Smile Again
















俯かないで








笑って見せて









………どんな時でも























































「八戒、お腹空いたよぉ」



甘えた声で背中にくっついてきた悟空に。
八戒は小さく笑みを浮かべて、肩越しに視線を落とす。

悟空の身長は、八戒の肩までもなくて。
互いの顔を見るには、見上げ見下ろさなければ出来ない。


三蔵から聞く限りでは、今年で16だそうだが。
八戒の目にそうは見えないのは、気の所為ではない。
悟浄に至っては、15に見えるかどうかも怪しいようだ。

素直で無邪気で、甘えん坊で世間知らず。
閉鎖的な空間で育ち、垢抜けていないからかも知れない。



「なぁ、お腹空いた」
「じゃあ、何か作りましょうか」



八戒の言葉に、悟空は嬉々として飛び上がり。
勢いそのまま、八戒に抱きついた。

決して不快にはならないその重みと。
子供特有の温もりを、背中に感受して。
八戒は嬉しそうに笑う悟空と向かい合い、微笑む。






素直に甘える悟空が、とても可愛いといつも思う。







キッチンに立って、さて何を作ろうかと考えていると。
悟空が料理のレシピの本を持ち出して。
あるページを開いて、八戒に見せた。

其処に書いてあったのは、シュークリーム。
暗にこれが食べたい、と言っているのだ。



「いいですよ」



本を受け取って、そう言うと。
悟空はまた、嬉しそうに笑った。



「この間食った時、すっげー美味かった!」
「そう言って貰えると、僕としても作り甲斐がありますよ」



この間、と悟空は言うけれど。
一月ほど前の出来事だった。

今回と同じように、三蔵が遠方へ仕事に赴くことになり。
渋面を隠す事もせず、悟空を自分達に預けて。
拗ねる悟空の機嫌を直そうと、作ってやったのが始まり。


悟空はシュークリームを食べた事がなかった。
甘い物に目がない子供にしては珍しいと思ったが。
彼の生活環境を思い出すと、納得が行った。

寺院内でそういったものは滅多に食べられないだろう。
三蔵は和菓子は好きだが、洋菓子は食べない。

自然と接する機会がなかったのだろう。
差し出して、「何これ?」と言われた時は驚いたが。



今は、悟空がハマっている食べ物の一つとなっている。


















ふと、扉の開く音がして。
八戒と悟空が、殆ど同時に振り返ると。
眠そうな顔をして、頭を掻いている悟浄がいた。

咥えた煙草に、火は点いていない。



「おはよー、悟浄」
「……おー……」



悟浄は朝帰りだ。
作の夜半は所在不明、今朝方帰ってきて今まで寝ていた。
ちなみに現在の時刻は、午後2時である。

少し寝癖のついた紅の髪を手櫛で軽く直しながら。
悟浄は悟空の座る隣の席へと腰を下ろした。



「八戒、何作ってんだ?」
「シュークリーム!」



質問の対象は八戒だったのだが。
その対象が答える前に、隣の子供が嬉々と声を上げた。

悟空は落ち着きなさそうにそわそわしていて。
手際よく調理している八戒の手元を見ている。
悟空の要望通りに、なんでも作るその両手は、悟空には魔法でもかかっているように見えるのかも知れない。


お子様だな、なんて思いながら。
悟浄は、悟空の頭をくしゃくしゃと撫でた。

突然のことに、悟空は少々驚いた顔をして見せたが。
気持ち良かったのか、その手をじっと感受して。
上機嫌ににこにこ笑って、悟浄を見ていた。


にこにこ笑って撫でられている悟空は。
まるで日向で、気持ちよさそうに眠る子猫のようで。
知らず、悟浄の口元も緩んでいた。

喉をくすぐってやったら、ゴロゴロと言うのだろうか。
いつも猿だ猿だと言うけれど、今は子猫に見える。



「へへ〜……」
「何よ?」
「なんでもなーい」



そんな事を言う悟空の髪を、乱暴な手付きで撫ぜると。



「わっあはは!」
「なんだってんだよ、ほら言え!」
「なんでもないってばー!」



ヘッドロックしながら、乱暴に頭を撫でると。
悟空はきゃあきゃあ言いながら笑っている。

嫌がってなんていない。
構って貰えて嬉しいのだ。
それがちょっと乱暴な形だったとしても。





悟空は、頭を撫でられるのが好きだ。
手を握ったりするのも好き。

スキンシップが好きなのだ。
触れて、触れられていることが。




直ぐ傍から、温もりを感じられるという事が。









悟浄とじゃれている悟空を見て。
八戒はメレンゲを作りながら、笑みを浮かべる。

もうこれは、ごく自然の光景になっていた。



「それにしても、よくもまぁ甘いモンばっか食ってられるな」
「だって美味しいじゃん」
「……お前、いつか糖尿病になるぞ」



ヘッドロックをしたままの悟浄の台詞に。
悟空はきょとんとした顔を見せた。

どうやら糖尿病というものが判らないらしい。
悟浄は説明するのが面倒で、まぁいいか、と片付けた。



「ま、ガキ舌なんだろな」
「誰がガキだよっ!」



頬を膨らませて反論してきた悟空に。
お前以外に誰がいる、と口にせず視線だけで言うと。
悟空は無言の抗議として、悟浄の髪を引っ張った。

それがほんの少しだが、痛みを伴って。
悟浄は仕返しとばかりに、悟空の首を圧迫する。


悟浄の腕から逃れようと、悟空は手足をばたつかせる。
しかし、悟浄は空いていた片腕でそれをあっさり戒めて。
拘束された悟空は、されるがままになる。

が、なんとか首から上だけは自由で。
悟空は八戒に助けを求めてくる。



「はっかぁ〜い……」



息苦しそうな悟空は、もう限界だった。



「悟浄、もう離してあげたらどうです?」



いつもの笑顔で、そう言うと。
悟浄はヘイヘイ、とだけ言って腕を離した。

圧迫から逃れた悟空は、肩で息をして。
不足していた酸素を、一所懸命に取り込んだ。
息苦しかった所為だろう、目尻には透明な雫が浮かんでいる。


悟浄もそれをしっかり発見していて。
流石にやり過ぎたと思ったのだろうか。
先刻よりも優しい手付きで、悟空の頭を撫でる。



「悟浄のバカ」
「悪かったよ」



ちっともそうは思えない口調だったが。
悟空は、頭を撫でられているお陰で。
大して機嫌は損ねられていないようだ。



「悟浄にはシュークリーム食わせてやんない」
「いらねぇよ、あんな甘いモン」



合わせにコーヒーでもなければ食べられない。
お子様と違って、と小さな声で悟浄は呟く。

それが聞こえてしまったのだろう。
悟空はムッとした顔で、悟浄の髪に手を伸ばす。
しかし悟浄が先に悟空の額を押さえ、リーチの差で届かない。


悟空の反撃は失敗に終わってしまったが。
それで大人しく収まる訳もなく。
悟空の金瞳は、じっと悟浄を睨んでいる。

だが目尻に浮かんだ涙の所為か。
ちっとも睨んでいるようには見えなかった。
















シュークリームが出来上がる頃には。
悟空は遊び疲れたか、空腹の為か。
机に突っ伏して、じっとしていた。

悟浄の方も、反応がないとつまらないのだろう。
悟空の髪先を気紛れに弄っているだけだった。


突っ伏している悟空の頭を、八戒がくしゃりと撫でて。
悟空の目の前に、シュークリームを乗せた皿を置いた。

途端に、悟空が跳ね起きる。



「食べていい!?」
「ええ、どうぞ」
「クリーム零すなよ」



待ち切れない、と言わんばかりの悟空に。
八戒が答えた時には、既にシュークリームは悟空の手の中。
悟浄の言葉など、多分露ほども聞こえちゃいない。

悟浄と八戒は、自然と顔を見合わせて。
くす、と悟空に見えないように小さく笑った。


だが。





「………あっ!!」





シュークリームを口に入れる直前で、悟空が立ち上がって。
その視線は、窓の外へと向けられていた。


それから数秒ほどの間を置いてから。
戸口をノックする音が聞こえた。

悟浄と八戒が出ようとするよりも先に。
シュークリームを皿に戻した悟空が、玄関を開けた。



「三蔵、お帰んなさい!」



勢い良く扉を開けた先には、思った通りの金糸。
少々疲れたような表情を見せているが。
悟空はそれにもお構いなしに、抱きついた。

珍しいことに、ハリセンが振り下ろされることはなく。
代わりにくしゃ、と三蔵の手が悟空の頭を撫でた。


どうやら、今は気分がいいらしい。
滅多にない、三蔵からの甘やかしに。
悟空は殊更嬉しそうに、三蔵を見上げて笑う。

悟浄や八戒に向けていたのとは少し違う、笑顔。
まるで真夏の太陽のようにまぶしい、笑顔。




なんだかんだと言いながら。
悟浄も八戒も、そして三蔵も。

あの笑顔が気に入っている。






でも。
その笑顔が向けられるのは、いつも。

たった一人だけなのだ。








「お疲れ様です、三蔵」
「猿ー、食っちまうぞー」
「あ、だめー!!」



リビングへと戻ってきた二人に言うと。
三蔵は短く「ああ」と言っただけで。
悟空は慌てた顔で、シュークリームの皿を手に取った。



「いらないって言ってたじゃん!」
「だってお前、放ったらかして行ったからよ」
「食べる! 悟浄にはやんない!」



悟浄から隠すように、シュークリームの皿を抱いて。
あっかんべ、と悟空は舌を出した。


三蔵は悟空の抱えるそれを見て。
子供の甘党振りに、少々呆れた顔を見せた後。
今更だと思い返し、悟浄の斜め向かいの椅子に座る。

それを見た悟空は、ごく自然に三蔵の横の椅子に座り。
コーヒーを持った八戒が、悟浄の隣に腰を下ろした。



「コーヒー、飲みます?」
「ああ」
「八戒、俺も」
「言うと思いました」



シュークリームに齧り付いた悟空には、ジュースを渡して。
八戒は三つのカップにコーヒーを注いだ。
ささやかな苦味のある匂いが、部屋を満たす。

悟空は口の周りにクリームをつけていたが。
よくよく見れば、シューを持つ両手にもそれは着いていた。

ついてますよ、と八戒が何気なく言えば。
悟空はしばらくきょとんとして。
自分の手にクリームがついている事に、ようやく気付く。


手についていても、食べ物は食べ物。
勿体無いとばかりに、悟空が指についたクリームを舐める。



「意地汚ぇから舐めんじゃねぇよ」
「だって」
「だってじゃねぇ」



すぐさま保護者の制止がかかるが。
悟空は特に気に止めず、また指を舐める。

甘いクリームに、悟空はずっと上機嫌だ。
見ている側が胸焼けしそうな気がするが。
幸せそうな表情に、咎める気にもならなくて。



「仕方ありませんね。ほら、悟空」
「う?」
「ちゃんと拭きましょうね」
「幼稚園児だな、まるで」
「自分でやらせろ、八戒」



悟空の手と口周りを拭いてやる八戒。
それを見ていた悟浄が、小さな声で呟いた。

悟空は、大人しく拭いてもらっている。
拭き取られたクリームを少々名残惜しげに見ていたが。
隣の三蔵に怒られるのも嫌なのだろう、何も言わなかった。


その様。
悟浄の言う通り、まるで幼稚園児だ。


拭き終わって、いいですよ、と八戒が悟空の頭を撫でた。
悟空はそれをくすぐったそうに受け止めて。
手に持ったままのシュークリームにまた齧り付いた。

そんな子猿を横目に見ながら。
八戒は、いつの間にか空になっていたコーヒーを注ぎ直す。



「今回は随分と早いお帰りでしたね」
「まぁな。煩い猿がいなかったお陰で」
「そりゃどっちの意味なんだろうね」



三蔵の台詞を掘り下げるような悟浄に。
鋭い紫闇が向けられたが、本人は気にも留めていない。


悟空がいないお陰で、仕事が捗ったのか。
逆に悟空がいない所為で、仕事を終えざるを得なかったのか。

意外と三蔵は悟空に対して甘い。
それを本人に言えば、速攻で弾丸が飛ぶのだが。
幼子に勝るものはない、とは本当の事だ。



「三蔵、食べる?」
「いらねぇよ」



そうやってちゃんと返事をしてやるのも。
自分が拾った、この子供だけで。
それ以外なら、質問が聞こえているかどうかも怪しい。

けれど、悟空にとっては当たり前の光景。
だから、人からは存外甘やかしているように見えるのだ。



そうして、たったそれだけで、子供は笑顔を見せてくれる。




































シュークリームを食べ終えた後で。
悟空は満腹からの満足感だろうか。
椅子に座ったまま、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。

隣で煙草を吸っていた三蔵がそれを見つけ。
呆れたように己の養い子を見る。



「寝るなら帰って寝ろ、バカ猿」
「う〜……だって……」



眠たそうに目を擦る悟空に。
三蔵は何を思ったか、煙草を灰皿に押し付けた。



「おや、もうお帰りですか?」
「どーせだから晩飯食ってけば?」
「いらん」



騒がしい夕食はどうやら御免のようだ。
寝惚け眼の悟空の腕を引いて、強引に立たせる。

このままだと、歩きながら眠ってしまいそうだ。
だが三蔵が帰ると言えば、悟空はそれに大人しく伴う。
覚束ない足取りで立つと、三蔵の後ろをついて行く。



「さんぞぉ、眠ぃ……」
「道端で寝たりしたら置いて行くからな」



言われた悟空は、慌てて三蔵の背中にくっついて。
三蔵の法衣を握って、そのまま歩く。

そのまま家から出て行く直前で。
「またね」と悟空は家主二人に笑顔を向けて。
釣られたように、悟浄と八戒の口元も緩んでいた。























夕暮れの道で。
二つの影が、並んで歩いている。

悟空の手は、三蔵の法衣の袖を握ったまま。
その所為で、三蔵は悟空の歩行速度に合わせる羽目になり。
寝惚けている所為で、なかなか前へ進めない。


悟空は置いていかれないように一所懸命に歩き。
そんな養い子を見た三蔵は、小さく溜息を着いてから。
立ち止まって、悟空の手を強引に離させる。

悟空はきょとんとして、自分の保護者を見上げる。
手が離れた所為か、少しだけ不安げな表情で。



「………ったく……」



そんな悟空の頭を、くしゃりと撫でて。

なんで俺が、と思いながらも。
その場にしゃがんでやる。



「ほら、乗れ」
「……え?」
「置いて行かれてぇのか?」



三蔵の言葉に、悟空は勢い良く首を横に振って。
おそるおそる、三蔵の背中に触れて。
重みが安定したところで、三蔵が立ち上がる。


予告もなかった所為で、バランスを崩した悟空は。
落ちないように、必死になって三蔵の頭にしがみつく。

三蔵と言う人物を、よく知るものがこの場にいたら。
今のこの光景を、一体どう思っただろう。

人との接触を極端に嫌う玄奘三蔵が。
養い子が相手とは言え、背に負ってやるなんて。
滅多に見られない光景だ。


だが、悟空にとってはやはり当たり前のこと。

普段は何かと厳しい三蔵が。
ふとした時に、優しくしてくれるのは。



「えへへ……」
「何だよ」
「……なんもない」



これで15だと言うのだから、首を傾げてしまう。
育て方を間違えたかと思う三蔵だが。
多分、拾ったのが三蔵でなくとも同じだっただろう。

なんでもないような事を見つけて。
そして、些細な事でまた笑うのだ。



「シュークリーム美味しかった」
「…迷惑かけてないだろうな」
「うん、大人しくしてたよ」



悟空の返事にどうだか、と呟けば。
これだけの至近距離、やはり聞こえたらしく。
悟空が頬を膨らませたのが判った。

腹いせとばかりに、悟空が金糸を引っ張る。



「……落とすぞ」
「や!」



噛り付くように、三蔵の首に廻された手。
甘えるように、悟空が頬を摺り寄せる。

いつまで経っても、悟空の甘え癖は抜けない。
最大の原因が、自分だとは気付かないまま。
八戒が甘いんだと、三蔵は眉間に皺を寄せた。



「ねー……」
「なんだ」
「…寝てもいい?」
「…………」



意識をなくした者は、意外と重い。
確かに悟空は小柄で、軽い方だと思うが。
それでも眠ってしまえば、その重みは増す。

だが背中から感じられる呼吸は。
既に夢半分、と言った具合で。







「………好きにしてろ」














それから聞こえてきたのは、安らかな寝息。

幼子の寝顔は、今は誰にも見られない。








































俯かないで





笑って見せて







…どんな時でも










キミが好きだから……

























FIN.


後書き