take up in arms













当たり前に出来ることを






当たり前にしてやりたいのに



















ごめんな、なんにもしてやれなくて































「ケン兄ちゃん、抱っこして」





突拍子に告げられた言葉に、捲簾の思考回路が停止した。
それを知らぬ悟空は、じっと見詰めて来る。

聊かの時間を要したが、捲簾の思考回路は回復した。
それから、悟空の言葉を改めて理解して。
捲簾は足を折り、悟空と同じ目線の高さになった。



「……抱っこ?」
「うん。ね、抱っこして」
「って…お前は……」



繰り返し、捲簾の服裾を掴んで催促する。
金瞳は逸らされることなく、捲簾を見ている。


それとは対照的に、捲簾の方は。
服裾を掴んで離さない悟空の手首と。
裸足のままで冷たい床を踏み締めている足元を見た。

捲簾の赤みがかった瞳に映り込んだのは。
黒く、鈍く光る、何よりも邪魔な枷。



一つの重さは20キロ程ある。

それが4つと、悟空自身の決して重くはない体重。
それらを全てあわせると、100キロを越える。


いかな軍人の端くれで鍛えている捲簾でも。
100キロの体を抱き上げる自身は、少々無かった。



けれど、期待の色を見せる瞳を裏切るなど。
安易に出来る事ではないのだ。

それに、抱き上げられると言う行為は。
悟空ほどの子供なら、当たり前にされる事で。
枷の有る無いに、その気持ちは関係無い。




そう思っているのに。
それに答えるのも、容易ではなかった。




少しでも期待を裏切るのを先延ばしにしようと。
みっともない悪足掻きをして、問い出してみる。



「……なんで、また」



何気ない質問を口に乗せながら。
なんでもない表情が出来ているだろうかと、少し不安になる。

子供は、敏い。
些細なこと程、見逃す事を赦さない。
幼い瞳で、全てを見透かしてしまうのだ。


幸い、悟空はそんな悪足掻きに気付かなかったらしい。
大人の浅ましい部分を、見ないで済んだ。



「天ちゃんの持ってた本に書いてあったんだ」



無邪気に言う悟空に、捲簾は少し胸が痛んだ。
その笑顔に、どうやって応えれば良いか判らないから。


天蓬の持っていた絵本に書いてあった、絵。
どの本の事なのか、捲簾には判らなかったが。
どんな絵だったのかは、想像に足る。

それを初めて見た時、悟空はどう思ったのだろう。
両の手足に付けられた戒めをどう思ったのだろう。




「ね、抱っこして」




両手を広げて、些細な我儘を言う子供に。
どんな言葉をかけてやれば良いのだろう。

こんなものが無ければ。
この子供は何処へでも走って行けるのに。
抱き上げて貰う事だって、当たり前に出来るのに。












…………この枷が、無ければ。













無礼を承知で、捲簾は扉を蹴り開けた。
その傍らには、悟空が驚いた表情で立ち尽くしている。

そして。




「いるんだろ、菩薩!!!」




鋭い眼光で蓮池の広がる室内を見渡し。
一人の初老の男のみを確認してから。
部屋の奥へ向かって、捲簾は怒鳴った。

呆然としていた悟空が、一瞬身を竦めてから我に返る。
蹴り開けられたドアと捲簾を見て、おろおろしていた。



「け…捲簾大将殿……!?」
「邪魔するぜ、次郎神!」



悟空動揺に狼狽していた次郎神にそれだけ言って。
捲簾は悟空の手を掴んで、室内への敷居を跨ぐ。

悟空は戸惑いながら、捲簾に手を引かれるままだ。


いつも菩薩が座っている玉座には、主は不在。
しかし、捲簾が其処まで歩を進めたところで。
部屋奥から、欠伸を噛み殺そうともしない神が現れた。

昼寝を邪魔された、等と小さくぼやかれたが。
捲簾は気に止める様もなく、傍へ寄った。



「ったく、うるせーなぁ……なんだよ?」
「あんたに頼みがある」
「お前が? 珍しい事もあるもんだな」



一瞬、驚いたような顔をして。
それから面白そうに笑って、菩薩は言った。



「オマケにチビも一緒と来たもんだ」
「え…あ、お、オレ……えっと…」



悟空は捲簾に引っ張られてついて来ただけで。
何故自分が此処にいるかも、よく理解していなかった。


悟空は戸惑ったまま、捲簾を見上げた。
自分は此処にいても良いのだろうか。
そんな顔をしているようにも見える。

安心させる為にくしゃくしゃと頭を撫でれば。
それでもまだ、不安そうな顔をしていた。


それで、と菩薩が用件を言うように促した。
捲簾は悟空の背を押して、一歩前に立たせ。












「こいつの枷、外してくれ」












―――――いつになく真髄な瞳で、そう言った。


驚いたのは、悟空一人。
菩薩も、後ろで聞いていた次郎神も。
表情を変えずに、捲簾を見詰めている。



「今日一日だけでいい、外してくれ」



菩薩が出来ない、と言う筈はなかった。
駄目だと拒否される事はあっても。
菩薩の力で出来ない筈がない。

捲簾や、天蓬や、金蝉では。
まだ、出来ないけれど。


抱き上げてやることも出来なければ。
謂れの無い戒めを解いてやることも出来ない。
些細な我儘さえ、聞いてやることも出来ない。

それでも、子供として当たり前の事さえ出来ない悟空に。
歯痒さを覚えなかった事もなかったから。




今日一日、ぐらいは。




木登りをすれば枝が耐えられないし。
走り回ればぶつかる金属音が煩いし。
抱き上げて貰おうと思ったら、重過ぎる。

こんなに無邪気で、純粋なのに。
ただ異端だと言うだけで。



「……ケン兄ちゃん……」



呼ばれて見下ろしてみれば。
困った顔の悟空がいて。



「あの…オレ………やっぱり……」



いい、と言おうとするのを。
悟空の口に手を当てて妨げたのは、菩薩だった。

金瞳が今度は菩薩へと向けられて。
菩薩はしゃがんで、悟空の手を取った。
たったそれだけで、カチャと金属が音を立てる。



「ガキは我儘言うもんだぜ」



その言葉とともに菩薩が微笑むと。
子供を縛る戒めは、あっさりと解放された。

耳障りな音を立て、戒めは床へと散らばり。
軽くなった腕に、悟空はきょとんとしている。
少し足を動かしてみても、煩い音はしない。



「今日だけだぜ」
「……ありがとよ」



早い期限を告げる菩薩に向かって。
捲簾はそれだけを言って、しゃがみ。
まだ不思議そうな顔をしている悟空を見た。

良いのかな、と言う戸惑いの色が見えた。
後から怒られるんじゃないか、と。


宥めるように頭を撫でて、笑ってみれば。
悟空は戸惑いのまま、そっと手を伸ばしてきた。

些細な我儘を、もう一度小さく呟いて……

















―――――覚えている。
初めて抱き上げようとした時の事を。




出逢ってほんの数刻後だ。
一先ず保護者の所へ帰さねばなるまいと思って。
小さな体を抱き上げてやろうとした時。

予想だにしていなかったとは言え、驚いた。
それなりに力に覚えある自分が、浮かす事さえ困難だった。



幼子として当たり前に出来る筈の事を邪魔する、戒めの枷。



それは、肩車される事だったり。
時にはおんぶして貰う事だったり。
大好きな人の腕に抱かれる事だったり。

小さな子供が生まれた時から当たり前にして貰える筈の事を。
聞き分けの無い大人の所為で――――……























二人が見たら何を言うだろう。
どんな顔をするだろう。

金蝉は一体何が起きたのかと、そんな顔か。
天蓬の方は、きっとズルイとか言い出すのだ。
上のお偉い方の言う事は、取り合えず無視しようか。


いつもより近い場所でじゃれるいてくる小さな手。
其処には、煩い音を立てる枷はない。

無遠慮に乗り上げようとする足。
其処には、邪魔な音を立てる枷は無い。











たった一日だけの些細な我儘だけど。




近いうちに、同じ我儘を言うかも知れない。






























当たり前に出来ることを






当たり前にしてやりたかったから

















ごめんな、これぐらいしかしてやれなくて







……ありがとな、こんな俺に笑ってくれて






















FIN.


後書き