに掴まれて。
思い切り引っ張られて、部屋に転がり落ちた。

幸い転がり落ちた場所には布団があって。
鈍痛に襲われると言う事は無かったのだが。
回転した視界に、目の前がぐるぐるした。





「門限はとっくに過ぎてる筈だがな」





振ってきた声に、顔を上げれば。
夜の暗闇に負けない光が、そこにあった。



「ただいまー」
「じゃねえよ!!」



ゴンッと鉄拳が落ちてきて。
いつもはハリセンで叩いてくるだけなのに。
殴られるなんて思っても見なかった。

頭を抑えて、抗議の声を上げる。



「殴る事ねーじゃん!」



悟空の抗議に、三蔵はしれっとして。
けれどその内側は、酷く苛付いたようにも見えて。



「門限厳守を守らんお前が悪い」
「ムダンガイハクはしてないよ」
「漢字で言え、バカ猿が……」



呆れたように三蔵が呟いた。

それでも、悟空は内心は嬉しくて。
ここしばらく、ずっと構ってくれなかった三蔵に。
叱られているとしても、言葉を貰っているのだから。


そんな嬉しさが顔に出てしまったのだろうか。
三蔵は眉間に皺を寄せて、悟空を見下ろしていた。



「……そんなに嬉しいか」
「なにが?」
「…悟浄から聞いたぞ」



三蔵の表情が、先刻よりも険しくなる。


寺には戻らない、と言っていたと。
けれど何も言わずに出て行く事は出来ないから。
お礼とお別れを言ってからにする、と。

それからは、悟浄の家で暮らしたいんだと。




確かに、三蔵は悟空を放っていた。
仕事で忙しいから、ともっともらしい理由はあるけれど。

悟空からすれば、素っ気無い保護者より。
甘やかしてくれる保父役の八戒や。
遊び相手をしてくれる悟浄と一緒の方が、いいだろう。





「だって三蔵、オレがいると邪魔なんでしょ」





金瞳は、真っ直ぐに三蔵を見て。
それを深い紫闇が、見返していた。









「邪魔なら、出てくよ」











途端に、視界が暗転する。
その数瞬後に、金色に輝く細糸が見えて。

背中に回された腕と。
目の前で揺れる金糸に、抱き締められているのだと。
思っても見ない保護者の行動に、悟空は思考を停止させた。



「それでいいのか、お前は」



背に回された腕に、力が入って。
肯定する事を許さないかのように。







「お前が俺以外の連中の場所で、生きられる訳ねえだろうが」







ここから出て行くな、と言うように。
言葉では、悟空に答えを促しているけれど。
声音と腕は、一つの答えしか求めていない。

悟空が三蔵から離れられないように。
気付けばそれは、三蔵も同じ事だった。


だから答えは、あの二人に言うものと同じ。
この太陽から離れるなんて、出来ないから。





「……さんぞーと一緒がいいもん。悟浄が言ったの、嘘だよ」





結構間に受けてくれるんだ、と悟空は笑う。
悟浄が言ったように、彼も自分を傍に置いていたいんだと。
言葉がないから、どうしても不安になるけれど。

抱き締めてくれる温もりに、擦り寄れば。
いつもは突き放されるけど、今日はそれはなくて。
大きな右手が、優しく頭を撫でてくれた。



「一緒に寝よ、さんぞ」
「……仕方ねえからな」



悟空を今まで一人にした分を。
埋め合わせのように、三蔵は一緒にいてくれる。













ベッドに潜り込んで、三蔵に抱きついて。
最初は少しは離れろと言っていた三蔵も。
次第に悟空の好きにさせるようになっていた。



「三蔵、あったかい……」
「ガキのお前に言われたくはねえな」
「でも良かった、出てけって言われなくて」



邪魔なら出て行く、と言った悟空だけど。
本当に邪魔だと言われたら、どうしようかと。
一抹の不安も無い訳ではなかった。

三蔵がふと何かを思いついたようにして。
それを悟空が見上げていると、頬を抓られた。



「痛い! 何してんだよ、三蔵!!」
「嘘、と言った割には、出て行くっつってたな」
「だってそーすれば、三蔵構ってくれるって…」



そこまで言った所で、悟空は慌てて手で口を塞ぐ。
が、言った言葉を三蔵が見逃してくれる事も無く。



「どういう意味だ……」
「あ……いや…だって……」



構って欲しくて、悟浄に頼んで。

三蔵が自分を傍に置いてくれると言うのなら。
出て行く、と言ったら止めてくれるだろうから。
その後は、少しは我儘に付き合って貰えるだろうと。





「だ…だって、三蔵構ってくれないし……」


「喧しい、このガキ猿があっ!!」











夜の寺院に、不釣合いなハリセンの音が響いた。

























構って欲しい

遊んで欲しい

言って欲しい



とにかく、こっち見て欲しいもん









怒られてる間も、ほんの少し嬉しかった















FIN.



後書き