一つの言葉










何気なくて鋭い言葉

ずっと心の何処かに刺さったままで









あの冷たい霧の中、反芻された一つの言葉
















『ホラ……あんたは今も独りじゃない』























脳裏に響いた声に、悟浄は飛び起きる。
その反動を被っていた毛布が地面に投げられて。
吹いた風が、その毛布と悟浄の間を凪いだ。

僅かに上がった呼吸の数。
別に酸素が足りない訳でも無いのに、呼吸の合間が短い。



「………くっそ……」



長い前髪を掻き上げれば。
触れた額が、じっとりと水分を持っていた。




日が暮れて、それでも大分走行して。
出来れば街に着きたかったが、それは叶わず。
止むを得ず、野宿する事になった。

ちなみにジープを運転していたのは、三蔵で。
心臓に悪い事、この上ないと思った。
ただでさえ全員、傷だらけだというのに。



“カミサマ”との闘いを終えて。
また西へと走り始めた自分たち。

ズタボロの身体を引き摺って。
衣服は各々の血で染め上げられていた。
それでもジープの上は、いつも通り騒がしかった。


寄り道分のロスを取り戻す為だろうか。
三蔵は遅くまで、ジープを走らせていた。

お陰でその間は、全く眠れなかったのだが。



月が高い位置まで昇ってからだと思う。
三蔵がようやく、ジープを止めた。
重傷なのに野宿は少し辛かったが、仕方が無い。

最初に夢へと旅立ったのは悟空だった。
毛布に包まって、珍しいほど静かに眠りに付いた。
イビキをかく元気すら、使い果たしていたのだろうか。



ジープの上で寝るのは、流石に辛かった。
思ったより、体中の傷が痛かったのだ。

結果、四人揃って地べたで寝ている。
小さな石コロの痛みまで贅沢は言えない。
毛布で身体を包んで、それぞれ蹲って眠った。




それから、すぐに悟浄も眠りに入って。
自分もそれ位に、疲れていたから。
中途半端に起きるなんて、思ってもいなかった。






「…どーすっかねぇ……」






がりがりと頭を掻いて周囲を見渡す。
三蔵と八戒は、樹に背を預けて眠っていて。
白竜の姿に戻ったジープは、八戒の傍らにいた。

そして悟空は、地面に寝転がり、蹲っている。
その姿は、まるで身体を丸めた仔犬だった。


眠る悟空の傍に寄って。
つん、とその頬を軽く突付いてみる。

悟空がもぞもぞと身動ぎしたが。
何か言葉にならない言葉で寝言を言っただけ。
後はまた、暢気に寝息を立て始めた。



「息止めてやろーかな……」



そう呟いて、すぐ。
悟浄は、悟空の鼻と口を塞ぐ。

しばらくの間、悟空は息苦しそうに動いて。
無意識に手を伸ばして、悟浄の手を払おうとする。
が、それよりも限界は早かったようで。



「ぶはっ!!?」
「お、起きた起きた」
「なっ……っは…?」



息苦しさからだろう、肩で荒い呼吸をして。

悟空が悟浄の悪戯などで起きるのは、いつもの事。
鼻を摘まんだり、足の裏に落書きしたり。
大よそ、子供の悪戯と同等である。



「……寝てたのに」
「そりゃ悪かったな」



何一つ、悪いと思ってない言い方で。
短い悟空の不満を、悟浄は終わらせた。

起きた時に、悟空も睡魔が飛んだのだろう。
緩慢な動作で、目を擦りながら起き上がる。
その横に、悟浄は腰を落ち着けた。



「ったくもー……こういう時ぐらい寝かせろよ」
「俺が起きたから、お前も起こしたんだよ」
「すっげー勝手じゃん」



悟空は毛布で下半身を覆ったまま。
悟浄はと言えば、毛布はすっかり蹴っ飛ばしていた。


寒くないのか、と言う悟空に。
悟浄はなんともないとだけ答えた。

何処か遠くから、梟の鳴き声が聞こえる。
時折強い風が吹いて、樹の枝々が擦れる音がする。
月の光は遮られる事無く、大地に降り注いでいた。





「なあ、なんで起きたんだ?」





突然の悟空の問いに。
悟浄は頭の回転が止まってしまった気がした。



「それとも悟浄、寝てなかったのか?」
「…いや、一応寝てたぜ」
「じゃあ起きるなよな」



どういう会話なんだか、と思いながら。
悟浄はゆっくり、息を吐いた。

別に詰めていた訳でもなかったのだが。
それだけで心の何処かが、ようやく余裕を持った。




「……なんかヤな夢でも見たのか?」




悟空の言葉に、悟浄が視線を少し下ろすと。
僅かに低い位置に、透明度の高い金瞳があって。
まっすぐに、こちらを見つめていた。



「…行き成り何言ってんだ、お前」
「だって、そんな感じしたんだもん」
「夢はただの夢だ、気にする必要ねえよ」



見上げてくる悟空の表情が、何処か不安げで。
彼の大地色の髪を、くしゃくしゃと撫ぜる。

けれど、金瞳の不安の色は消えなくて。



「なんでもないのか?」
「なんでもねーよ」
「……痛かったり、しない?」
「何が?」



二言目の意味がわからず、悟浄は聞き返す。

悟空は主語を抜いて話す事がある。
そんな時、意味を汲み取るのは難しくて。
こちらからもう一度、聞きなおさなければならない。



そして、返ってきた言葉は。







「……ここんとこ…痛くない?」







ぽん、と悟空の手が置かれた場所は。
丁度、悟浄の心臓の辺り。

けれど示しているものは、心臓ではなくて。
それよりももっと、深い場所にあるもの。
この子供にだけは、バレてしまう胸の奥。



「なんてぇか……悟浄、なんか変だよ」
「……どういう風に?」
「…判んないけど」



本能だけで人の感情を感じ取る。
幼い子供は人の感情に聡い事を、今更ながらに思い出した。

じっと心配そうに見つめてくる金瞳に。
悟浄は知らず、笑みが零れてしまうのだけど。
なんとなく、その笑みは見られたくなくて。



「なに、俺の心配してくれてんの? 小猿ちゃん♪」
「うわっ! ちょ、乗っかるなよ!」
「はいはい、静かに。おっかねー二人に怒られるぜ」



おっかない二人―――三蔵と八戒。
その言葉に、悟空は慌てて口を噤んだ。

けれど悟浄は、悟空の上に圧し掛かったまま。
悟空は必至に、その身体を退かそうとするが。
体格差のお陰で、それは叶わない。



しばらく、悟浄が悟空の上に圧し掛かって。
それを退けようと躍起になる悟空の姿があった。

けれど少し時間が経ってしまうと。
悟空は疲れたのか、面倒になったのか。
圧し掛かったままの悟浄を、放っておく事にした。


悟浄を上に乗せたまま、悟空が地面に寝転がった。



「……な、怪我の方は痛くねえの?」
「おう……そっちはな」
「そっちはって……じゃ、他の所は?」
「知らねーなぁ」



悟浄の返答に、悟空が何それ、と呟くが。
それ以外は、特になんの返事も無くて。
悟浄はそのまま、悟空の上に乗っかっていた。



「もう…こんな格好じゃ寝れないや」



誰に対してでもなく、悟空が漏らす。



















どれだけ沈黙が続いただろうか。
いつも騒がしい自分達にしては珍しく。
互いに密着したままで、じっと梟の鳴き声を聞いていた。

不意に、悟浄の頭に、悟空の手が置かれて。
ただそれだけだったというのに。



「……何やってんの、お前」
「んー……なんとなく」



悟浄の後頭部にある、小柄な手のひら。
なんだかそれが、妙に大きなものに思えて。
やけに、暖かいような気がして。

悟空の肩に、悟浄は顔を埋めたままだから。
少年が今、どんな顔をしているかは判らない。





…けれど。
このままでいたい。






「ヤな夢見た時……オレ、三蔵にこうしてもらった」
「お前と俺を一緒にすんなよ」
「なんだよ、悟浄だってガキの癖に」
「今お前、自分がガキって認めたぞ」



悟浄の言葉に、返事は無くて。
ただ、置かれた手のひらが少しだけ動いて。
頭を撫でているんだと、悟浄にも判った。

確かに、自分もガキだと思う。
今この瞬間は、悟空の方がずっと大人だ。



「三蔵がこういう事やるとは思えねぇけどな」
「うん……でも、優しいから」
「お前限定でな」



そうかな、なんて声が聞こえてきて。
悟浄は小さく笑い出してしまう。
何やら抗議の声が耳に届いた。


抗議の声も、少しのうちに収まって。
また悟空は、悟浄の頭を撫で始める。

悟浄は悟空の上に圧し掛かったままで。
ずっと少年の肩に、顔を埋めていた。
情けない顔をしているような気もしたけれど。
今ぐらいはいいか、と考える。



「ヤな夢見た後って……ちょっと怖いよな」
「さあなー……俺は夢とか覚えてねぇから」
「オレだって夢は覚えてないよ。でも、なんか………」



上手く形容する言葉が見つからないらしく。
悟空は中途半端に、口を噤んでしまう。

けれど、悟浄は構わなかった。
今は悟空の言いたい事が判る気がするから。
覚えていなくても、覚えているという事が。



「悟浄ってたまに……一人で全部背負い込むから」
「…そーか?」
「そーだよ、今回だってそうだった」



金閣と銀閣の事を、一人で。
“カミサマ”の所に、単身乗り込んで。

それ以外にも、時々そういう節がある。
きっと悟浄自身に、自覚は無いのだろうけれど。
悟空はそれがどうしても、嫌だったから。




「オレは………そんなの、嫌だからな」




悟浄が一人で何処かに行ってしまう事も。
何も言わずに、姿を消してしまう事も。
一つも教えてくれない事も。



「次そんな事したら、本気でぶっ飛ばすぞ」
「やってみろ、猿」
「茶化すな! 本気なんだからな」



悟浄の頭に回される、悟空の細身の腕。
ちゃんと無駄なく、筋肉はついているのに。
平均的なものに比べれば、まだ細くて。

子供特有の体温がそこにある。
じっと悟浄を包み込むようにして。




「……悟浄は…独りじゃないんだからな………」




その言葉に、一瞬だけ悟浄は瞳を開く。
きっと悟空には見えていないのだろうけれど。


何故子供と言うものは、人の感情に聡いのだろう。
ああ、きっと素直だからなんだ。
時にそれは、残酷さを生む事もあるけれど。

一体何度、この魂に救われただろう。
出会ってから、この存在の、きっとなんでもない位の一言に。




「オレがいるから……悟浄は独りじゃないんだからな」




孤独や疎外を酷く嫌う悟空だから。
きっと、親しい誰かが独りになってしまうのも。
ずっと耐えられない事なのだろう。

一つの何気ない言葉が、知らず己を蝕んで。
悟空の何気ない、けれど大事な言葉が、己をそっと解放する。







「――――ああ……サンキュな…………」







そっと悟空の唇に口付ける。
悟空はそれを、優しく受け止めて。










――――………悟浄の身体を、その温もりの中に包み込む。



















知らない内にもがいていた
知らない内に諦めていた

隠し切れずに零れ始めた、一つの言葉を初めにして










一つの言葉に縛られて
一つの言葉に解かれて

縛られるのなら、温もりの中の言葉がいい









惑い子はいつか、その温もりの中の場所に帰るから















FIN.



後書き