※注‥‥作中に土曜日登校という描写があるのは当時の教育体制の仕様です。
原作の連載当時、公立高校はまだ完全な週五日制ではなく、土曜休みは隔週でした。
私立は地域や学校次第ながら、やはり隔週土曜休みの学校が多めだった模様。
(六芒高校が公立か私立かは不明ですが、まあどっちでも一緒かと)
原作の連載当時、公立高校はまだ完全な週五日制ではなく、土曜休みは隔週でした。
私立は地域や学校次第ながら、やはり隔週土曜休みの学校が多めだった模様。
(六芒高校が公立か私立かは不明ですが、まあどっちでも一緒かと)
◇ アバンギャルドで行こうよ ◇
――その一
学校の帰り、ソードは奇妙な張り紙を見かけた。
筆で書いたようなのたうつ文字は、日本語のように見えなくもないが、文字の形が曖昧で、どうにも判読しがたかった。
しばしその場に立ち尽くしたソードを、数歩先で神無が振り向いた。
「また何か引っかかってやがる。‥‥ソード、何かあったのか?」
「これ、何て読むんだ? 日本語か?」
一旦気になり始めると、ソードはテコでも動かない。神無は癖になってしまった溜息をつき、ソードの側に歩み寄った。
純和風の格子塀に、飾り障子がしつらえてあり、中に半紙が張られている。のぞき込むと、とろりとした筆文字で、『わらび餅あります』と書かれていた。
少し向こうには門があり、渋染めの暖簾がかかっている。どうやらこれは、和菓子屋の品書きであるらしい。
「ああ‥‥なるほど。もうそんな季節か」
「何て書いてあるんだ?」
「『わらび餅あります』」
「ワラビモチ?」
ソードの好奇心が、さっそく別の方に向けられる。
「ワラビモチ‥‥『モチ』ってのは覚えがあるよーな、無いよーな‥‥」
「餅ってのは主に正月に出る食い物だ。美味いからってバクバク食って、咽喉に詰まらせたのをもう忘れたのか?」
「うるせーよ! そんなこといつまでも覚えてんじゃねー!」
小馬鹿にしたような神無の台詞に、ソードは思わず噛みつきかかった。とは云え、流石にみっともない思い出なので、さっさと話題の転換をはかる。
「モチ‥‥そう言や確かコンビニに、『サクラモチ』ってのが売ってたよな」
「ああ。和菓子の一種だから、そっちの方が近いな。桜色で、桜の葉でくるんであるから『桜餅』だ」
「じゃあこいつは『ワラビ』ってもんのモチなのか」
「そうだな」
「『ワラビ』って何だ?」
「ああ、それは――」
わらび【蕨】シダ類うらぼし科の多年草で山野に自生。若芽を山菜として食用にする。
と云うような説明が、束の間神無の脳裏をよぎった。
が、
「‥‥知りたいのか?」
一瞬ニヤリと笑ってから(勿論ソードには見えないように)、にわかに沈鬱に神無は言った。
「な、何だ急に」
「世の中には知らない方がいいこともあるんだがな」
「‥‥テメー、悪魔のオレ様がちっとやそっとのことでビビるとでも思ってんのか?!」
「聞いて後悔するなよ」
「しねーよ! 勿体つけてねーでさっさと話しやがれ!」
「‥‥‥‥‥‥‥」
神無はゆっくりと溜息をつき、さっきソードに引きずられて入ったコンビニの袋を手に遠くを見た。
「‥‥いくら悪魔でも普通、使い魔とかペットにするような、ネコだのケルベロスは食べないよな?」
「ああ、普通はな。グールみたいなよっぽど低級なヤツはともかく」
「‥‥人間界にも、貴重な保護動物ってのがいてな」
「? ああ」
「だが、増えすぎると害になったり、環境に問題が出たりする場合は、期間や数を決めて間引きしたりすることがある」
「‥‥で?」
「そう云う動物の肉や毛皮なんかは、それこそ期間・数量限定で出回ることがあるのさ。大体は地元だけらしいが、たまには外国にも輸出される」
「‥‥それが何なんだよ」
「‥‥お前、悪魔のくせに、毎週『どうぶつ奇想天外』を見てたっけな」
「‥‥悪いかよ」
ムッとした顔で、面白れーんだよアレは、とブツブツ言っているソードの様子に、神無は思い切り人の悪い笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、見たことあるよな」
「え?」
「覚えてるか? ほら、カンガルーに似た、それよりもっと小さいやつ」
「ああ、‥‥ワラビー、だっけか? なんか変な格好で面白れーよな、あれ。‥‥‥‥‥あ?」
ソードはぎょっとしたように神無を見た。
しばしの不吉な沈黙の後、神無がゆっくりと言葉を継ぐ。
「あの肉をな――」
「い、いや、いい」
「よくすり潰してから水にさらして、脂と臭みを抜いてだな」
「も、もういい、もう聞きたくねえ!」
「ミンチ状にして、冷凍で輸入――」
「いいって言ってるだろーが!!」
「――したものとは、何の関係も無いけどな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ?」
ソードは茫然と目を見開いている。
神無はしたり顔で頷いた。
「和菓子だって言っただろうが。肉なんか入ってる訳ねえだろ。頭悪いヤツだな、全く」
「‥‥‥こ‥‥‥‥‥このヤロ~‥‥‥‥!!」
――バキィッ!!
次の瞬間、ソードの手の甲で魔力が弾け、神無の顔面に手加減抜きの魔神烈光殺がヒットした。
――と思いきや、すんでのところで神無はひょいと身を翻し、ソードの拳は背後にあった電柱を思いっきり殴りつけていた。
地団駄を踏んでソードが振り向く。
「よけてんじゃねー!」
「何で黙って殴られなきゃならないんだ。バカかお前は」
「何だとぉ~?!」
‥‥などと云うやりとりをしていた二人の耳に、不意に、ビキビキビキッ!と云う嫌な音が響いた。
顔を見合わせる二人の前で、見る間に電柱に亀裂が走る。
「‥‥まずいな」
と神無が呟いた瞬間、コンクリの破片をこぼしながら、熱で溶ける飴のように、電柱がゆらり、と手前に傾いだ。
「‥‥やばい、逃げるぞ、ソード!」
「なんでオレ様が逃げなきゃならねーんだ!」
「いいから早く来いこのバカ!」
神無に無理矢理引っ張られながら、ソードはその場を後にした。
やがて二人の背後から、ものすごい轟音が響き渡ったが、いつもの如く、ソードの知ったことではなかった。
が、その日の夕方。
「――何だ、ウチのすぐ近くじゃないか。二人とも大丈夫だったのかい?」
5時台のローカルワイドのトップを飾った、『電信柱謎の倒壊――当て逃げ?老朽化?』と云うレポートを見ながら、父親が二人にそう言った。
神無は何食わぬ顔で肩をすくめた。
「さあな。知らん」
「そう言えば双魔、その手の湿布は一体どう――」
「うるせー!いちいち細かいこと見てんじゃねー!」
何もそんなに怒らなくても~、とうるうるしている父親を後目に、神無はこっそりソードに耳打ちした。
「でも、オーストラリアでカンガルーを食うのはホントの話だからな」
(ジャンピングステーキと言うらしい)
「嘘つけー!」
噛みつかんばかりに怒鳴り返す。その剣幕に、神無はさも可笑しげに笑った。
「本当だぞ」
「じゃー何なんだその邪悪な笑顔は!」
悪魔である(筈の)ソードに邪悪とまで言われた神無はしかし、『コイツすっかり人間ナイズされやがって』とでも言いたげに、声を上げて笑い出した。
「‥‥‥‥‥‥‥」
手の甲でバチバチと魔力が弾け、額にスジが浮き上がると共に、ソードは牙を剥いて絶叫した。
「テメーの言うことなんか、もー信じねーぞ!!」
‥‥じゃあ、今までは信じてたのか?
ドカドカと居間を出て行くソードの後ろ姿を見送りながら、神無は内心そう突っ込んだが、弁解する来など毛頭無い。
――面白いから、まあ放っておこう。
双魔相手とはまた別の意味で、こうしてソードをからかって遊ぶのが、楽しくて仕方のない神無であった。
――その二
ある日イオスは神無の代わりに、父親に買い物を頼まれた。
勿論、人の頼みを断るようなイオスではないし、ここだけの話、面倒くさがる神無の代わりに、嬉々として出かける理由もあった。
理性と博愛のかたまりで、シェキルのように血気に逸ったところもない。その上結構強かったので、イオスの出世は早かった。
ために、大した下積み時代も無いままに、下級天使に世話を焼かれる身となってしまい、内心イオスは心苦しく、また、つまらなくもあったのだ。
それが今、複雑な事情があるにせよ、うんざりするほど世話の焼けるソードが、兄弟と云う必然で身近に居て、手間暇かけ放題(!)であることが、イオスには楽しくて仕方がない。
そうして、買い物と聞けば最初はぐずるが、『夕食のメニュー一品選択権』と『イオス公認・出先の買い食い』に心ひかれたソードを荷物持ちに、二人は買い出しに出掛けたのだった。
ジャンクフードとスナック菓子に弱いソードの襟首を押さえつつ、食材選びをあらかた終え、隣接するホームセンターに舞台を移す。
「へえ、猫トイレと犬トイレって違うんだなー」
「それはいいですから、カートにこの猫砂積んで下さいよ」
下らないことに感心しては足止めされるソードに釘を刺しつつ、イオスはテキパキと必要なものを選んでいく。
「猫と言っても魔族ですしねえ。猫用のトイレ砂なんか使うんでしょうか?」
「ケダモノのくせに生意気な。庭で十分だ庭で」
などと言う、何となくズレのある会話を交わしつつも、イオスは猫ミルクやドライフードなどを順次カートに放り込んでいった。
ソードがふと、缶詰コーナーで足を止めた。
「なー、イオスよ」
「何です」
「これ、旨そうだぜ。買わねーか?」
「『旨そう』って、あなたが食べるわけじゃないんですから‥‥」
「あのクソネコ、この前オレ様が買ってやった猫缶、マズイって言って食いやがらなかったぞ! チクショウ、ケダモノの分際でぜいたく言いやがって!」
ふるふると拳を握り締めるソードを、イオスは苦笑しつつまあまあ、となだめる。
「あれは添加物が濃かったそうですから。今日はちゃんと、当のコウモリネコに希望を聞いてきたから大丈夫ですよ。‥‥大体、時々変身して人間の食事をつまんでいるようですし、猫の時も、水と良質のドライフードで十分栄養のバランスは取れると言う説もあるそうですから」
「そうなのか?」
「と聞きましたよ」
「でも、広告のチラシにあった『高級猫缶』ってこれだろ? やっぱり旨いんじゃねーのか?」
「‥‥‥‥‥‥」
イオスは呆れて目を丸くした。
チラシまでチェックするほど気にしているのか、それほどネコが好きなのか? ‥‥いや、それにしても、いつものソードらしからぬこの熱意は、一体何ゆえのものなのか。‥‥気のせいかも知れないが、どうもソード本人が味見したがっているような気がしてきた。
‥‥ソードの肩に、とん、と手を置く。
「な、何だ」
気安く触るんじゃねー、とか何とか毒づいているソードに向き直り、イオスはしみじみと言った。
「‥‥高い猫缶は、あまり食べさせたくないんですよ」
「別に金が無い訳じゃねーだろーがよ!」
「そう云う問題じゃないんです」
言って、イオスは遠い目をした。
「高い猫缶のパッケージを見て、何か気がつきませんか?」
「あ?」
改めて、ソードは棚にずらりと並んだ様々な缶詰を見渡した。
『モンプチ』だの『猫王』だのの商品名と並んで、シャムやペルシャ、チンチラなどの、いかにも高そうな猫の写真がずらりと印刷されている。
ソードはちょっとだけ首をひねった。
「ガラの決まってる猫は高いんだっけか?」
「『柄』と云うか、品種的に固定されていると云うことらしいんですけどね」
「それで?‥‥」
「――ツナ缶はツナの缶詰ですよね」
「? ああ」
「サバ缶はサバの缶詰です」
「‥‥それが何だってんだよ」
イオスは猫缶の山に視線を戻した。
「‥‥高いんですよ」
「‥‥‥‥‥ま‥‥‥‥‥‥まさか‥‥‥‥‥‥」
「ペルシャ猫の写真の缶は、ペルシャ猫百パーセント使用で――」
「うわあああァッ!!」
ようやく思い当たった恐ろしい考えに、ソードは思わず絶叫した。
「チンチラのものはその猫の肉を――」
「き、聞きたくねー聞きたくねーッ!!」
「ソード、妙に缶詰の美味い不味いを気にしていましたけど、まさか‥‥」
「お、俺はやってねー!」
「本当ですか?‥‥前に『モンプチ』はガチョウのパテに似ててうまいらしいとか、変なこと言ってましたけど‥‥」
「俺じゃねー! 俺はやってねえ!! 本当だッ」
「‥‥ならいいですけど」
「い、いやそれより、本当にコレは猫の‥‥」
「‥‥そうですね。これなんか、ほら」
と手近な缶を手に取って、ラベルの裏書きを読み上げる。
「原材料・アビシニアン猫肉百パーセント――」
「うわあああッ!! やっぱり本当なのかッ?!」
頭を抱えてソードは絶叫した。
「――とは、別に書いてませんけどね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ?」
ソードはきょとんとして目を上げた。
「冗談に決まってるじゃないですか」
「‥‥‥‥‥‥嘘か」
「嘘ですよ」
「‥‥本当だな」
「だから嘘ですってば」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「大体、前にカルカンのCM見て、『選んでカルカン、猫まっぷたつ』とかヒドイこと言ってたくせに、なにショック受けてるんですか」
(ちなみに正しくは『猫まっしぐら』。新バージョンは『猫絶好調』)
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ソードは撫然としてイオスを見つめた。
「ほら、もうレジに行きますよ。恥ずかしいですね全く」
ペットコーナーの一角で、阿鼻叫喚の叫びを上げ続けるものだから、二人はすっかり衆目を集めてしまっている。その事実に今だ気付いていないソードを尻目に、イオスはさっさと踵を返した。
しばらくの間、ソードはイオスの後ろ姿を見送っていた。
が、およそ十秒後、ホームセンターの真っ只中で、イオスの後頭部に渾身の魔殺一刀両断撃が炸裂したのだった。
――その三
「今日の晩メシはカレーだ!」
ある時ソードはだしぬけに言った。
神無は何となく憂鬱に答えた。
「‥‥何なんだいきなり。今日は親父も居無いぞ」
「だから好きなモンが食えるんじゃねーか。カレーが食いてーんだよ、うんと辛いやつ」
「晩となると、少なくとも昼から仕込んでおかないとな‥‥後でイオスに――」
「忙しいんなら、材料はオレ様が直々に買い出してきてやるからよ」
「‥‥‥‥‥‥いや、俺かイオスが行くからいい」
「‥‥何なんだそのムカつく間は!」
「夕食はカレー、と」
答えずメモを取る神無に、
「うんと辛いヤツな」
とソードが念を押す。神無は『?』と目を上げた。
「‥‥ひょっとしてお前、別にカレーじゃなくても、単に辛いものが食べたいだけなのか?」
「実はそうだ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥別に妊娠してる訳じゃねーからな」
「‥‥それは酸っぱいものが食べたい場合だ」
――大体その場合誰の子なんだか。
ソードの場合、ギャグか本気の勘違いなのか解らないので始末が悪い。真顔で言われ、神無はげんなりと溜息をついた。だが、本人は気にした様子もない。
「どーも山から帰ってから妙にだるくてよ。食いもんの味もよく解からねーし、なんか味の濃いものが食いてーんだよな」
「そう言えばそうだな‥‥」
言われてみれば、神無も何となく風邪気味な気がする。だとしたら、軽装で山中を徘徊したソードは、特に風邪の進行が早いのかも知れない。まあ、普段からジャンクフードを好むあたり、ソードの味覚は元々大雑把なものであるのかも知れないが――
そんな、双魔が聞いたら『僕の身体なのにヒドイよ神無!』とでも言いそうなことを考えながら、神無は冷蔵庫の中身をコンマ5秒で思い浮かべた。
「単に辛い料理って言うんなら、盛岡冷麺の買い置きがあるから昼にでも食えるぞ」
「‥‥ちょっと待て、テメーが作るのか?」
「何で麺を茹でるくらいのことで交代しなきゃならないんだ」
不吉な、とか何とか、ブツブツ呟くソードに背を向け、神無は冷蔵庫をのぞき込んだ。
と、
「‥‥‥‥‥‥‥‥あ」
「モリオカレイメンってのは一体どんな食べ物なんだ?」
神無の小さな呟きには気づかず、ソードが能天気に聞いてくる。
「いやそれは――」
神無は一瞬、冷蔵庫内のパッケージと、ソードの顔を見比べた。
「‥‥それは食べてのお楽しみだ」
「‥‥何なんだその邪悪な笑いはよ」
そして昼食時。
ソードは食卓につき、待望の辛い料理を今か今かと待っていた。程なく神無が、大きなお盆に何かを乗せてやってくる。
「――出来たぞ。これが『盛岡冷麺』だ」
とん、と目の前に器が置かれる。ソードは箸を手にとって、まじまじとそれを観察した。
いつもはシチューなんかに使う、ちょっと深めの大きな皿に、その『盛岡冷麺』は盛られていた。
たっぷりのオレンジ色のスープに、ちょっと見冷やし中華のそれに似た麺が泳ぎ、ささやかに果物が飾られている。冬に食べるにはちと涼しげだが、注文通りいかにも辛そうだ。
ソードはなんとなく嬉しくなり、意味はよく解かっていないものの、今やすっかり癖になった仕草で、パンと威勢よく手を合わせた。
「イタダキマス」
「ああ」
ずすーっと行儀悪くスープをすすると、要求通り確かに辛い。しかも決して辛いだけではなく、フルーティーな酸味とコクがある。
「麺はすごく固いが、これはそう云う食べものだから気にしなくていいからな」
神無に言われて麺を口にすると、確かになかなか噛み切れないほど固い。
「‥‥ゴムじゃねーだろーな?」
「‥‥違う」
ソードは一瞬、また神無に真顔でだまされているのでは、と云う疑心暗鬼にかられたが、見ると神無も確かに同じものを食べている。だまされている訳ではないようだ。
視線に気付いてか神無が言った。
「辛さはちょうどいいか?」
「『ちょうど』ってのがどのくらいなのか解らねーからなあ」
つるつると麺を食べながら首をひねる。すると、
「もっと辛くも出来るぞ。これを足せばいい」
と、唐辛子色の液体が入った小さなパックを渡された。
「‥『辛‥さの‥‥‥そ』」
「‥‥『もと』と読むんだ、その場合は」
なんて紆余曲折がありながらも、ソードは『盛岡冷麺』を堪能した。麺を残らず平らげて、飾られた果物を食べつくし、スープをすすって息をつく。
「いやー旨かったなあ」
そう言って、とん、と器をテーブルに置いたその瞬間。
「――ほら、おかわりだ」
神無が、用意してあったらしい麺をひと玉、ぽんと器に放り込んだ。
「え?!」
「さあ、食った食った」
「お、おい神無、俺は何にも言ってねーぞ!」
いつもなら『馬鹿の大食い』だの何だのと、いちいち気に障ることを言ってくる神無が、要求もしていないおかわりを、何故か勝手によこしてくる。
ソードは何となく非常事態めいた危機感を覚え、あわてて器を押し返した。
しかし神無は平然と言った。
「『盛岡名物・わんこそば』ってのはそういう食べものなんだぞ」
「ああ?!」
「ぼんやりしてると、どんどんおかわりを器に放り込まれるんだ。もう食えないとなれば、器についてる蓋をかぶせるんだが、なかなかその隙がなくて、ついたくさん食べる破目に――」
「‥‥ここんちの皿にフタなんかついてたか?」
「ないからまあ、自己申告で構わん。大食い大会なんかで、すごい奴は二、三百杯食べるらしいぜ」
「二、三百?!」
「勿論、その場合はもっと小さい器らしいがな。普通のひと皿を十杯くらいに分けてあるんだそうだ」
「それにしたって二十杯か三十杯じゃねーか。‥‥確かに旨いが、人間はこんな辛いものをそんなに食って大丈夫なのか?」
「自信のある奴だけが挑戦するんだろ」
「‥‥そうか。なるほど」
二杯目の冷麺を食べ始めるソードを前に、神無は黙って自分の冷麺をすすった。
――全く、賞味期限が切れるまで食い忘れてるような代物を、誰がこんなに沢山買い込んで来たんだか。
‥‥いつかソードが盛岡を訪れ、わんこそばを食べる日が来ない限り、真実が明らかにされることは無いのだった‥‥
――その四
今日も今日とてソードは朝から、イオスを相手にゴネていた。
「大体なんで悪魔のオレ様が、毎日毎日学校なんて訳わからねえトコに行かなきゃならねーんだ!」
と言うのが、お馴染みのソードの言い分である。
いつもならイオスも困り果て、溜息をついている頃である。が、今日は絶好の理由があった。
「ソード」
「何だよ」
「今日は二月十三日、と云うことは、明日はバレンタインデーですよ?」
「あ? 何だそりゃ」
「知らないんですか? バレンタインと云うのは、普段からいい子にしていると女の子がチョコレートをくれる日ですよ」
「なに? チョコれえと?」
ジャンクと菓子に目のないソードが、一瞬の疑念も忘れ果て、身を乗り出してイオスに詰め寄る。
「普段は当日の十四日なんでしょうが、今年は日曜日に当たってますからね。学校の女の子は多分、一日早くても今日活動を開始すると――」
『‥‥それはクリスマスがごっちゃになっている説明だ。ついでにコイツがチョコなんか貰えそうに見えるのか? おい』
と、イオスを通して聞いていた神無は、あまりな天使のハッタリに、密かに呆れて呟いた。
が、当のイオスは涼しい顔で、
(別に嘘はついていませんよ。それで学校へ行く気になるなら、それはそれでいいことじゃないですか? 双魔くんもいい加減、出席日数が危ないことですし)
と、喜色満面のソードの前で、中の神無にそう答えた。
『‥‥ちなみに双魔は、七海からしか貰ったことがないらしいが』
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「――よし、しょうがねえ。今日のところはチョコを食いに学校に行ってやるぜ!」
急に乗り気に鞄を引っ掴み、ソードはダイニングを出ようとした。
――が。
「その前に言っておきますが」
「あ?」
イオスはぐいとソードを振り向かせ、にわかに真剣な顔になって言った。
「‥‥くれぐれも、注意して下さいね」
「な、何をだ?」
「旧知の七海さんはともかく、見ず知らずとか、普段は滅多に口もきかないよう女の子からのチョコ‥‥特に手作りのものなんかは、なるべく貰わない方がいいですよ」
「何でだよ? くれるってもんは貰っときゃーいいじじゃねえか」
肩に置かれた手を払いのけ、ソードが怪訝な顔で言う。
‥‥イオスはふいと遠い目になった。
「魔界と云うのも、存外無防備なところだったんですねえ‥‥」
「だから何が言いてーんだテメエは?! はっきり言いやがれ!」
「まあまあ‥‥落ち着いて聞いて下さい」
噛みつくソードをとすとすとなだめ、テーブルの上のカップを手渡す。ソードは不承不承といった様子で、ずすーっ、と冷めかけた茶をすすった。が、
「知らない相手にもらった食べ物なんて、毒が入っているかも知れないじゃないですか」
見計らったようなイオスの台詞に、ソードは音を立てて紅茶を噴き出した。
「て、テメーまさか?!」
「大丈夫、それはいつものお茶ですよ」
その辺にあったテーブル拭きでソードの胸元を拭ってやりながら、イオスは淡々と説明した。
「今日は人間の女の子にとっては千載一遇のチャンスらしいですからねえ‥‥」
「な、何がだ?!」
「うっかり毒物や睡眠薬入りのチョコなんかを受け取ってしまったら、意識を無くした際に子供を作られた挙げ句、育児の栄養として食べられないとも限らないじゃないですか」
『カマキリじゃないんだぞ、おい』
と神無が突っ込みを入れるが、勿論イオスにしか聞こえない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
初めて聞いた恐ろしい話に(当たり前だ)、ソードは愕然と口を開けたまま、点になった目でイオスを見ていた。
「貰っても食べなければいいんですけど、あなたはどうせ区別がつけられないし、うっかり食べてしまうでしょうしねえ‥‥最初から、安全確実なもの以外は、貰わない方が無難ですよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥私との決着をつける前に、そんな目に遭って先に死なれては困りますからね」
「お‥‥おお‥‥」
満面の笑みとともに駄目押しのように言われ、ソードは茫然と頷いた。
中で神無がぼそりと呟く。
『予防線にしたって、意外とえげつない手段を取るな、天使ってヤツも』
(当たり前ですよ。ソードにはこのくらい言っておかないと)
『? 何でだ』
(万が一チョコとともに告白でもされたら最後、女の子を保健室にでも連れ込んで、そのまま押し倒しかねませんからね、ソードは)
『そんな甲斐性があるのかこの馬鹿に』
(そんなことを言っている間に、双魔くんの経歴に傷がついたらどうするんです)
『お前が大事なのは、そこらの女でも双魔でもないだろうが』
‥‥イオスは答えず、125%増しくらいの笑顔を浮かべて、ソードの背中をぱすぱすとはたいた。
「さ、行きましょうか。‥‥毒の入ってないチョコに当たるといいですね」
「‥‥あ‥‥ああ‥‥‥‥」
何か釈然としないながらも、ソードはイオスに引っ張られるようにして、ふらふらと学校へ出掛けていったのだった。
さて、そんな情報を刷り込まれてしまったものだから、ソードの一日が平穏であろうはずもない。
クラスメイトからの義理チョコは、「これは大丈夫」とイオスに言われ、かろうじて受け取りはしたものの、見知らぬ(と云うか近隣のクラスの)女生徒から差し出された、明らかに手製のラッピングを前に、
「毒物は入ってないだろーな?!」
と馬鹿正直に問い詰めて、思い切り平手打ちを食らったり、あるいは箱を投げつけられたり。
そんな訳で、午前の授業が終わることには、ソードはすっかり疲れ果て、ぐったりと机に突っ伏していた。
てっきり居眠りしていたのかと思いきや、そうではないらしいということに気付いて、イオスが様子をのぞき込む。
「大丈夫ですか? ソード」
「‥‥解らん」
「は?」
「何で人間は、こんなしちめんどくさいことをやってるんだ?! くれるんならタダくれりゃあいーじゃねーか!」
「さあ‥‥人間も色々あるようですしねえ」
イオスはしたり顔で頷いた。
と、その時。
「――ああ、やっぱりここに居たんですね」
聞き覚えのある声と共に、ぞろりとした布きれが視界に揺らめく。
恐る恐る目を向けた二人の前には、お約束の人物が立っていた。
「み、みずのさん、何でここに‥‥」
「おお、どーしたいきなり」
引きつった笑みを浮かべるイオスと、気にした風もないソードを前に、みずのはニコリと微笑んだ。
その周囲では、『あの子一体どこの生徒だ?』とか、『‥‥てゆーか、あの格好、ナニ?』などと、生徒達がざわめいていたのだが、当のみずのはまるで関せず、マントの中から何かを取り出した。
そうして差し出された二つの包みに、イオスとソードが顔を見合わせる。
「はい、どうぞ。つたない手作りですけど」
「手作り?!」
イコール毒入りと云う、不吉な公式が頭をよぎり、ソードはギクリと身構えた。ごまかすようにイオスが割り込む。
「て、手作りですか、家庭的ですね」
「ええ、何度か失敗したので、手持ちの材料が無くなってしまいましたけど。‥‥次の機会までに、原料をおじいちゃんに頼んでおかないと」
「‥‥あのおじいさんに、ですか?」
「ええ、□×○の根と、○×△○のシッポの黒焼きを――あ」
うっかり口を滑らせた、と云う風情で、みずのはポッと頬を赤らめた。
「駄目駄目、イオスさん、それは内緒ですよ。乙女の秘密です」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「じゃあ、ごきげんよう」
茫然とする二人の手の中に、不吉な香りのするチョコを残して、みずのはすたすたと立ち去って行った。
‥‥ぼそりとソードが呟いた。
「‥‥毒入り確定だな」
「‥‥ええ」
ソードはごそごそとサインペンを取り出し、可愛らしいラッピングの上に、ぎこちなく『妻』と書き込んだ。
「‥‥ソード、字が違ってますけど」
「‥‥‥‥‥‥細かいこと気にしてんじゃねー!」
猫のように牙を剥き、髮を逆立てて怒鳴りながらも、さすがに体裁が悪かったらしく、ソードは『妻』にバツ印をつけ、その横に『毒』と書き直した。
その場で捨てていく訳にも行かず、取りあえずイオスに押しつける。
イオスは黙ってそれを受け取り、『俺』と書かれた紙袋に、ソードの分の包みをしまい込んだ。
「‥‥どうでもいいけど、体裁が悪いからあなたの持ち物に『俺』って書くのはやめて下さいよ」
「いいじゃねーか、別に。あのゲームじゃ寄生虫にまで俺印つけてたぜ」
「ゲームと現実は違うんですから」
「‥‥大体何なんだよ、テメーのその山積みのチョコはよ! 俺には断れとか言いやがったくせに!」
「これはまあ、不可抗力と云うことで‥‥」
不意に八つ当たりの矛先を向けられ、冷や汗をかいて笑い返す。あふれ出しそうなチョコの山を、何とか紙袋に詰め込みながら、ごまかすようにとすとすと、イオスはソードの肩を叩いた。
「機嫌直して下さいよ。うちに帰ったら、毒の入ってないチョコを選り分けて、ホットチョコレートでも入れてあげますから」
「おお、そうか!」
『‥‥おい、そのチョコの六割は俺宛てだろうが』
やっぱり俺が出てるんだった、とか何とか呟きながら、神無が呆れたように言う。
(大丈夫ですよ、明らかに私宛てだった残り四割を使いますから)
『‥‥‥‥お前、いい加減羽根が黒くなってるんじゃないのか?』
神無の突っ込みには答えずに、イオスはにっこりと微笑んだ。
「さ、帰りましょう。‥‥今日は時間がありますから、何ならケーキも焼いてあげますよ」
「ケーキか! よし帰るぜ!」
宿敵であろうが何だろうが、イオスのケーキはお気に入りらしい。ソードはにわかに上機嫌になり、鞄を引っ掴んで踵を返した。
神無の内なる溜息を聞きながら、イオスもチョコ山の紙袋を抱え、追って教室を後にする。
‥‥こうして、バレンタインにおける、イオスのソード保護計画は、無事に完了したのであった‥‥
〈END〉
‥‥と、思いきや!
――おまけ――
日曜日。二月十四日の、バレンタイン当日。
いつもやかましい天野家の玄関で、誰かがピンポンとチャイムを鳴らした。
「――はい」
何の気なしにドアを開けたイオスは、そこに立っていた予想外の人物に、一瞬きょとんと目を丸くした。
それは相手も同じだったらしく、数秒の気まずい沈黙の後、
「‥‥何か御用でしょうか?」
「‥‥ちょっと、そう言う言い方はないんじゃないの?」
撫然としたままのイオスの言葉に、何故か制服姿のガーベラが、シャキンと爪を伸ばして答えた。
‥‥気持ちは解るが、しかし他に何と言えと。
険悪な空気の中イオスは思ったが、実際言葉が続かない。こうなると、目を逸らした方が負けと云う、猫の睨み合いと同じである。
が、
「――何だ、ガーベラかよ」
悪魔の気配を感じ取ってか、二階からバタバタと降りてきたソードが、その緊迫をあっさりと打ち破った。
「何だはないでしょ。せっかくイイものあげようと思って来たのに」
「イイものって何だよ。‥‥毒の入ってないチョコか?」
「何だ、知ってたの?‥‥ところで毒って何?」
もはやイオスは無視状態で、ガーベラはいつの間にか爪を引っ込め、背後に隠していた大きめの包みを、ひょいとソードに差し出した。
「はい、これ」
「おお?! 何か巨大じゃねーか!」
「‥‥ケーキじゃないですか? ほら、あなたの好きなあの店の」
特徴のあるラッピングには見覚えがあった。イオスがぼそりと耳打ちすると、途端にソードの態度が変わる。
「おお、あれか! なかなか気が利いてるじゃねーか」
わくわくと箱を受け取るソードの横で、イオスは内心対応に困っていた。本命くさい豪華版な品だが、何の変哲もない市販品では、毒が云々と言ったとて、さすがにソードも騙されまい。
イオスは渋面を笑顔で隠し、さりげにガーベラに探りを入れた。
「‥‥それにしても、あんな高い店のケーキとは、ガーベラさんも張り込みましたね」
「あら、言っとくけど、それは私からじゃないわよ」
「あ? じゃあ何なんだよ」
「なんで私がそんなことしなきゃならないのよ。これは亡きシバ様からの命令のひとつよ」
「ええッ?!」
「‥‥なんでテメーが驚いてんだよ、イオス」
‥‥ここだけの話、中で神無も驚いていた。
脳裏に一瞬、『男バレンタイン』と云う単語が浮かぶが(by『かってに改蔵』)、それが誰の思考だったのかも、衝撃のあまり判然としない。
そんなことは知らぬげにガーベラが続ける。
「だって人間界の風習で、季節のプレゼントなんでしょ? お歳暮とかお中元とか。ちゃんと報告があったわよ」
「‥‥あの‥‥その報告は一体誰が‥‥」
「コウモリネコに決まってるじゃない」
‥‥やっぱり。
イオスと神無は同時に呟いた。
「じゃ、任務はちゃんと果たしたわよ。またね」
茫然とするイオスと、お気に入りのケーキに浮かれるソードを残し、ガーベラはさっさと立ち去っていった。
「あの‥‥ソード‥‥」
女の子からのチョコならまだしも、シバからと云うのは何となくムカつく。‥‥真実を告げるか、さらなるデマを吹き込むべきか、イオスは迷いながら口を開いた。
だが、
「‥‥――とうとうヤバイものを受け取ったな、ソード」
続いた声は、既にイオスのものではなかった。
ソードが『あ?』と振り返る。
「何なんだ、いきなり神無に変わりやがって」
「気にするな。‥‥それより、バレンタインに男からチョコを貰った人間には、恐ろしい運命が待っているんだぞ」
「な、何だそれは?! ‥‥毒か?! それとも呪いなのか?!」
今までが今までだったので、あらぬ妄想を走らせるソードを前に、中のイオスは慌てふためいたが、どうにも神無が入れ代わってくれない。
神無はニヤリと笑って言った。
「聞いて後悔するなよ」
「しねーよ! だから言え!」
『あ、あの、神無さん、ちょっと――』
中から呼べど叫べども、イオスの声は届かない。
――さて、ソードの運命や如何に!
―― 「アバンギャルドで行こうよ」 END ――
(発行・1999/03/28 再録・2010/04/06)