◇ SUCK OF LIFE! ◇
道路工事に行き当たり、普段と違う道を通ったある日の学校帰りのこと。
「おッ」
道すがら見つけた意外なものに、ソードは思わず足を止めた。
数歩遅れて追いついたイオスが、視線を辿って首を傾げる。
「どうかしましたか? ソード」
「‥‥キャベツだ」
ほら、と指さした先を見て、イオスはああ、と頷いた。
人間界では珍しくない、せせこましく密集した住宅地。自宅にもほど近いその一角に、切り取ったように開けていたのは、一面のキャベツ畑であった。
地主の道楽か冗談か、畑の中心にはご丁寧にも「へのへのもへじ」が顔に書かれた案山子までが立っている。 が、百坪はありそうな敷地の中に整然と並んでいる大玉のキャベツは、どう見ても家庭菜園のレベルではなかった。
「こんなところにも畑があったんですねえ」
感心したようにイオスが呟く。しかしソードは聞いていない。
じっと畑を見やっていると、以前に父が不在の折、イオスが製作したメニューのひとつである『ロールキャベツ』の忘れえぬ味が現在進行形でよみがえる。
『本に書いてあった材料が足りなかったので、今日はコンソメ味にしてみました。本当はトマトケチャップ味が一般的だそうですが――』
とか何とか、イオスが当時言っていた意味は今ひとつよく解らなかったが、それでもその時初めて食べた『ロールキャベツ』は美味かった。‥‥思い出すと、じわりとよだれが湧き上がる。
「よし、今日の晩メシは『ロールキャベツ』だ!」
「え? でも今日は鶏の水炊きだって『お父さん』が言ってましたよ」
「トリノミズタキって何だ」
「鍋料理の一種ですよ」
「おお、『ナベ』か!」
何故か鍋料理はお気に入りらしく、ソードは途端に目を輝かせた。喜色満面そのものの様子に、じゃあキャベツはまたこの次にでも、とイオスがのんびりと言いかけた時。
「それも食うがコレも食う! 作れ、イオス!」
「作るのは構いませんけど――というかソード、何をいきなり人様の畑に踏み込んでるんですか!」
進入防止の鉄条網を杭ごと引き抜き引きちぎり、今しも畑に入ろうとしたソードを、イオスはひょいと羽交い締めにしてそのまま道路へと引き戻した。
「何しやがんだ! 晩メシの材料を調達してやろうって言ってんじゃねーか!」
「駄目ですよ、これは人様のものじゃないですか」
「訳わかんねーこと言うんじゃねえ!! 道っぱたに生えてるもんを取って何が悪い!」
「いやあの、これは自然に生えてる訳じゃあ――」
「いいから離せ! 邪魔すんじゃねー!!」
「というか、いいかげん人間界の仕組みを理解して下さいよ。全くあなたって人は‥‥」
「ヒトじゃねー!」
「駄目ですってば。‥‥これがもし人間の赤ちゃんが生まれてくる予定のキャベツだったらどうするんですか」
「へ?」
じたばたと腕の中で暴れていたソードが、ぽかんと口を開けて振り仰ぐ。
イオスは一瞬迷った後、
「‥‥魔族は知らない話かも知れませんが、人間界では古来、キャベツは赤ちゃんが生まれる野菜なんですよ」
‥‥コウノトリと並ぶキャベツ伝説が人間界に存在する以上、真実ではないが、嘘でもない。勢いで飛び出したでまかせだが、この際優先するべきは、ソードによるキャベツの盗難阻止だ。――と、イオスは内心で理論武装を固めた。
「そうなのか?」
「そうです」
疑わしげに問うたソードに、イオスはきっぱりと言い切った。
とはいえ、神無とイオスの二人がかりで散々騙されてきたソードである。そう簡単には引っかかってくれない。
「‥‥待てよ。人間ってのは確か男女のつがいで増えるもんじゃなかったか?」
「勿論、それもありますよ。というか、今はほとんどそうだと思いますが」
「てことは、昔は違ったのか?」
「ええ。まだ人間が少なかった大昔には、人間はキャベツから生まれるようにと神が定めていたんですよ」
「聞いたことねえなあ‥‥」
そりゃあ、あなたはあんまりものを知らないから(それ以前に嘘八百だし)――と一瞬言いかけて口をつぐみ、
「天界の決めごとですからね。あなたが知らないのは無理からぬことかと」
言ったら最後逆ギレ必至の一言をぐっと飲み込んで、代わりに咄嗟に思い出された過去の知識を利用する。
「でも、確か魔族もそうでしょう? 異性のつがいだけでなく、同性のつがいや両性や単性分裂や、草木・無生物からも生まれるとか」
案の定、ああ、とソードは手を打った。
「そういやそうだな。人間も元は一緒だったってことか」
どうやら納得した様子に、内心胸をなで下ろす。
「人口が増えた今はキャベツ制では効率が悪いのと、飢餓対策としてキャベツも食用専用の野菜にしようということになったそうで。それ以来、人間も動物と同じくつがいからのみで増えるように――」
「ん? てことは、このキャベツだって今は赤んぼ用には使われてないっつーことじゃねえのか?」
あくまで食べる気満々のソードに、盗みの罪を未然に防ぐためなのです、どうか神よお許し下さい――などと、抱えた学生鞄の裏で十字を切り、神への祈りを捧げながら、イオスのでまかせはさらに続く。
「いえ‥‥ええと、完全にキャベツ制度を廃止した訳ではなく、今でもごくたまにキャベツから生まれる赤ちゃんがいるそうですよ」
「そうなのか?」
「ええ。そのための品種がまだ残っていて、まれに食用に混ざっているそうですから」
「‥‥品種」
さすがに怪訝な顔をされ、イオスは冷や汗を隠しながら、まことしやかに付け加える。
「‥‥品種ですよ。全部のキャベツが赤ちゃん用のだったら、安心して食べられないじゃないですか」
「ていうかそれって見分けはつかねえのかよ?」
「キャベツの栽培家や研究者じゃない素人には難しいでしょうね。‥‥だからこそごくまれに混入が――」
「‥‥なんか嘘くせえなあ」
危機一髪の呟きに、ぎくりと心臓が跳ね上がる。が、
「ま、まあまあ。明日は日曜ですし、ちゃんと鑑定済みで出荷されている食用キャベツを買ってきて、ご希望のロールキャベツを作ってあげますから」
何気ない仕草で胸を押さえながら、イオスは満面の作り笑顔で言った。
幸い、初めて聞いた人間界の故事(嘘)を一度に沢山聞いたせいで頭が飽和状態になったのか、食欲が一時的に薄れたらしい。
「ケッ、しょうがねえなあ。今日のところは『トリノミズタキ』で我慢しといてやるぜ」
何故か得意げに胸を張り、ソードはうんうんと頷いた。
ほっと胸を撫で下ろしたイオスに、思い出したように付け加える。
「ところでナベの中身は何だ?」
「いや、だから鶏ですって‥‥」
その翌日の昼下がり。
外出中の父に代わって頼まれた家事を片付け終え、イオスは買い物に行くことにした――のだが。
「‥‥その物体は何ですか」
「見りゃ解るだろ。なんかの幼虫じゃねーのか?」
「私が聞きたいのはそっちじゃなく、そのキャベツをどこから持ってきたのかということですよ!!」
テーブルの上に鎮座している立派なキャベツ(しかも二玉)を指さして、イオスは思わず大喝した。
朝食後姿を消したままだったソードがふらりと戻ってきたものの、いつものようにつまみ食い目当てに冷蔵庫を漁り来る様子がない。
まさかまさかと思いながらも、居間をのぞいてみたら案の定。立派なキャベツの外葉をむいて、出てきた青虫をつついて遊んでいるソードの姿があったのだった。
だがしかし。
「あの道っぱたに決まってるだろーが!!」
イオスの苦悩も知らぬげに、ソードは開き直り気味に胸を張った。
「オレ様みずから材料を調達してきてやったぞ! 感謝しやがれ!」
「それを泥棒と言うんです!!」
とはいえ強気の度合いでは、キレたイオスも負けてはいない。勢いのままにソードに詰め寄り、手にしていた青虫を取り上げる。
「あ」と言ったソードには構わず、ずかずかとベランダに歩み寄り、イオスは庭に青虫を放した。そうしてまたも足音を立てて再びソードに歩み寄り、怒濤の説教を開始する。
「あれは道端じゃなく人様の畑で、生えているキャベツは栽培している人の所有物なんですよ! それを勝手に持ってきては駄目だと言ったじゃないですか!」
「訳解んねーこと言ってんじゃねー! ちゃんと子供の入ってないのを選んできたから大丈夫だ!!」
「‥‥は?」
詰め寄った一時の勢いも忘れ、イオスはぽかんと口を開けた。
「何だよ。子供が入ってないキャベツならいいんだろーが。オレ様は人間は食わない主義だからな。そこんとこはちゃんと見分けてきたぞ」
「‥‥どうやってですか」
「叩いても泣かなかった」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
自信満々なソードの言葉に、イオスはそのまま絶句した。
「それより勝手にオレ様のムシ逃がすんじゃねーよ! せっかく大きく育てて使い魔にしようと思ったのによ」
「いえ、あの‥‥」
モスラでも想像しているようですが、人間界の虫はただの虫だから、どれだけ育てても大きくならないし使い魔の役には立ちませんよ――
とか漠然と思いながらも、イオスにはもう、何を言う気力も残っていなかった。
そして夜。
イオスは結局しょうがなく、ソードが盗んできたキャベツを使ってロールキャベツを制作した。
「ああ、神よ‥‥このキャベツは明日畑の持ち主に謝罪して、ちゃんと代金を払ってきますから、日々の糧とすることをお許し下さい‥‥」
「オレ様の前で神に祈るんじゃねー! 食欲無くなるじゃねーか!」
念願のキャベツは今か今かと匙で茶碗を叩いていたソードが、猫のように逆立って牙を剥く。
「あなたの食欲なんか、多少なくなるくらいで十分ですよ、全く‥‥」
イオスは思わず嘆息しながら、皿に盛りつけたロールキャベツをソードの前にコトリと置いた。
「やかましいわ! ‥‥お?」
怪訝な声と共に動きを止め、ソードは皿を凝視した。
「? どうしたんですか、ソード」
「‥‥赤ぇぞ」
「え? ああ――」
前回がコンソメ味だったのを思い出し、今回のそれはケチャップの――と言いかけたイオスはしかし、にわかに沈鬱に顔を伏せた。
「‥‥すみません」
「? 何だよ」
「‥‥初めてだったので、血抜きが上手くいかなくて」
「へ?」
「‥‥やはり、キャベツの鑑定は専門家に任せるべきだと思いますよ」
「ってそりゃ一体何の‥‥‥‥‥‥あ?!」
ソードはぎくりとしてイオスを見た。
イオスは悲壮感いっぱいの顔を一瞬向けてから目を反らし、再びうつむいて祈る手を組んだ。
「知識の上では知っていましたが、いざ自分が体験すると辛いものですね‥‥他者の命を奪って食べないことには、自分が生きていけないのですから、人間とはなんと気の毒な生き物かと――」
「‥‥ま、待て! ちょっと待て!!」
「何ですか」
「ちゃんと叩いて確かめたぞ! あれは妊娠してないキャベツだったはずだ!!」
「‥‥ソード」
妊娠キャベツ、というフレーズに、思わず噴き出しそうになるのをこらえ、低く、重々しく、イオスは告げた。
「人間の胎児は泣かないものなんですよ」
「‥‥‥‥~~~~~~~~!!」
顔面蒼白になりながらも、爆発寸前といった風情で大口を開けたまま固まってしまったソードに、イオスは大きく溜息をつき、ずいと皿を押し出した。
「――さあ、どうぞ」
「な、何?!」
「食べて下さい。でないと、あなたの今日の糧のために、命を捧げたキャベツの中の赤ちゃんが浮かばれ――」
「うあああああ!! 言うな! 言うんじゃねぇ――!!」
「だったら次からは、その辺にあるような未鑑定のキャベツは取ってこないで下さいね。でないとまた赤――」
「わ、解った! 解ったから言うんじゃねー!!」
慌てふためくその様子に、こみ上げる笑いを必死でこらえて、イオスはさらにソードに迫る。
「残さず食べて下さいね」
「う‥‥」
「こんなことを知ったら悲しむでしょうから、七海さんには内緒にしておいてあげますよ」
「ううッ‥‥」
「――冷めないうちに、さあ」
「う~~~~!!」
「これは美味しいねえ」
遅れて帰宅した天野家の父は、満面の笑みでイオスが出したロールキャベツを頬張った。
「なんだい、双魔もお代わりするかい?」
「い、いらねーよ!」
異様なものを見るような目で父の姿を凝視していたソードは、ぶんぶんと首を振って後ずさった。
その後ソードは、意外と剛胆(?)な人間の父に多少の敬意を払うようになり、同時にイオスの目論み通り、畑からキャベツを取ってくることは二度と無かったのだった。
―― 「SUCK OF LIFE!」 END ――
(発行・2006/08/11 再録・2010/11/06)