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 眼差しには厳しさしかないように思えた。
 認められたかった。
 誉められたかった。
 ずっとそれだけを欲してきた。


「あれは将来有望だ」
 ただその人に認めてもらいたい一心で、身を削るような鍛練にも励んで来たのに。
 その人が、他人を誉める。
「筋(すじ)も勘もいいが、その上に努力ができる。あれは楽しみな生徒だ」と。
 わたしが、わたしこそが、あなたにそう言ってもらいたいがために、どれほどの努力を払ってきているか……。
 知らぬのだろう、父は続けるのだ。
「六年の中では文句なく一番だ」
 おまえが、おまえこそが一番だと、あなたに言ってもらいたくて……。
 利吉は震えをこぶしに握りこむ。
 そして、父が手放しで誉める生徒の名前を胸に刻む。
 ――立花仙蔵。


 学園で、六年生相手の実技の授業を手伝うことになった。
 卒業前の一年とあって、実技に取り組む六年生の顔はみな、真剣だ。実際の忍び仕事に対しての不安や興味も大きいらしく、フリーで働きながら「一流」と言われる実績を上げている利吉の話にも、彼らは真剣に耳を傾けた。
 ……その中で。
 一人、立花仙蔵だけは。
 その公家人形を思わせる整って美しい顔立ちに、つまらなさげな色を隠そうともせず、利吉を取り巻く級友たちの後ろで、冷ややかにその集団を見やっている。
 利吉の話にざわめきが起こるたび、今にも肩をすくめそうに。
 父伝蔵に誉められているなど仙蔵はあずかり知らぬことだと思いながら、その仙蔵の態度に、利吉は心おだやかではいられないのだった。


 その夜。
 職員寮の一室を与えられた利吉は風呂のあと眠るまでの時間を、本の頁を繰ることに費やしていた。
 だが、目は字面を追うばかり、利吉の頭は答えの出ぬ問いに占められている。
 あの小生意気そうな、立花仙蔵のどこが……自分より秀で、父の眼鏡にかなっているのか。父は目を細め仙蔵の姿を追い、語る口調には満足がにじむ。忍びの道に求道者の厳しさをもってのぞむ父に、あれほどにうれしげな顔をさせる、なにが立花仙蔵にはあるのか。……なぜ、立花仙蔵なのか。
 利吉は問いを繰り返す。
 繰り返すたび、胸が奥深くから痛む問いを、繰り返す。
 なぜ、なぜ、なぜ、自分ではなく、立花なのか。
 手にした本の表紙が、ぐっと皺寄る。
 その時だ。
 ほとほとと板戸を叩く音がした。


 誰何に答えたのは、涼やかで落ち着いた……まさに立花仙蔵の声だった。
「お休みのところ、相済みません。六年い組の立花です」
 正直、今、顔を見たい相手ではなかったが、閉じた戸越しに話すのも妙だ。
「入れ」
「失礼します」
 礼儀正しく頭を下げて入室してきた仙蔵は、きっちりと髪を結い上げ、襟も正しく、制服をまとっている。風呂上がりにわざわざ身なりを整えたらしいのが、その少し湿った黒髪からうかがい知ることができた。
「明日の授業の準備のことですが、雨の場合にはどうするのか、うかがいたいのですが」
 そのためにわざわざ、制服を着直したのか。
 普通なら誉めてやるべきその折り目正しさが、今の利吉にはうっとうしかった。
 ……そしてまた。
 授業の時と同じだ。身なりを整え、目上への礼儀正しさを崩さずにいながら、仙蔵の目は、利吉への尊敬の気持ちなどかけらも見せず、眼差しは冷ややかに利吉へ注がれるばかり。
 利吉はいらいらとしてくる気持ちを押さえた。
「……雨の場合は戸部先生に剣術の稽古をつけてもらうことになっている。剣道場へ集まるように、クラスに伝えておいてくれ」
「はい」
 わかりました、と軽く頭を下げた仙蔵の口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「……なんだ」
 苛立ちが急激に高まった。利吉はとがった声で尋ねる。
「は?」
「今、笑ったろう」
「……別に、特に意味など」
 仙蔵は落ち着き払い、しかしこれは意識的にだろう、口元から冷笑にも似た笑みを消さぬまま、答える。
「ほう」
 利吉はしいて冷静を装う。
「おもしろくなくても笑うのか。覚えておこう、君はへらへらしているのが好きなんだな」
 厭味にも仙蔵は顔色を変えるでもない。
「……いえ。わたしはてっきり」
 笑みは、今やはっきりと嘲りを帯びたものに変わる。
「明日が雨なら、教室で山田さんのお話をうかがうことになるのだと思っておりましたので。素晴らしいご活躍の数々を、一時間、聞かせていただけるのかと。……残念です、剣術とは」
 雨だったらおまえはつまらぬ自慢話をするつもりだったのだろうと揶揄されて……。
 利吉は一瞬で視界が赤く染まるのを覚えた。


 気がつけば、利吉は仙蔵の腕を取り、その躯を身の下に組み敷いていた。


「こんなことで、わたしは傷ついたりしませんよ、山田利吉」
 利吉の、自分より大きな躯に押しかかられ、両腕もがっしりと床に押さえ付けられているというのに。なんの痛痒も恐れも感じていないとばかりに……仙蔵は涼やかな表情を崩すことなく利吉を見上げる。
「あなたにわたしを泣かせることなど、できはしません」
 どこまでもどこまでも、小生意気な。挑発的な言葉と眼差しに、利吉は突風にあおられたかのような衝撃を感じる。それは身内を突き抜けて行く怒り。
 あまりに圧倒的な怒りに、反対に利吉の口辺はゆるむ。
 ああ、どうしてやろう、この生意気で皮肉な、この憎らしい存在をどうしてやろう。
 怒りのあまりに、笑いがこみあげてくるのを利吉は感じる。
「……傷つくか傷つかないか……泣くか泣かないか、やってみなければ、わからないだろう?」
 にっと持ち上がった唇と同様に、声にもまた、怒りと裏腹な、楽しい遊びを持ちかけるような陽気さがにじむ。
 仙蔵の襟元に手をかけた。
 引き剥ぐその手にだけ、怒りがそのままの暴力で現れた。


 おまえになど、なにをされても平気だと、証明するように。
 仙蔵は利吉の手荒な振る舞いに否やも唱えず、さしたる抵抗もしない。
 好きにしろ。自分の躯すら投げ出して、仙蔵は利吉をあざ笑い続ける……。


 どこだ、どこだと。
 乱暴に仙蔵の衣服を剥ぎ取りながら、利吉は探す。
 この仙蔵のどこに、父上があれほどに認め、賞賛するところがあるのだ。
 白く滑らかな胸に、桜色の乳暈と尖りがある。これか、これか?
 爪を立てて引っ張った。肉の抵抗とともに、少しだけ伸びたそこを捻った。芯があるなら潰したいと指先に力を込めた。
 それとも、ここか?
 深緑の制服がはだけて露になった肩。まだ筋肉の保護の薄いそこに、思い切り噛み付いた。すぐに骨の堅さに歯が押し返された。上腕が少し盛り上がったところまで歯を滑らせ、今度はそこに犬歯を食い込ませた。
 ……かすかな血の味。
 ……これか? これですか、父上? この鉄錆めいた、この味が? ほかの誰よりあなたの目に止まるほどのものなのか……。


 仙蔵の裸体は美しかった。
 深緑の制服がはだけ、乱れた間から、白く肌理の細かな肌が陶磁のように光っている。まだ成長期の少年である仙蔵は、躯の線がまだ優しい。十分に鍛えられた筋肉としっかりした骨格を備えていながら、その印象は中性的で華奢なものだった。
 乱れて床に広がる、やはり上等な絹糸のような艶やかな緑の黒髪が、いっそう仙蔵を性別など超越した麗人に見せる。
 その仙蔵の、さすがに荒い息に上下する腹の上に膝を乗り上げ、両肘を押さえ付け、利吉は仙蔵を見下ろす。
 ――彼もまた。すでに成人の男性のたくましさを身にまといつつありながら……まだ、線に柔らかで細いところを残した彼にもまた……人のうらやむ美があった。しかし、今、さらさらと流れる鳶色のかかった髪は乱れてその顔にかかり、秀麗さとあまさを兼ね備えた顔立ちは、やるせなさと怒りに険しい。
 利吉は仙蔵にむしゃぶりつく。
 どこもかしこも噛んでみたかった。どんな味がするのか、どんな歯ごたえがあるのか。
どこもかしこも、開いてみたかった。なにが隠されているのか、どんなふうになっているのか。
 あの父が誉めるだけのもの。
 それはなんなのか、どこにあるものなのか。
 利吉は狂おしく仙蔵の躯を探る。
 その利吉の暴力に、仙蔵は唇をきっと噛み、視線を横に投げたまま。
 おまえに泣かされることなど、あるものか。
 その言葉とおりに、仙蔵は利吉の暴力を無防備に受け入れ、受け流す。
 時に痛みに唇を噛み、その息は乱れたが、呻きひとつ叫びひとつ、漏らす事なく。
 利吉の怒りはいやますばかり。
 これでもか、これでもか……!
 おまえはわたしを嘲笑うのか。どれほどがんばっても父に認めてはもらえぬわたしを、おまえは嘲笑うのか。
 裂けよとばかりに利吉は仙蔵の中に突き入った。


 仙蔵の左足を天に向けて抱え込んだ。
 床に投げ出された右足の上に乗り掛かり、利吉は身をひねる格好の仙蔵の中に己を突き込む。ずれた角度に小さくすぼまった仙蔵の入り口が軋み、抵抗を無視して菊の中央を破れば、あらぬ角度からの侵入に肉壁が擦れた。
 慣れぬ部分をえぐられて、さすがに仙蔵が背を反らせる。
 口に当てたこぶしは上がる声を呑むためか。
 ……どこまで耐える。
 残虐な興味に利吉は抱えた仙蔵の足をその上体に向けて倒す。
 その、身の固い者ならそれだけで悲鳴を上げそうな不自然な体位に、しかし、敏捷性とともに柔軟性を持つ仙蔵は耐える。だが。さらに空に向かってさらされる部分の多くなったそこに、利吉が体重を掛けながら、槍を深々と、しかも勢いをつけて突き入れ……、
「……!!」
 仙蔵の身が撥ねた。


 仙蔵の中はどこまでも熱かった。
 熱く、そして、貫く利吉にいちいち抵抗するように、肉の壁が立ちはだかり、利吉を締め付けた。
 中に、なにを隠している。
 利吉はより深くを目指して、己をえぐり込ませる。
 なにを、持っている。
 ここか、ここか、ここか。
 探る動きに何度も何度も腰を使った。
 仙蔵の肌は、繰り返されるその貫入に、しっとりと汗ばみ、肩も胸も、喘ぎをこらえて波打った。
 ……まだだ、まだだ、まだわからない。
 おまえのなにが父上に誉められるのだ。
 おまえには何があり、わたしには何が足りないのだ。
 利吉は足の下に敷き込んでいた仙蔵の右足を、引っ張り上げる。
 左足と揃えて膝裏を持ち、胸につけとばかりに押さえ込んだ。
 仙蔵の臀部は利吉に刺されたまま、天井に向けてさらされる。
 角度が合い、より深く己を貫く肉棒を咥え込んだそこに、利吉はさらならる蹂躙を加える。
 ぶつかる肌がぱんぱんと音を立てる。
 どちらが分泌したものか、利吉を呑んでいっぱいに拡がる肉輪にあぶくが立つ。
 ぐじゅ……ぐじゅ、じゅ……。
 湿った音が、した。


 大きく開かせた脚の間から、仙蔵が見上げてくる。
 大きく……頭よりも高い位置に足が来るほどに大きく、深く……脚を拡げさせられながら、仙蔵は歯は食いしばったまま、利吉を見上げる。
 にじんだ汗に、黒い髪を一条二条と顔に張りつかせ。
 利吉もまた、仙蔵を見下ろす。
 やはり、汗に、乱れた髪を額に張りつかせながら。
 仙蔵の恥部は天にさらされ、覆うものとてなく、利吉に拡げられ、利吉を呑んでいる。
 利吉も。己の器官を仙蔵の中に埋没させ、より深く深くに穿ち入ろうと腰を仙蔵の腰に打ち付ける。
 ……そうやって。
 互いの躯の一部を、相手の躯の一部に、めりこませ、繋げさせ、身を重ねながら。
 彼らは睨み合っていた。
 ずんずんと突き入れる腰の動きは、責めると同時に官能を追う。
 そうやって……責めて、責められながら、彼らは睨み合っていた。
 腰の動きはいやましに速くなる。
「……うぅっ」
 ついに、声をもらしたのはどちらだったか。
 彼らは睨み合ったまま……利吉は仙蔵の身内深くに、仙蔵はおのれの腹の上に……熱い、白濁した精を、放った。


 さすがにいつもの動きに比べると緩慢だったが。
 仙蔵は解放されると同時に身じまいを整えた。
 乱れた髪を、撫でつける。
「……気が、すみましたか」
 少し喉にかかった、しかし、落ち着いた声で仙蔵はそう聞いて来た。
「……なに」
 利吉は問い返す。……いったい、これで、なんの気がすむと言うのか。
「わたしがあなたに心服しないものだから……わたしのことが許せなかったのでしょう?」
 そう言ってほほ笑む仙蔵の顔は、ことの前と全く同じ嘲笑を帯びている。
「それほどに、誰も彼もから、すごいすごいと誉められねば、気がすみませんか、山田利吉」
 なに、と利吉は仙蔵をにらみ返す。
 誰も彼もから、だと? 
 その睨みを返事ととったのか、仙蔵は小さく、しかししっかりと肩をすくめて見せた。
「たった三年差だ。あいにくと、わたしはあなたが怖くない」
 立ち上がった仙蔵は、利吉の頬にすらりと細い指を伸ばす。
「……こんなことで、わたしを負かしたなどとは……思わないでしょうね、山田利吉」
 細い指が頬を撫でる感触に、利吉は神経そのものが撫でられるような不快を感じ、その手を払いのけた。
「おまえなど。負かしたいとも思わない」
 すっと仙蔵の目が細くなった。
 人より秀でることが当たり前で育った彼ら二人は、天敵のように睨み合う。
 相手の肉体の一部を自分の中に、無体とは言え……受け入れた、相手の肉体の中に自分の体液を注ぎ込んだ、その事実がもたらす馴れ合いも侵襲も一切ない。人に抜きん出ることを周囲にも自分にも認める彼ら二人は……あまやかな空気などまったく拒否して、睨み合う。
 仙蔵は思い出したように袖をまくりあげる。
 そこには利吉の歯型が、くっきりと残る。
「……跡がある」
 その一言で利吉は仙蔵の言わんとするところを察する。
「誰にでも、訴えて出ればいい」
 仙蔵はその細い顎を持ち上げる。
「ここはそう出るべきところじゃないでしょう? 学園はあなた自身の職場ではない」
 利吉の、学園の生徒相手の悪行に、困るのは利吉自身よりその父である山田伝蔵だろうと、仙蔵は冷静に指摘する。
「土下座して、内緒にしてくれと君に頼めと?」
「確かにそれは魅力的だ」
 仙蔵は笑みの形に唇を吊り上げる。
 利吉は倦み疲れたような視線をちらりと仙蔵のその笑みに向ける。
「性行為を、男の身でありながら、わたしは強要されましたと……訴えて出て、忍びの仕事をして行くのに、得なことはひとつもないが。だが、君はまだ、学園の庇護の元にある学生だ、訴えて出て損なことは今ならば、万に一つもない。今の立場限りの優位を、君が振るいたいと言うのなら、わたしは君に土下座でもなんでもしてやろう」
 仙蔵の笑みがこわばる。
 やがて彼は、小さく首を振り、
「……仕方ないなあ」
 ため息を漏らした。
「まだあなたには敵わないということですか。……でもね、痛い思いをしたんだ。たとえ学園にいる間だけの空しい特権だと言われても……これはあなたへの貸しにしておきます」
「いつでも取り立てにくればいい」


 最後にもう一度、彼らは宿敵の眼差しを交わしあう。
 殺せるものなら、殺したい――
 互いの眼差しは、熱く熱く、絡み合う……。

        *        *        *        *        *

「それほどに、誰も彼もから、すごいすごいと誉められねば、気がすみませんか、山田利吉」
 仙蔵の声が耳の底から響く。
「誰も彼もから」
 利吉は床を見つめる。
 ――誰も彼もから、などと。誰が誉めてほしいものか。
 称賛が欲しいのは、ただ一人から。認めてほしいのは、ただ一人から。
 千も万もの言葉はいらない。
 ただ、一言。
 よくやった、と。
 それでこそ、わしの息子だ、と。
 その一言があれば……自分は報われる、救われる。
 おまえに、なにがわかる。
 床の上の、仙蔵の白い残像に向かい、利吉はつぶやく。
 あの人から……手放しに誉めてもらえる、おまえに、なにが……。


 利吉はふらりと部屋を出る。
 なにをどう、と思っていたわけではない。
 ただもう、息が苦しくて。
 利吉は救いを求めて、ふらりと部屋を出る。

        *        *        *        *        *

 戸が、なにか大きくて柔らかいものがもたれかかったように軋んだ。
「誰だ」
 誰何の声とともに、山田伝蔵は立ち上がる。
 応えの声はない。
 伝蔵は板戸を開ける。
 戸にもたれかかっていた人間が、崩折れるように、部屋の中へと膝をついた。
「……どうした」
 伝蔵は、うずくまる息子に向かい、声をかけた。


「……わたしは……」
 いつも怜悧な対応にそつのない息子が、そう呻くように口にしたきり、夜間の突然の訪れを詫びることもなく、その理由を説くこともないのを、伝蔵は不審に見下ろす。
「どうしたのだ、利吉」
 声に叱責の調子を込める。
 利吉は顔を上げることすらせず、力無く首を横に振る。
 息子に聞こえるようにため息をつき、伝蔵はその腕を引いた。
「とにかく、部屋に入りなさい」
 板戸を閉めた。


 部屋に入った利吉は、やはり悄然と肩を落とし、顔を上げようとせぬ。
「どうしたのだ」
 伝蔵は重ねて聞く。
「……わたしは……」
 呻く利吉はこれも彼らしくなく、乱れたままの髪の間から、伝蔵を見上げてくる。
「……わたしは……」
 そう繰り返す利吉に目を当て……伝蔵は、深く息を吸い込んだ。


 常ならぬ様子の利吉からは……たったいま、終えたばかりらしい情事の香りが色濃く立ちのぼっている。匂いだけではない、その肌はまだ上気の名残に艶めいている。
 乱れた髪、襟のあまい寝着、切なげなその表情……すべてが濃密に色事の余韻を引いて、伝蔵の前にあった。
 ――そうして。
 力無くうなだれる利吉は……まざまざとその母を伝蔵に思い出させる。
 利吉の目元口元は父親似だと誰もが言うが、すっきりと小さめな瓜実顔と、形のよい眉、きれいな鼻梁は、はっきりと母の血を示す。
 ……今。
 情事の香りを身にまとい、うなだれる利吉は……伝蔵の愛を受けた直後の女のさまを……伝蔵に思い出させる。
 これは、息子だ、あれではない……。
 己に言い聞かせる伝蔵を揺さぶるように、利吉が言葉を絞り出す。
「……わたしは……あなたに……愛されたい……」
『わたくしはあなたに、愛でられとうございます』
「あなたに……かわいがってもらいたい……」
『お願いでございます。どうぞ、わたくしを……かわいがって下さいませ』
「お願いです……」
『お願い……』
 強い自制にも関わらず、伝蔵の頭のなかには、彼にしどけなくもたれかかり、抱擁をねだる彼の愛妻が立ち浮かぶ。
 これは、息子だ。
 己に向かい繰り返す伝蔵の……股間に向かい、利吉が手を伸ばす。
「こら……っ! やめんか、利吉っ!」
 制止の声が上ずった。
 利吉は止まらない。
 伝蔵の寝着の裾を割り、下帯を探り……利吉は引き出したものを、ためらうことなく、その口中に含む。
「やめんかっ!! 利吉っ!!」
 腰を引きながら、強く伝蔵は叱咤する。
 利吉は止まらない。
 口の中いっぱいに納めたそれを、吸い、舌を絡めてしごいている。
「利吉っ!!」
 伝蔵は叱責とともに、己の股間に顔を寄せる息子の髪をつかみ、引っ張った。
「やめんか! なにをする!」
 伝蔵の股間のものから引きはがされた利吉は、上目使いになって伝蔵を見上げる。
「……お願いです……」
 その、表情、その、口調。それは、なんと、伝蔵の情けをねだる彼の愛妻に似ていたことか。
「……お願いです……一度でいい……わたしがあなたにとって大切な存在だと……あなたに認められる存在なのだと……感じさせて下さい……」
 訴える利吉の目尻に涙がにじむ。
「……なにを……利吉……」
 呆然と伝蔵は問う。なにを、言っている、利吉。
「……わたしは……いままで……ただ、あなたに認められたいと……それだけを思って……あなたに、誇ってもらえるような……そんな息子になりたいと……」
 なにを言っている、利吉。
 伝蔵は声もなく利吉を見下ろす。
 自慢の息子だ。誰にも誇れる息子だ。その才を、どれほど自分が喜び、その活躍にどれほど胸躍らせているか……語ったことはなくても、伝わっていると、どこかで思っていた。
「一瞬でいいのです……あなたに……あなたのすべてに……なりたい」
 声の震えに利吉の不安と渇望がのぞく。
 それではこれはわしのせいか。
 誇っていた、愛していた。
 しかし、それを伝えることはしてこなかった。
 だからか、利吉。その不安は。その涙は。
 おまえはわしに愛されていると、思えたことがなかったか。
 再び、利吉は請い願うその気持ちを伝えようとしてか……伝蔵の股間のものに顔を寄せて行く。
 伝蔵はまた、その利吉の髪を引っ張った。
 それだけで、利吉の、瞳が揺れる。
 その不安は、わしのせいか。
 哀れさとすまなさが、伝蔵に押し寄せる。
 伝蔵は母譲りの秀麗な息子の顔に、唇を寄せた。


 利吉のまとった色事の残滓に、目がくらんだか。
 それとも、愛した女の影が、頭に霞をかけさせたか。
 あるいは……その両方か。
 哀れだと、父として息子を想いながら……仰のく利吉のまだ細さの残る首筋に、はだけた衣からのぞく白い腿に……伝蔵はおのれの下半身が疼き出すのを止められなかった。
 そしてまた……それは利吉自身が望むことでもあったか……。
 利吉は伝蔵の再三の制止にも関わらず、そこを唇と舌で愛撫するのをやめようとはしなかった。


 もうこんなに大きくなっていたか。まだこんなに細かったか。
 伝蔵は息子の全身を、己の手で確かめる。
 幼いころから、子の養育はその母にまかせきりだったように思う。
 忍びとしての鍛練に入ってからは、我が子といえど……いや、我が子なればこそ、容赦しなかった。
 伝蔵には利吉を抱き、あやした記憶がなかった。
 それでもおぼろに、あぐらをかいた足の間に、その小さな尻を乗せ、食事をさせた記憶はあったが。
 今。
 その、伝蔵の足の間に収まっていた、丸い小さな尻は……その持ち主の手によってふたつに分けられ、伝蔵の「愛」が収められるのを待っていた。


「……言って、くだ、さい……」
 伝蔵の躯の上で……下から伝蔵に突き上げられながら、利吉がせがむ。
「おまえが……一番だと……」
「……おまえが、一番だ」
 ひときわ深い突きに、利吉が脇腹を震わせる。
「……言って……」
 伝蔵の胸をその手で撫で回しながら、利吉がせがむ。
「おまえが……いい、と……」
「……おまえが、いい。一番だ……」
 ああ、と利吉が天を仰いで嬉しげな喘ぎを漏らす。
「……よく、やって、いる、と……」
「おまえはよくやっているよ……」
 伝蔵自身、すでに止まらぬ律動が、身のうちからこみあげている。
 その体内からの、解放を目指す自然な律動の命ずるままに、伝蔵は利吉を揺すり続ける。
「おまえは、よく、やっている……」
「ああっああっ」
 下から深く串刺され、仰向く利吉の全身に、細かい震えが走る。
「……おまえは……わしの、誇りだ……」
「あああっ!!」
 鋭い叫びを上げ。
 利吉はその背を反らして、硬直する。
 深く深く、父をその体内に迎え。
 深く深く……父の言葉を胸に刻み。


「……ちちうえ……」
 呼ぶ声は妙に舌足らずに聞こえた。
 そうして伝蔵の上に、脱力してもたれこむ利吉の頬は、涙に濡れながら、ほほ笑みを浮かべている。
 伝蔵は胸の上に、愛息を抱き締める。
 その髪を撫でる。
 伝蔵のものはまだ、時折強く収縮する肉壁に、包まれたままだ。
「……父上はいま……わたしだけのものですね……」
 うれしげに利吉はささやき、ゆるく腰を回す。
「もう……やめないか」
「いやです」
 幼子が駄々をこねる口調で、利吉は首を振る。
「……ようやく……ようやく、です、父上……ようやく……」
 あなたに認めてもらえた。
 こんな方法で、こんなやり方であるのに。晴れ晴れとした利吉の瞳に、伝蔵は言葉を飲む。
 ここまで追い詰めていたか。ここまで思い込ませていたか。
 伝えようとしなくても、伝わっているはずだと思っていたとは、言い訳に過ぎないか。
「……うぅう……」
 ゆるい抜き差しに、それでも力を取り戻しだした伝蔵のものに、内臓が再び押されるのか、利吉が呻きを上げた。
「もう……」
 伝蔵は利吉の胸を押しやろうとする。
 その手は利吉の汗ばんで熱い手に搦め捕られた。
「……いやだ……いやだ……ようやく、ようやく、なんです」
 おのれで振る腰の動きに、己が身を、穿たせながら。
「……ようやく……あなたがわたしの……わたしだけの……」
 利吉は一際強く、腰を落とす。
 伝蔵には、最奥の肉が擦れて開かれるのが感じられる……。
「あうっ……!!」
 利吉の髪が、撥ねた。


 利吉は、何度も何度もねだった。
 言葉を、愛撫を、伝蔵自身を。


 与えずに来た、欠けさせたままで来た、その重さを伝蔵は噛み締める。


「父上……」
「利吉……」
 呼び合う声は、明日には常の響きに戻るのか。
 戻るのだろうか……。
 与えずに来た、欠けさせたままで来た、それはこの一夜の情交に、埋められるものなのか。取り返しのつくものなのか。
 不安は伝蔵にだけあった。


 不安を、哀れさを、底に秘め。
 ようやくに得られたものをむさぼる快に、父子の禁断の夜は更けた――


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