happy thanks













別に物なんていらなくて

そう思ってくれた事が嬉しくて









嬉しくて、「ありがとう」が出てこない




























厨房で何やら、ガチャガチャと音がする。
時折物を落とすような、派手な音も起き。
それと同時に、変声期を迎えていない声が響く。

中では、悟空が一人、悪戦苦闘していた。
抱えているボウルには、白く泡立った液体。


あちこちに白い液体が飛び散り。
水道付近はびしょ濡れで。
見れば悟空も、頭から水に濡れていた。

だが悟空自身は、そんな事を気にする余地も無い。





「なんで上手くいかねーんだよ〜!」





叫ぶ声は、誰に向けられたかも判らなかった。




今日は9月21日―――八戒の、誕生日だった。























カチャ、と厨房のドアが開く音がして。
悟空が振り返ると、其処にいたのは。

目の前の惨事に呆然とする、八戒だった。



「何……してるんですか? 悟空…」



途切れ途切れに質問されて。
悟空はボウルを置いて、八戒に駆け寄る。

汚れないようにと着けているエプロン。
常に見ないその姿に、八戒は益々驚いたようで。
一体どうしたのだろうと、悟空をじっと見下ろす。



「……えっと…なんか、用?」
「…悟空におやつ作ろうと思ってたんですけど…」
「えっと……あ、じゃ、後で! オレが終わってから!」



言って悟空は、八戒を厨房の外へと押した。



「ちょ、ちょっと、悟空!?」



常日頃とはまったく違う反応に。
八戒は戸惑いながら、悟空の名を呼んだ。

悟空だって、八戒の作ったお菓子は食べたい。
だが、今日、今ばかりは後回しなのだ。
どうしても作りたいものがあるから。




「ごめんな、後で!」




八戒を厨房から押し出して、扉を閉める。
扉に背を預け、ずるずると座り込んだ。

本当なら、今頃出来ている筈なのに。
一体何時間、この厨房にいるだろう。
不慣れな事をしているのだから仕方ないが……



「これじゃ間に合わなくなるよ……」



設置された時計を見上げて呟いた。

























厨房を追い出された八戒は。
いつもと違う様子の悟空に、首を傾げていた。

厨房にいる事自体が珍しい事だ。
その上エプロンをして、ボウルを抱えて。
何かを作っているようではあったが、よく判らない。


『食べるの専門』の悟空が、一体何故。
お菓子を「後で!」と言ったのも不思議だ。



「お腹を壊したって訳でもないようですし」



昨晩、相変わらず悟浄と騒いでいた。
それに、三蔵にハリセンで叩かれていたから。
健康面には至って問題はないだろう。


朝食と昼食は揃って食べた。
食事量はいつもと大差なかった筈だ。
摘み食いでもして、腹が空いていないのか?

答えをくれる唯一の人物―――本人は。
閉め切った厨房の中で、一人、何か奮闘している。


時折、中から派手な物音が聞こえてくる。
ガチャンとか、ガタンとか、不穏な音。
皿が割れるのに似た音も聞こえた。



「……さて、どうしましょう……」



厨房前に立ち尽くし、考え込む。
無理に押し入っても、多分また追い出される。



「……待っていましょうか」



八戒は厨房扉の横に背を預けて。
その扉が内側から開かれるのを、待つことにした。


























不快を誘う刺激臭が鼻に突き刺さる。
その発信源を、悟空は呆然と見つめていた。

綺麗な金瞳に映るのは、黒焦げの何か。
それがなんであるか、大抵の人は判らないだろう。
悟空だって、ふとすれば判らなくなる。
自分が何を作ろうとしていたのか。




「……だっ…だから……っ…」




ふるふると震える手で、拳を握る。

なんで上手くいかないんだ、と。
怒鳴りそうになって、言葉を飲み込んだ。
どうせ虚しくなるだけなのだから。


これで一体、何個目かと考えて。
数えるのも嫌と言うほどだったと思い出す。

多少の不出来なら、誤魔化せただろう。
だが、これでは無理だ。



また一から作り直さなければならない。

時間だけは、容赦なく過ぎていくのに。
作業工程は進まないままだ。



「八戒だったら…いつも上手く出来るのに……」



まだ旅に出る前。
遊びに行く度、何か作ってくれた。
悟空が強請る前に、作ってくれた。

クッキー、ケーキ、パイ。

菓子に限らず、色んなものを作ってくれた。
それを傍らで見ている事だってあったのに。


慣れ不慣れ、向き不向きがあるとすれば。
自分は慣れていないし、向いてない。

包丁の扱いなんて、危なっかしいったら無かった。
余りの不器用さに「悟空は触っちゃ駄目です」とまで言われた。


でも、今日は。




「もう一回だ」




何度、その言葉を呟いたか。
そんな事は忘れてしまったけれど。

悟空はエプロンの紐を結び直した。
これもかなり適当な結び方だ。
八戒のように、上手く出来なかった。


分量の量り方もたどたどしい。
さっきも小麦粉をぶちまけた。
様子を見にきた宿の主人に、必死に謝った。

許してくれたのは幸いだが。
一番良いのは、そういうミスをしない事。



「卵……割れるかな、ちゃんと…」



卵を見ながら考える。
ずっと失敗続きなのだ。

陰鬱になりそうなのを、頭を振って切り変えた。



「大丈夫、大丈夫。ヘーキ」



そればかり、繰り返し呟く。


八戒も、最初はこうだったんだろうか。

皿を割ったり、水浸しになったり。
料理を焦がしたり、そんな事をしたのだろうか。
今の彼からは、とても想像できないけれど。



「……頑張ろ」



自分の不器用さに、泣きたくもなるけど。
今日は、そんな暇は無いのだから。

喜んでくれるかどうかは判らない。
だけど、言ってあげたかった。
未だに、ふとすると自虐的になる彼に。





心の底から、言ってあげたい言葉がある。





オーブンのスイッチを入れて、その間に。
悟空は苺や蜜柑を切る事にした。

美味しそうに誘惑してくるけれど。
今日は我慢しなければいけない。



「我慢、我慢……よっし」



左手に包丁を握って、まな板に苺を置く。



「最初に…葉っぱ取るんだよな」



以前、八戒がやっていたのを見た事がある。

右手の指先で苺を抑えておく。
そっとヘタの部分に、包丁の刃を当てた。
ゆっくりと刃を落とすと、呆気なくヘタは本体から離れる。



「………っだ〜〜〜っ…怖い〜……」



包丁をまな板において、へたり込んだ。


包丁を使う事が、こんなに怖いなんて。
ほとんど初めてだから、当たり前かも知れないが。

思い出す八戒の姿はと言えば。
悟空と話をしながら、手際よく作っていく様。
時には悟浄のいる方へと余所見をしながら。



「……急には、あんななれないよな」



無理に自分と比べてはいけない。
自分なりに頑張って見ればいい。

もう一度包丁を握った。
幾つもの苺のヘタを、全部切り離して。
ようやく、スライスする。



「…大きさバラバラだ……」



切った後を見ながら、呟いた。
薄切りと厚切りに、程よさそうなもの。
苺の幅はバラバラになっていた。


厚切りの苺に、また包丁を立てる。




「―――――ってぇ!!」




案の定、指まで切ってしまった。
包丁を置いて、水道の蛇口を捻る。

前にも、こうやって切った事がある。
八戒が水で傷口を消毒してくれて。
それから、バンソウコウを張ってくれた。



「いってぇ……うわ、血止まんね」



流水に当てている所為もあるのだろうが。
切ってしまった指先から、血が溢れて来る。

痛いのには慣れているけれど。
こういう小さな痛みは、結構辛い。
我慢するには、刺激が弱すぎて。


宿の主人にバンソウコウを貰おう。
そう思い立ち、悟空は蛇口を締めた。


















厨房のドアを開けたら。
すぐ隣から、八戒の声がしたから驚いた。

ずっと待っていたらしい八戒に。
八戒が厨房に入ってきたのは、いつだったろうと考える。



「えっと…ご、ごめんな、待たせて」
「いえ。僕が勝手に待っていたんですから」



微笑んでくれる八戒に、安堵する。

滅多な事では怒らないと知っているけれど。
少なからず不安を覚える事は否めない。



「それにしても珍しいですね。悟空が厨房にいるのは」
「う、うん……ちょっと、ね…」
「可愛いですよ、そのエプロン。似合ってます」



悟空は、耳まで熱くなって行くのが判った。


悟空がつけているのは、モスグリーンのエプロン。
これしかない、と宿の主人に渡されたもの。
なんでも、主人の娘のものだと言う。

後で返さなきゃ、と思いながら。
八戒の「似合っている」と言う言葉が、頭の中で反芻される。



「と、取り敢えず入って、八戒」
「ええ――――って、悟空!」
「ふぇ?」



急に声を張り上げた八戒に。
悟空は、間抜けな声を出してしまう。

ぐい、と右手を引き寄せられる。



「怪我してるじゃないですか!!」



バンソウコウだらけの右手。
一回二回だけでなく、何度も切ってしまった。

血の滲んでいるバンソウコウもあった。


厨房と宿のカウンターは、中で続いている。
だからバンソウコウを貰いにいく時、八戒に見られなかった。
故に、悟空も八戒に気付かずにいたのだが。

八戒は心底、心配そうに手を眺めている。
まるで自分の方が傷付いてしまったかのように。



「は、八戒、平気だよ。痛くないよ」
「ちゃんと消毒したんですか?」
「うん、して貰った。宿屋のおっちゃんに…」
「……なら…いいんですけど」



ようやく、手を開放された。
それでも心配の色は消えきらない。

大丈夫だから、と悟空は手を握ったり開いたりした。
それを見た八戒が、ようやく笑う。
見知った笑顔に、悟空も笑みを漏らす。


悟空は厨房入り口から、体をずらす。
それを見て、八戒が敷居を跨いだ。

そして、その翡翠の瞳に映ったのは。
多分、従業員用のテーブルの上。
其処に置かれた、歪な形のケーキ。



スポンジの形も。
クリームの塗り方も。
盛り付けも、決して上手ではない。

ただチョコレートで書かれたらしい文字が。
なんとも微笑ましさを誘ってくれる。







『ハッピーバースディはっかい』







ケーキの真中に、大きく書かれたそれ。
お世辞にも、上手ではない文字で。

じっとそれを見入る八戒の後ろで。
悟空は心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。


八戒が振り返る。
金瞳と翡翠が交じり合うと。
穏やかな微笑が、其処にある。

くしゃ、と頭を撫ぜられて。



「頑張ってくれたんですね」



大変だったでしょう、と。
抱きしめてくれる腕が、優しくて。

ぎゅ、と悟空は抱き付いた。
後ろから撫でてくれる手が、優しい。




「とっても嬉しいですよ、悟空」




その言葉に、悟空も破願して。



「オレな、オレ頑張ったんだぞ。一人でやったんだ」
「こんな怪我までして…痛くないですか?」
「平気だってば。もう痛くないよ」



心配性な彼に、悟空は笑った。





「僕の為だと……そう、思ってもいいんですか?」





八戒の言葉に、悟空は大きく頷いた。
他の誰でもない、彼の為なのだから。



……八戒は雨が降ると、自分を卑下する。
生まれなければよかったのだろうかと。
そうすれば、彼女も死ななかったのかと。

そういう時、自分は何も言えなくて。
悔しいけど、何も言えなくて。




――――だから、今は。










「生まれてきてくれてありがとうな、八戒!」

























思ってくれた事が嬉しくて

してくれた事が嬉しくて

言ってくれた事が嬉しくて


ただ、貴方がいるだけでも幸せなのに










今僕は、きっと誰よりも幸せです



だってほら

「ありがとう」が出てこない

















FIN.



後書き