翼の音













傷ついた翼を持って

一体何処まで飛んでいけると言うのだろう


















はばたけないから、この大地に落ちたのに






































――――悟空が、小鳥を拾ってきた。









「怪我してた」




そう言って、悟空は両手を見せる。

まだ幼いままのその手には、一羽の黄色い小鳥。
その小さな翼は、薄い赤を映し出していた。



「なあ、ちゃんとオレが世話するから」



言われなくても判っている。
治るまででいいから、置いてくれと言うのだろう。
この閉鎖的な寺院の中に。

動物に動物の面倒が見れるのか、と言うと。
案の定、ムキになって言葉が返ってくる。






小鳥を見下ろすその瞳は、どんなものより綺麗だった。





























三蔵は、執務室の窓から外を伺った。

窓枠内から見える、四角い外界。
離れた場所で、一人の子供が地面に座っていた。


胡座をかいて、その上に小さな手を乗せて。
その手の中に、先日拾った小鳥がいる。




(……ガキだな……)




小鳥に話し掛けているらしい悟空を見て、思う。

無邪気に小鳥と戯れて。
お陰で今、執務室は静かだ。


いつもなら、構ってくれと悟空が煩い。
けれど、その小猿は今は、自分の役目に熱心で。

初めて自分が、何かの世話をするというのが嬉しいらしく。
小鳥の一挙一動に、酷く敏感になっていた。







昨晩、小鳥が夜中に騒ぎ始めた事を思い出す。



いつもなら一度眠れば中々起きない悟空が、飛び起きた。
三蔵も小鳥の煩さに頭痛を覚えながら起き上がった。
その時には、悟空は既に小鳥を見ていて。

それから「どうしたのかな?」と不安そうに三蔵に聞いた。


その後自分がなんて答えたかは、忘れた。

ただ悟空が小鳥までつれて、三蔵のベッドに潜り込んで。
叱る間も無く、眠ってしまった事は覚えている。








(……騒いだぐらいじゃ死にゃしねえよ)



溜息を吐いて、持っていた筆を置いた。

ふと外界へと視線を向ければ、其処に小猿の姿は無かった。


悟空が何処に行ったかなんて、考える必要も無い。
もう一度溜息を吐いて、煙草を取り出した。
本来ある筈の無い灰皿を、執務机に置く。

程なく聞こえてきた、寺院に似合わぬ足音。
そして勢い良く、壊れんばかりに開け放たれる扉。




「三蔵、こいつちょっと飛んだ!!」




三蔵が視線を向ければ、案の定。

肩で息をして、汗を拭うこともせず。
両手で作った皿に小鳥を乗せて、それを見せて。
嬉々とした顔で言う、養い子の姿がある。



「あのな、ほんのちょっとだけなんだ。でも飛べた!」



昨日は飛べなかったのに、と。
その手の中で、気の所為か小鳥も嬉しそうだ。



「治って来てんだな、良かったな!!」



悟空は小鳥を見下ろし、そう言った。

言葉が理解できたのだろうか。
小鳥がチィと小さく鳴く。
それがまた、悟空には嬉しくて。












小鳥を拾ったのは、一週間ほど前だ。

野犬か猫に襲われたのを、悟空が見つけたのだろう。
寺院の敷地内の片隅に蹲っていたらしい。



最初は勿論、警戒されていた。
手当てしようとして、何度も突付かれていた。

けれど、やはり動物同士なのか。
悟空の看病が、小鳥にも判ったのだろうか。
小鳥は次第に悟空に懐き始める。

そうなってしまえば、心を開くのは早かった。
















小鳥が悟空の指に擦り寄る。
くすぐったさに、悟空が笑った。

三蔵は執務机から離れた。
出入り口に立ったままの悟空の傍へ歩み寄って。
手の中の小鳥を、見下ろしてみれば。



「確かに、大方傷は治ったようだな」
「な、すげーだろ。あんなに酷かったのにさ」
「動物は生命力が強いからな。お前と同じで」
「オレ動物じゃねーもん!」
「じゃガキだな」



三蔵の言葉に、悟空は頬を膨らませた。
程なく、拗ねた顔でそっぽを向いた。

悟空の不機嫌を察したのか、小鳥が小さく震えた。



「あ、ごめんな、お前じゃないからさ」



最後にしっかり、「三蔵の所為だから」とまで付けていた。


そんな悟空に一発、ハリセンを振り下ろして。
痛みを訴える声を無視し、机に戻る。

拗ねたような声から、じゃれる声に変わる。
小鳥の鳴き声が、静かな筈の執務室に反響する。
無邪気なもんだと、つくづく思う一方で。





「明日か明後日には、放せよ」





その言葉を聞いて、悟空が途端に黙った。
ただ小鳥だけが、不思議そうに鳴いていて。
まるでどうしたのかと聞いているようだ。

悟空の口元が、ぎゅっときつく締められる。
まるで泣くのを我慢しているように。



「そいつはもともと野生なんだ」



だから、暮らすのは自然の中が一番で。


悟空だから、小鳥は懐いただけで。

翼はもう、治っているのだから。
空へと放てば、きっと飛んでいくだろう。
己があるべきだと知る場所へ。


それでも、悟空の情は既に小鳥に移っていて。
それでも、自然を捻じ曲げることは出来ないから。



「寺院の外で放すなら、俺も付き合ってやる」
「…………ん……」



悟空が小さく声を返した。
小鳥が心配そうに悟空の顔を覗き込む。

チ……と、小さな鳴き声が聞こえた。




















































翌朝、悟空はずっと小鳥を見つめていた。
餌をついばむ小鳥も、時折悟空を見る。

事情を判っているのかどうかは、知る由ではない。
だが、野生の勘のようなものが働くのか。
餌をついばみ、悟空を見ては、そっと擦り寄っていく。




(――――静かだな……)




いつも煩い子供を見ながら、思う。
時折漏れる小鳥の声の方が、よく耳に届く。

悟空がつん、と指で小鳥を突付いた。
遊んで貰えるものと思ったのだろうか。
小鳥はくちばしを近付けたり、脚を乗せたりした。







不思議な程、静かだと思う。

垣間見た悟空の横顔は、泣き顔と同じだった。


















寺院からそう離れた場所でもなく。
けれど、近場では一番高いだろう山の上。

そこが、空に一番近い気がしたから。
其処から小鳥を放してやりたい、と。
悟空の言葉に、三蔵は黙って付き合ってやった。



「…も、お別れなんだよな……」
「猿にしちゃよく面倒見た方だ」
「……そっかな」



へへ、と悟空が小さく笑うけど。
その笑みが、いつもより頼りなかった。


上ってきた道は緩やかだったが。
反対側は、高く切り立ったその山。
それでも、悟空が知る限り、そこが一番空に近いから。

崖同然の傾斜の方へ、悟空が歩く。
危なげない足取りが、重いものだと判る。






「さよなら、だな」






小鳥が首を傾げ、鳴いた。

悟空が小鳥の体を、手で包む。
それから、少し勢いをつけて。
腕を上へ上げて、手を放した。


羽音が空気を震わせる。



三蔵に背を向けていた悟空が、振り返る。

優しい微笑が、そこにはあって。
淋しいけれど、悔しくはないから。




「三蔵、帰ろ」




いつも通りの声、いつも通りの言葉。


駆け寄って、悟空が三蔵の法衣を掴んだ。
歩く事を促すように、法衣を引かれる。
くしゃ、と悟空の頭を撫でてやった。



チィ、と高い鳴き声が耳に届いた。
まるでそれは、呼んでいるかのようで。



悟空が振り返れば、其処には。
飛び立った小鳥が、戻ってくる。

いや、そうではない。
ただ動物たちは、一度振り返り、帰っていく。
まるで感謝の意を示すかのようにして。





――――けれど。
その羽ばたく翼が、少しずつ揺らめいて――――…………
















地に、落ちて。


















信じられないものを見るように。
悟空が、三蔵の法衣から手を離す。

ゆるゆると、小鳥に近付いて、傍でしゃがみ込んだ。


もしかしたら、悟空が拾ったあの時に。
この小鳥は、既に限界だったのかも知れない。

けれど、悟空が見つけてたから。
その優しさに、答えたいと思ったから。
もう少し、生きていたいと思ったから。




「………なんで…?」




気の無い声が、悟空の口から漏れた。



「………治ってなかったの?」
「そうじゃないだろう」
「じゃあ、なんでなの? なんでこいつ、落ちちゃったの?」



真っ直ぐ問い掛ける悟空に、三蔵は口を噤んだ。


昨日は飛べた。
だから、治ったと思ったから。
今日、空に一番近い場所から還すから。

それで良かった筈なのに。





地面に、小さな雫が落ちた。
それは直に、大地へと消えていく。

けれど、横たわる落ちた翼は。
はっきりと其処に影を映し出していて。
堰を切ったように、悟空の瞳から涙が溢れ出す。






ほんの一週間。
一緒に過ごした、小さな生命。

こんなに儚いものだなんて。
知っていたけど、知っていただけで。
『二度』も、失くしてしまうなんて。






三蔵の腕が、悟空を抱き寄せた。
頭を抱き込んで、自分の胸に押さえつけて。




―――――……バカ猿が……




どうして、そんなに泣けるのかと思うけど。
今は、泣かせて置くのがいいと思うから。






声を上げて、幼子が泣き出した。
三蔵はさらに強く、抱き締める。


涙の意味なんて、判らないけれど。
ただ溢れる涙を、止める事が出来なくて。
ただ溢れる涙を、止めてやる事が出来なくて。



















――――――………何処か遠くで、鳥が鳴いた―――――
































傷ついた翼で、何処まで飛べると言うのだろう

一度地に落ちたその翼で、何処まで飛べると言うのだろう









この空の向こうまで

この大地の向こうまで










―――――……飛べない翼で、何処まで飛べると言うのだろう


















FIN.



後書き