わたしは幼い頃から父親の仕事の関係で、一定の土地に長く住んだ事がない。
幼稚園の頃に2回、小学校は4回、中学校は2回…そして、高校3年になった今年の春先に、また新しくこの土地に引っ越してきた。
母を小学校高学年の頃に亡くしたわたしは、父子家庭。
それまでにも、父は仕事が忙しい人だったけれど、母が亡くなってからは更に仕事人間になってしまって…おまけにわたしに対してすごく厳しい人になってしまった。
勉強に対しても、生活態度にしても。
母が生きていた頃は、笑いの絶えなかった温かい家庭だったのに。
今では、閑散とした静かな空間で、半分一人暮らしのような生活に変わってしまった。
何が父をそんな風に変えてしまったのかなんて、この頃のわたしには分かるはずもなく
ただ、わたしは従順に父の言葉に従い、『いい子』でいる事が精一杯だった。
そんな境遇からか、わたしの持って生まれた性格からなのか、人と話すのが苦手で、すごく人見知りが激しい。
数々の転校と、自分のその疎ましい性格が災いして、この18年間生きてきた中で親しいと呼べる友人はおろか、自分の記憶の中に残る「誰か」という存在がわたしにはいない。
そういう人生って寂しいかも…と、思いながらも、仲良くなったところでまた引っ越さなければならないのかと思うと、別に取り立てて頑張って友達を作るような事をしなくてもいいか。とも思えてくる。
第一、話すの苦手だし。自分から切り開くなんて絶対に出来ない。…そう、思い込むようにしていたのかもしれない。
だから、わたしは学校の中では極力目立たないように、話しかけられないようにと、いつも自分で自分の周りに壁を作って存在を薄くしてしまっていた。
今のこの高校に転入してからも例外なく…いや、更に壁を作ってしまったわたし。
今までに転入した学校は、私立の中でも割合レベルの高い学校で、第一に『学問』を優先するようなところばかりだった。
だけど、今回この時期に転入を許可してくれる高校がこの地域にはなかったらしく、唯一受け入れてくれたのが、通い始めたこの私立高校。
父は、わたしがこの高校に通うことを最後まで渋っていたみたいだった。
それは何故かと言うと、わたしが通い始めたこの高校は、県下でも随一堕落した生徒が多い事で有名だったからだと思う。
規律の厳しい学校から、一転して自由な校風の学校へと環境が変わったわたし。
苦渋の決断をした父に従い、この高校に通うこととなったわたしは、戸惑いと、不安と、孤独との戦いだと思っていた…。
わたしは、自由な校風のこの学校で、極力目立たないようにと、肩まで伸びた真っ黒な髪の毛を後ろで一つに束ねているし、目も悪くないのに黒淵の伊達眼鏡をかけている。
無口で存在が薄く、地味なわたし。
そのお陰からか、転校初登校日には数人の女の子が話しかけてきてくれたけれど、それも2週間後の今となっては、わたしに話しかけてくれる人はいなくなった。
きっと、根暗な人間だと思われているだろうな。
でも、その方がいい…喋らなきゃ。って気を使うよりも、敬遠されてた方が、わたしも気が楽だったりするし。
どうせ1年も経たないうちに卒業で、みんなの記憶から「後藤雪菜(ごとう ゆきな)」という存在は消えてしまうのだから。
そうして、誰かと関わる事を避けていたわたしは、クラスの中では「浮いている存在」で。
ある意味「目立つ存在」でもあったかもしれない。
存在はあるけれど、存在がないも同然のわたしは、いつもどこでだって一人だ。
それが如実に現れるのが昼休み。
どこの学校でもそうだったけれど、お昼休みはみんなグループで輪になって昼食を取る。
当然友達のいないわたしには、一緒に食べてくれる存在などいるはずもなく… いつものように、いくつかの机の塊ができた間を通り抜けて、一人、自分で作ったお弁当を持って裏庭へと向かう。
裏庭の日当たりの良い花壇の縁に腰を下ろして昼食を取るのが、この高校に来て2週間経ったわたしの日課だ。
何が入ってるのか分かりきってるお弁当の中身。
それを一人細々と裏庭で食べるわたし…この上なく味気ない。
いつものように半分以上中身を残して、お弁当の蓋を閉じた所で、ふいに背後から声がかかる。
「…なぁ、それもう食わへんの?」
未だに慣れないこの関西弁。
関東生まれで、関東圏で引越しを続けてきたわたしにはどうしても異質なもので、それも自分の周りに壁を作らせてしまっている原因かもしれないと最近思う。
聞きなれない言葉に戸惑いつつ、その声の方へと顔を向ける。
視線を向けた先には、どこかで見たような男の子が、白い歯を覗かせて立っている。
背は…175cmぐらいで細身。
金髪に近いくらいの色に染めた短い髪。
着崩した制服の胸元にはシルバーのアクセサリーが垂れ下がっていて、耳には幾つかのピアスがついている。
顔は結構整っていて、凛々しい眉に少し上がり気味の切れ長の目からは、気が強そうなのが窺い知れる。
スッと筋の通った高い鼻。
少し薄めの形のよい唇。
どこからどう見ても不良……あ、いや。
この学校じゃこれくらいは当たり前かな。
でも、見るからに【カッコいい】と代名詞がつきそうなほどの容姿を持つ彼が、わたしに声をかけてくるだなんて、どういう事だろう?と、不思議に思いながら、また視線をお弁当に移して布巾で軽く包む。
「もう…お腹いっぱいだから」
視線も合わさず、単刀直入に、短い言葉を告げて口を閉じる。
大抵の人は、このわたしの態度に若干の不満感を抱きながら去って行くのに、更にその彼は、わたしに向かって話しかけてくる。
「えー、なんで?勿体無いやん。その弁当、めちゃウマそうやったのに」
「そんな事言われても…お腹いっぱいだから」
「そうなん?だったら残ってるやつ、俺にくれへん?さっきメシ食ってんけど、な〜んか物足りへんかってん」
「え…それって…食べかけの物を欲しいってこと?」
「あかん?」
あかんって…ダメなの?ってことだよね。
頭の中で、自分に分かるように語句を変換しながら、小さく返事を返す。
「ダメ…じゃないけど…美味しくないよ?わたしが作ったお弁当…だから」
「うっそ!それ後藤さんが作ったん?すげーやん。ダメじゃないなら頂戴や」
彼はそう言って、人懐っこい笑みを浮かべてわたしの隣に断りもなく、どかっと腰を下ろすと、掌をこちらに向かって差し出してくる。
なに…この人。
しかもわたしの名前…後藤さんって…
「ど…して、わたしの名前知ってるの?」
「は?どうしてって…同じクラスやん。なぁ…まさかとは思うけど……俺の事…」
「ごめん…知らない…かも」
同じクラスだったんだ…通りでどこかで見た顔だと。
申し訳なさげにそう謝ると、隣の彼は、えぇ!というように体を引いて、オーバーリアクションをして見せた。
これって関西人…だから?
「うわっ。マジで?めっちゃショック!!俺、後藤さんが転校して来たその日に名前覚えてんで?」
「あ…ごめんなさい…」
そんな事言われても困るんですけど…
あなたの対象はわたし一人かもしれないけれど、わたしにしたら対象はクラス45人。
ただでさえ人と関わらないようにしているわたしに、それぞれの名前と顔を一致させろという方が難しい。
小さく謝るわたしに対して、彼はコロコロとおかしそうに笑った。
「そんな、何べんも謝らんかてええって。しゃーないやんな?まだ転校してきて2週間程度やもん。クラス全員の名前を覚えてなくても仕方ないわ」
いや…その全員覚えてないんだけど。
と、さすがにそれは言えなくて、ただ黙ってじっと地面を見つめていた。
すると彼は私の顔を覗きこみ、ニコッと白い歯を覗かせる。
この、気の強そうな表情から、一変して人懐っこそうに見えた表情と、彼の耳朶から細く垂れ下がって揺れている、シルバーの羽の形をしたピアスが印象的だった。
「俺、本郷武則(ほんごう たけのり)。みんな俺のこと『タケ』って呼ぶし、後藤さんもタケって呼んでええで?」
「はぁ…」
「で。その弁当、もろていい?」
「え?あ…あぁ、うん。いいけど…味は保証できないよ?」
「ええよ、ええよ。俺、購買のパンばっか食ってるから、そういう手作り弁当の味に飢えてんねん」
わたしが躊躇いがちに差し出したお弁当箱を嬉しそうに受け取ると、そのタケと言う男の子は嬉しそうに笑って蓋を開ける。
「うわ〜。めちゃウマそうやん!しかも、半分以上残ってる…こんなちっこい弁当箱やのに半分も食ってないなんて、午後から腹持つか?」
「ん…いつもの事だし」
「そやからそんな華奢やねんで?もっと食わな倒れてまうで」
そう言いながら、わたしの使っていたお箸箱からお箸を取り出し、おかずのから揚げを摘んで口に含む。
「あっ!ちょっと…」
「ん?」
慌てて声をかけた時にはもう遅かった。
今さっきまで使っていたわたしのお箸は、もう彼の口の中に入っていて。
わたしは若干頬を赤く染めながら、ううん。と、首を横に振る。
それに少しだけ首を傾げてから、彼はまたニッコリとした笑みを向けてきた。
「すっげ。激ウマ!!なにこれ、このから揚げって冷凍モン?」
「ううん…家で揚げたヤツ」
「後藤さんのお袋さんが揚げたとか?」
そう。母が作ってくれた唐揚げが大好きだった。
それに少しでも近づけるようにと、唐揚げだけは毎日と言っていいほど作っているわたし。
それを美味しいと言ってもらえて若干私の顔が綻ぶ。
「…わたしが味付けして揚げたの」
「マジで?すげえな。めっさ美味いわ。あ、じゃあ、この玉子焼きも自分で作ったん?」
「うん…そう」
「へぇ!これもめちゃめちゃウマい!!これは?この、ウインナー」
「そ…れは。さすがに…焼いただけだけど」
「やろうなぁ?こんなん作れたら尊敬するわ」
知ってましたと言わんばかりに、彼はおかしそうに声を立てて笑う。
そんな姿を見ていて、不思議と自分の顔からも笑みが少しだけ洩れた。
なんだか変な人。って。
「あ!初めて笑(わろ)たな。後藤さん、いつもそうやって笑(わろ)てたらええのに。めちゃ可愛いで?」
「……へ?」
突然のその言葉に、一気にわたしの頬がボッと赤く染まる。
なに…この人。
突然そんな事言うなんて…。
やっぱり、関西人って軽いのかな。
わたしのその様子にクスクス。と笑いながら、彼は言葉を続ける。
「それに…なんで目も悪ないのにそんな黒淵のでっつい眼鏡なんてかけてんの?それこそ可愛い顔を台無しにしてんで?」
「な…んで…」
「ん?なんで知ってるんか、って?俺も目、悪くて眼鏡かけてんねん。学校じゃコンタクトやけどな。そやし、分かるねん。その眼鏡に度が入ってなくて、ダテやって事。なんでそんな事してんの?」
誰にも気付かれていないと思っていただけに、その事を指摘されて急激に恥ずかしい気持ちが湧いてくる。
なんで?って言われても…
こうして眼鏡をかける事で、少し自分と周りとの壁が出来たように感じたから。
とは、わたしの口からは出てこなかった。
じっと黙ったまま地面を見つめるだけのわたしに、彼はケラケラと笑いながら肩をポンポンと叩いてくる。
「ま、色んな事情があるわな。ごめんな、変な事聞いて。ケド、眼鏡外した方がいい事だけは言うといたるわ。人気者になるで?」
「そ…んな。人気者にだなんて…なりたくない」
「ん?なんで?」
「どうせ1年も経たないうちに卒業で、僅かの間存在したわたしの姿はいずれみんなの記憶から消えるもの…だったら、最初から残らない方がいい」
「んな寂しい事言うなや。そんな事ないって、いっぱい友達作っていっぱい思い出作ったら、ずっと記憶には残ってんで?」
そう言って笑う、その笑顔が凄く眩しかった。
わたしのこの態度を見ても、変わらずに笑顔を向けて話してくれる彼。
彼から言われた言葉に、グッと締め付けられるように、胸が痛む。
「苦手っ…なの。そういうの。わたし、小さい頃からずっと転校を繰り返してきたから、友達を作るとかって…。どう接していいのかも分からないし」
ボソボソっと小さく呟くわたしに対し、彼は最後のひとかけらの白ご飯を口に頬張ってからお弁当の蓋を閉めると、それを飲み込み、徐に口を開く。
「ほな、俺とツレになろうや」
一瞬、言葉の意味が呑み込めなかった。
「…ツレ?」
「そ。友達になろうやって事」
友達って…
「え…なんで?」
「なんでって、ツレになんのに理由なんていんの?」
きょとん、と首を傾げる彼を見て戸惑ってしまう。
そう改めて言われると返答にも困るし。
理由なんているの?って…理由なんていらないの?
返答に困っていると、彼はまたケラケラと笑って、わたしの顔を覗きこんできた。
その反動でピアスが揺れて、太陽に照らされたそれがキラっと反射する。
「嫌か?俺と友達になんの」
「え、そんな…嫌じゃ…ない、けど…」
嫌かと聞かれて、面と向かって嫌だと言える人はそうそういないと思う。
戸惑いつつもそう答えると、彼はニッコリと笑って頭をクシャクシャッと軽く撫でてきた。
初めて触れられる両親以外の感触に、思わずドキッと胸が高鳴る。
「ほな、決定。今から俺と後藤さんはダチって事で。宜しくな!」
「え、あ…あの、宜しくお願いします…?」
条件反射的に返事を返すわたし。
なんでこんな展開になっているのか分からなかったけど。
転校してから2週間経った今日。
この学校で…というより、学生生活においてのわたしの第一号の友達が出来たらしい。
そしてこのタケとの出会いが、わたしの今後を大きく揺るがす事になるだなんて、この時のわたしは思ってもみなかった。
「じゃあ、お友達記念って事で。明日、俺に弁当作ってきてーや」
「……え?」
「いやほら、めっちゃ美味かったし。明日も食いたいなぁ、なんて?」
「…えと…」
「一個作るんも、二個作るんも変わらんやろ?」
「あの…」
「めっちゃ楽しみに待ってっし!」
「………え…でも…」
「約束。なっ?」
「う…ん…?」
初めて出来たわたしのトモダチ…本郷武則君。
この僅かな間に知りえた事は、彼は「タケ」というあだ名だという事。
わたしとは対照的に、人懐っこく人見知りをしないらしいという事。
不良っぽく見えて、意外に優しい人かもしれないという事。
笑った顔が太陽みたいに眩しく見える事と…そして。
少しばかり強引だという事。