- ツバサ -












翼は汚れてるままで
広げることも忘れていた

まだ気持ちが重すぎたあの日









翼は汚れてるままで
擦り傷だらけのカラダでも

思いを全部ぶち込めるなら









―――――遠くへ飛べるさ

































じっと空を見つめていた悟空を。
最初に気付いたのは、悟浄だった。






3日前に街を発った一行。
次の街へは、約半分程といった所で。
ジープを休ませようと八戒が提案した。

今日は朝から穏やかな空が続き。
本音はただのんびりしたかっただけで。


三蔵は進めるうちに進め、と言うが。
後部座席の二人も、八戒の意見に賛成した。

たまにはピクニック気分もいいじゃないかと。
終いにはジープも変化を解いてしまい。
三蔵の意見はほぼ無視した形となった。



が、結局三蔵も、一人でのんびりと煙草を吸って。
其処から幾分か離れて、悟浄と八戒が雑談していたのだが。









「………猿?」




悟浄がふと口にした言葉に。
顔を上げた八戒の翡翠に映ったのは。
数メートル先でじっと空を見つめている少年がいた。

八戒の肩に乗っていたジープも。
そちらを見て、首を傾げて小さく鳴いた。



「…どうしたんでしょう?」
「……って、俺に聞くなよ」



知る訳がないだろう、と。
肩を竦める悟浄に、ごもっともと八戒は漏らした。

ふと気になって金糸の男を見れば。
気にしているのか、いないのか。
少年を見てはいるものの、いつもの無表情のままだ。



少年はやはりじっと、空を見ている。



やはりと言うか、最初に動いたのは悟浄だった。
咥えていた煙草を地面に落とし、踏み消す。

別段、足音を消す事もせず。
気配を押し殺そうともせずに。
真っ直ぐに、空を見る少年へ歩み寄る。


一陣の風が吹いて、悟浄の紅髪がなびき。
少年の大地色の髪が、ふわりと風に煽られる。





じっと空を見つめる少年の瞳は。
光が強過ぎて、奥が深くて読み取れずに。
いつもは爛々と輝いているのに、今は静かに揺れている。

いつもは年齢よりずっと幼く見えるのに。
どうして、こういう僅かな時間だけ。



………この子供は、酷く大人びて見えるのだろう。









「……あ、悟浄」



不意に悟浄が足を止めると同時に。
混じり気のない金色の瞳がこちらを向いた。

その瞳はまだ先の揺れを残していて。
いつも煩いと思える程の高めの声も。
何故だか、落ち着いた声色に聞こえ。



「……どうかしたか?」
「どうって?」



悟浄の質問にも、きょとんとして。
逆に問い返してくるのは、大して変わらない事なのに。



「なんだかぼんやりしてましたよ」



いつの間に来たのか、八戒が言うと。
悟空はいつものように、判らないと首を傾げる。

それも、何故だか。



「空になんかあるのか?」



そう言って、悟浄が空を見上げれば。
其処には、何処までも青い空が広がり。
陽光が優しく大地を照らしている。

確かに、見ていて心穏やかにはなるけれど。
先刻の悟空のように、じっと見る気にはならない。



「別になんにもないよ」
「じゃ、なんで見てたんだよ?」
「なんにもないのに見ちゃいけないのかよ」



悟浄の言葉に、不貞腐れたように。
悟空は頬を膨らませて、言った。

そんな少年に、悟浄が僅かに安堵の表情を漏らした事に。
八戒が気付いていない事はなかったが。
少し、自分も同じ気持ちだったから何も言わなかった。


時折、悟空が見せる大人びた横顔は。
子供をよく知る人々を、束の間、不安に誘う。

けれど子供は、それを知る由もなく。
自分達大人も、それを言おうとは思わない。




「腹減りすぎて幻覚でも見たのかと言ってんだ」




割り込んできたのは、凛とした低い声音。
いつからいたのか、三蔵が立っていた。

三蔵にまでそう言われた悟空は。
また頬を膨らませて、拗ねた顔をして。
何も言わずにいる八戒に、自分はどうなのかと目で問う。



「ご飯はさっき食べましたもんね」



悟空の頭を撫でながらそう言えば。
その言葉をどう受け取ったか、満足したように笑う。



「で、何してたんだ?」
「ん? ……んー…」



悟浄の改めての問に、悟空はまた空を仰ぐ。
何故か、その横顔は。
先刻のように、大人びたものではなく。
ただ、何かを思い出しているような表情で。

習うようにして、悟浄が空を仰ぐと。
八戒の肩にいたジープも、真似るように空を見た。









「――――……広いなぁって」










ぽつりと呟いた言葉は。
凪の中、遠く透き通って消えていく。


































――――昔は感じる事が許されなかった。






岩牢にいた頃は、狭い空しかなくて。
広い広い世界に必死で手を伸ばしても。
それを掴むことは、いつも出来なかった。

太陽の光も、届きそうなほど近いのに、遠くて。
すぐ傍にある自由は、掠めることすら出来なかった。



空に雲がかかれば、暗い世界が残り。
雪が降れば、音さえもなくなり。

光があれば、それはいつも届かない。



一体、何度泣いただろう。
一体、どれほど怨んだだろう。

届かない自分自身を。
届いてくれない広い世界を。



記憶から追い出してしまう程見続けた、同じ風景を。



光が。
広い世界が。
目の前に広がっているのに。

それを感じる事を、許されなかった。



すぐ身近にあるものだというのに。
何故か酷く遠い場所にしかなくて。

届かないのが悔しくて、泣いていたのに。





今は。

抱えきれないほど、広い空がすぐ傍にある。











それはなんだか、嬉しいような、少し寂しいような……―――





























何故、そんな風に思うのか。
少し寂しいなんて思うのか。

悟空自身にもよく判らない事だけれど。


悟空がおもむろに両手を空へと掲げた。
風が吹いて、その手のひらの隙間を疾って行く。



「多分、これだけ広いと……」



空の果てが見えないのは当たり前の事。
大地の果てが何処にあるのか判らないように。

これだけ広い空だ。
果てなんてないのかも知れない。
遠く遠く、大きなものだから。




「何処まで行っていいのか判んなくてさ」




狭い空は、容易く掴めるものではなかったけれど。
掴めたらきっと、全部抱き締めていられたと思う。

けれど、これだけ広かったら。
抱き締めた傍から、零れて行きそうで。




「先に進めなくなりそうで………」




空を掴むことなんて、抱き締めるなんて。
きっと一生かかっても無理なことだとは思うけど。

幼かったあの日、必死に手を伸ばし。
ようやく届きそうな場所に来れたから。
余計に望んでしまっているのかもしれない。





「迷子になりそうだなって……」





狭い空を求めて飛び立って。
広がったのは、果てのない空。

行く道も帰り道も、全く知らない。
追い駆けて追い駆けて、知らない場所にいたら。
どうしていいか判らなくなってしまいそうで。





――――くしゃ、と。
悟空の頭を撫ぜたのは、三蔵だった。

悟空が顔を上げれば、其処には。
いつもと同じ表情のままの男がいた。
けれど纏う空気がいつもと違うのが、判る。





「だったら、あそこの方が良かったか」





三蔵が指し示した場所が。
長い間、光に焦がれていた場所だという事は。
言われなくても、すぐに判った事だった。

悟空は躊躇いも考える間もなく、首を横に振る。



「なら、いいだろうが。迷子になるなら、なっていいんだよ」



……どうせ道標など、何処にもないのだから。
道を知らない子供が迷うのは、当たり前だ。



「悟空が迷子になっちゃったら、僕らが探してあげますよ」
「って事で、迷子になったら、そこ動くんじゃねぇぞ」



八戒が微笑みかけて。
悟浄が肩を抱いて言った。






「だからお前は、行きたいように行け」






狭い空しか知らなかった子供が。
今は広い空の下で、前へ進む道を探しているなら。
自分たちは、その子供が迷わないように後をついて行こう。

迷子になったら、手を引いて元の道に戻ればいい。
だから行きたい場所へと進めばいい。



道標なんてなくていい。
行き先なんて決めなくていい。

行きたい場所へ行けばいい。


きっと、この子供は。
500年の孤独の中で、翼を広げることを忘れてしまっていた。

狭い空には、幾ら手を伸ばしても届かなかったから。
広い空の下で、どうしていいか判らなくて。
まだ戸惑い続けていたのだろう。


幾ら手を伸ばしても届かなかった、狭い空。
抱き締めた傍から零れていく、広い空。

果てがないから、飛ぶことが怖い。
何処まで行けばいいのか判らないから。









………何処まで行けばいいのか判らないなら。


行ける所まで行けばいい。










じっと大人達を見上げてくる子供の金瞳は。
爛々と輝き、深く透き通っていて。
その瞳に、自分たちはどう映っているのだろうか。

…やがて悟空は、真夏の太陽のように笑って。




「ガキじゃないから、迷子になんかならないよ」




そんなことを言って。

それでも、もし迷ってしまったら。
ちゃんと手を掴んで欲しいと、小さな声で言って。









「ちょっと其処まで行ってくる!」
















―――――ほら、何処にだって行けるんだ。










































翼は汚れてるままで
蹲ってばかりいたんだ

また痛みが足許を掴む











翼は汚れてるままで
それでもいいと思えたなら

きっと自由にいつまでだって


















―――――遠くへ飛べるさ

















FIN.


後書き