夢雪幻














真っ白で


綺麗で




穢れなんて知らなくて
















きっと汚れてしまっても


また綺麗になれるその世界
































「天ちゃん、これ何?」



そう言って悟空が持ってきた一冊の本。
不思議そうな顔をしながら見せた、そのページ。

其処には数枚の真っ白な風景の写真があった。



「これなんにも写ってないよ」



どうやら、真っ白な理由を知らないらしい。

まぁ無理もないかもしれない。
確かにこの子供は下界で生まれたけれど。
まだまだ知らない事ばかりなのだから。




天蓬はそんな悟空に笑い、膝を折って同じ目線になり。
一緒に写真を覗き込んだ。







少しだけ、写真の白さが目に痛いような気がした。




























朝早くから、悟空に部屋の片付けを手伝って貰っていた。



保護者は仕事、いつもの遊び相手は不在。
たった一人の友達にも逢えない。

それらの理由で、中庭で暇を持余していた悟空を。
丁度通り掛かった天蓬が拾って行った。



天蓬は一人では部屋の片付けが出来ない。
片付けた傍からまた出してしまう。
そして出した書物を読み耽ってしまうのだ。

普段は専ら、捲簾が片付けている。
ぶつぶつ文句を言いながら、手際良く。


だが最近はどうも都合が合わず、散らかり放題だった。

自分一人で片付けるには面倒くさい。
そう思っていた所に、悟空がいたのだ。


これ幸いに、と言うと語弊があるか。

それでも部屋の片付けを手伝って欲しい、そう言うと。
悟空はいつもの笑顔で頷いてくれた。





小さな手を引いて自室へと戻り。
いつも以上に散らかっている部屋を見て。
悟空はしばし呆然とした顔をして見せた。

見つめてくる悟空に、天蓬は笑って見せ。
「さぁ頑張りましょう」と子供の背を押した。



何処に何を戻せば良いのか判らない。
本を僅かでも動かせば埃が舞う。
その埃は足元に置いてあった本の上に落ちる。
足元を浮かせば、また埃が中に舞い上がる。

そんな出来事が繰り返される中。
二人は懸命に、本を片付けていた。


そうして数刻の時が過ぎ。
散乱した本も舞い散る埃も片付き。
少し休憩しようと天蓬が言ってから、数分。

悟空がふと手に取った本。
下界の風景写真を集めたもの。




「ねえ、天ちゃん」




写真に写った白の招待が気になってしょうがない。
そんな顔をして悟空は天蓬をじっと見上げてくる。

一方、天蓬はと言えば。
じっと写真に写っている真っ白な風景を見て。
それから自分を見つめてくる悟空を見た。



「悟空は、これを見た事がないんですね」



くしゃ、と悟空の頭を撫でてやる。

答えない天蓬に、悟空はすぐに焦れ。
天蓬のそう長くない髪を引っ張った。



真っ白な景色。

まるで光り輝いているような。
生まれたばかりの子供の心を表すような。

………目の前にいる幼子のような。




これは。





「雪、ですよ」





天蓬の言葉に、悟空はきょとんとしていた。



「ゆきって何? 何にもないよ?」
「この白いのが雪なんですよ。寒くなると空から降って来ます」
「空から?」



雪がどんなものかを聞いて来る悟空に。
原理から説明しても、きっと訳が判らないだろうから。
端的に言うと、悟空は「ふーん」と漏らす。

悟空は部屋を片付ける手を止めて。
その手に持った本の写真をじっと見詰めている。



「寒くなったら降って来るの?」



本から目を逸らさず、悟空は問う。
短い肯定の言葉を返すと、悟空は顔を上げた。



「でもオレ、見たことないよ」



それは、そうだろう。
天蓬はそう思った。

雪は、冬に降るものだ。
この天界はいつも春。
季節が巡る事はないのだから。



「此処にいては、一生見れないでしょうねぇ……」



天蓬や捲簾は、時折下界へ討伐に行く。
その時、偶然にも下界が冬であったら。
討伐場所によっては、雪を見ることは出来るけれど。

ふと、討伐合間の休憩時間に見た風景を思い出す。
子供のように雪合戦なんてしていた、子供のような男を。



きっとこの子も、彼のようにはしゃぐのだろう。



見てみたい。
そう思った。

子供の心をそのまま移したような、真っ白な世界で。
自分のつけた足跡を振り返りながら。
元気に走り回る悟空を。



「見れないの?」



残念そうに聞いて来る悟空に、天蓬は頷いた。



「見てみたいですか?」
「うん」



天蓬の言葉に、悟空は躊躇い無く頷いた。
そんな悟空の頭をくしゃりと撫でた。

天蓬が何気なく本に目を落とせば。
悟空の視線も、白い写真へと移された。
二人の瞳がただ一点にのみ注がれる。



捲簾に言えば、喜んで下界へ連れて行くだろう。
金蝉に言えば、渋々と言った顔で連れて行くだろう。

けれど、自分も、彼らも。
そうすることが出来ない。
こんなささやかな願いさえ、叶えてやれない。



天蓬は床に腰を下ろすと、悟空を引き寄せた。

悟空は少しの間、不思議そうに天蓬を見上げたが。
特に何も言わず、また写真を見詰める。



「見れないのかぁ……」



殊更に残念そうな声音が漏れた。



偽りでも答えてやる事が出来ない己が憎かった。
悟空は、無理強いはしない子だ。

我儘は言っても、出来ないと判れば何も言わない。


下界にいれば。
こんな場所に連れて来られなければ。
きっとこの子は、自由に生きていたのだろうと思う。

それが勝手な希望的観測だと言われても、そう願う。
訳の判らないまま、雁字搦めにはされなかったと。
身勝手な者達の好奇の目に晒される事は無かったと。





それでも、出会えた事は、嬉しいのだけれど。





不意に言いそうになった言葉を、天蓬は飲み込んだ。


――――ごめんね、と。
不意に、言いそうになった。

こんな箱庭の中に閉じ込めて。
小さな願いの一つも叶える事が出来なくて。
いつも傍にいられなくて……


不覚にも、目頭が熱くなっていることに気付く。



「ねぇ、天ちゃん、これ――――」



振り返る悟空を、腕の中に閉じ込めた。
突然の事に、小さな体が硬直するのが判った。
それでも、解放する事が出来なかった。

今は、見られたくなかったから。
意思に反してきっと流れているだろう、雫を。



「天ちゃん?」



悟空の上ずった声を無視する。
そして抱き締める腕に力が篭もった。

悟空が腕を伸ばして、天蓬の頭に手を置いた。
背を向けたままだから、悟空にとっては辛い姿勢だ。

悟空は頭の上に置いた手を動かした。
天蓬を撫でているつもりらしい。
「いいこいいこ」と小さな声で言うのが聞こえた。


多分、あの保護者の真似だ。



「天ちゃん……ひょっとして、ゆき、嫌い?」



天蓬が泣いているのに気付いたらしい。
この子には気付かれたくなかった、そう思うが。
やはり、子供は敏いものなのだ。

何か嫌な思い出があるとでも思ったのだろう。
天蓬は緩く首を振った。



「そんなこと……ないですよ」
「でも天ちゃん……」



悟空の声は、訳が判らない、と言った風だった。

何を言えば言いか判らない、そんな悟空に。
天蓬は小さく微笑んで、頭を撫でてやる。
撫でてくれる悟空と同じように。


………優しい子だ。
いつも思うことを、また思った。



「僕もね……見てみたいんですよ」
「ゆき? 天ちゃんも見たことないの?」
「ありますよ。でもね、もっと別のものの事です」



雪を見てみたい、と言うよりも。
その雪の中で笑う悟空を、見てみたい。

『別のもの』が気になるらしい悟空に。
天蓬は笑顔を見せて、「内緒です」と言った。
頬を膨らませる悟空だったが、ケチ、と言うだけだった。






でも。


本当に。







見てみたい。













「いつか、一緒に見ましょうか」



天蓬の言葉に、悟空が振り向いた。
既に腕の力は緩んでいる。

見上げてくる子供の金瞳は、爛々と光る。
驚いたような色と、嬉しそうな色が入り混じって。
悟空の心の内側を、そっくりそのまま映し出す。


膝の上にいた悟空は、其処から退く事はなく。
今度は正面向きになり、天蓬に思い切り抱きついた。

いつになるか判らなくても。
この子供は、喜んでくれるから。
いつか一緒に、本当に見に行こうと思う。



その時、あの二人も連れて行こうか。
それとも、二人だけで行こうか。

大勢の方が、きっとこの子は喜ぶだろう。


仔犬のように擦り寄る悟空。
この笑顔を、あの真っ白な雪の中で見てみたい。

きっととても映える筈だ。



「みんなで行こうね」
「そうですね」
「絶対だよ」
「ええ、判ってます」



確かめるように繰り返す悟空。

それに笑って答えてやれば。
悟空はまた、太陽のような笑顔を見せる。











いつか、一緒に見れたらいい。

あの真っ白で綺麗な世界を。





いつかこの瞳で見れたらいい。




その世界で太陽のように笑う、この子供を。
























真っ白で



綺麗で




穢れなんて知らなくて







きっと汚れてしまっても



また綺麗になれるその世界



















いつかあなたと見れたらいい
















FIN.


後書き