その昼休みの後だ。
土井先生の指導で、新型の火薬玉を作ることになった。
なんでも、硝石と硫黄の配合が違うんだそうで、爆発力が増すんだそうだ。実際に爆発させて、石と木で組んだ簡単な石垣を壊して破壊力を見るんだけど、今までの火薬玉と違って危険度が高いから、導火線に使う油に浸した麻紐は長さを今までの倍以上の六尺を取るようにって、何度も言われた。 *六尺:約180センチ
何度も言われたってことは、そこに落とし穴があるってことだよな。
ついでに、新しい配合量ってことは、そこにも危険があるってことなんだ。
で、そういうことって、やっぱ、後になってみないとわかんないんだよな。
団蔵が言った。
「せんせえ。硝石がたりませえん」
半助が答える。
「おかしいな。ちゃんと分量を用意したんだが。おい、どこか、硝石の量を間違えた班がないか?」
庄左ヱ門が言った。
「先生。麻紐が余ってますけど」
半助が答える。
「おかしいな。ちゃんと分量を用意したんだが。‥‥おい、どこか、麻紐の短い班はないか!?」
おれは隣の班で火薬玉を作ってる乱太郎の手元を見た。
「‥‥なあ、乱太郎、それってやたら、短くないか?」
「え?」
乱太郎がきょとんとおれを見返す。
「だって、六寸でしょ?導火線」 *六寸:約18センチ
乱太郎と同じ班の喜三太が言った。
「火、つけるよ、乱太郎」
ふわっとあくびしながら、乱太郎がうなづく。
このところ、寝不足気味の乱太郎‥‥ぼおっとした目線‥‥。
「乱太郎、硝石、硝石の量は!?」
「‥‥え‥‥」
おれは叫んだ。
「離れろ!喜三太!」
叫ぶと同時に、おれは乱太郎に飛びついていた。だって、乱太郎、火薬玉の真横でぼおっと立ってるから。
乱太郎を抱えて横っ跳びにはねながら、おれは、チリ、というかすかな音を聞いていた。
導火線から火薬玉に火が移る瞬間の、爆発の寸前の、その音。
やたら冷静におれは思った。ああ、脇腹はやられるなって。ぎゅっと乱太郎の頭を抱え込んだその時だ。
おれは、黒い影にすっぽりとおおわれていた。
新野先生がむずかしい顔で手当を進める。
おれが抱え込んでた乱太郎は傷ひとつなく、乱太郎を抱えて飛んだおれは顔と腕と肩に派手な擦り傷、そして‥‥そして、おれを抱え込んだ土井先生は、背中から脇にかけて、ひどい火傷と、全身に打撲を負った‥‥。
「命に別条はないよ。そう深刻な顔をするでない」
新野先生がおれたちを慰めてくれる。
「ちゃんと急所を外して身をかばうのも、忍びの技じゃ。‥‥今夜一晩は熱も出るし、痛みもひどいだろうが、大丈夫。あしたには落ち着くよ」
おれは、おれたちは、声もない。
土井先生は、まだ気づかない。
新野先生は痛み止めと解熱の薬を調達しに行くと言って出て行った。
新野先生、おれたちには大したことないように言ってるけど、たぶん、土井先生の状態が悪いんだろうことは、想像がついた。たぶん‥‥学園に常備してある薬じゃ間に合わないんだろう‥‥。衝立の向こうで寝かされている土井先生が心配で、おれたちは保健室に座りこんだ。
「‥‥わたし、わたしのせいだ‥‥」
乱太郎が涙ぐむ。おれはぽんと乱太郎の頭をたたいた。
「おまえ一人で作ってたわけじゃない。事故だよ」
おれがそう言った時だ。がらり。保健室の戸が開いた。‥‥だいたい、いやな予感はしてたんだ。
「土井先生は?」
開口一番、そう言う奴の顔は青ざめている。それでも、戸を開けるまで足音も気配もおれたちにはつかませないんだから、やっぱすごいんだろうな。
おれはぐいとあごをしゃくって、衝立を示した。山田利吉はすっ飛んで様子を見に行く。
ケガの様子を確かめてこちらに戻って来た利吉の背後に炎が見えた。‥‥あーあ。
「どうしてこんなことになったんだ」
「それは‥‥」
説明しようとする乱太郎をおれは片手で制した。ここに飛んで来たってことは、利吉の野郎は誰かから事故のことを聞いてるってことだ。知っててこういう言い方をするんだから、それは質問じゃない、非難だ。怒ってんだ。ついでにおれは、ほかの生徒よりはるかに利吉との付き合いがある。怒ってるこいつに何を言ったって通じないことは百も承知だ。
無駄な労力を払うのは、おれは嫌いだ。
「なんとか言ったらどうなんだ」
黙り込んで、ただ利吉を見上げているおれの態度が、こいつにどういう印象を与えるか、わからないほどおれも馬鹿じゃないが、おれもこいつには素直に出たくない意地がある。
「‥‥それほどおまえは先生に迷惑かけなきゃ気がすまないのか‥‥?」
利吉の低い声。ほかの生徒なら、ぶるうんだろうが、おれは目に力を込めた。
「心配かけて引っ張りまわさなきゃ、安心できないか‥‥?」
利吉のただならぬ気配に乱太郎が、横から入ろうとした。
「ち、ちがうんです、り、利吉さん‥‥」
おれはもう一度、乱太郎を片手で制した。これは、まあ、乱太郎には言ってないけど。
要はおれのあの夜のバイトは、こいつと先生の同居がきっかけで始まったわけで、それ以前からおれと利吉のさや当ては当然、あったわけで。三角関係で弾き出されたおれが体を売るようになったのは土井先生も知ってて。それを先生がほっとけるわけもなくて、つまり、同居はしたものの、先生は夜な夜なおれを心配して夜の街をさまよい、利吉の野郎は指をくわえて独り寝ってことが続いたわけだ。
で、揚げ句、おれをかばって先生が身動きもままならぬほどの大ケガを負ったとなれば、まあ、こいつに何をどう説明しようと聞く耳は持ってないだろう。
「かまってほしいばっかりに、おまえはどこまでやれば気がすむ?半助が自分のために大ケガして嬉しいか?こどもみたいに拗ねてれば、半助がいつまでもかまってくれると思ってるんだろ。これみよがしに‥‥半助がほうっておけないのを知ってるからわざと悪どいまねをして‥‥」
さすがにおれも唇をかんだ。
わざと‥‥?だったらおまえ、人に心配してもらいたいためだけに、いっぺん、体売ってみろよ。そんな理由で売れるものなら売ってみろ。
そう言ってやりたかった。‥‥でも。
土井先生は大ケガをしてまだ気づかない。それはおれたちを庇ったために。くそ!おれだって、わかる。利吉がどうしてこんなに怒ってるのか。
「いい加減にしたらどうだ。自分一人の都合で半助を振り回すのも大概にしろよ。先生はおまえのものじゃないんだぞ。おまえは‥‥」
その時。おれはふるふる震えてる乱太郎のこぶしに気づいた。
「い、いいんだ‥‥」
乱太郎が小さく言った。え、と利吉が振り向く。
「いいんだ!先生は心配したらいいんだ!」
乱太郎、叫ぶ。
「先生は、先生は、だって、先生なんだから‥‥!わ、わたしたちは生徒で‥‥だから、だから、土井先生は‥‥」
おい、乱太郎、落ち着けって。
「土井先生はわたしたちの先生なんだ!そ、それは‥‥それは、その‥‥り、利吉さんにも先生は大事な人だけど、でも、先生は先生なんだ。わたしたちの先生なんだ。だから、わたしたちは‥‥先生に心配してもらって、迷惑かけて、面倒みてもらって、それでいいんだ!」
おれは拍手を送りたくなった。利吉の野郎は乱太郎に言い切られて声もない。
これはな。乱太郎が言うから利吉も黙るんで、同じことをおれが言っていたら、ぶん殴られて終わりにちがいない。
「それに‥‥」
乱太郎が頭を下げた。
「間違った火薬玉を作ったのはわたしです。‥‥ごめんなさい。きりちゃんは、悪くないんです」
利吉は横を向いた。
「‥‥わかった。もういいから、教室に戻りなさい。先生は‥‥わたしが見ているから」
だーかーら、むかつくんだよ、こいつ。すぐに我が物顔しやがって。
‥‥でも、仕方ないのか。
おれは乱太郎の肩に手を回して保健室を出た。
廊下に出てすぐだ。
土井先生の声が聞こえた。
おれと乱太郎はそこに立ちんぼになった。
「気づいたんですか。痛みますか」
「‥‥乱太郎に一本、取られたな」
「‥‥聞いてたんですか。まいりますね、ぐうの音も出ませんでした」
「いい子たちだろう?わたしの、生徒たちは‥‥」
「ええ、まあ。一部例外もあると、言いたいところですが。‥‥大丈夫ですか?痛み止めを‥‥」
「いや、いい。まだそれほど痛まないよ。‥‥飛んで来てくれたのか」
「父が知らせてくれたので‥‥。大丈夫ですか、ひどい‥‥ケガだ」
「君がいつも負ってくる傷に比べればかわいいものだよ」
「半助‥‥」
「多少はわたしの気持ちが君にもわかるだろう?」
「‥‥痛い、痛いです。‥‥自分がケガをするより、ずっと‥‥」
「そう。わたしは、だからずいぶん、君には痛い目を見させらてるんだよ」
「‥‥半助‥‥」
「‥‥まったく、ケガ人はわたしなんだから。君が泣いたら反則だよ」
おれは乱太郎をうながして、静かにそこを離れた。これ以上、聞いてられるか。あほらしい。乱太郎が首まで真っ赤になっている。‥‥まあな、免疫がなけりゃ、そうだよな。
免疫が‥‥あったって。聞いてられるか。くそ。ふたりで、心配しあいっこしてればいいんだ。馬鹿野郎。半助の馬鹿野郎、利吉の馬鹿野郎。仲、いいじゃねえか。くそう。
先生は利吉が好きなんだ。
知ってらあ。そんなこと。くそ。いまさら、それがなんだよ。くそう。馬鹿野郎。
「きりちゃん、きりちゃん」
乱太郎がおれに呼びかける。
ばかみたいに突っ立って、下向いて、ぽたぽたぽたぽた、涙を地面に落としてる、おれに。乱太郎が呼びかける。
「きりちゃん‥‥」
乱太郎が、ただ、おれの名前を、呼んでくれる‥‥。
夜。 にゃあ。猫が一声鳴いた。おれはその猫を知っている。そうっと寝床を抜け出した。
植え込みの陰にそいつはいた。こいつがここにいるってことは、土井先生は落ち着いてるってことだよな。おれは安堵のため息をつく。
「その。昼間は悪かったな、言い過ぎた」
へ。こいつでも謝るってこと、知ってるんだ。
「いいよ。あんたが怒るのもわかるから」
「‥‥もうひとつな。俺はおまえに謝ることがある」
闇の中で利吉の野郎の目が光る。どう見たってこれは謝る態度じゃないよな。おれは身構えた。
「‥‥俺は、おまえが気にくわなかった。‥‥おまえは、いつも土井先生にべったりで。
俺はそれが気にくわなかった」
「それはお互い様だろう。おれだって気にくわない」
利吉の野郎は手を上げておれをさえぎる。いちいち気にさわる奴だ。
「喧嘩をしに来たんじゃないんだ。‥‥俺は、だから、おまえが気にくわなくて。おまえが半助を慕うのが許せなくて。だから‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥半助は、俺との同居になかなか踏み切ろうとしなかったんだ。俺がどれほど説得しても、聞いてくれようとしなかった。待てと言われたんだ。おまえが卒業するまで。待ってくれと」
「はん。なんだかんだ言ったって、ちゃんとあんたたちは一緒に暮らしてるじゃないか。いまさら‥‥」
「おまえは知ってるだろうが、俺はそれほど気の長い男じゃない。卒業まで待てるか、そう思った。だから、言ったんだ。半助に。きり丸はもう子供じゃない。‥‥おまえは、俺が半助を見るのと同じ眼で、半助を見てるんだと」
「‥‥え」
利吉は深くため息をついた。
「俺が半助を見るのと同じ眼で見てるって、そう言ったんだ。おまえなら、わかるだろう、それがどういう意味なのか」
利吉と同じって‥‥つまり、おれが先生を‥‥。
「それから、すぐだよ。半助が俺との同居に踏み切ってくれたのは」
おれは小さく首を振った。確かにおれは先生が好きだった、大事だった、だけど。
「‥‥おれ、おれ、ちがう。そんな、おれは‥‥」
「知ってる!‥‥知ってた!だから、こうして謝りに来たんだ」
ぐっと利吉がおれに頭を下げた。
「許せ、きり丸。俺は半助を独占したかった。誰にも渡したくなかった。‥‥今日、乱太郎くんに言われて、はじめて、俺は‥‥」
利吉がおれに謝る。おまえから、「先生」を取り上げて悪かった、と。
「いまさら、とおまえが言うのももっともだが。半助は、半助はおまえを捨てたんじゃない、半助は‥‥」
‥‥知ってる。おれも、知ってる。先生はいつもおれを気にかけてくれてる。大事に思ってくれてる。おれが自棄に走ってる時でも、いつでも先生は‥‥。今日だって。先生が一瞬でも躊躇していたら、おれがかすり傷ですんだわけはない。すっぽりと、おれをくるんで守ってくれたのは‥‥。
「俺は強引なことをした。だけど、半助は、ちゃんと今でも、おまえの先生だ」
利吉の野郎は、そう言うと‥‥自分の言いたいことだけ言うと、ふいと消えてしまった。
今日のおれの涙腺は弱い。でなきゃ、ちゃんと消えた先だって見えたろうに。
部屋に戻ると。当然なんだけど。乱太郎が寝ていた。
ふとんの上に腕が一本。袖がめくれて。おれは吸い寄せられるように、その腕にほおずりしていた。
「‥‥きりちゃん?」
「‥‥起こしたか、悪い」
「出掛けてたの、きりちゃん」
乱太郎が心配そうな声を出す。
「いや、ちょっと水飲みに起きただけだよ」
乱太郎がにこりと笑う。よかった、と言いたげに。
「‥‥でもね、きりちゃん、それ、きりちゃんの腕じゃないよ」
「ええ、いいじゃん。おんなじ腕なんだからさあ、そろそろこっちも解禁しろよ」
「だって‥‥」
「いいだろ。なあ。おまえ、おれに左腕触られて気持ち悪かったか?」
「そんな‥‥別に気持ち悪いわけじゃ‥‥」
「じゃあいいじゃん。おんなじだぜ、腕だもん」
「‥‥ほんとに、きりちゃんはあ‥‥」
おれは新しく許された右腕に口づけた。‥‥たぶん、昼間のことがあったせいだろう、今日の乱太郎は優しい。でもなあ。おれは思った。どうせだったら、足とか背中とか腹とか胸とか触らせてくれたら、きっともっと気持ちいいだろうなあって。
乱太郎の右腕を撫でながら、おれは横になる。
‥‥そうだよな、どうせだったら、ぴたっとくっついてさ、乱太郎を抱え込んで眠りたいよな。どんなに気持ちいいだろう‥‥。‥‥そうだよな、裸でさ、くっついて眠ったら、どんなに‥‥。
おれは睡魔に襲われつつあった。でも、友だちとして、どうしても乱太郎にこれは言わなきゃ、と思うことがあった。
「乱太郎、おまえ、もう少し気をつけないと‥‥ガード、あますぎ‥‥」
「‥‥えー、なにぃ、きりちゃあん‥‥」
おれたちはふたりして、深い眠りに落ちていった。
了
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