growth あんなにチビだったくせに あんなに煩かったくせに あんなにくっついて来たくせに …………これで構わない筈なのに 久しぶりに辿り付いた大きな街の真ん中で。 随分と栄えている様子の市場の真ん中で。 食い物屋が幾つも軒を連ねている真ん中で。 聞こえた声に、少年は不意に足を止めて振り返った。 それに僅かに遅れて、大人達も立ち止まって少年を見る。 どうしたのかと呼んで見ても、返事はない。 あの少年にしては、珍しい事もあるものだ。 特に、金糸の青年に呼ばれても返事をしないなど。 明日は天変地異か等と紅の青年が揶揄する。 それに少年が何も言わないから、翡翠の青年が睨み諌めた。 何かを探しているのだろうか。 けれど大人達には、周囲の雑踏しか目に入らない。 ―――――しかし。 「お前、迷子?」 道の真ん中で立ち尽くしていた子供に。 悟空は、躊躇う事無くそう声をかけた。 その子供は、見た限りでは、まだ10歳にも至っていない。 悟空の腰ほどまでしか、背丈はなかった。 口元を歪ませて、手の甲で何度も目を擦っている。 三蔵達の目線の高さには、つい先刻まで映っていなかった。 悟空がその子供に声をかけるまでは。 そして、気付いていなかった。 子供が立っていた場所は、先刻自分達が通り過ぎた場所だ。 だが三蔵、悟浄、八戒ともに気付けなかった。 ……泣いている子供が、判らなかった。 悟空は子供の前でしゃがみ。 泣き続ける子供の顔を覗き込んでいた。 それを後ろから見ている三人には。 少年が今、どんな表情なのか判らない。 ただ自分達が知るものではないような、そんな気はする。 「母ちゃんと逸れたのか?」 いつもの活発な声ではなく。 聞くものの心を落ち着けさせるように、ゆっくりと。 それは、年齢不相応に泣きじゃくる悟空に。 八戒が時折悟空にしてみせる行動。 相手の反応を見ながらの喋り方。 「そっかー……」 頷いた子供を見て。 悟空は立ち上がって、周囲を見渡した。 一体何をし出したのかと、後方でい見ていれば。 悟空は素性も知らぬ子供の頭をくしゃくしゃと撫で。 それに、子供が不思議そうな面持ちで顔を上げる。 「母ちゃんだけ?」 悟空の言葉に、子供はまた同じように頷いた。 「な、何処で逸れちまったんだ?」 子供は、今まで自分達が来た方向とは真逆を指差した。 その瞬間の子供の瞳が。 期待と不安の入り混じったものであったことに。 果たして、悟空は気付いているのか。 この後、あの少年の発する言葉は。 恐らく、容易に想像のつくもので―――― 「な、オレ、こいつの親捜してくるな」 「却下」 悟浄と八戒が何事かを言うよりも先に。 三蔵が短く決定を下した。 その言葉に、悟空は拗ねた顔を見せて。 傍らの子供は、また泣きそうな顔になる。 「なんでだよ、いいじゃん。すぐ見つけられるよ」 「その後、お前はどうやって宿に帰る気だ? 俺は探さんぞ」 「ヘーキだよ、道覚えてっから帰れるもん」 三蔵も、子供の親を探すのは構わないと思う。 自分が探す訳ではないのだから、面倒でも何でもない。 しかし面倒だと思うのは、その後だった。 その危惧は、悟浄と八戒も同じ事。 悟空の優しい心を汲んでやりたいとは思うけれど。 泣きじゃくる迷子の子供を見つけてしまった以上。 気付いてしまった以上、悟空が放って置ける筈がない。 それは一向に構わない事ではあるのだが。 「方向音痴のお前が、一人で帰れる訳ねーだろ」 呆れながらの悟浄の台詞に。 少し可哀想かと思いながらも、八戒も頷かずにいられない。 これがよく知る地なら其処まで危惧しないが。 生憎ここは、生まれて初めて訪れた場所だ。 たった1度歩いただけで、悟空が道を把握するとは思えない。 「あんだよ、八戒まで!」 「すいません…でも、僕も心配なんですよ」 「ガキ扱いすんなよ、平気だって!」 なんだかムキになった子供のような言い方だ。 睨みつけてくる悟空に、八戒は苦笑を漏らす。 「じゃあ悟空、此処から広場への道が判りますか?」 この栄えた街の中心部にある、噴水広場。 悟空が大きな噴水を見て、はしゃいでいた場所。 多分、悟空が今一番はっきり覚えているだろう光景の場所。 現在地からは、南の方向へと真っ直ぐ歩く。 そして行き当たる大通りを左側へと曲がる。 それから先の十字路をまた左へ曲がる。 ルートはごく単純なのだが。 「憶えてるよ」 「嘘吐け、俺らにくっついてあちこち見てただけのくせに」 「バカにすんなよ、帰れるよ!」 そう言って、悟空は傍らにいた子供の手を取る。 「だからオレ、こいつの親捜したら直ぐ戻るから!」 「あ、ちょっと、悟空!」 「おいバカ猿、待て!」 八戒と悟浄の制止の言葉を聞く間もなく。 悟空は子供の手を引いて、人ごみに紛れてしまった。 小さな子供と、小柄な悟空の姿はすぐ見えなくなった。 雑踏の陰に隠れて、背の高い三人では逆に見え難い。 せめて大地色の髪の先でも見えれば判ると言うのに。 「………三蔵、お前ももっと止めろよな」 「悟空が宿に戻って来れなかったら、貴方の所為ですよ」 「……なんでそうなる」 勝手に押し付けられる責任に、三蔵は溜息を吐いた。 単独行動を始めた悟空を、あれから探してみたものの。 悟空は一向に見付からないままだった。 目撃情報ならば幾らでも聞けた。 小さな子供の親を探していると言う少年を見なかったかと。 すると、あっちへ行った、こっちへ行ったと様々に。 だが情報通りに辿ってみれば、既に通り過ぎたと言うばかり。 三手に別れて探しても、影も形も見当たらない。 全く持ってラチが明かなかった。 止むを得ず、三蔵と八戒は宿へ戻ることにした。 帰って来れなくもない可能性が、無い訳ではないのだ。 …正直、確率はかなり低いものなのだが。 悟浄だけは、せめて日が暮れるまでは探すことにした。 迷っている可能性は、大いにあったから。 明らかに三蔵は苛立っていた。 そしてそれに気付く自分に、三蔵はまた苛立つ。 原因が判っていることにも辟易していた。 その上、どうも感付かれているらしい。 同じ空間にいる翡翠の瞳の男に、何もかも。 「……何笑ってやがる」 おもむろにそう言えば、八戒は笑うだけだ。 小さく「いえ、別に」とだけ言って。 最後の一本である煙草に火を点け。 空っぽになった煙草の箱を無造作に握り潰した。 投槍にそれを備え付けのテーブルに放り置く。 「ちゃんと帰って来てくれますよ」 妙な言い方をする八戒を、睨み付ける。 射殺す程に鋭い眼光でも、八戒がそれに竦む事はない。 「親離れは、もうちょっと先だと思いますよ」 「……なんの話だ」 唐突にそんな事を言い出す八戒に。 三蔵は眉間に3本の皺を寄せる。 「まあ、反抗期かも知れませんけどねぇ」 「……だから、なんの話だと聞いている」 「見守ってきた子が離れていくのは、寂しいものですけど」 「…………俺と会話をする気があるのか?」 何処までも三蔵の言葉を無視する八戒。 自分の世界に浸っているようにも見える。 だが、溜息混じり三蔵の言葉に。 それまで遠くを見ているようだった八戒の目が。 今度は確実に、紫闇をぶつかり合う。 「子供は、そのうち大人になるものですよ」 例えどんなに幼く見えても。 例えどんなに…成長が遅くても。 例えどんなに……親を慕っていても。 悟空がどんなに子供に見えても。 悟空がどんなに…背が低くても。 悟空がどんなに……――――三蔵が好きだと言っても。 少しずつ少しずつ、子供は少年になり。 そして少年は青年へと成長して行き。 庇護の傍から、離れていくようになるものだが。 「親の方が子離れできそうにないって本当なんですねぇ」 「何をどうしたらそういう結論が出てくる」 八つ当たりの如く中を突きつけても、八戒は笑うだけで。 けれど正直。 似たような感情が自分の中にあると判っている。 拾ったのが八年前。 いつも後ろをついて歩いてきた子供。 気付けば隣にいて、それが当たり前になっていた少年。 何も知らない子供は、刷り込みのように懐いてきた。 世界を見るようになった少年は、それでもまだ離れない。 いつか飛び立っていくと言うのは、考える前に判ること。 その時は、背中を蹴飛ばして「早くいけ」と言うつもりだった。 後ろを振り返る暇があるのなら。 求める場所にさっさと飛んでいけばいいと。 背中を蹴飛ばして「早く行け」と言う筈だった。 ………そう。 …………“だった”のだ。 今日、子供を見つけて話し掛ける悟空の顔は。 三蔵が知る限りで、始めてみる顔だったと思う。 後ろから見ていたから、表情など知る筈もないのだけれど。 子供の親を探すと言った、子供の瞳が。 いつもの瞳と色と違って見えたのは、見間違いではない。 ……それでいいのだ。 八戒の言う通り、“子供”はいつまでも“子供”ではない。 何時しか雛は成鳥となり、庇護の巣から飛び立つもの。 …その刻が来るのを、待ち侘びていたのは何時迄だったか。 気付けば、その存在が離れれば。 何故か傍らが落ち着かない、そんな感覚がして。 離れることなど、赦せなくなっていた。 たった一人のことで世界が溢れていた筈の子供は。 来訪者をその世界に認め、少年となり。 少しずつ少しずつ、そして確実に。 最初に世界を占めていた存在は、消えこそしないものの。 少年を支配するには、足りなくなっていく。 「けれど悟空は、貴方がいないと何もできなくなる」 「……まだ、今は、な」 真髄な翡翠に、三蔵が銃を下ろして呟けば。 八戒は窓から外へと視線を映して。 「そんなに今から根詰めずとも、やっぱり親離れはまだですよ」 八戒の言葉の直後、聞こえてきたのは。 聴き慣れた二人の口喧嘩の声。 「やっぱり迷子になってたんじゃねーか、この猿!」 「なってない! 道探してただけだ!」 「だから、迷ってたんじゃねぇかよ! 俺が来なかったらお前、ぜってー戻って来れてなかったぞ!」 「そんな事ない!」 近所迷惑など省みない、遠慮ない大声。 後で宿から苦情が来ないかと、八戒は溜息を吐き。 二人を迎えに行くと言って、部屋を出る。 気紛れに三蔵が窓辺へと足を運んでみれば。 何故か悟浄に負ぶわれた子供がいて。 「道探して段差で足踏み外して捻挫した奴が何抜かす!」 ………ああ、成るほど。 傍らに子供がおらず、悟空がそれを気にしていないとなると。 どうやら、子供の親は見付かったらしい。 そして悟空はやっぱり道が判らなくなり。 取り合えず探していたら、足許が疎かになり。 段差に気付かず転んで、足を捻挫して。 悟浄が見つけるまで、その場で動けなくなっていたらしい。 「だいたいなんで迎えが悟浄なんだよ」 「苦労して探し出して、その上運んで貰ってよく言うな、テメェ」 悟空は拗ねたように膨れ面になり。 悟浄は足を止めて、肩越しに悟空を見る。 「三蔵、捜さねぇって最初に言っただろ」 悟浄の言葉に、悟空の表情はすぐ切り替わる。 ほんの少し、気落ちしているような色に。 「…………ごめんなさい」 それが、誰に対して向けられたのかは。 酷く曖昧で、よく判らなかったけれど。 悟浄の背中にしがみ付く悟空の体は、小さくて。 それは発展途上だからと言うものではなく。 本質的な部分が、まだ幼いままであるからだと思う。 どうやら、“子供”が誰の庇護も必要としなくなるまでは。 ………今しばらくの時間が必要となりそうだ。 あんなにチビだったくせに あんなに煩かったくせに あんなにくっついてきたくせに 気付けばそれは少しずつ、離れて行っていた それでもまだ、今しばらくは子供のままで ならばまだ、この手を離すことのないままで………… FIN. 後書き |