- 心揺らす者 -













小さな子供の言葉一つで

どうしてこんなにも

己の心は揺れ動かされるのだろうか





最近知り合ったばかりの子供のような男も


昔からの付き合いのある喰えない男も



………自分自身も














どうして子供の言葉一つで、こんなに心動かされるのだろう


































































「金蝉、ちょっといいですか?」





書類を観世音菩薩に私に行く途中で。
いつもの笑顔を浮かべている友人に声をかけられた。

この友人とは、最近、よく顔を合わせるようになった。
以前からちょくちょく話をしたりしていたが。
ちょっとした変化から、合う機会が随分と増えた。



「別に急ぎじゃねぇが……それよりなんだ、それは?」



向き直りながら金蝉が“それ”と指し示したものは。
天蓬が両腕一杯に抱えている大きなダンボール箱。
中身が重たいのか、天蓬は既に何度か持ち直している。


中身は本、そんな所だろうか。
彼の部屋は年がら年中、図書室を兼ねているから。

しかし、私室が変わった等とは聞いていない。
そんな事があったら、天蓬はあの子供にいの一番に報告し。
そしてそのまま、子供は金蝉に伝えに来る筈だ。


いまいち答えが見付からず、考えていると。
正面から―――天蓬の立つ向こう側から、走る足音。





「おっ、いたいた、なんだ一緒か。丁度いいや、時間あるか?」





煩い男の登場に、金蝉は無意識のうちに溜息を吐いていた。
























































なんでよりによって、この部屋で。
言いたかったが、金蝉はその言葉を飲み込んだ。

言った所で、無駄なのだ。
天蓬の部屋は本が多過ぎるし、捲簾の部屋は此処から遠い。
消去法で考えた結果、この金蝉の寝室しか残っていなかった。


何より、確実性。
あの子供は間違いなく、此処に帰ってくる。
特になんの疑問ももたずに、いつも通りに。

ついでに言えば、子供が一番気兼ねせずに済むだろうから。
毎日寝起きする部屋だから、終始ともに心配する事はない。




「金蝉、ちょっとは手伝って下さいよ」
「……俺に何を手伝えと言うんだ」




椅子に腰掛けて部屋内をぼんやりと眺めていたら。
窓の近くに立っていた天蓬が、不満そうに言うが。
実際、何をやっていいのか判らないのだ。

捲簾はやたらと楽しそうにしているが。
自分はこういう雰囲気に慣れていないのだから。



「なんでも良いから、手伝ってください」
「……だから、何をしろと」
「おめーら喋ってねぇで手動かせよ」



肩越しに振り返りながら言う捲簾の表情は。
予想していた通り、子供のように楽しそうだ。


あんなだから、あの子供と同等に遊んでいられるのだろう。
図体は立派な大人だと言うのに、中身は成長していない。
あれが軍の大将で本当に良いのかと疑問を持つ。

まぁ、誰かがそれを口に出して言ったところで。
結局彼の実力がそれらを黙らせる結果になるだろう。



「あんたは本当に楽しそうですねぇ」
「おう。やっぱいーよな、こういうのはさ!」
「プライスって感じがまた良いですよね」



なんだかんだ言いながら、天蓬も楽しそうだ。
あんな男と友人なのだから、当然か。

だとしたら、自分もそうならなければいけないのか?


絶対に無理だ。
死んでも、例え転生しても無理だ。

薄ら寒い事を考えている自分に気付いて。
己はこんな思考回路を持っていたかと自問してみる。
答えは“否”しか出て来ない。




「おーい、お前が一番やる気出さなきゃいけねぇんだろ」




脚立の代わりにでもしているのか。
三段程に重ねている椅子の上で。
捲簾は危なげなく座って足をぶらつかせて言った。

何故俺が、と言外に睨み付ければ。



「おとーさんだろ」
「……俺はただの飼い主だ」
「なんでもいいから、手伝えって」



ひょいっと高台の上から飛び降りて。
捲簾は紙の輪を連ねた吊り物を手に取って。
座っている金蝉に向かって、ずいと差し出した。

これを自分が持つというだけで、かなり異様な光景なのでは。
もしも今、あの子供が帰ってきたら何を思うだろう。



「高い所は俺がやるからさ、そこの壁やってくれよ」
「……そもそも、俺は参加表明などしてないんだが?」
「なーに言ってんですか」



未だに吊り物を持って立ち尽くす捲簾を睨んで言うと。
それまで黙々と作業していた男が割り込んできた。






「あなたがいなきゃ、あの子は喜んでくれませんよ」






と言う訳でなんと言おうと強制参加です、と。
こちらもなんとも楽しそうに言ってのける。

彼は自分の性格をそこそこ把握していると思う。
祭りごとであれなんであれ、乗り気な性分ではないと。
そう思っていたのは、自分だけだったのか。


さっさと作業に戻った友人を睨みつけてみたが。
気付いているのか、無視しているのか。
多分、無視しているのだろう。

未だに捲簾の差し出す吊り物を受け取らずにいると。
捲簾は一度小さく溜息を吐いてから。
金蝉の胸にそれを押し付けて、また椅子の脚立を登った。



本当に自分の意見は全く無視されているようだ。
人の意見を一々伺うような人物ではないと知ってはいるが。



「それにしても……お前ら、こんな物何処で知ったんだ?」



色とりどりの細い紙の輪。
それを沢山連ねて、天上や壁から吊るして。
これだけで随分、部屋の中の雰囲気が変わる。

元々殺風景な部屋だが、変われば変わるものなのか。
しかし漂う雰囲気は、聊か幼稚なものを含んでいる。


金蝉はこんなものを見た事がない。
取り敢えず、覚えている限りでは。

だが、友人二人は色々と妙な知識を持っている。
下界で手に入れた本だとか、遠征先で見掛けたとか。
大抵それは、なんとも下らないものなのだが。



「言い出したのはどっちなんだ?」
「捲簾の方ですね。でも、僕もこれ見た事ありますよ」



吊るされたそれを突付きながら、天蓬が答えた。
大方、下界の何かの写真ででも見たんだろう。



「俺は下界の町で見たんだよ」
「あなた、また勝手な行動しましたね……」
「いーじゃねーかよ、ちょっとぐらい」



討伐の為に下界へと降りて。
子供のようなこの大人が、じっとしていられる筈もない。
待機を言い渡されているにも関わらず、数名の部下を引き連れて少々行方を眩ます事はままあるらしい。

本当にこれが大将で良いのか。
そうすると、天蓬が元帥と言うのも疑問が湧いてしまうが。



「でさ、小さい古惚けた学校があってさ」



下界の事を話す時、この男はやたらと楽しそうだ。
椅子の脚立の上に立ったまま、終いには身振りまで始める。



「なんかのお祝いやってたみたいなんだよ」
「下界ではこれ、よく使うみたいですね」
「子供が一所懸命作ったんだってよ。で、これいいなーって」



いつか使ってみたかったんだ、と。
そう言う男の顔は、丸きり子供のものである。


ちらりと天蓬の顔を伺ってみると。
いつもの笑顔とは少々異なった笑みを浮かべている。
それは、あの子供に対して向けられているのと同じもの。

捲簾がこの状況を楽しんでいる理由は、まぁ判った。
天蓬が笑っている理由も、大方の察しは着く。



が。



「何故お前らは、これを持っていたんだ?」
「ああ、前に悟空と一緒に作った事があったんだよ」



天蓬の部屋で遊んでいて、悟空が本を見つけて。
写真集の中の一枚に、これと同じものを見て。
どんなものなのかと、興味を惹かれた悟空に教えてやって。

使うのは色紙と糊と鋏だけ。
作ってみたいと言った悟空に、捲簾は当然のって。
折角だからと天蓬も参加したのは、最近の事だそうだ。


100枚入りの色紙を全部使い切って、出来上がった吊り物。
結局、それは天蓬が保管する事になった。



「作ったはいいけど、使う機会なんか滅多なくてさぁ」
「部屋の隅に置きっ放しにしちゃってましたよ」
「でも、今日って言う日がきた訳で!」



どうやら、本の中の肥やしにはならずに済んだようだと。

結局今日が終わったら、また逆戻りなんじゃないか。
思っては見たものの、楽しそうな二人に、金蝉は取り敢えず口を噤む事にした。


大人二人と、子供が作った色鮮やかな吊り物。
その中の幾つかに、殊更歪んだものを見つけ。
ああ、あいつが作ったんだと直ぐに判ってしまった。

切り方が歪だったり、繋げ方が変だったり。
はみ出ている白い塊は、多分、糊。






鋏で指を切ったりしなかったのか。
何をやっていても落ち着きのない子供だから。
じっとして切って繋げるだけの作業は、退屈でなかったのか。

小さなあの手は、きっと糊だらけになったのだ。
途中から面白がって自分で着けたりしたんだろう。


今まで、ダンボール箱に詰め込まれていたこの吊り物。

もしも、日の目を帯びたとあの子供が知ったら。
いつものあの笑みを見せたりするのだろうか。







ふと、自分の執務机の中にある一枚の紙を思い出した。



あまりの忙しさに苛立っていた所へ。
ひょっこりとやって来た子供が、黙って置いて行った紙。
別に何も変わった所なんてない、絵が描いてあるだけの紙。

それでも、描いてあったそれに。
思わず小さく笑ってしまった自分を、今でも覚えている。











真っ白な紙に描いてあったのは、文字と、下手くそな人物画。












ドォン! と大きな音がして。
思考の深遠に沈んでいた金蝉は我に返った。

一体何事かと、思わず立ち上がると。
眼前には、床に背中を打ち付けてうめく男と。
呆れた顔でそれを見下ろしている友人。



「…………っつ〜〜〜〜!」
「馬鹿ですねぇ」
「っあー、マジ痛ぇ! 呼吸止まった!」



捲簾の横には、崩れ落ちた椅子の脚立。

どうやら、捲簾を乗せたままバランスを崩し。
乗っていた人物を振り落としてしまったようだ。



「あんなとこで飛び上がるからですよ」
「……そりゃあ、落ちて当たり前だな……」
「だってよ〜……終わった喜びで、つい…」



一体何処まで子供なんだ、この男は。
拗ねた子供のように言う捲簾を見ながら、金蝉は歎息した。

そのまま何気なく天井を見上げてみれば。
いつもは味気ない白い天井が、色鮮やかになっており。
捲簾の苦労の賜とでも言おうか。


さて次は、とさっさと復活した男を見て。
天蓬は自分の持ち場と判断したか、また壁と向き合い。
金蝉を露とも見ずに、黙々と作業を再開させた。



「俺、料理作ってくるわ」
「ええ、お願いします」
「……これだけじゃないのか?」



まだ色々とやるつもりらしい友人達に。
金蝉が小さな声で質問を投げれば、しっかり聞こえたようで。



「当たり前だろ、特にケーキは必須だな!」
「不味いの作ったら殺しますので、そのつもりで」
「誰がそんなもん作るか」



天蓬の台詞は、冗談なのか本気なのか。
捲簾は相手にする様子もなく、それだけ返事をして。
2時間ぐらいしたら戻る、と言って部屋を出た。

粗暴な見た目を裏切り、捲簾は家庭的だ。
何処で身に付けたか、料理の腕も中々のものである。



「じゃ、僕らはこっち済ませましょうか」



にっこりと笑顔で言った天蓬に。
金蝉は、未だに持ったままだった吊り物を見て。








小さく溜息を吐いた後、取り付け作業に入った。
































―――――たんじょーびって、なに?







今朝、仕事中の金蝉のところにやってきて。
悟空が一番最初に言ったのは、それだった。

仕事中には入ってくるなと叱ろうとしたのだが。
真っ直ぐに向けられた金瞳に、思わず口を噤んでしまい。
悟空は返事を待つように、執務机の反対側でじっとしていた。


この養い子の突飛な行動には、未だに慣れない。
この数ヶ月で散々振り回されまくって。
怒鳴って喉を痛めて、追い駆けて疲れての繰り返し。

それでも、少しは落ち着いて来ていると思う。
天蓬達と知り合ってからは、悪戯も減って来たし。


その代わり、悟空は二人から色々教わって来て。
他にも、耳年増になったのか何処ぞで何か聞いたりして。
意味が判らないと、真っ先に保護者に聞きに来る。

今回もそれと同じなのだろう。
溜息を吐きながら、「生まれた日の事」だと答えてやった。


無視して仕事を続けても良かったのだが。
そんな事は逆効果なのだと、前例から学習している。

さっさと答えを教えてやるのが一番手っ取り早い。



けれども、会話は其処で終わる事はなく。







――――――ねぇ、金蝉のたんじょーびっていつ?







それを聞いてどうしようと思っていないだろう。
ただ興味の赴くままの言葉だったと思う。

忘れた、とだけ答えた。
実際、覚えていてもどうなる訳ではないし。
覚えていないと何か悪い訳でもない。


捲簾は、天蓬は、と続けて聞いてきたが。
当然、其処まで知っている訳もなく。
自分がそんな所まで気にする事もないので、同じ返事をした。

返事の内容が詰まらなかったのか、悟空は拗ねた顔をした。
しかし、知らないものは知らないのだから仕方ない。


しかし、次に続いた言葉には、返答に窮した。








―――――オレのたんじょーびって、いつ?









そのまま、自分は黙り込んでしまって。
悟空はそんな保護者に、何を思ったのだろうか。
しばらくして「邪魔してごめん」と言って部屋を出て行った。

沈黙に包まれた部屋の中で、自分が何を考えたのか。
正直、金蝉はあまり覚えていなかった。



天蓬の所に行ったのは、きっとその後だ。
天蓬なら教えてくれるかも知れないと踏んで。

しかし、当然、天蓬が判る筈もない。


それから捲簾の所へ行って、同じ結果に終わり。
その時どんな顔をしていたのか、なんとなく予想がついた。

子供の表情を見た捲簾が、放って置く訳もなく。
期せずして天蓬も同じ考えになっていて。
自分は気にしていたものの、どうにもならないと思っていた。





けれど。

この光景と言葉と、意味を教えたら。










…………笑ってくれるだろうか。
























































「悟空、帰って来たぞ!」




大きなケーキと、その他料理を器用に持って。
扉を蹴り開けた捲簾は、開口一番、そう言った。

内装はつい先ほど、完了した。
いつも殺風景な部屋の面影は何処にもない。
あの子供が扉を開けたら、どんな顔をするだろう。


捲簾がテーブルの上に料理を並べている傍ら。
よく短時間でこれだけ作ったな、と見ていたら。

横からひょいっと三角錐の形のものを差し出された。



「………なんだ、これは?」
「クラッカーです。悟空が入ってきたらこれ引っ張って下さい」
「………意味はあるのか?」
「お祝いの時にゃ、必ず使うもんだよ」



言いながら捲簾も、それを受け取って。
せーので一緒に引っ張るんだぞ、と言って来る。



「パーンってでかい音がして、色のついた紐が出んの」
「………………それが、なんだって言うんだ?」



どうにも理解できなかった。



「はいはい、説明は後!」
「そだな。んじゃ、構えてろよ」
「………ああ……」



取り敢えず、二人の言う事に従って置く事にして。
大きな音だと言うが、泣いたりしないかと考えて。
其処まで気弱ではない
と頭を振った。

どうにも、あの子供の事となると思考回路が可笑しくなる。


悟空が今の今まで何処に行っていたのか。
それは自分の知る所ではないと思うけれど。
まだ“たんじょーび”の事を聞いて回っていたのだろう。

悟空が頼れる人物といったら、あの数人しかいない。
思いつく人物の一人が、余計な事を言っていないと良いが。













扉が少し押し開かれたのを合図に、三角錐の紐を握った。


















小さな子供の言葉一つで


どうしてこんなにも


己の心は揺れ動かされるのだろうか





最近知り合ったばかりの子供のような男も


昔からの付き合いのある喰えない男も




………自分自身も
















ただ一つ判るのは




あの子供の笑った顔が見たいという事


















FIN.


後書き