◇ 血潮&HEARTS ◇
オレはある物件の視察に向かう途中で、阿修羅会の面子に囲まれていた。
こいつら全員が揃いも揃って、オレより頭ひとつ以上デカいオッサンばかりだ。正直、囲まれたら周りなんか見えやしない。
『そいつらは二代目の盾代わりなんで、お願いですから大人しく囲まれてて下さい』
と始めに言われた時はドン引きしたもんだが(盾代わりも何も、ぶっちゃけただの人間よりはオレの方が強いだろ、どう考えても‥‥)、今は立場が立場だから、しょうがないと言えばそうなのかも知れない。
ともあれ、そんな状況だったけど、オレはどうしてか彼に気付いた。
銀座の交差点の端と端だったが、見覚えのある濃い緑色のツナギと、特徴的な髪型と――何より、彼の纏っている独特の気配というか、周囲の人間とは明らかに違う生命力のオーラみたいなものが、人垣の隙間から浮き上がるように目を惹いた。それをよく見たらリーダーだった、って訳だ。
「――リーダー!!」
阿修羅会の面々を押し退けて、オレはぶんぶんと手を振った。
皆が一斉にぎょっとした顔をして、俺の前に出て壁を作ろうとした。けど、さらに身を乗り出して「おーい!」と飛び跳ねると、リーダーも遠目にこっちを向き、よぉ、って感じで手を振ったのが見えた。
知り合いだからと皆を制止し、交差点を突っ切って駆け寄った。なんか久し振りだよなあ、と互いに言い交わしてから、ふと思い出した。
「なあリーダー、今って時間ある?」
「あー‥‥少しなら」
と言った後、何がどうというか怪訝な顔で「何かあんの?」と訊いた彼に、
「ちょうど近所に見せたいものがあってさ。ちょっとでいいから寄ってってくれよ」
ああ、うん、とリーダーは曖昧に頷いた。それで嬉しさも手伝って、ほとんどその手を引っ張るようにして、オレたちは近所のビルに向かった。
銀座のビルのいくつかは、阿修羅会のシマになっていて、最近はそれを順に再開発中だった。そのうちの、一番作業が進んでいるビルを、リーダーに見せたいとずっと思っていた。
だけどリーダーは忙しい。シェーシャ討伐の一件辺りから既に結構名が売れてはいたが、YHVHの神を倒した後にはもはやそれどころのレベルじゃない。フリンと並ぶ時の人ってやつだ。彼を指名するクエストは山積みで、何十件どころじゃない順番待ちらしい、なんて真偽不明の噂を何度聞いたことか。
オレはオレで阿修羅会のデスクワークに追われていて、お互い大した用もないのにわざわざ会う時間が取れる訳もなかった。
そんな状況の中、偶然オレの仕事絡みの現場に、当のリーダーが現れた。これは今しかねえ!って思うのは、もう当たり前っつーかなんつーか。
そんな感じでリーダーを連れて目的のビルに辿り着き、エレベーターで一気に屋上まで昇って錆の浮いた鉄扉を開けさせると、
「――――‥‥‥‥」
そこに広がった光景に、さすがのリーダーも目を丸くした。
ビルの屋上なんか普通なら荒れ放題だ。瓦礫で埋まっていたり床が抜けていたり、時には悪魔に襲われた挙げ句食い残された人間の死体が転がってるなんてことも珍しくない。
その上ここらはシェーシャが天井に大穴を空けた影響で、瓦礫の量がやたらと多い。地上の片付けだって相当大変だった訳で、屋上なんて普通なら後回しだ。
でも、死体や瓦礫なんてものはここにはなかった。
天井の穴から降り注ぐ光と、吹き渡る風を浴びながら、視界いっぱいに広がっていたのは、一面の新緑の草原だった。
「‥‥すっげえ」
しばし茫然と目を見張った後、リーダーがぽつりと呟いた。それからふと、思い出したように付け加える。
「ティルナノーグみたいだ」
「だろ?」
と何となく鼻高々で言うと、ほんとすげえな、とリーダーがまた言って、笑った。
‥‥天井に大穴が空いて以来、ここらには日が射し込むようになった。だったら御苑農場よりもこっちを開発した方がいいんじゃねえか、って話が出て、そこから先はとんとん拍子だった。
まずは配下の悪魔使いを駆使して、屋上に土を運び込んだ。それから、とりあえずは放っておけばいいようなハーブのたぐい(つまりは使える雑草みたいなもんだ、と大人達は言っていた)の栽培が始まった。
元々、ミカド国との行き来が増えてから、物の流通が格段に良くなって、野菜の種や苗なんかも入ってくるようになっていたから、今の東京では何が作れるのか、っていうお試し第一号の意味もあった。
その結果が、まるで空中の草原みたいな、屋上一面のハーブ園だったって訳だ。
それほど手間をかけなくとも、勝手にワサワサ伸びていくのと(さすがは雑草だ)、悪魔肉の毒抜きや臭み消しなんかにも重宝だってことで、昨今ここらで栽培されたハーブは着々と売り上げを伸ばしている。
屋上の真ん中に用意させた、小さな丸テーブルと椅子に陣取って、オレはリーダーにそんな話をした。
「今は別のビルもいくつか同時進行で整備中なんだ。‥‥でさ、そっちには時々マルヲも作業しに来るんだってよ」
「マルヲ?!」
「そうそう、マルヲ。‥‥結構マジメに働いてるって、そっち担当のヤツが言ってた」
マルヲという名だけで笑ってしまうのは、どうやらオレだけじゃなかったらしい。ていうか多分、アイツにファンドを持ちかけた時のことでも思い出したんだろう。リーダーは半分吹き出すみたいに笑いかけ――たところで、勢い余って噎せて咳き込んだ。
「いやそこまでウケなくても――リーダー、これ飲めって。ほら」
テーブルの上には二つの紙コップが置かれていた。中にはここで取れた葉っぱを使った〈フレッシュハーブティー〉って飲み物が入ってる。
ハーブ自体は乾燥したものが遺物で見つかることはある。けど、二十五年前の乾物と、生の葉っぱとじゃ比べものにならない。香りや風味が段違いだ。
リーダーはまずその匂いを確かめてから、恐る恐るって感じで口をつけ、
「なんか不思議な味だな‥‥」
って呟いた。
「昔を知ってる大人が言うには、これが〈新鮮な味〉ってヤツなんだってよ」
阿修羅会や農園の大人達は、みんな何だが懐かしいような顔をしてこれを飲んでいた。ハーブどころか生野菜さえロクに食ったことのないオレにはよく解らなかったけど、多分、昔はこういうものが珍しくはなかったんだろうな、って思った。
そんな話をしているうちに、
「あー‥‥悪い、ちょっと連絡」
忘れてた、とリーダーは言い、スマホを操作し始めた。どうやらメールを打っているらしい。
「え、もしかしてリーダー、クエストの途中かなんか――だったりすんの?」
そもそも偶然会ったところを強引に引っ張ってきたようなものだった。そういえば「少しなら」と言っていたし、本当は何か予定があったのかも知れない。
けど、
「‥‥その〈リーダー〉っての、もうやめろよ」
どうしてか、予定とかそんなことには一切触れず、少し沈んだ声でリーダーは言った。
「何でだよ。リーダーはオレたちのリーダーだろ?」
「‥‥もうリーダーじゃないだろ」
「? チーム組んで戦ってなくたって、リーダーはリーダーだよ。‥‥少なくとも、オレにとってはさ。ある意味人生の師匠っつーか、恩人っつーか」
段々と何を言ってるんだか自分でも解らなくなってきて、最後の方はいつもの癖でついごまかすように笑ってしまった。けど、言ったこと自体は100パー本気だった。
最初は彼の判断の速さとか、戦闘における迷いのなさとかに、単純に「こいつスゲエ」「タダモノじゃねえ」って感心した。
けどリーダーの強さはそれだけじゃなかった。相手が大人でも悪魔でも、物怖じすることは決してない。クリシュナの封印を解いた件でもそうだった。人外ハンターのお偉いさんに呼び出され、よってたかって責められた時にさえ、平気な顔で「くそくらえ」と言い放った。あれは今思い返しても胸のすく、最高に格好いい瞬間だった。
‥‥同じく悪魔に振り回されてきた同士だけど、オレと彼は全くの正反対だった。
自分のことを必死で隠し続け、ずっと逃げ回ってきたオレとは違う――
「‥‥おい」
何故か突然デコピンされ、痛てッ、と驚いて目を上げた。
「何が違うんだよ」
「え?」
おい二代目、とリーダーが苦笑し、その時初めて、考えごとがそのまま口から洩れ出ていたらしいと気がついた。‥‥うっわ、こっ恥ずかしいなおい!!
「ハレルヤはミカド国で俺達を助けてくれただろ」
メールを送信し終えたらしく、スマホをポケットにしまってから、
「‥‥こいつほんとすげえなあ、って思ったよ。あの時」
ジタバタしていたオレを笑うでもなく、リーダーはハーブティーの水面に視線を落とし、どうしてか妙にしんみりと言った。
「お互い面倒な身の上だろ。‥‥そりゃあ知られたくないに決まってるさ。周りがどう出るかも解らないし」
ああ、うん‥‥と曖昧に頷いてから、思い出した。リーダーには魔神ダグザが憑いていて、実はとっくに死んでいて――という話を、妖精の森で聞いた時のことを。
知らなかった、ってアサヒは泣いた。ノゾミはそれを適当に宥めながらも、場合によってはいつかリーダーを殺すかも、なんて物騒な話になったりした(そりゃあ握手しようったって拒否られるだろうよ‥‥とさすがにあの時はちょっと呆れた)。
何でって、あの時あれだけで済んだのは、たまたま運が良かったからだ。最悪、その場で殺し合いになる可能性だってある。フロリダの時だってそうだった。
リーダーはその度に上手く立ち回った。‥‥じゃあオレは? あんな風に切り抜けられるのか? と思ってみても、答えはいつも「解らない」で終わる。
勿論、半分の悪魔の血を表に出せば、ただの人間よりオレの方がよっぽど強いだろう。けど、それは今まで仲間だった誰かを殺すかも知れない、ってことでもある。‥‥そういう事態を、オレはずっと恐れていた。
だから、オレは、ずっと――
「あの時だってさ」
ふと切り出したリーダーの声に、オレはもう何百回、何千回繰り返してきたかも解らない、思考のどん底から引き戻された。
「黙って正体隠したまま、他の全員が殺されるのを待って、それから逃げることだって出来ただろ。でも――」
「――そんなこと出来る訳ねえだろ!!」
思わず血が昇って怒鳴ってしまったオレに、リーダーはふっと口元を緩めた。
「これだもんなあ。‥‥感動したよ。あの時もさ」
「感動って――あんな状況じゃそうするしかねえだろ」
「それを本気で言ってるところにも感動するよ」
「へ?‥‥」
これってもしかして褒められてんのか、と気付いて顔が熱くなった。それをごまかすように目を逸らし、ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜる。
「え、いや、だって、見過ごせねえよ。仲間が危ないって時に――」
「仲間?」
ぽつりとリーダーが呟いた。
妙に意外そうなその響きに、チラリとその顔を盗み見た瞬間――ぞくり、と背筋に鳥肌が立った。
ひどく暗い影を帯びた表情の中、神殺しから解放されて茶色に戻っていた彼の目が、金色に光ったように見えたのだ。
それは単なる光の加減のせいだったとは思う。太陽の光と電灯とでは、色の見え方が随分違うもんだと、初めて気付いた時にはびっくりしたのを憶えている。けど――
「‥‥なあリーダー、なんかあったのか?」
「何か、って?」
「いや、何がどうってか‥‥何となくだけど、元気ねえみたいだからさ」
「何もないよ」
「――‥‥」
思わず息を呑んで言葉に詰まった。本当に何気ない一言だったのに、それは突き放すような冷たさで響いた。らしくなく、彼が目を伏せていたせいかも知れない。それ以上の追求を拒むように――もしくは何かを隠すかのように。
「兄貴のところに帰れ」と言われた時だって、リーダーは真っ直ぐオレの目を見ていた。なのに――
「少なくとも、今の話じゃない。‥‥お前が気にすることじゃないよ」
取り繕うように付け加えて、目を伏せたまま、少し笑う。‥‥でもそれは逆に、いなくなる前の母さんを思い出させるものだった。
母さんがオレを捨てていったのか、それともどこか外出先で予期せず野垂れ死んだのか、オレには今でも解らない。けど、しょっちゅう父親の思い出を語り聞かせていた母さんが、段々とそれを口にしなくなり、時折こんな風に笑うようになった。
笑っているのに子供心にも不安しか覚えなかった笑顔の訳が、今なら解る。‥‥あれは諦めだった。そして「お前には解らないことだから」という、柔らかな拒絶。
だとしたら、リーダーは一体何を隠して、抱えて、そして諦めたのか――けど、そのどれもが、オレが知る彼とはあまりに縁遠いものにしか思えない。
「なあ、リーダー‥‥」
「――時間だ。そろそろ往くよ」
悪い、と言ってリーダーは立ち上がった。いつでも抜けるよう身に沿わせていた剣――いや杖か? いつどこで手に入れたのか見覚えのない、恐らくは鈍器系の武器を装備し直して、
「ちょっと遠くまで出掛けることになるらしいからさ。‥‥会えてよかったよ」
ひどく彼らしくなく、しんみりと笑って、そう言った。それはまるで遺言というか、書き置きというか――つまりは永遠のお別れみたいな、妙な響きをはらんで聞こえた。
「え、そっか、うん――あ、なあリーダー、その武器って何? いつ手に入れたっけ」
咄嗟に彼を引き留めようとして、何でか訳の解らないことを訊いてしまった。何言ってんだオレ! と内心で頭を抱えながらも、引っ込みがつかなくなってそのまま続ける。
「銀座のショップでも見なかった気がすんだけど、もしかして悪魔が落とすヤツだったりする?」
「ああ、相気の杖な。永劫の東狂3で魔人倒して手に入れただろ。あとリングとかも。‥‥ていうかあの時はお前がパートナー――」
言いかけて、リーダーは何でか不意に黙った。
東京3? 魔神? 今ひとつ意味が解らないが、その戦闘でオレがパートナーだったってことか? ‥‥とりあえずオレには覚えがない。
「それって――」
「‥‥悪い、なんか勘違いしてたっぽい」
曖昧に笑って、リーダーは肩をすくめて見せた。それは照れ隠しと言うよりは、やっぱり何かをごまかすために笑いを取ろうとしたように思えた――さっきと同じく。
「なあ‥‥やっぱり変だぜ? さっきからずっと、なんか隠してるだろ?」
一緒に死線をくぐった仲なのに、今さら何を隠すことがあるんだ、って憤りみたいなものが急に湧いてきて、後先考えずそう問い詰めた。
リーダーは答えあぐねたみたいに、目を伏せたまましばらく黙っていた。けど、
「‥‥俺だって、お前には解ってほしいと思ってたよ。ずっと」
「じゃあ――」
「でも、お前は絶対後悔する。知らなきゃよかった、知りたくなかった――って」
「後悔するかしねえかはオレが決めることだろ!」
思わず叫んで立ち上がった。勢い込んでいたせいで、両手でテーブルを叩いたような形になり、空になっていたリーダーの紙コップが飛び跳ねて卓上から転がり落ちた。
小さな白いテーブルを挟んで、オレたちはしばらく黙り込んだま、睨み合うようにして立っていた。
邪魔すんなよ、って人払いをしてたから、こんな大声を出したにも関わらず、誰かが飛んできてオレたちの間に割って入ったりすることはなかった。
リーダーはふと周囲を見回し、それを確かめたようだった。テーブルを回り込んでオレの前に立ち、
「‥‥じゃあ、見てみればいいさ」
そう言うと、今はあの模様がなくなった左手を、すい、とオレの額にかざし――その瞬間、彼の眸がまた金色に光った。
‥‥え? と思ったのは一瞬だけだった。
心臓がドクン、と跳ねるのと同時に、光のような力の波のような、訳の解らない何かの奔流が脳味噌に一気に流れ込んできて、オレ自身の意識とか自我とかいうものは、全部吹っ飛んで解らなくなった。
『――君はずっと一緒だった私達を裏切るの?』
‥‥突き刺さるようなノゾミの叫びは、ほとんど金切り声にしか聞こえなかった。
『今度こそアキラの生まれ変わりとして、前世の目的を果たそうとは思わないの?!』
今の俺は俺で、アキラじゃない。何で前世の宿題を押し付けられなきゃならない? あんたの言い分はいつもおためごかしばかりだ。俺の意思を訊いたことなんか一度も無かっただろう?――何度世界を繰り返しても。
『小僧は誰にも縛られぬ――誰もが果たせなかった目的を果たし、己の意思で人類を越えた先へ行くのだ』
ダグザ――俺はそんなことなんか考えちゃいなかった。ただあんたの願いを叶えたかっただけだ。だってあんたは俺に命をくれたから。あんただけが、何度世界をやり直しても俺を選んでくれたから。
『人間は自身の存在を確立するための不完全な存在だ――だからオマエは人間であることを棄てるべきなんだ――一人で生きられる力を手に入れるのだ』
でもそれは本当に、仲間を捨てろって意味だったのか? 仲間がみんなダグザの望む「個としての強さ」ってやつを手に入れられるなら、みんなを連れて行くことだって出来たんじゃないのか?‥‥
卵をどうするかってあんたが聞いた時、ダヌーはそれを利用したんだ。問答が食い違っていることを解った上で、巧妙にみんなを誘導して。
『多種多様な神々を――価値観を――それらを許容し、影響され続けることが――』
『害悪でしかない――そんなものは排除するべきだ――人は自身の不完全性を捨てる必要がある』
『それは人間に神になれと言っているに等しい‥‥』
『人は人を越える必要がある。完成した個として――それこそがオレが欲する真の自由だ――それを得るため全ての神々を――この間違った宇宙を破壊する』
『他者の存在が人を人たらしめているのがどうして分からないのですか――』
話がどんどんずれ込んでいく。ダグザの望む世界、ダヌーの望む世界。‥‥でも、そこに俺の意見を差し挟む隙間は微塵もない。
『ダグザがやろうとしていることは、とどのつまり、私たち仲間の否定――』
そうじゃない、と俺は言いたかった。でも、誰も俺の話を聞いてはくれない。ノゾミの、ダヌーの誘導で、ダグザを選ぶことは仲間を捨てることだと一方的に断定されて、勝手に話が進んでいく。
『人間は同調する生き物だ。だから悪意も敵意も害意も感染する』
以前ダグザが言った通りだった。そしてみんなは俺を殺すことを選ぶ――
『悪いな、リーダー。オレには守りたい組織がある‥‥』
ああ、解るよ――それは、解る。阿修羅会はお前の家みたいなものだから。
でも何で、俺の話を聞いてくれない? 何を考えてそっちを選ぶんだって、誰ひとり訳を訊こうともせずに、俺を殺そうと襲いかかってくる。それは一体何故なんだ? 本当は、誰も俺を信じていない――つまりはそういうことだったんじゃないのか。裏切ったのはどっちなんだ?
‥‥俺はみんなを連れて行きたかったよ。ダグザを選んで世界を作り替えても、みんなを捨てることなく連れて行きたかったよ。人形でしかない女神なんかじゃなく、生身のみんなと一緒にいられたなら、あの新しい宇宙でも一人きりじゃなかったのに――
‥‥なあ、何で俺を選んでくれなかったんだ?
何で俺の話を聞いてくれなかった?
何でついてきてくれなかった?
何で信じてくれなかった?
何で。
何で。
何で。
何で――
「――なあハレルヤ。お前は何で、俺を選んでくれなかったんだ?‥‥」
俺の声が不意にそう言った――
と思った瞬間、頭を思いっきり殴られたような、ひどくリアルな衝撃があった。‥‥違う、オレじゃない。それはリーダーの声だ。
身体が勝手にビクリと震え、オレは唐突に正気に返った。
ぼやけて滲んだ目の前には、オレと同じく涙を湛えたリーダーの金色の眸があった。
‥‥その時には、もう、解っていた。彼がオレたちを殺したあと、新しい世界で神になったこと。でも結局は耐えられなくて、何度も世界を作り直したこと。そうやって何度繰り返しても、オレたちは彼を信じようとせず、裏切られたと言って倒そうとしたこと――誰もその真意を知らされないまま、ずっと裏切り者呼ばわりされ続けていたアキラのように。
「お前なら俺のこと解ってくれるんじゃないかって思ってた――お前がそう思ってたみたいにさ」
「ああ‥‥」
オレもそう思ってた。リーダーは解ってくれるんじゃないかって。でもオレは――
「人間でいたいんだろ? 俺についてきて、人間じゃないものにはなりたくなかったんだろ?」
ああ、そうだ――きっと、ちゃんと訳を訊いたとしても、俺はビビったに違いない。だってオレはリーダーとは違う、半分悪魔で、臆病な――
「なあハレルヤ――お前はちゃんと人間だよ。悪魔の血を引いててもさ。でも――」
リーダーはいつしか掴んでいたオレの肩を離し、そっと突き放すようにして後ずさった。
「俺はとっくに人間じゃなかったんだ」
「リーダー――」
不意に嫌な予感がこみ上げた。武器の話をして無理矢理引き留めた時と同じ、まるで長いお別れの時みたいな――
「知りたくなかっただろ? こんなこと――だからさ、忘れていいよ」
「待て――って、おい‥‥!」
何が起こるのかも解らなかったけど、止めようとした。
でも、リーダーが遮るように手を上げて、同時にその目がまた金色に光った。
見えない圧力みたいなものに押され、オレはほとんど吹き飛ばされるようにして、背後の椅子に尻餅をついた。
「リーダー!!」
金色の光に包まれながら、彼が何をしようとしているのかをようやく悟った。
嫌だ――忘れたくねえよ。
だってオレはもう知っちまったんだ。それがどんなに嫌なことでも、重くても、辛くても、何ひとつ、忘れたくねえよ――リーダーのことも、オレが知らなかった繰り返しのことも、知らないままに重ね続けたオレたちの裏切りのことも――!!
「ごめんな――さよなら」
嫌だ忘れたくないやめてくれオレの記憶を取り上げないでくれ消さないでくれ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――‥‥!!
――プツン。と電源が切れるみたいに、頭の中が真っ白になった。
◇
‥‥ビルの屋上にある銀座農園・第一号番地は、今日も陽当たり良好だ。一面の草原みたいなハーブ畑は、風が吹き抜けるたびにざわざわと波打ち、独特のいい香りが鼻をくすぐる。
デスクワークで神経を使いすぎなのか、うっかりうたた寝をしちまってたらしい。気付くと盾代わりのはずのオッサンたちは遠慮するようにいなくなってて、オレは一人きりで風に吹かれていた。
みんなの厚意はありがてえけど、あんまりサボってもいられない。さっさと仕事に戻らねえとなあ――とか思いながらうんと伸びをして、席を立とうとしたその時だった。
ふと、卓上の飲みかけの紙コップと、足下に落ちたもうひとつの紙コップが目についた。
ふたつあるってことは、オレともう一人――誰の分だ?
誰かいたっけか、と首を傾げながら、落ちていた紙コップを拾い上げた時、
「――‥‥リーダー?」
何でその名前が出たのかは解らない。
でも、どうしてかその瞬間、ボロッと涙がこぼれ落ちた。
いや何でだよ、と内心ツッコミを入れながらも、涙は勝手に溢れ続け、コンクリの通路に黒い染みを作った。
‥‥何でだよ。一体何があったって言うんだよ、オレ。
訳が解らねえよ。何がどうリーダーと関係あるんだよ。誰か教えてくれよ、なあ――
まるでティルナノーグの一角みたいな、一人きりの屋上で呟いたって、答えてくれる奴は誰もいない。
空になった紙コップを手にしたまま、オレは訳も解らずただ泣き続けた。
涙を止めたくて見上げた空は、真っ青で綺麗で暖かくて、逆に悲しくなるほどに眩しかった。
――― 「血潮&HEARTS」 END ―――
(2016/06/12)