hesitation














初めて立ったこの大地の上で



迷子にならずに進める人なんて、きっと何処にもいないはず














標識なんて何処にもない




迷子になりながらじゃなきゃ歩いて行けない



















































取り合えず、真っ直ぐに歩き続けてみる。
それで目的の場所に着けるとは思っていない。
確実に道を見失い、迷ってしまう事だろう。

判っていながら、悟空は引き返さなかった。


理由は、振り返ればまた道が判らなくなるから、と言う事。
じっとしていても、どうせ何も変化はないという事。

それから。










なんとなく、道に迷ってみたかった。



































夕飯の時間になっても、悟空が帰ってこない。
八戒は悟空の分の夕食を見ながら、溜息を吐く。

何処かで何かあったのだろうか。
それとも、いつものように迷子になったか。
いずれにしても、心配の種は尽きない。



散歩に行って来る、と悟空が出て行ったのは、午後3時頃。
6時になっても帰ってこないと気付いた時は、少し気にしたが。
まぁ夕飯までには返って来るだろうと思っていた。

楽観してしまったのが良くなかったのだろうか。
西空はまだ陽光が見えるが、東空は既に暗い。


それも、今はまだ夏だから。





時刻はもうすぐ、8時近くになる。









悟空は今年で18歳だ。
成人ではないものの、子供と呼ばれる歳でもない。

しかし外見は15歳程度にしか見受けられない。
正直、精神年齢も歳相応とは思えない。
あの保護者もなんだかんだと過保護に育ててきたし。


悟空は物事を知らな過ぎるきらいがある。
一般常識を知っていたり、知らなかったり。
閉鎖的な空間で育ったのだから、無理もない。

三仏神の命で旅に出てからは。
解放感もあって、色々な事を知り、覚えたとは思うが。


それでもまだ、悟空は幼い子供と変わらない。
一人で町に繰り出して、知らない間に妙な所へ迷い込んでしまう事もしばしばある事だった。



悟空の分の夕飯は、ラップをして冷蔵庫に入れた。

レンジで温めたところで、味は落ちてしまうが。
きっとお腹を空かせているだろうと思うから。


部屋の隅で大人しくしていたジープがこちらを見た。
翼を広げ、八戒の肩へと飛び移った。



「ちょっと悟空を捜しに行って来ますね」



顎の下をくすぐりながら、八戒は言った。
ジープは首を伸ばして一声鳴く。



「……お留守番、頼もうと思ってたんですけどねぇ」



ついて行く、そう言っている瞳。
誰に似たのか、この小竜も1度決めると頑固だ。

ジープを肩に乗せたまま、八戒は外へと赴いた。

























西日が建物によって遮られている。
けれど時折当たる陽光は、眩しくて熱かった。

もう少し、色も熱も淡いものだったならば。
そのまま突っ立っていても構わなかったかも知れない。
ただぼんやりと立ち尽くしていても……



だが生憎、そうであっても今は止まれない。
帰って来ないあの子供を捜して、一緒に帰らねば。



此処まで陽が傾いてしまっているのなら。
あの強い日差しが闇色に消える迄、そう時はかからない。
ふと見れば、錯覚とは思うが、また低くなったように見える。

それまでに見つけなくては。
それまでに、二人で宿に帰らねば。



それでも、目的の人物が何処にいるのか。

見知らぬ土地で、あの子が何処に行ったのか。
彼が行きそうな場所が何処にあるのか。
正直、皆目見当がつかなかった。


一先ず、大きな通りに出る事を決め。
肩に乗っているジープにそう言って。
ジープが頷いてから、八戒は走り出した。



(これが三蔵だったら………)



駆け出しながら八戒の脳裏に浮かんだのは。
あの子供が何より慕う、不機嫌な金髪の男。

目に見えない何かで繋がっている二人。
“声”でない“聲”が聞こえると言う二人。
何処にいてもお互いを感じ合える二人。



そんな二人を羨ましいと思ったことは少なくない。



二人が羨ましい。
いや、それは少し違う。

誰よりも繋がっている二人を羨ましいと思う。
そう思う事に偽りはなく。
けれど僅かに、違っているのだ。





羨ましくて、妬ましい。
あの金色の男が、何よりも。





無条件に与えられる、あの何よりも勝る笑顔。
確かに、八戒や悟浄にも、あの子は笑いかけるけど。
彼に向ける笑顔は、他のどれよりも輝いている。

岩牢から救い出したというだけで。
八年間、傍にいたと言うだけで。


自分が向けられていても良かった筈だ。

けれど、あの少年が、あの笑顔を見せるのは。
あの不機嫌な金糸の男の前でだけ。



肩にいたジープが、途端に飛び立った。
己の思考に溺れていた八戒は、その僅かな振動に我に帰る。

小さな白い影が一本の路地へと滑り込んでいった。
このまま捜しものが二つになるのは少々辛い。
八戒はジープを追い駆け、路地に入る。



「ジープ、何処に行くんですか!」



狭くて走りにくい、暗がりの路地。
陽は沈み切っていないのに、この路地は闇色が濃かった。

足許で煩い音がする。
どうやら、ゴミが散乱しているらしい。
空き缶を蹴飛ばしたのが判った。


白い影は、暗闇の中でよく映える。
視力の悪い八戒だが、なんとかそれを捉える事は出来た。

そしてジープが、不意に道を曲がった。

ジープが曲がった場所で、八戒も方向を変え。
そこで思わず、八戒は足を止めた。




暗闇の中、映える白い影と。
それよりも強い、金色の澄んだ輝き。

それは八戒の知る限り、たった一人の少年しか持ち得ぬもの。









「あ、八戒」








白い小さな竜を、その小柄な肩に乗せて。
暢気な声で、自分の名前を呼んできたのは。
間違う事無く、捜し求めていた少年。



―――――孫悟空。



悟空は肩に乗ったジープの喉をごろごろと鳴らし。
そのまま、八戒の傍らへと歩み寄って来た。

早く見つけなければと逸っていた八戒の心。
その胸中を目の前の少年が知る由はなく。
身動きせずに己を見詰める八戒に、悟空はゆっくり歩み寄る。



「八戒、どーかした?」



微動だにしない八戒に、悟空は不思議そうにして。
じっと八戒の顔を覗き込んでくる。

悟空の肩に下りたジープも、釣られたように首を傾げる。



「な、八戒? どうしたんだ?」



悟空は八戒の服裾をくいくいと引っ張る。

見上げてくる金瞳は、何処までも真っ直ぐで。
見返す翡翠と交わり、逸らされることは無い。


けれど、八戒が我に返った瞬間。
湧き上がってきたのは、憤り。







「こんな時間まで、何してたんですか!!」






予想していなかったのだろう。
八戒の怒声に、悟空はビクッと身を竦ませた。

見上げる金瞳は、満月のように大きく開かれて。
八戒の服裾を掴んでいた手は、僅かに離れ宙で止まり。
同じく、ジープも突然の事に固まっていた。



「もう陽も暮れるのに、こんな所で!」



狭い路地の中、すぐ隣の壁に声が反響し。
想像以上に、声が大きくなっているのが判る。

硬直した悟空は、八戒を見上げたままで。
一足先に我に帰ったジープが、おろおろと二人を交互に見た。


時計が無いので、はっきりした時間は判らないが。
おそらく、夕飯の時間は過ぎた事だろう。

だから早く見つけなければと焦っていたのに。
当の本人は、暢気な顔をしてくれて。


一頻り怒鳴って、悟空を見たら。
今度は、安堵の息が漏れていた。





「……あんまり心配させないで下さい…」





未だに固まっている悟空を抱き寄せ。
捜し求めた温もりに、八戒はほっとした。

自分を包み込む体温に、悟空も我に返り。
一体何が起きたのかと、ジープを見てから。
己を抱き締める存在の事を思い出して。



「…ご、めん…なさい……」



そんな言葉が、素直に出てきた。

幾ら悟空が戦闘において秀でているとは言え。
単独行動をするのは感心出来ることではない。



「……ごめん、ごめんな、八戒」
「……判ってくれたならいいんです」



繰り返して謝る悟空の頭を撫でて。
腕の中の悟空を、八戒はゆっくり解放する。

見上げてきた金瞳が、僅かに潤んできた。
強く言い過ぎただろうかと八戒は思うが。
それ程迄に心配したという事も事実だった。



「でも、こんな時間まで何をしてたんですか?」



やっぱり迷子になって帰れなくなったのだろうか。
そう思っていれば、案の定。




「んー……迷ってた」




と、返された。


単独行動した上に、迷子になって。
また更に、こんな危なげな場所に来て。

次から一人にしないようにしよう。
過保護だと判ってはいたが、八戒はそう心に決めた。


そんな心配性の保父の胸中などいざ知らず。
悟空はジープを撫でながら、周囲を見回していた。



「ってか、迷ってたって言うか……」



言葉を濁らせながら、悟空は空を見た。
一体何を言い出すのかと、八戒は悟空を見る。



「……うーん……」
「どうしたんですか?」
「んー……迷ってたっつーか、なんつーか…」



うん、迷ってたんだよな、と。
確認するように悟空は呟いた。

空を見ていた悟空が、八戒へと視線を戻し。
八戒も視線を正面へと戻せば。
金色と翡翠が真っ直ぐに交じり合った。

悟空の肩の上には、ジープがいるままで。
また悟空と八戒を交互に見ている。


真っ直ぐ見つめてくる金瞳は、奥深くまで澄んでいる。
その金瞳に、一瞬自我を持って行かれそうになった。

その直前に。










「なんか、迷いたかったんだ」











その言葉の真意が、よく判らなかった。

そんな八戒の胸中を、悟空は知ってか知らずか。
肩上のジープの頭を撫でている。



「なんかさぁ、オレ達、いつも前ばっか見てるから」



西に行かなければいけないから。
ゆっくりしている暇などないから。



「寄り道する暇、あんまりないじゃん」



あちこち見て回ったりはするけれど。
結局向かっている方向は、陽が傾く方で。

他の方向へ行く時間など無かった。



「迷ってる暇ないの、判ってるけどさ」







迷う暇などなかったから。
少しの間、迷いたかった。







迷っている暇が無いのは判っているけれど。
何処までも迷わないで生きる事など出来ない。



三蔵も悟浄も八戒も。
この目の前の少年も。
その肩上に乗る小竜も。

迷いながら生きている筈で。

けれど、迷っていたら全てを奪われる。
立ち止まることはあっても。
進む方向を迷う事は出来なかった。


進まなければいけなかった。

どうして、この子供はそれに気付かせるのだろう。
迷っている暇が無いと判っているなら尚更。



そして、そうやって迷っていても。
この少年は、何も判っていないのだろうけれど。

纏まりのない三人の大人を引っ張っているのは、この少年だ。



くい、と服裾を引っ張られて。
八戒が我に返ると、見上げてくる正面が間近にいた。





「腹減ったからもう帰ろ」





そう言って引っ張って。
通りに出た所で「どっち?」と聞いてきた。

其処からは、八戒が悟空の手を引いて歩いた。


此処で自分が手を離したら、きっとまた迷子になるだろう。

迷っている暇は無いのだから。
この迷子の子供を、早く連れて帰ろう。











それとも少し、また道に迷ってから帰ろうか?




























初めて立った大地の上で
迷子にならず進める人なんて、きっと何処にもいないはず





標識なんて何処にもない
迷子になりながらじゃなきゃ生きていけない













けれど標識なんて必要ない





最後の最後に行き着く場所は終わりのみ


其処までどう歩くかは、自分で決める













迷いながら、自分で決める

















FIN.


後書き