◇ 影サタン様の魔法のコート ◇


 
 ある冬の日、ふと思い立った実験のため、影サタン様は人間界に出掛けた。

 カナリヤ色のダッフルコートは、人間界を訪れる時のお気に入りだ。
 そのコートに、サタン様は魔法をかけてみた。
 カナリヤと聞いて黄色を連想する人には黄色に、赤を連想する人には赤に、という「見る人にとってのカナリヤ色」がコートに映って見える魔法だ。
 だが、サタン様の身近にいるのは、人間界の生き物には詳しくない、生粋の魔界人ばかりである。
 カナリヤを知らない彼らの目には、せっかくのコートも色柄以前に「何かの魔法のかかった服」にしか見えないのだった。それではこの魔法の意味がない。
 ならばと人間界に来てみたが、そこらで見ず知らずの人間を掴まえて、コートの色を訊ねる訳にもいかない。
 不審者扱いされても困るので、サタン様はちょっと考えてから、顔見知りの人間の元へ向かうことにした。



「‥‥だからってどうしてうちなんですか」
 応対に出てきた天使イオスは、サタン様を見て茫然と言った。
「なにせ天使と悪魔と人間がひとところに揃っているだろう? 幅広い層から意見を求めるには、ここが一番効率がいいと思ってね」
「効率ですか」
 人間界まで来ておいて、と、イオスは何故か眩暈をこらえる仕草をした。
「そもそもどうして魔王サタンがうちの住所を知っているんですか」
「君は魔王の情報網を甘く見すぎだよ」
サタン様は得意げに胸を張った。
 悪魔の卵の一件以来、それにまつわる彼らの身の上や人間界での所在くらい、とっくの昔に把握済だ。
 それで四元将を差し向けた後も、行方をくらます様子もないまま同じ家から学校に通い、のほほんと暮らしていたくせに、今さら何を言っているのやら。
 あるいは人間界で最近流行りの「個人情報保護」とかいうやつを気にしているのかも知れない。天使のくせに、すっかり人間界に毒されているようだ。
 ‥‥とか何とか思いながらも、面倒なのでそこまでは触れず、サタン様は用件を切り出した。
「そんなことはさておいてだ。僕の着ているコートが何色に見えるのか、言ってみたまえ」
 イオスは怪訝な顔をして、しかし、示されたコートをまじまじと見た。
「普段の魔王の服とはずいぶん違う、きらびやかな色柄ですね‥‥でも人間界でその七色のグラデーションはちょっと浮いてるんじゃないですか? あんまり人間の若者のセンスには見えませんよ」
「‥‥天界のカナリヤはそんな色なのかい?」
「ええ?」

     

 と―――
 不意にドカドカとした足音が響き、微妙な沈黙を打ち砕いた。
「おいイオス、この気配は―――うぉ?!」
 魔族の気配を感じ取って、慌てて飛び出してきたらしい。二階から駆け下りてきたソードはしかし、サタン様の姿を見た瞬間、階段の途中で足を滑らせ、玄関先まで転がり落ちてそのままベタリと突っ伏した。
 が、
「ふふ、相変わらずだね悪魔ソード」
「てめぇ何しに来やがった?!」
 サタン様が声をかけた途端、ソードは蛙のように跳ね起きた。額が少し赤くなっているが、特に怪我をした様子はない。
「なかなかの生命力だね。さすが下級悪魔だ」
「何だと?!」
「褒めているんだよ。―――まあいい、今日は戦いに来た訳じゃないんだ」
「じゃあ何だ!」
 噛みつきかかるソードの顔を掌でぺしと押し返し、先ほどの問いを繰り返す。
「ちょっとした調査だよ。僕の着ているコートの色が、何色に見えるか言ってみたまえ」
「ナニ? コートだぁ??」
 額の赤いところをぐりぐりと押され、さすがに少しは痛かったらしい。ソードは涙目で額をさすりながら、一歩下がってサタン様を見た。
「そういや今日はえれえダセーもん着てやがるな、魔王のくせに」
 ええ?と首を傾げるイオスの横で、ソードは言いながら渋面を作った。
「上半分黄色で、下が白とグレーのまだらとか、それで左右の胸んとこに赤丸とかよ、いくら悪魔でも人間界をうろつくのにその格好は変すぎるぜ」
 サタン様は小さく溜息をついた。
「‥‥ソード。君はどうやらカナリヤとオカメインコを勘違いしているようだね」

‥‥?
 オカメインコって何だ、と食い下がるソードの額を再びぐりりと押し返しながら、サタン様はイオスに言った。
「君たちには宿主の人間がいたはずだが」
「え、神無さん達にも聞くんですか?」
「効率の問題だと言っただろう」
「戦わないんなら構いませんが、出てきてくれるかどうかは解りませんよ」
「いいから代わってくれたまえ」
「はあ‥‥」
 イオスが事態を説明したのか、中でやり取りを聞いていたのか。
 それはサタン様には解らねど、天使と悪魔の二人組は意外とすんなり気配を消し、人間の魂と入れ替わった。
「―――という訳なんだが」
 サタン様の説明に、兄弟は顔を見合わせた後、少し考えてから口を開いた。
「‥‥オレンジがかった朱赤に見えるな」
「ぼくはブルーに見えるなあ」
「‥‥待て。何でカナリヤが青いんだ」
「実物を見たことはないけど『カナリヤブルー』って色名があるんだよね」
「‥‥てことは青カナリヤは実在するのか?」
「あと、昔ダイナ・ショアが『Blue Canary』って歌を歌ってて、それを雪村いづみが『青いカナリヤ』としてカバーしてて」
「そういえばJITTERIN'JINNがそんな曲出してた覚えがあるな‥‥」
「それはタイトルだけパクったぜんぜん別の歌だよ。江利チエミ・美空ひばりと共に『三人娘』として昭和の大スターだった雪村いづみの方を思い出すのが普通だよ!」
「‥‥お前は一体いくつなんだ!」
「あとね、カナリヤってスズメ目なんだよ」
 まだ続くのか、オタクの無駄知識披露‥‥と神無がうんざりと呟いたが、双魔の説明は止まらない。
「前に駅の大きな鳥籠でカナリヤとインコがたくさん飼われてたんだけどさ、その中に何故かスズメが一羽混ざってたの、知ってた?」
「‥‥いや?」
「その後雛が生まれたらしくて、ある日気付いたら小鳥が増えてたんだけど‥‥その中に、体型はカナリヤだけど柄がどう見てもスズメ、ってのが一羽いたんだよね」
「‥‥それは‥‥」
「調べてみたら品種改良前の野生のカナリヤって、スズメの色をすごーく薄くしたような柄なんだよね。なるほどスズメ目! 柄も似てるし交雑可能なんだ!って―――」
「‥‥‥‥‥‥」
 どう反応していいのか解らぬ沈黙の中、神無がゆっくりとこうべを巡らせ、オタクトークに置いてきぼりだったサタン様のコートを眺め回した。
「‥‥ヤベぇ。スズメ柄に見えてきた」
「‥‥やめてくれたまえよ」

  ・・・・

 ‥‥そんなこんなでサタン様は、何となくぐったりと疲れた気持ちでゲヘナの箱船に帰り着いた。
 魔王の服に着替えるために、脱いだコートを侍従に渡しながら、しばし不機嫌に考えを巡らせる。
 そうしてサタン様は範囲の広すぎた「見る者にとってのカナリヤ色」の魔法を、黄色と白と赤系とに限定した「三色どれかのカナリヤ色」にかけ直したのだった。


 三界の覇を目指す魔王サタンに、双魔の溢れるオタク的知識が密かなダメージを与えたことは、今のところ誰も知らない。
 
―― 「影サタン様の魔法のコート」 END ――

(2008/05/26)