stabilizer









置いていかれるのが怖くて


迷惑をかけているのが嫌で


弱い奴だと思われたくなくて














だけどやっぱり、あなたがいないと駄目なんだ














お願い、離れて行かないで





























































「おい猿、大丈夫か?」



悟浄がそう言ったのが聞こえた。
なんでもない、と言おうとして喉が引きつったのが判る。

声を出せそうにない。
首を横に振って、笑って誤魔化した。
それを見た悟浄は、何も言わずに吸っていた煙草を消した。


助手席の方を見てみれば。
目映い金糸が煌いていて、眩しかった。
大好きな金色に、綺麗だな、とぼんやり考える。

いつもの紫煙がない。
どうしてこの人は、知らない振りもしてくれないんだろう。


運転席では、八戒がジープの速度を落としていた。
今は揺れの多い荒れ道を走っている。
その振動を僅かでも緩和させようとしているのだろう。

いつでもこの人は優しいのだ。
言葉にしても、しなくても。



ジープが小さく声を上げた。
なんでもないと言えないから、車体を撫でるだけになった。







さっきからずっと、吐き気が止まってくれなかった。





















何か変なものを食べた訳ではない。
ジープに酔った訳でもない。

妖怪の毒気に当てられた、訳でもない。


理由も判らず、ずっと気分が悪いのだ。



最初はやはり、ジープに酔ったんだろうと思った。
いつもなんともないけれど、たまにはそんな日もある。
けれど、車酔いにしてはなんだか変だと気付いた。

それから今朝の襲撃の所為かと思ったが。
毒関係の攻撃をしてきた妖怪は一人としていなかった。


風邪でもひいたのかと思った。
それなら、尚更三人には言えなくて。
その時はまだ気分が悪いだけだったから、耐えられた。

ちょっと疲れているだけなんだと言い聞かせて。
野宿続きだから、疲れているだけなんだと。



そうして進み、途中で休憩を取る事にして。
少し横になっていれば治るだろうと思って。
ジープを降りた時に、異変がはっきり現れた。

眩暈がして、身体が上手く動いてくれなかった。
それだけなく、直後に酷い嘔吐感に襲われた。


最初に気付いて声を上げたのは、悟浄だ。
崩れ落ちそうになった身体を、慌てて支えられた。

その後は八戒に診て貰って。
三蔵は何も言わなかったが、空気が怒っていた。
迷惑かけたな、と他人事のように考えた。



その後、八戒と三蔵が話し合って。
急いで街へと向かうことに決定した。



















































「………う…」



ほとんど予告もなく襲い掛かってくる嘔吐感。
胃の中に入っている物を全部吐き出したくなる。
けれどそうしても、きっとこれは治まらない。

胸の辺りが熱くて、何かがグルグルと回っている。
横になっても、それはちっとも治らない。



「悟空、水飲みますか?」



前を向いたまま―――恐らくミラーを見ているのだろう。
八戒がそう言った。

悟空は緩く首を横に振った。
水でもなんでも、飲んだ傍から吐き出しそうだった。



「……お前、ちょっと寝てろよ」



真剣な眼差しで、悟浄が言った。
膝貸してやる、と続ける。

気持ちは有難かったが、今は僅かでも動きたくなかった。
座っている状態から、横になろうとするだけで。
頭痛はするし、眩暈は来るし、何故かあちこちが痛い。


そうして動かずにいると、悟浄が溜息を吐いて。
悟空の肩に手を乗せると、ゆっくり横に倒す。

いつも乱暴な癖に、こういう時は優しい。
なるべく衝撃を与えないようにしているのが判る。
こうまでされたら、もう寝るしかない。



「しっかし、なんで急にこうなったんだろうな」



悟空に膝枕しながら、悟浄が前二人に問う。
当然ながら、返事らしい返事は期待していない。

何も思い当たる節がないのだから仕方のない事だ。



「さぁ……土地風にでも当てられたんでしょうか」
「でも昨日までは平気だったんだろ?」



見下ろしながら、悟浄が聞いてくる。
悟空は小さく頷くのがやっとだ。



「発症が遅かっただけかも知れませんよ」
「取り敢えず、土地風だったら、街についても意味ねぇじゃん」
「うーん……三蔵、どうしましょうか?」



会話が飛ぶ中、悟空が見えるのは空だけで。
一応、視界の端で紅が揺れたりするのだが。
それさえ、段々とぼやけていく気がする。

気分の悪さはまだ治らない。
おまけに、どうも睡魔はやってきてくれそうにない。







このまま治らなかったら、やっぱり置いて行かれるのかな。






そう思ったら、勝手に何かが目から流れた。

気付かれてないと、いい。





































街についてからは、悟浄が負ぶってくれた。
三蔵と八戒は、街の出入り口から一番近い宿を選んだ。

取れた部屋は四人部屋。
珍しく誰も文句を言おうとしなかった。


取れた部屋は二階。

階段を上っていく三人を、悟空は悟浄に負ぶわれたまま見て。
早く治さなきゃな……とぼんやりと考える。


何か食べれば治るかな、と思いながら。
食べた傍から、やはり吐きそうな気がした。

眠れば治るかと思ったけれど。
やっぱり睡魔は来なくて、眠れそうにない。
身体はこんなに疲れているのに。



「三蔵、後でお医者さんに来て貰いましょう」
「……ああ、そうだな」
「注射されるかも知れねーぞ、悟空」



揶揄ように言ってきた悟浄の髪を、軽く引っ張った。
と言っても、掴んだだけ、と言った方が正しいだろう。

そんな悟空を見た悟浄は、小さく笑って。
泣くんじゃねーぞ、とだけ言ってから。
また前を向いて歩き出した。



「悟空、ご飯はどうします?」



いつもなら愚問である八戒の台詞だが。
今だけは、聞かなければならないと思ったのだろう。

悟空は小さく首を横に振った。
食べたいけれど、今は食べたくない。
吐いてしまうのも勿体無いし。


部屋に着いて、すぐにベッドに寝かされたけど。
それでも、前触れもなく嘔吐感がやってくる。



「…ぅ、え……えっ……!」
「お医者さん、もうすぐ来ますからね」
「う…………!」



ベッドの上で丸く蹲って、ずっとこうしている。
八戒が優しく背中を擦っていた。

なんだか子供扱いされているようだけど。
いつもそうされると、落ち着くから。
悟空もその手と声を、感受していた。


三蔵は別のベッドに腰掛けていて。
時折、煙草に手を伸ばそうとするのだが。
結局それは、途中で留められている。

別に吸ったっていいのに。
そう言ったら、多分「バカ猿」と言われるだろう。


念の為、と置かれている洗面器は。
今の所、なんの役目も果たしていない。

けれど、嘔吐感があるのに吐けない、と言うのは。
意外と喉の奥が辛くなるのだ。
ひり付く痛みがいつまでも残る。



「医者、連れてきたぜ」



静かに扉を開けた悟浄は。
肩で荒い息を繰り返していた。









診察中も、嘔吐感は容赦なく襲ってきて。
八戒に言われて、何度も呼吸を落ち着けるよう努めて。
なんとか、落ち着くようにはなったけれど。

何時間もこの状態が続いていたからか。
喉の奥が、まるで切れたように痛み出した。



「大方、毒草の葉で切ってんでしょうな」



悟空の左腕を見て、初老の医者が言った。
医者が見る所には、薄い切り傷がある。



「旅の途中でしたな。昨日は野宿で?」
「ええ。前の街から遠かったもので…」



事実、さほど遠いと言えなくもないが。
徒歩ならともかく、ジープなら一日あれば着く距離だった。

それが出来なかったのは、他でもない妖怪の襲撃だ。
昼夜問わずに襲ってきて、まともに進めなかった。
今日は朝一番の襲撃だけで終わったが。



「寝ている時に切っちまったんでしょうな」
「治りますか?」
「ちょっと時間がかかりますな、此処まで酷いと」



状態がこれほど酷いのは珍しい、と医者は言った。
普段は吐き気と眩暈が数時間続くだけなのだそうだ。

だが、悟空はその感覚を覚えてから随分経つ。
治まるどころか、悪化しているようにも見受けられる。



「あまり効果は期待出来ませんが、中和剤をお渡ししておきましょう。これ以上に酷くなるようなら飲ませてやってください」
「ありがとうございます」



言って八戒に渡された粉末剤をベッドの上から見て。
苦そうだな、と悟空はぼんやりと思った。
















「………やだ」





目の前に出された粉末薬を見て。
悟空は引き攣る喉で、なんとかそれだけを捻り出した。

それを聞いた三人は、やっぱり、という顔をする。


悟空の容態はあれから酷くなるばかりだった。
嘔吐感は止まらないし、その所為で嫌な汗が出て。
喉を変に圧迫するものだから、ヒリついた痛みも強くなる。

おまけに、ついさっき胃液を吐いた。
流石にこれは放って置く訳には行かないだろう。



「大丈夫ですよ、苦くないですから」
「……ぜった、…うぞ……」
「後で飴ちゃんやっからよ」



明らかに子ども扱いをする悟浄の台詞に。
悟空はムッとしてそちらを睨みつけるが。
金瞳の光は、なんとも頼りない物だった。



「我侭言ってんじゃねぇよ、さっさと飲め」
「………や……ぅ…えっ!」
「ほら………ね?」



困ったような顔で、八戒は粉末薬と水を差し出す。
しかし、悟空はそれに手を伸ばさない。




「絶対、やだっ!!」




出来る限りの大声で、そう宣言した後。
悟空は、布団の中へと潜り込んでしまった。


完全に隠れてしまった悟空を見て。
八戒は溜息を吐くと、薬を机に戻した。

どうしましょうか、と三蔵を伺うと。
放って置け、と言外に告げられた。
この様子では、それしか選択肢はあるまい。


時折、くぐもった声が聞こえるけれど。
暑苦しさを無理に耐える必要もなかろうに。
悟空は、一向に出てくる気配を示さない。

だいたい、薬とは往々にして苦いものだ。
良薬口に苦し、という言葉もある。


それでも悟空は、飲むのを嫌がる。



「じゃあ、僕はちょっと買い物に行って来ます」
「ああ」
「悟浄、荷物持ち」



してくれますよね? と完璧な笑顔の八戒に。
悟浄はしばらく硬直していたが。
やがて渋々と椅子から立ち上がった。

二人が扉へと向かうのが、布団の中の悟空にも判った。



「悟空」



ドアノブに手をかけながら。
八戒は、悟空の方へと向き直る。



「今より悪くなるようなら、今度はちゃんと飲んで下さいね」



それから、返事を待つ事もせず。
扉はすぐに、閉められた。













布団の中で、悟空は必死に耐えていた。
八戒や医者の言うとおり、薬を飲めば少しは楽になるだろう。
けれど、悟空はそれに頼りたくなかった。

苦いのが嫌、というのも確かだけれど。
薬に頼らなければいけない、というのが最大の理由。


自力で治せるものではないだろうけど。
この程度なら平気なんだと、思いたいから。

自分が人より体力があるのは判っている。
病気に対する抵抗力が強いと言うのも。


でも。




(マジできつい………)




今回ばかりは。


それでも、やはり薬を飲む気にはなれない。
あれが錠剤だったら、まだ我慢できたのに。
何故よりにもよって粉末なのだろう。

こんな事だから悟浄に子供扱いされる上に。
いつまで経っても、気持ち悪さが消えないのだ。


いっそ、意識が飛んでしまえば楽になるのに。






そう思っていたら。

何かが、布団の上から頭に触れた。







触れているものがなんなのか。
直接見なくても、悟空には判った。

八戒と悟浄は部屋を出て行ったし。
ジープは外で車の姿で待っている。
消去法で行くと、選択肢は一つしかない。


でも、そんな風に順番に考えなくても。
悟空の頭の中には、たった一人しか浮かばない。



「……ガキだな、テメェは……」



呆れた声は、やはり三蔵のもので。
ぽんぽん、と頭を優しく叩かれる。

触れたその箇所が暖かい。
ほんの少し、気分が収まっていく自分に気付いて。
現金な自分に、悟空は小さく笑った。



「……もう寝てろ」



額に触れる手は離れない。
それだけで随分、楽になった気がする。

また嘔吐感が来る前に、悟空は寝る事に決めた。
三蔵が触れていてくれたら、きっと眠れると思う。


起きるまで、このままでいてくれたら嬉しいけど。
流石に其処まで我侭を言う気にはなれなかった。

今だって十分甘やかしてくれているのに。
これ以上を強請ったら、ハリセンで叩かれそうだ。
だから心で願うだけに留めて、瞳を閉じた。



意識は、すぐにまどろみの波に浚われた。





























































目覚めた時には、既に陽が落ちた後だった。

瞳を開けた途端に襲ってきた嘔吐感を堪える。
これ以上胃液を吐くのは御免だった。


それでも、眠ったからだろうか。
ほんの少しだが、気分が楽になった気がする。

ゆっくりと起き上がって、窓の外を見た。
今日は新月なのか、それとも雲の所為か、月明かりがない。
街頭などない町並みは、暗く静まり返っていた。



(……喉渇いた……)



そう思い、悟空は部屋を見回した。
確か八戒が、薬を飲む為の水を置いていた筈だ。

薬は飲む気になれないが、水は欲しかった。



「……………?」



部屋の中は暗くて、物がシルエット程度にしか判らない。
夜目は利く方だと思うのだが。

おまけに眩暈もするものだから、物が識別できない。



(……三蔵がいたら………)



煙草を吸いにでも行ったのだろうか。

こんな深夜に、とも思うが。
今日一日、自分の所為で煙草を吸えなかったのだ。
ヤニがとっくに切れていても可笑しくない。

けれど。
一度思ったら。






逢いたくなった。






そう言えば、他の二人は何処に行ったのだろう。
今日は四人部屋なのに、誰もいない。

ひょっとして、置いて行かれたのだろうか。
可能性がない訳ではないから、一気に不安が募る。



(やだ………!)



探しに行こうと、ベッドから降りて。
歩こうとしたら、急に地面が揺れた。

正確に言えば、平衡感覚をなくしていて。
悟空はそのまま、床に倒れこむ。



「ぅ……うぇっ……えっ……!」



また一気に気持ちが悪くなってきた。
治まっていたはずだったのに。

吐き出した胃液が、床を汚した。
トイレに行く気力もない。
起き上がる事も出来そうになかった。




誰もいないから。
暗い場所で、一人だから。

三蔵が、いないから。




そんな事ばかりが頭の中を支配する。
胃の中に何も入っていないのに、吐き気ばかりが襲って来る。

大人しく薬を飲んでいたら、こんな事にならなかったのか。
子供みたいな我侭を言わなければ。



「……あぐ……ぇっ……」



涙が零れてくる理由が判らない。

苦しいからなのか、一人だからなのか。
どちらも合っているような気がするけれど。
判った所で、治まるわけでもない。




もう我侭は言わない。
苦い薬も我慢する。

だから。









「さんぞぉ………!」



















一人に、しないで。



















「何やってんだ、バカ猿」




いつもより、ほんの少し優しい声音。
それには多分、呆れた感情も含まれていると思う。

振り向く前に、抱き締められた。



「さ…ぞ、ぉ……」
「ったく……大人しくしてられねぇのか、テメェは」



ひょいっと急に浮遊感に襲われた。
一瞬、どうしたんだろうと思ったが。
背と足に当たる腕の感触と、三蔵の顔が近い事に気付いた。

まだ気分の悪さは収まっていないけれど。
少し楽になった気がする自分に、現金だな、と思った。


三蔵の服からは、煙草の匂いがしなかった。
こんな時間に何処に行っていたのだろう。
八戒達と、明日どうするかでも話していたのだろうか。

それなら、夜が明けるまでに治さなければ。
これ以上、迷惑をかけてはいけない。



「さ…んぞ……」
「なんだ」
「………くすり……」
「苦いのは嫌いなんだろうが」



確かに、嫌いだ。
でも、三蔵達をこれ以上手間取らせたくない。

八戒にも我侭を言って、悟浄にも心配をかけて。
そして今、三蔵に抱きかかえられて。
自分で歩く事も出来ないなんて、そっちの方が嫌だった。


ベッドに下ろされ、布団をかけられる。



「きらい…だ、けど……」



吐き気を我慢しながら、言葉を紡ごうとすると。
三蔵がもう喋るな、とばかりに頭を撫でた。

それから三蔵は、悟空の傍から離れると。
八戒が置いたままにしていた机の薬を取る。



「悟空、目ぇ閉じてろ」



言われて、一瞬きょとんとした。
薬を飲むのに、何故そんな必要があるのだろう。

けれど、紫闇に逆らう気などないし。
折角三蔵が優しいのに、機嫌を損ねるのも嫌だし。
悟空は大人しく、金色の瞳を閉じた。




―――――すると。














苦い味と、息苦しさと、
………甘い感覚に包まれた。


気持ちの悪さは、もうなかった。



































あなたが一緒にいてくれるだけで

あなたが触れてくれるだけで





もう怖いことはなくなるから











ほんの少しでも、どうか離れないで

怖くて怖くて、嫌だから
















どうか、このまま………――――――
















FIN.


後書き