- 桜散夜 -













もう触れられないのかと思うと

酷くこの手の存在に疑問を抱いたりする





もう見れないのかと思うと

酷くこの目の存在に疑問を抱いたりする





もう傍にいれないのかと思うと

酷く自分自身の存在に疑問を抱いたりする

















けれど


































































桜が咲き誇る夜。




寝入ってしまった子供を、捲簾は木の上から見下ろした。

遠目にも判る、安らかな寝顔。
そんな子供に膝を貸す形になっている男は、どんな顔なのか。


きっと仏頂面なんだろうと、安易な想像をして。
あながち外れていないだろうと喉の奥で笑う。
なんだかんだ言って、彼も子供を愛しているのだから。

普段あれこれ厳しい事を言って置きながら。
本人が知らぬ所で、こうして甘やかしているのだ。


その男と向き合うように、同期の男がいる。
手酌で酒を飲み、既にホロ酔い気味なのだろう。

今日はいつも以上にお喋りだった。
他愛もない薀蓄を、子供に延々と語っていた。
その話の一つ一つに過剰反応していた子供を思い出す。






今この瞬間、目覚めたら。

あの子供は、どんな顔をするだろう。




































悟空が木から落下して、十分ほど経つか。
それからしばらくの間、金蝉は酷く機嫌が悪かった。
子供が落下した先が自分の上だったからだろう。

お陰で悟空はしこたま怒られてしまい。
拗ねた顔で「木登りなんてもうしない」と言った。

最も、それはきっと口先だけになるだろう。
明日の朝になったら、落ちた事さえ忘れているのだ。
捲簾が誘えば、また競争しようと言い出すだろう。


喉の奥で笑いを殺して。
捲簾はひょいっと木の枝を蹴り、地面に降りた。

木の上にいた時より、子供の顔がよく見える。



「お酒、飲んじゃったんですよ」



天蓬の言葉に、マジで、と呟くと。
金蝉の空気が一瞬張りつめたのが判った。

どうやら、本当の事らしい。



「自分だけジュースなのが、仲間外れだって」



自分ががちょっと見てない隙に、そんな事があったのか。
そう言えば、少し下が騒がしいなと思った気がする。
金蝉の怒鳴り声も聞こえたか。

そして酒に免疫のない悟空は酔ってしまい。
そのまま泥酔してしまったらしい。


酒盛りをしていた四人だったが。
当然、子供の悟空に酒を飲ます筈もなく。
一人だけジュースを飲ませていたのだった。

当たり前の処置だったのが、悟空には不満だったのだ。
皆一緒、を喜ぶ悟空にとっては。



「止める間もなく飲んじゃいましてねぇ」
「ひょっとして、一杯でダウンしたのか?」
「もう、ぱったりと」
「テメェの酒だったぞ、捲簾」



金蝉の言葉に、捲簾は動きを止めた。

そう言えば、木に登る時に放置した気がする。
猪口に少量、酒を注いだままで。


明日になったら大目玉を食らうかな、と苦笑いが漏れる。
今じゃないのは、悟空が寝ているからだ。
起こすのは忍びないと思っているのが感じられる。

心地良く廻っていた酒が、一気に飛んだ気がした。
金蝉の纏う空気が、聊か刺の含まれるものになる。



「事故って事で」
「黙れ、馬鹿」



一言で切られてしまった。

よくよく見れば、悟空の顔に朱色が混ざっている。
免疫のない子供には、かなりきつかったのだろう。
それがまた金蝉の不興を買ったようだ。

仕方ないじゃないか、と思うものの。
悪かったな、とも思う。



「金蝉、悟空はあんまり怒っちゃ駄目ですよ」
「ざけんな、甘いんだよ、テメェらは」
「よく言うぜ。いっちゃん甘い癖してさ」



その言葉に、金蝉が捲簾を睨み付けた。

何があっても、自分の過保護さを認めない保護者。
ひょっとして、無意識の行為なのだろうか。
そうだとしたら、もっと笑える話になるだろう。








偏屈で無愛想な金蝉童子。
何においても感心を持たない、不機嫌な男。
捲簾が噂に聞いたのは、そんなものだった。

なのに、出逢った瞬間、それは吹き飛んだ。
交流を重ねるたび、何処が? と言いたくなった。


それは全て。
彼の傍らで眠る子供が起こした、ささやかな奇蹟。

退屈で何も変わることのない天界において。
それでも、何かしら見つけてくる小さな子供。
あんなものがあった、これを見つけた、と。



他愛もないことを、一つ一つ報告してくる小さな子供の、奇蹟。









「きっと俺らの仲間入りしたかったんだよ」



捲簾の言葉に、金蝉は溜息を吐いた。
彼も、言われなくともそれを感じているのだろう。



「だが、酒を放置したのは貴様が悪い」
「……それについては深く反省しております」



どうだか、と金蝉が呟く。
悪いと思っているのは、確かなのだが。
どうも自分は、この不機嫌な男の反感を買うのが得意らしい。

でも、拗ねた顔を見ているよりは良いじゃないか、と。
酔って眠ってしまった子供を見下ろしながら思う。



「明日はきっと二日酔いですね」
「俺、効く薬持ってるぜ」
「苦いとこいつは飲むのを嫌がるぞ」
「錠剤だから平気だって」



保護者感丸出しの金蝉の台詞に。
思わず吹き出しそうになるのを、捲簾は必死で堪えた。
隣を見れば、天蓬はいつもの笑顔を貼り付けている。

だが、この友人も声を上げて笑いたいのではなかろうか。
似合わないはずの台詞が似合うようになった、彼に。


















……笑顔が、好きだ。





撫でると大輪の花のように笑う様を見るのが、好きだ。
きっとそれは、他の二人も同じ事。



花の冠の作り方を教えてやった時。
随分と時間をかけて、納得のいくものを創り上げ。
自慢げに見せて笑っていた顔が、好きだと思った。

追いかけっこをしていた時。
悟空が鬼で、自分が逃げて、捕まった時。
嬉しそうに「捕まえた!」と言う笑顔が好きだと思った。


でも、一番の笑顔は、きっと。
いつも大好きな保護者に向けられているのだ。

その事に、少し、妬いていると言ったら。
保護者は馬鹿馬鹿しいと言うのだろう。
子供は、ケン兄ちゃんも好きだよ、と言うのだろう。







それでも、なんでも良いから嬉しい。

あの笑顔を見られるのなら。


















舞い散った桜か、猪口にふわりと乗った。



「ふーりゅーだねぇ」
「あんたは酒が飲めれば良いんでしょうに」
「夜桜一つでも随分違う味になるもんだぜ」



二人の会話を、金蝉は聞いているだけ。
いや、聞いているのかどうかも怪しかった。

彼の視線は、ずっと膝上の子供に注がれている。
その瞳が、僅かに揺れている理由を。
捲簾も天蓬も、気付いていない訳ではない。


上層部の動きが怪しいと言う事を。
判っているのは、自分たち大人だけで。
渦中にいる子供は、何も知らない筈だろう。

今こうして穏やかな筈の時間さえも。
常に脅かされているのだと言う事も。



それで良いと思う。
知らないままで良いと思う。






この子供に、何か起きる事などないのだから。
何も起きないのだから。

自分たちが………起こさせないのだから。






捲簾は傍に置いていた自分の徳利を、天蓬に押し付けた。
突然のことに、受け取りながら友人は驚いた顔をする。

それから別の徳利を、金蝉に向かって投げ。
金蝉もそれを受け取ると、意味を汲み取れず捲簾を見た。




「飲もうぜ」




言って、既に告いでいた自分の酒を胃に流し込んだ。






「酒の肴はあんだからさ」






それがなんだ、とは。
二人とも聞いて来なかった。

天蓬は笑って、持っていた猪口に酒を注いで。
金蝉はしばらくこちらを睨んだ後、溜息を吐いた。
その保護者の膝上で、悟空は未だに夢路の中。



「ところで金蝉、足痺れねぇ?」
「ああ?」
「そうですね、ずっとその姿勢ですし」
「辛くなったら交代するぜ。俺もやってみたいんだ、膝枕」
「……邪魔なだけだぞ」



邪魔と言いつつ、退かそうとしないのは。
其処から伝わる温もりが、嫌ではないからだろう。

ついでに言うなら、譲りたくない、だろうか。



舞う桜の花弁が、夜空を仄かに染める。
初めての夜桜に、はしゃいでいた悟空を思い出す。

躾だと言って、金蝉は悟空を早く寝付かせる。
夜中に起きている事すら稀な悟空の事。
夜桜なんて見たこともなかっただろう。


昼日中に見るのとは違うその光景に。
悟空は声を上げて、跳ね回っていた。

保護者を引っ張って、桜の周りをぐるぐる廻って。
彼が疲れてからは、その傍らに座って肉まんを頬張って。
時折、舞う花弁を掴もうと手を伸ばしていた。








けれど、時々。
舞い散る桜を見ながら、寂しそうな顔をしていたのに。
気付いてしまった自分に、捲簾は少し腹が立った。

きっとあの瞬間、子供の脳裏には。
たった一人の、友達の姿があったのだろう。





痛みを痛みと言えない、孤独な子供が。





もしもあの子供が、此処にいたのなら。
無邪気に笑う小さな存在を、見る事が出来ただろうに。


たった二人の友達なのに。
逢うことすら叶わない、小さな子供達の願い。
子供の些細なワガママさえも、叶えてやれない。

子供二人が無邪気に笑って。
それを見ながら飲む酒も、格別に美味かっただろう。



けれど、今はそれを出来ないから。
穏やかに眠る悟空を見つめて。

いつか叶えてやることが出来たら、と思う。











「また飲めっかなぁ」
「なんです? 突然……」



無意識に呟いた言葉だが、なんと言ったかは判っている。

友人二人を見回して、眠る子供を見て。
眠る子供の髪を、くしゃくしゃと掻き撫ぜる。
その感触がくすぐったかったか、悟空が声を漏らす。



「やめろ、起きる」



金蝉の台詞に、小さく笑う。



「こーやって、こいつと一緒に飲めるかなって」
「悟空はまだお酒飲めませんよ」
「そりゃそうだけどよ」



そういう意味ではなくて、と。
言わなくても、自分が意図している事は判っているのだろう。

天蓬は笑みを浮かべて、猪口の酒を飲み干し。
自分同様、眠る悟空の顔を覗き込む。
天蓬が悟空の頬を突付くと、金蝉がそれを払った。



「あなたって本当に過保護ですよねー……」
「ふざけんな。起きたら煩いだけだ」
「膝枕すんの邪魔だっつってた癖に」



捲簾の言葉に、金蝉の紫闇が向けられて。
明らかに不機嫌な色をしているのには気付いていたが。
知らない振りをして、捲簾は悟空を見つめる。

突付かれたところを、悟空の手が擦る。
触れた感覚がまだ残っているのだろう。




「う……? なに…?」




頬を擦る手をそのままに、金瞳が煌いた。

起きちまった、と捲簾が小さく笑うと。
天蓬は誤魔化すように笑い、金蝉はそれを睨む。


悟空は大きく欠伸をしながら起き上がり。
眠たげな目で、自分を囲む大人達を見回した。

きょとんとした顔で見上げてくる透明度の高い金色。
金蝉の持つ色とは少し違う、その色。
そんな悟空の頭を、捲簾はくしゃくしゃと掻き撫ぜる。



どんな夢を見たいたのか知らないけれど。
安らかな寝顔を見るのも悪くはないけど。

くるくると忙しなく変わる色を見る方が楽しい。



吹いた風に桜の枝が擦れ合い。
長い大地色の髪も、ふわりと流されて揺れた。



「もうお開きですかね」
「そうだな。酒の肴も起きちまったし」
「お魚?」
「そっちじゃねぇよ…」



単純な子供の発想に、呆れながら金蝉が言えば。
何が違うのか、じゃあどっちなんだと悟空が言う。
応えるのが面倒なのか、金蝉からの返事はない。

けれど、面倒なのもあるけれど。
言うのが恥かしいんだろうと、捲簾は勝手に予想した。



「そういや、オレ、なんか頭痛い」
「酒飲んだんだから当たり前だろ。お前まだガキなんだから」
「ガキじゃない! ガキって言った方がガキなの!」
「確かに、捲簾は図体でかいだけのガキですよね」



さらりと言ってのけた天蓬に怒りの四つ角を表しながら。
いちいち言い争っても時間の無駄だとして。
捲簾は徳利と猪口をさっさと片付けた。

それを見ていた悟空が、真似するように片付け始め。
誰かさんとは違うぜ、と呟いて撫でてやる。





思えば、それは自分の癖のようになっていた。

何かあると、悟空の頭を撫でてやること。
そうすれば、あの笑顔が見れるから。






片付けを終えると、悟空は一目散に保護者に駆け寄った。
取り残された捲簾が食器を持っていく羽目になった。
なんで俺がと思いつつも、仕方ないかと溜息を吐く。

悟空はもうとっくに保護者にくっついているし。
天蓬は面倒臭がりなので、こういうのは頼んでも無駄だ。



(俺が悟空の保護者になった方が良かったんじゃねぇの?)



そんな事を考えてみたりもするが。
目の前にある光景に、そうでもないかと思い直した。

金蝉があの子供の保護者になったのは、観世音菩薩の意向(気紛れと面白いもの見たさ)だと聞いた。
そうだとしても、二人の絆は確かなものだ。
誰もその間に割り込む事はできない。


あの極上の笑顔を向けられるのは保護者だけで。
それを浮かべさせる事が出来るのも、保護者だけ。

やはり、少し妬けてしまう。
あの子供を愛しているのは、彼だけではないのに。
子供はいつも、保護者を見上げている。





「ケン兄ちゃん、早くー!」





距離が開いてしまった自分に向かって。
悟空は大きく手を振りながら、催促した。

振る手と反対の手は、保護者の手と繋がっている。



「遅いですよ、何ちんたらしてるんですか」
「じゃあこれ半分持て」



否応無に、天蓬に食器を半分押し付けた。
抗議の声が上がるが、無視して悟空の隣に立つ。


食器が少なくなったお陰で空いた手で、悟空の頭を撫でた。
それをくすぐったそうにして、「むー」と言う声。
手を離すと、悟空はいつも見上げてくる。

ちら、と保護者を伺ってみると。
いつもと同じ仏頂面で、子供を見下ろしていた。











後ろから天蓬の文句が聞こえてくるが。

一切を黙殺して、また悟空の頭を撫でた。











桜の花が、館までの道標を作ってくれた。









































































―――――……いてぇ。







他人事のようにそんなことを考えた。



少しでも動くと、身体のあちこちが悲鳴を上げる。
そろそろ限界なんだろうなと思った。

けれど、まだ倒れる訳には行かないのだ。
背中越しに、泣いている子供の存在を感じて。
この子供を失うわけには行かないのだから。


身体から溢れる熱い液体が、床を染め上げていく。
もう直、お別れになるのだと判ってしまった。

ほんの少し、駄々を捏ねたい気分になった。
自分や友人の名前を呼ぶ、変声期を迎えていない声に。
子供のワガママのように駄々を捏ねたくなったのだ。






まだ、死にたくねぇ……まだ……






死の訪れが恐い、と思ったのは。
きっと、後にも先にも、この一瞬だけだ。

死ねない……死にたくないと、願うように思ったのは。


でも。
どうしてだろう。

次の瞬間、そんな思いは吹き飛んだ。
振り返った時、子供は泣いていたのに。
そんな顔は見たくないと思っているのに。



何故、吹き飛んでしまったのか。
なんとなく、判る気がした。








死んでも、守る。








矛盾した思いが、自分の中にあった。


もう、頭を撫でてやれなくなるけど。
もう、手を繋いでやれなくなるけど。

もう、あの笑顔を見れなくなるけど。



押し付けだと思う。
エゴだと思う。

それは、傍にいる友人達も思っているかも知れない。
一人ぼっちを嫌う子供を、一人にして。
自分達は、思ったように生きて、勝手に子供を置いて逝く。


でも。

それも。









――――………悪かぁ、ねぇな。








死にたくないと思う。
子供を一人にしたくない。
まだ、あの笑顔を見ていたい。

でも、それを失ってしまうぐらいなら。
引き換えが、自分の存在だと言うのなら。


安いものだと思えるから。



結局最後まで、身勝手な大人しか、子供の傍にいなかった。
自分たちも含めて、そう思う。

けれど、救ってもらったから。
せめて、その命を守るぐらいはさせて欲しい。
何よりも眩しい、あの笑顔を守るぐらいは。














――――……ごめんな


――――……そんで





――――……………ありがとな……



































もう触れられない



もう見れない



もう傍にいられない





お前と一緒にいる時が一番楽しかったから



それがなくなっちまうと思うと酷く虚しく思えてしまう








けれど


最後にお前が笑った顔が見れたなら
























まぁ、悪い人生じゃなかったかなって思えるんだ


























FIN.


後書き