- 蛍 -













ふわり ふわり ふわり

川辺で光の魂が遠い空へと還っていく













キミの瞳にその光は


一体どんな風に映っているの?

































「三蔵、三蔵」



まだ幼い小さな手が、法衣を引っ張る。
振り返り、目線を下へと落とすと。
拾って2年の小猿が立っていた。

見上げてくる金瞳は、爛々と輝いて。
何か期待に満ちているようにも見えた。



「三蔵、仕事終わったの?」



法衣に皺を作ることも厭わず。
悟空は両手で法衣を掴み、また引っ張る。



「ね、終わったの?」
「……ああ」



三蔵に短い返事。
それを聞いた悟空の表情が、明るくなる。


今度は、一体何を考えているのか。
子供の読めない行動を振り返り、三蔵は溜息を吐いた。
悟空はそんな事には気付いていない。

重力に従って下ろされていた三蔵の手。
それを、小さな手が握って。



「じゃあ、外行こうよ」
「………ふざけんな」



くい、と手を握ったまま歩き出そうとした悟空。
幼い手を振り解き、三蔵は低い声音で言った。


外に行こう、等と。
一体今、何時だと思っているのだろう。
月は既に高い位置に上り、寺院内は暗く、静かだった。

何時もなら、悟空はとっくに寝ている時間だ。



「ガキはとっくに寝てる時間だろうが」
「ガキじゃないよ。眠くないし。三蔵待ってたの」
「知るか。さっさと寝ろ、ガキ」



三蔵が自室の方向へと歩き出すと。
悟空は慌てて、それを追い駆けた。

早足で歩く三蔵と、置いて行かれないように走る悟空。
三蔵は後ろを伺おうとはしなかった。



「三蔵、待って。待ってってば」
「うるせぇ」
「見せたいものあるんだよ」
「どうせ下らんものだろ」
「下らなくないよ、きれーなの」



後ろをついて来た悟空が、隣に並び。
三蔵の法衣の裾を掴み、見上げて言った。

三蔵は視界の端でそれを捉えていた。



「きらきらしてて、きれーなの」
「……だから?」
「三蔵にも見せたいの」



きらきらしてて、きれいなもの。



悟空の台詞に、三蔵は足を止めた。
習って悟空も足を止めたところで、溜息を吐いた。

見せたいものがある。
それだけの為に、こんな時間まで起きて。
何時もなら、とっくに夢の中なのに。


溜息を吐いた三蔵の表情を、悟空が覗き込んだ。
そんな悟空の大地色の髪を、くしゃりと撫でて。



「なら、上に何か着て来い」



その言葉に、悟空はしばしきょとんとして。
自分の格好を見直した。

悟空の格好は、TシャツとGパン。
季節は夏始めとはいえ、日が落ちれば冷気が立つ。
幾ら悟空でも、風邪をひかないとは限らない。

ようやく気付いた悟空は、自室へと走って行って。
長い髪が、嬉しそうに跳ねていた。



――――過保護になっている自分に、今更ながら呆れていた。














今日の月は、細い下弦だった。
細い月光の中、星明かりも少ない。

三蔵は、悟空に手を引かれて歩いていた。
急かす子供は、握った手を引っ張って。
早く早く、と一歩手前を歩く。



「何処まで行くつもりだ」
「もーすぐだよ」



寺院からかなり離れている事に思い立ち。
三蔵が投げた質問に対し、返事はそれだけ。

別に、正確な答えが聞きたかった訳でもないが。



「きらきら光ってたんだよ。きれいなの」
「それはさっきも聞いた」
「うん、きれいだから」



何処か噛み合っていない会話に。
やはり言語の勉強が必要だと、三蔵は頭の隅で思った。



きらきらしてる。
光っていた。
凄くきれい。

そればかり、悟空は何度も言って。
三蔵にもそれを見せたいと、繰り返し告げる。



一歩手前を歩く悟空の足に、迷いはなく。
目的の場所へと、三蔵の手を引いて行く。

時折吹く風が、冷気を運んできて。
やはり帰ってしまおうかと三蔵は思ったが。
繋がれた手を、振り払えないままで。


悟空が後ろを振り返って。
見下ろしていた三蔵と目が合った。

歩を止めないまま、悟空が笑う。
何故笑うのか、三蔵には判らなかったが。
僅かに、繋がれた手に力が篭るのは判った。



「三蔵、もう少しだよ」
「……こんな所まで来て、何があるってんだ」



連れてこられたのは、河川敷で。
悟空はまだ歩みを止める様子はない。



「あとちょっと……」
「さっきから何回言ってんだ」
「ホントにあとちょっとだから」



繋がれた手を、一度強く引っ張られ。
もう少しだから、と見上げてくる金瞳。

拾ってから2年。
何故か、この瞳に弱い自分がいて。
何度目か知れぬ溜息とともに、歩を進めた。



「なら、さっさとその場所まで連れて行け」



三蔵の言葉に、悟空はまた笑った。


それから、幾分歩いたのか。
悟空は三蔵を、川辺へと誘った。

緩やかな流れの、水音が聞こえ。
歩を進める度、砂利石が小さな音を立てる。
一歩手前を歩いていた悟空は、何時の間にか隣にいた。



「この辺……いつもいるの」



三蔵を見上げながら。
もう少しで出てくると思うから、と。
呟いた小さな声は、三蔵にしっかり聞き届いて。

仕方がないから待っていてやる、と。
三蔵の言葉に、悟空が頷いて。


少し寒いのか、悟空が肩を震わせた。
上着を着ているだけでは、川辺の冷気を防げないらしい。
三蔵は無言のまま、悟空を抱き寄せた。

小さく「あったかい」と言う声が聞こえた。



ふわり、と。
何かが、視界の端を横切った。

その光を追うように、悟空が顔を上げる。
三蔵も同じように、視線を上げると。







――――闇を照らす、幾つかのの小さな光。







悟空は三蔵に抱き寄せられたまま。
腕の中で、その小さな光たちを見つめ。

その光の正体が一体なんなのか。
三蔵には、すぐ予想がついた。



「蛍だな………」



三蔵の小さな声に、悟空が顔を上げ。
ほたる、と単語を反芻した。

正直、三蔵も驚いた。
人の手の届くだろう河川敷に、幾つかの蛍に。
そしてそれを見つけた、小さな小猿に。



「やはり動物だからだな」



傍らの悟空の頭を撫でて呟いた。
それを悟空は、聞いていなくて。
意識は前方の光ばかりに向けられていた。

一つの光が、こちらに飛んで来て。
悟空がおそるおそる、手で皿を作って差し出すと。
その光は、手の中に降りた。



「……三蔵、ほたる?」
「ああ」
「………ほたる」



一度目は確認するように。
二度目は、小さく微笑みながら。



「ねぇ、持って帰っていい?」
「駄目だ」



子供の無邪気な言葉を、三蔵は直ぐに拒絶した。
悟空はその言葉に、「なんで?」と言う顔で。



「蛍は、川辺でしか生きられねぇんだよ」



そして、成虫になってからの寿命も。
長く続いて、10日程度。

悟空は、手の中の蛍を見下ろした。
指の隙間から、光が零れ出していた。



「だから、放してやれ」



三蔵の言葉に、悟空は蛍を見つめ。
少しの間を置いて、手を空へと掲げた。

両手を離すと、光は宙へ飛び。
他の光たちのもとへと、帰っていった。
その光景を見ながら、悟空はまた、三蔵に身を寄せ。






「すっげぇきれい………」






呟いた声は、闇を照らす光の中に、溶けた。

















































三蔵は、ゆっくりと目を開けた。

眼前に広がる光景は、鬱蒼とした森。
耳に届くのは、霞んだ梟の鳴き声。



(そういやぁ、こんな日だったな)



空を仰ぎ、思い返す。
細い光を離す、下弦の月が其処にある。

あの頃より、明らかに違うのは。
寺院にいない事と、悟浄と八戒がいる事。
悟空があの頃程、幼くない事。



(……ガキなのは変わらんままだがな)



後部座席へと、首を巡らせると。
ある筈のものが無い事に、三蔵は溜息を吐いた。



(ったく……)



眠れなかったのか、寝なかったのか。
幼い日の、あの時のように。


三蔵はジープを降りた。
悟浄と八戒が起きる様子はない。

適当に周囲をぐるりと見回して。
足が向くまま、茂みへと入った。
悟空の気配がする方向へと、迷わずに。



(勝手な行動は厳罰ものだ、バカ猿)



単独行動を控えろと、常日頃言ってある。
別に危惧しなければならぬ程、悟空は弱くない。
悟空は、決して足手纏いではないから。

それでも、危険がすぐ隣にある事は変わらない。
まして悟空は、一つに集中すると何も見えなくなるから。



(……だからどうだって気もするがな)



あれこれと言い訳をつけながら。
結局、気にかけている自分がいる。

































川の流れの音が聞こえて。
水が跳ねる音が、規則的に聞こえた。

それが聞こえる方向へと、三蔵は歩を向けた。
少しずつ、水音が大きくなって。
数回で、その音は途絶えた。



(こっちだな)



音が途絶えても、気配が判る。
少しずつはっきりしてくる、気配と、聲。

茂みを抜け出るまで、あと数歩。
木々の合間から、川が覗き見えた。
その周辺を舞う、小さな光の粒も。


かなり、ジープのある場所から離れたと思う。
こんな所まで、一人で勝手に。

だが悟空は、それを判っていないだろう。
ただ足の向くまま、歩いただけで。
叱咤されるだろう事は、判っているだろうに。


鬱蒼とした中から抜け出し。
広がった光景は、いつかの光景と似通うもの。

細い月明かりだけに照らされる川。
その上を舞う無数の光。
そして川を挟んだ向こう岸に座り込む、悟空。



溢れる光の中、悟空は淡く微笑んで。
まるで其処だけが、切り取られた空間のようで。

このまま、光が消えてしまえば。
悟空さえも、連れ去っていってしまうようで。
それが錯覚だと判っていても。






「何やってやがる、バカ猿」






告げた声に、悟空は目を見開いて。
座ったままで、川を挟んでこちらを見た。

ぼんやりとしていた金瞳に、光が宿る。



「………さんぞ……」



ぼんやりとした声で名を呼ばれ。
そんな悟空を、三蔵はじっと見つめ返し。



「さっさとこっちに戻って来い」
「あ……え…」



三蔵の言葉に、悟空はようやく我に返ったらしく。
地面に手をついて、立ち上がろうとして。
一瞬、悟空は動きを止めた。

地面についた手をじっと見下ろして。
一体何があるのか、三蔵からは見えない。



やや間を置いて、その手を一度浮かした。
細身の指先から、小さな光が浮かび上がる。

霞んで消えてしまいそうな、弱い光。
それを、悟空はそっと手で包み込み。
立ち上がると、川へと歩を進めた。


飛び回っていた蛍が、散り散りになって行き。
悟空は開いた道を、歩いて行く。

光を包み込んだ、悟空の細身の手。
指の隙間から、その光が零れ。
いつかの幼い姿が、微かに重なった気がした。



(やっぱり、成長してねぇな……)



思いながら、三蔵は佇んだまま。
悟空が歩み寄ってくるのを、待って。

直ぐ傍まで近寄ってきた悟空は。
包んでいた、手をそっと開いて。
三蔵に見せるように、掲げ。



「………さんぞ、ほたる……」



弱い光を放つ蛍を見せる悟空。

やはり、幼い日と変わっていなくて。
三蔵は、くしゃりと悟空の頭を撫でた。


ぽう、と蛍は一度、明るく光を放った。



「あのな……すっげぇきれいだったの」
「……お前、前にも同じ事言っただろう」
「だって、すげーきれいだから」



幼い頃も、綺麗だから、と繰り返し。
今もそれと同じ言葉を告げる。

小さく点滅する光とその主に、悟空ふわりと微笑んだ。


ふわり、とその光が手の中から離れ。
蛍は悟空と三蔵の周りを、くるりと飛んで。
もといた岸辺へと、還って行った。










現実とは何処かかけ離れた光景の中。


三蔵は悟空を抱き寄せ、ただ温もりを感じていた。


































ふわり ふわり ふわり

川辺で光の魂が遠い空へと還っていく









どうかキミが

その光に浚われないように



キミの持つ光が、僕にとっては何より眩しいものだから






















FIN.


後書き