<第二話>

 窓から、山の向こうに夕日が沈んでいくのが見える。少し離れた場所に同じような別荘が数軒あるだけで、周囲には緑濃い木々しかない。その深い樹木も、夕日が沈んでしまえば、きっと深い闇に沈んでしまうだろう。

 

 

 イッテイラッシャイナ。

 オトウサマノコトハシンパイナイワ。

 ソウ、コッチノコトハダイジョウブ。

 マナブサン、ドウゾユックリシテキテクダサイ。

 マナチャントイッショニ。ウフフッ。

 

 

 義母はそう言って学を送り出した。そのかたわらで父親は、茫漠とした笑顔を浮かべているだけだった。毎夜のように、同居している学など気にも止めないように躰をつなげ合い、よがり狂う父と義母。父親はもはや、ピアノ調律師としての仕事以外は、美しき妻とのセックスのみに生きているようなものだった。

 

「せんせーい!ちょっと手伝ってもらえますか?」

 階下から、弾んだ声で呼ぶ声があった。振り返り、返事をする学。両親が置いていった食材で、夕食を振舞ってくれると意気込んでいた、真奈美。

「あ、今行くよ」

 別荘と言っても、普通の民家の大きさしかない。しかし、こんな高級別荘地に建っているのだから、予算もかなりかかっているはずだ。真奈美の父親は、中堅光学機器メーカーのオーナーだと聞いている。いま学が下りている階段も、高級な木材をふんだんに使ったものだ。

「真奈美ちゃん、どうしたの?」

 綺麗に整理されたキッチンの中で、真奈美の周辺だけが食材で散らかっている。「料理は得意」と言っていたが、まだまだ十二歳の女の子では、片付けながらの調理まではまだ無理らしい。しかしそれが学には微笑ましかった。

「あの……から揚げを見たいんで、サラダ用の野菜切ってもらっていいですか?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、おねがいします!」

 ちょっとはにかむようにしながら、真奈美が笑う。

 この幼い少女のどこに、昼間川辺で見た妖しい魔性が隠れているのだろうか。

 幻なのかもしれない、と思う。きっと、初夏の強い日差しに浮かび上がった、陽炎なのだ、と。

「どうしたんですか?」

「う、ううん。なんでもないよ」

「ふーん……はい先生、包丁ですよ」

 今はとにかく、この美しい少女と楽しい時間を共有できることを喜びたい。

 みずみずしい野菜を、切れ味のいい包丁でザクザクと切っていく。すぐ隣では可愛い鼻歌でから揚げを見つめる真奈美がいる。皮肉にも、あの川辺でついた嘘のように、まさしく仲の良い兄妹のようだ。

「へえ……先生、野菜切るの上手ですね!」

「うん。今の母親がうちに来るまでは、僕が料理を作っていたからね」

「すごいすごい!」

 まるで手品に見入るように、そばに寄って学の手元を見つめた。

「そんなにたいしたことじゃないよ。普通に切ってるだけだし」

 そう言いながら、学は手を休めることをしない。真奈美が褒めてくれることに、ちょっと得意げになっている。

「ううん!わたしなんかゆっくりなら出来るんですけど、ちょっと早くしようとすると慌てちゃってすぐ指を切っちゃうんです」

「指?指なんてもうずっと切ったことないなぁ。もしかして真奈美ちゃん、料理ヘタなんじゃないの?」

「もう!そんなことないですよ、ひどい!」

 むくれた顔は、まさしく幼い女の子そのものだ。そんなあどけなさが、学の周辺で起こっている夢と現の境界を危うくしていく。

 そして、その心の揺らぎは。

「あ痛っ!」

 指を、切った。

「きゃっ」

 すぐそばの小さな悲鳴が、自分の指先の痛みより、心をささくれ立たせた。

 恥ずかしさ、痛さ、真奈美に心配をかけさせてしまうといった複雑な感情が入り混じり、学は必要以上に狼狽する。

「やばい、絆創膏とか……」

 小さく呟きながら、キッチンからリビングを振り返った瞬間。思いのほか傷が深いのか、指先から学の赤い血の粒が飛び散った。

 キッチンのフローリング、シンクの扉、ステンレスの天板を染めたあと、学の血は隣に立っていた真奈美の白いTシャツを汚す。

「うわ、ごめん」

 また学は、痛みや止血など忘れ真奈美を慮った。

「先生」

 だが。真奈美は。

すっと学の手首を取り、まだ鮮血が滴るその指先をその小さな唇で覆った。咥える前、また数滴の血滴がTシャツの胸元を汚したが、そんな事になどまるで気にも留めずに。

「ま、真奈美ちゃん」

 ひどく自然に行われたように見えたその行動も、やはり慌てた結果なのだという事を、学は真奈美の口の中の動きで悟る。

 学の傷口を必死に吸う口内は、全体的に小さく震えていた。他の手段など思い浮かばなかったのか、美しい少女は男の止血のため、必死に自らの口のその指を咥えたのだ。

「真奈美ちゃん、大丈夫だから。もう、大丈夫だから」

 何度囁いても、真奈美は学の指先を離そうとしない。だから余計に、罪悪感が募る。

 

 真奈美ちゃんの服を汚してしまった。真奈美の服を汚した。真奈美を、汚した。

 

 酷く長い時間、その行為は続いていたように思える。真奈美は学の指を必死に吸い、学はただただその光景をずっと眺めていた。自分の血で汚れた少女が、自分の指先を舐めしゃぶる光景を。

「ダメ、だ」

 また妄想の世界へと没頭しそうになった。学はその限りなく無音に近いその空間の中で、微かにリビングの時計の音を聞いて、我に返った。

 強く腕を引いて、指を唇から抜いた。濡れた音と甲高い空気音が同時に鳴り、止み、今度は真奈美の小さな息遣いだけが部屋に響いた。

「先、生」

 真奈美のまっすぐな瞳が、学の顔を見上げ凝視する。口の端に、まだ赤い液体の残滓が薄く広がっている。

「血、止まりましたか……?」

「ああ、うん。大丈夫だよ」

 実際は、まだ傷口から少し血が滲んでいる。ただ学は、この場をなんとか取り繕いたかった。

 いたいけな少女に指を舐められ、ひどく淫猥な妄想に包まれそうになった自分をこの場から逃したかった。

「あぁ」

 なのに目の前の少女は、それを許してはくれない。

「不思議、ですね」

「……え?」

 返事をしてしまった。

「ただ、先生がケガしたから……指を舐めただけなのに」

 表情に一点の曇りもなく。ただじっと、その真摯な眼差しを少しだけ潤ませて。

「身体が熱くなって……その……不思議な気持ちに、なっちゃって」

 高いけれど小さな声。なのに、学の心にいやに低く響き渡る。

 射るように見つめる瞳が痛くて、ほんの少しだけ視線を逸らした学。

 そこで、ひどく自然な動きで、油の滾り始めたコンロのスイッチを切る真奈美の指先が見えた。

「真奈美、ちゃん」

「……この熱さは、怖いからじゃないです、よね」

 真剣な表情のわずかな変化。唇に宿った、誘うような笑み。

「……」

 ついに学は、言葉を紡ぐ事ができなくなった。真奈美の舌先が、さっきまで自分の指を這っていた舌先が、ほんの少しだけ唇を舐める光景が、ひどく淫猥に思えたからだ。

「先生も」

「……?」

「先生も、熱くなってくれてる、かな……」

 少女の指先が、自分のどこにたどり着いたか。衝撃的なその事実を理解しても、やはり学は呻き声すら上げられなかった。

 

 

 暗い部屋でも、ベッドの上でも、夜が完全に更けたわけでもない、その場所。少女の頭越しに見える大きな液晶TVをつければ、騒がしいバラエティ番組が花盛りであろう、そんな時間。ただ、もちろんTVは沈黙し、ひどく小さな2つの音だけがその場所では響いていた。

「……ん、ふ」

 その1つは、美しい少女 真奈美が口の端から洩らす声。

「……う、あ」

もう1つは、その少女が洩れる声に構わず熱中する行為に、男が喉の奥から唸る声。

少女は、真奈美は。

男を、学を。

舐めている。ただ、漠然と、その辺りを。

「あ、ううっ……真奈美、ちゃん」

 学が時折上げる悲痛な声が、真奈美に届いていないはずはない。なのに真奈美は、ソファーに寝そべり下半身を露わにして身悶える大人の男の腰にただただ手を沿わせて、ただただ舌を這わせている。

 敏感な肌を濡らし辿りながら、その肌の中央で歪に脈打つ肉の柱の存在など、まるで気づかないかのように。

「んっ、ん、ちゅ……ん、ふ」

 だから学は、たまらない。

 

センセイヲ、ナメタイナ

 

 つい先ほどキッチンでゆっくり動いた真奈美の唇。そこで想像した淫らな行為と今の現状は、見た目それほど乖離はない。しかし、全く同じでもないのだ。

 全身を襲う緩い快感と、それ以上のきつい焦燥感。

大人の余裕や倫理観などを脱ぎ捨て「そこを舐めて」と遠慮なく叫んだり、華奢な少女の首筋を乱暴に掴み無理やりしゃぶらせる事も可能なのだ。静かだが明るい別荘のリビングは、そんな妄想を呑み込む場所として最適とさえ思える。

なのに、学はそうできない。たまに腰にある少女の手が思わせぶりに動いても、猛った先端を舐めてと言えない。命ぜられない。

「せん、せ……んふっ、熱い」

「あ、真奈美、ちゃんっ……あ、あうう」

 少女と男の、奇妙な声の混じり合い。そんな中で、学はふと思い出す。

 初めて出会い、セックスをしたあの家。あのリビング。

 バスルームから出てきた真奈美は、学の怒張を見て、興味ありげに触れ、弄り、そして放出させた。

 真奈美は、そこへの愛撫を知らないはずはないのだ。なのに真奈美は、そこを舐めない。触れようとさえ、しない。

「まな、み、ちゃ……く、ううっ」

 俺はまた、この女の子に惑わされている。ひどく清楚に見えるのにも拘らず、纏う空気はそこはかとなく淫靡な、この美しき少女に。

「ん、ふふ……っ」

 腰に張りつくその表情は、学からは見えない。黒髪と長い睫毛と唇と舌先しか、見えない。だからこそそこから聞こえる少女の濡れ声が、小悪魔的な嘲笑に思えて来る。

「あう、はあっ……くう、うううっ」

たまに、そこにある毛さえ絡め取られる。下半身はもう真奈美の濡れ舌でびしょびしょのはずだ。

このままそのあたりを舐め続けられていても、もしかしたらいつかは絶頂し放出できるかもしれない。だが、しないかもしれない。

少女の姿をした悪魔の、地獄の責めのような行為。尻尾に巻きつけられたまま、永遠に絶頂寸前で留め置かれるかもしれない、恐怖。

「あ、ああっ……真奈美、ちゃん!」

 汚したくないと、唯一つの思いで耐え続けていた学は、ついに折れた。

「……?」

「舐め、てっ!そこを、そこを……僕の先っちょを、お願いだからっ!」

 強くはない、ただ必死に真奈美の黒髪に手を置いて、叫びながらそれを移動させた。10代前半の少女に哀れに請いながら、唇と先端を近づけさせた。

「舐める……ここを?」

 真奈美は不思議そうな口調で、そこに久しぶりに触れた。あろうことか、人差し指でくりくりと弄ぶように、触れた。

「あ、ああっ!そう、そこをっ……真奈美ちゃんの舌で、舐めてっ!」

 静かなリビングに、大人の男の懇願が響く。ついに少女に認識されたことで、快感を尖らせた学が叫ぶ。

「……うふふ」

 

カワイイ

 

 ひどく恥ずかしい囁きが聞こえた気がした。でも、もうどうでもよかった。念願の、少女の舌が望んだとおりそこに触れたからだ。

「は、ううう……っ!」

 ちろちろと遠慮がちに、ピンクの舌先が自分自身の先端をなぞる。

 快感に任せてしまいそうになるのを堪え、学は瞳を開けこの淫らな、相変わらず霞んで幻かもしれない光景を灼きつけようとした。

 もう明らかに微笑みながら、緩やかに舌を動かす真奈美。その真奈美の黒髪に宛がっているのに、無理強いせずただ撫でる自分の手。

何よりも、ついに叶えられた口淫。一気に湧き上がる快感。

学は、この空間が永遠に続けばと思った。先ほど悪魔のように感じられた少女が行っている行為であるはずなのに、学はこの口淫を受け入れ、身を任せ、永遠を願った。

だが、だが。

その瞬間はあっさり訪れてしまう。永遠であればと願ったそれは、自らの限界で、終わる。

「……う、あ、ああっ!」

「……あ」

 大量の噴出が、先端から溢れる。それはもちろん真奈美の唇に収まるはずもなく、そのほとんどが真奈美の顔に飛び散った。

「あ、あ……熱、い」

「う、う、うっ……真奈美、ちゃ、ん」

 学は真奈美を見る。可憐な顔に張りつく、自らの大量の精液。キッチンで起こった血の粒よりずっとずっとあからさまに美少女を汚した、男の迸り。

 一気に襲ってくる後悔。でも、白濁液に塗れた真奈美はゆっくりと微笑んで。

「うふふっ……先生の、赤ちゃんの素」

 頬に垂れた精液を少しだけ指先で拭い、そして、それを舐めて。

「……美味しい、かも。うふふっ」

 その表情がひどく魅力的で、でも嫌に怖くて。

学は目を閉じ、闇に自分を必死に逃がした。

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