heresy children












キミが微笑んだ瞬間に







すべての色が鮮やかになり
















すべての生命が花開く
















































初めて出逢った瞬間に、自分の中で何かが変わった。

その時はなんの感慨も沸かなかったように思ったが。
それでも、確実に何かが変化を告げていた。











愛した女性を永遠に失って。
触れる事も叶わなければ、遠くから見る事さえ。
深くは、想う事すら許されぬと知った。

上層部のやり方に不満を感じていながら。
諦めに近い感情しか、浮かんでこなかった。

彼女を失ってすら、それ程の感情しか無かった。
中途半端に育まれた己の精神の何度も自嘲った。
いっそ何も持たない人形ならば楽だったのに。



温もりなんてものは知らない。
光なんてものは知らない。

幼い頃、傍にあったのは孤独と暗闇だけ。
闇の中の仄かな灯火は、暗黒を助長させていた。
あの中で気が狂わなかったのが不思議だ。


いや。
きっととっくに狂ってしまっていたのだ。

早くに狂って、それが当たり前になって。
狂った状態が、正常の状態となっていたのだろう。
そう考えると、酷く納得している自分がいた。





もう一度、あの暗闇に還してはくれないのだろうか。

何度もそんな事を考えた。





物心ついた時には、既にあそこにいた。
それが当たり前で、疑問に思った事は無い。

何度か不思議に考えた事があった気がするが。
答えはいとも簡単に見つけられ、思考は其処で終了し。
考える都度、同じ答えに行き着いた。




――――――咎人。





なんとも簡単で単純で、軽い答えだろう。


間違って生まれた存在だと。
認識するのに、大した時間はかからなかった。

自分でもそれを何処で知ったかまでは既に忘れたが。
それに気付いた時、呆気ないほど納得出来た。
……だから、此にいるのだと。


両腕の枷を邪魔だと思った事はない。
絶えず聞こえる金属音を煩わしいとは思った事はない。

余りにも当たり前のように傍にあったものだから。








闇と孤独さえも。






………けれど。





















































「此処の花、貰って行ってもいい?」




真っ直ぐに自分を見上げてきた子供。

見下ろさなければ、形すら見えない程に小さくて。
天界に子供がいるなど、知らなかった。


構わない、とだけ答えると。
子供は小さく「サンキュ」と笑った。

変わった子供だと思った。




「ねぇ、オレ悟空っての」




数本の花を束ねて手に持って。
見上げてきた子供は、嬉しそうに言った。

続けてこちらの名を尋ねてきた。
しかし、それに答える事はせずにその場を去った。
特になんの意味も持たないと思ったから。






…………それなのに。



































自分の住まう館へと戻り。
相変わらずよそよそしい女官達と擦れ違い。
世話役の初老の男の怪訝そうな顔を見た。

別段、何も珍しいものではなかった。
鬱陶しいという感情さえなくなったのは、いつだろう。



殺風景な自室に入ると、ベッドに横になった。
真っ白な、染み一つない天井を眺める。

特に何をする事もない。
何をしようと思う訳でもない。
ただ悠久過ぎる時間だけが流れていく。


彼女がいなくなってから。
僅かに淡い色を持っていた世界は、それを失い。
白と灰色と黒だけが、世界を満たしていた。

あの暗闇にいた頃と同じ世界が広がっている。
自由と言いながら、死ぬ事由すらないままで。



結局、自分は何をすることも許されないのだ。

半端な生を与えられるなら、死んだ方が随分マシだ。
若しくは、あの暗闇の中にいる方がいい。



……ずっと当たり前にあった孤独感だ。
外を知った所で、彼女と出逢った所で。
今更あそこに戻されて、どうしようとは思わない。

寧ろ、自分はあの暗闇の中にいるべきだと思う。
存在している意味など、何処にもないのだから。




暇つぶしに付き合わされるより、よほど良い。




時間の流れが止まったような空間で。
自分だけが背が伸びて、時間を経て。

その間に神としての力も増幅したとは思うが。
だからと言って、それがなんになるだろう。
愛する者一人、救ってやれないのに。






『焔が死んだら……私も、死ぬから』






彼女は、そう言ってくれたのに。

咎人に他人と代わらず接してくれた彼女は。
優しかったのに、酷く儚くて。
共にありたいと思ったのに。





『死ねないかも、知れないけど……』





彼女の泣きそうな顔ばかりが、浮かんで消えて。








『私、死ぬから』















何故、今自分は生きているのだろう。









































ギ、と扉の蝶番が悲鳴を上げたのが聞こえ。
世話係の誰かが入ってきたのかと。
いつもなら動かないのを、気紛れに首を巡らせ。

―――――――絶句した。





「あれ? さっきの人?」





其処にいたのは、先程見かけた子供。

摘んだ花を持ったまま、扉の影で不思議そうな顔をして。
やっぱ迷ったかな、等と独り言を言っている。



子供の表情は困ったような色を含んでおり。
起こられるかなぁ、と小さな声が聞こえた。


焔を見ても、一切物怖じした様子もなく。
マイペースなのか、それとも単に不躾と知らないのか。
恐ら両方だろう、そのまま考え込んでいる。


手元に持ったままの小さな黄色い花を見て。
時折唸るような声を漏らして頭を掻く。

それはなんとも言えない幼さを見せていて。
子供が少し頭を動かすと、大地色の髪が揺れた。
まるで小動物の尻尾か何かのようだ。



先程も見かけたこの子供。

一体、何処から入り込んできたのだろう。




焔は寝転んでいたベッドから起き上がり。
突っ立ったままの子供をじっと見ていた。


迷い込んだというなら、それしか有り得ない。
基本的に、焔の館に出入りするものは少ない。
ごく限られた者のみしかいないだろう。

その中に子供、という存在はいなかった筈。
いたとしても、咎人である自分に会いにくる訳がない。



子供はきょろきょろと部屋の中を見回して。
それから、「ごめんなさい」と小さく謝ると。
律儀にも、焔に頭を下げて扉を閉めた。

扉が音を立てて閉められてから間もなく。
軽い足音と、金属のぶつかり合う音が聞こえた。


一瞬、その音に眉をしかめて。
子供の両腕に、自分と同じものがあった事を思い出す。

自分と同じ咎人なのだろうか。
まだ何も知らない子供のように見えるのに。
その無知で、何か罪を犯したのだろうか。


見上げていた顔は、酷く幼いもので。
遠退く足音は、軽い音で。
なのに金属音だけは、耳障りな音を立てる。

その音が罪人である事をはっきりと示す。
何も知らない子供であっても、それは容赦ない。





生まれた事そのものが罪である、己のように。





また、蝶番が音を立てた。
そしてまたしても、其処には子供がいて。



「ねぇ、どっから出れるの?」



扉の影に体を半分隠したままで。
その手には、やはり黄色い小さな花がある。

花は少し萎えてしまっていた。
早めに水に入れないと枯れてしまうだろう。
けれど子供は、そんな事には気付いていない。


質問に答えない焔に焦れたのだろうか。
子供は困ったように表情を曇らせる。

部屋に入って来ないのは、失礼だという遠慮からか。
ノックもなしに扉を開けたくせに。
それとも、本能で焔に近付こうとしないのか。



いずれにしても、このままにする訳には行かない。
世話役達に見付かれば、何を言われるか。自分だけならともかく、こんな子供にまで。

いつもなら、他人の事など蚊ほど気にしないのだが。
じっと見つめる瞳に、そうも行かないと思った。



案内する方が手っ取り早いかもしれないが。
何かの折に誰かに見られたら、面倒になる。

道を教えるぐらいならすぐ終わるだろう。
そう思って、焔はベッドから床に下りる。


その時だ。
聞きたくもない声を聞いたのは。





「お前、何処から入り込んだのだ」





確認せずとも、焔には声の主が誰なのか判った。
一番古くからの世話役の男だ。
既に老人と言って違いないだろう外見をしている。

子供はきょとんとして首を巡らせた。
向かう視線の先に、彼の男が立っているのだろう。


彼は古い考えの持ち主で、保守的だ。
天帝を盲目的に敬愛している。

不確かな言い伝えを異常なほどに信じ込んでいる。
故に、焔への風当たりはかなり強かった。
それをどうしようと思った事は、特にないが。



「え……えっと……」



子供は少し萎縮したように、言葉を詰めた。
焔に対しては、あどけなく接していたのに。

いつも顰め面をしている彼の事だ。
今も同じような顔で子供を見ているのだろう。
子供に泣かれる顔、とはああいうものだろうか。



「ど…どっからって言うか……迷っちゃって…」
「何処から入ったのかと聞いているのだ」
「えと……えっと、その………」



高圧的な声に、子供は竦んでしまったようで。
このまま放って置いたら、何をし出すか。

泣きそうな顔をしている子供が、扉の隙間から見えていた。


扉を開けると、子供は驚いたような顔をして。
焔が右側を見ると、やはりあの男がいた。





「言及する暇があるなら、外に連れ出してやったらどうだ」





鷹揚なく告げると、男は苦々しい顔をした。

いよいよこの男に嫌われたようだ。
もとより好かれようとなど思っていないが。



子供は呆然として焔を見上げていたが。
はっと我に返ると、子供は焔に抱きついた。

突然の衝撃に、少々驚いたものの。
ズボンの裾を握る子供の手は、しっかりとしていて。
何を言った所で、話す様子はなかった。


その小さな手の手首には、黒光りする枷。
視線を更に下へと落としてみると、足首にもそれはあった。

視線に気付いたのか、子供は顔を上げた。
まっすぐに自分を見つめる大きな瞳とぶつかりあい。





そこにあったのは、

今にも零れそうな、透明な金色。











焔の右瞳と、同じ色。

























金色の瞳は、金晴瞳と呼ばれ。
吉凶の証とされている。


災いを呼ぶものだと言われている、それ。
酷く不確かな言い伝えを、未だに信じる者は多い。

故に金晴瞳の持ち主は、迫害される事が多い。
別に何をした訳でもないのに。
異種を認めないのが、此処のやり方だ。


神と人間の子供である自分には、片方だけにある。
たったそれだけの事で、天帝は自分を幽閉した。
己の間違いを、まるで隠すようにして。

生かしているのは、殺生を許されないから。
必要か不要かと問われれば、不要でしかないもの。


不浄とされる存在。



けれど、どうだろう。

見上げてくる子供の瞳は。






こんなにも、透明で澄んでいる。






















世話役の男を適当に言い負かして。
焔は、子供を部屋の中へと入れてやった。

入る直前に、お邪魔します、と小さくお辞儀した。
敷居と跨ぐと、子供は室内をきょろきょろ見回す。
特になにか面白い物がある訳でもないのに。



珍しく饒舌に喋ったと思う。
それほどお喋りではないし、話す相手などいなかった。
そんなものを望んだこともないから、口数は少なくなった。

誰に何を言われても、一言二言しか喋らなかった。
彼女と話をしている時でさえ、殆ど口を開かなかったのに。


久しぶりに長く喋ったら、喉が渇いた。
そんな感覚を覚えるのも、随分久しぶりか。



子供は居所なさげにしている。
落ち着きなくそわそわして、窓辺に寄って見たり。

その都度、手足の枷が音を立てる。


時折、子供は邪魔臭そうにそれを見るが。
どうしようという気はないらしく。
しばらくすると、其処から視線を外した。

それから子供が振り返ったのは。
じっと己を見下ろしている、焔の方。







「ありがとな!」






ありがとう。


突然の言葉に、焔は目を丸くした。

見上げてくる子供は、嬉しそうに笑っていて。
まろい頬はほんのりと朱色を帯びている。


沈黙していると、変に思われるだろうか。



「……あ…ああ……」



返事は、それが精一杯だった。
だが、子供はそれだけでも満足だったらしい。
少し首を傾げて、へへ、とまた笑う。

その笑顔が、何故だかとても眩しく思えた。
彼女の微笑でさえ、儚く淡いものだったのに。



「……お前は…何処から来たんだ? 親はどうした?」



なんとかそれだけの質問をしてみると。
子供は少し考え込むと、手元の花を見て。



「どっからって……気がついたら此処にいたし」
「……そうか……なら、親は?」



見た所、この子供はまだ十にもなっていない。
流石に親が放って置かないだろう。

ふと、この子供と同じ位の少年を思い出したが。
今はそれは関係ないだろうと思い。
目の前の子供の返事を、じっと待ってみる。



「親…ってゆーか、ホゴシャならいる」



その程度の言葉すら、拙いもので。
そうか、と言うと、子供はまた嬉しそうに頷いた。



「その花は……保護者に渡すのか?」
「うん。でも、多分受け取ってくれないと思うけど」
「判っていたのに摘んだのか?」



子供の矛盾した発言。
そんな無意味な事をしてどうするつもりなのだろう。





「別にいいんだ。オレがあげたいだけだから」





それは、俗に言う自己満足というものか。
子供は花を見て、また嬉しそうに笑う。


喜んで貰えなくてもいい。
要らないと言われてもいい。
自分が勝手に上げたいと思っただけだから。

きれいだから見せてみたいと思った。
きれいだから、あげたいと思った。








受け取って貰えなくても、別にいい。


自分が、あげたいと思っただけだから。









見上げてくる子供は、誇らしそうで。
こんなにも眩しい存在を、焔は知らない。

ふわふわと揺れる尻尾のような大地色の髪。
程よく日焼けした血色の良い肌。
そして何にも劣らない、金色の輝き。



きれいなものは教えてたい。
きれいなものは見せたい。

ただそれだけの事がとても嬉しくて幸せだと。



そう言う子供に、そっと手を伸ばして。
大地色の髪に、焔の指が僅かに絡むと。
子供は不思議そうな顔をして、こちらを見上げた。

手を引っ込めようかと思ったが。
絡む柔らかい髪の感触に、それを躊躇った。


結局そのまま、手を離すことをせずに。
くしゃくしゃと髪を撫でてやると。
子供はくすぐったそうに、小さく笑みを漏らす。


自分の行動に少し驚きながら。
焔は、触れる温もりに口元が緩んでいた。

子供はくすくす笑っていて。
撫でられる、その程度のことがそんなの面白いのか。
生憎、経験のない自分にはそれは判らない。



「そうか……お前は、それでいいんだな」



焔の言葉に、子供は迷う事無く頷いた。

それからまた見上げてくる金色の瞳。
彼女とは違う、強い輝きを持った色。



ふと、子供の両手首の枷に視線が行った。
落ち着きのない子供に、あの枷は邪魔だろう。

子供の大地色の髪から手を離すと。
少し残念そうな顔をしている子供を見て。
焔は、子供の手首の枷に触れた。


子供の熱とは違い、冷たく硬いそれ。
動き回るたびに煩い音を立てる鎖。

金色の瞳を持っているというだけで。
見る限りでは、害も何もない子供ではないか。
こんな幼子さえも、この世界は不浄だと迫害するのか。



「なに?」



黙って枷に触れているのが不思議だったのだろう。
子供は大きな金瞳で、こちらを見つめた。

先刻よりも近い位置にある、子供の顔。
嵌められた金鈷が、子供のもう一つの戒めだと気付く。



「邪魔か?」
「何が?」
「……この枷が」



端的過ぎる言葉を理解できない子供に。
改めて、主語を言ってみる。

子供は焔に触れられたままの枷を見た。



「………ちょっと、邪魔」



正直な言葉に、焔は小さく笑う。






「外してやろうか?」






焔の言葉に、悟空は驚いた顔をした。
常時でさえ大きな金瞳が、溢れんばかりに見開かれる。



この子供に、枷は必要ないと思うのだ。


きっと、この子供自身にはなんの罪もない。
生を受けた事そのものが罪である自分と違い。
目の前の幼子には、なにも悪いことなどないのだ。

金瞳というだけで戒められるというのなら。
そんなものは外してしまっても良いだろう。



「邪魔なんだろう?」



目の前にしゃがんで、子供の手を取る。
花を持ったままの、小さな手。

焔の手よりも、二周り以上も小さい手。
その甲に口付けると、子供はますます目を開いて。
そんな幼い存在に、焔は答えを促す。





邪魔なら、きっと要らないだろう。


……けれど、子供は首を横に振った。





何故、と問うてみれば。
子供は焔と触れ合ったままの手を見て。



「これがないと、オレ、ここにいられないんだって」



姉ちゃんが言ってた、と。
指し示したものが誰なのかは判らなかった。

子供はまっすぐに焔を見ている。
その金色の瞳に、迷いや悲壮の色はない。




「邪魔だけど、だから、別にいいんだ」




一緒にいたいから。
傍にいたいから。

だから、ちょっと邪魔なものぐらい我慢できる。



謂れのない戒めさえも、受け入れて。
きっと本当の意味を知らないだけなのだろうけれど。

それでも、子供はこのままで良いのだと言う。








「それに、あんたと一緒だもん」












お揃いだな。



そう言って、子供は笑った。






































館を離れていく子供。
何度も振り返っては、こちらに手を振る。
それに何か返す事はしなかったが、頬が緩んでいた。

そう言えば、誰かとまともに接したのは久しぶりだった。
喋ったのも、触れたのも、何もかも。



変わった子供だ。



手に持った花が萎れていると、いつ気付くだろう。
保護者だと言う者は、その花を受け取るだろうか。

自分は、こんな事を考える性格じゃなかったと思うが。
ほんの束の間の出会いの筈なのに。
子供の存在は確かに、焔の中に居場所を作っていた。




「名前は……確か――――――」










『空』――――目に見えぬものを悟る者。












覚えておこう。

何者にも代わらぬ、その名前を。




何者にも劣らぬ、その輝きを…………




































キミが微笑んだ瞬間に



すべての色が鮮やかになり



すべての生命が花開く






それをキミに伝えることはないだろう













芽吹いた想いは少しずつ



キミを中心に広がって







いつしかキミを抱くだろう



















FIN.


後書き