“if"

 

「なら、俺が抱いてやろうか」
 そう言った利吉の顔を、きり丸はまじまじと見つめた。

  

  マジかよ、おめー先生はどうすんだよ、なんだかんだ言ってタダでやろうって魂胆だろう、げえ気持ちわりぃこと言うなよ、等々‥‥きり丸の頭の中には利吉に言って返すべき言葉が瞬時にあふれた。
 どれも利吉の『申し出』を却下するニュアンスを含む言葉だ。
 そのどれを口にしても、利吉は笑って「やめとくか」と引くだろう。
 が。利吉の瞳にある優しげな光が、きり丸にそれらの言葉を口にさせなかった。
 利吉はとても穏やかな表情をしている。‥‥憐れみ、に近いものだとは頭で思ったが、支えてやるぞと手を差し伸ばされているようで。
 ああ。こんな顔して挑まれたことは、なかったよなあ。
 そう思った瞬間に、口が動いていた。
「うん‥‥なら、頼んじゃおっか」


 よし、とうなづいた利吉が、しかし、と腕を組んだ。
「どうする。ここですぐ押し倒されたいか? そのほうが雰囲気は出ると思うんだが」
「どっちでもいいよ。おれ、雰囲気にこだわったことねえから」
「そうか。なら、まあ、気持ちいいほうがいいよな。‥‥おまえ、風呂はすませたのか」
「うん。学園で入って来た」
「歯は? 磨いたか」
「まだ」
「じゃあまず、それをすませて来い。布団は俺が敷いといてやるから」
「えー。するのに、わざわざそんな手間がいんの?」
 そしてすぐさま、着物の裾に手を突っ込み、下帯だけ外そうとしたきり丸の手を、利吉はつかんだ。
「‥‥あのな‥‥ケツだけまくってはいどうぞ、じゃ、今までと変わらんだろうが! いいか? 俺たちは今から『お互いを慈しみ合う』ためのセックスをするんだ。きちんと清潔を心掛けるのも相手への思いやりだろうが」
「へえ。そういうもん」
「そういうもんだ」
「めんどくさいんだね、慈しみ合うためのセックスってさ」
 利吉は嘆息した。
「‥‥おまえ、ほんとに殺伐とした人生、送ってんなあ」


 敷かれた布団の前で、潔いと言えば言えるが、情緒のかけらもなくさっさと着物を脱ぎ出したきり丸の腕を、利吉はつかんで引き寄せた。
 口づけた。


 軽く吸っただけで、きり丸の唇はやすやすと開いて、濡れた舌がためらいもなく利吉
のそれに戯れかかってきた。
 が‥‥奇妙に、それは情熱的だとか奔放だとかといった感じを与えない。こうすればあんたは嬉しいんだろう、と言われている気がして、利吉はすぐに顔を引いた。
 そうじゃない。
 きちんと視線を合わせてから、また口づける。
 すぐに、それは深いものにかわり、利吉はまた、唇を離し視線を合わせる。
 三度(みたび)‥‥それは繰り返され、四度目、ようやくきり丸は利吉のされるがままに、唇を差し出した。
 そう‥‥おもしろがってべちゃべちゃ舌をねぶりあうだけがキスじゃない。
 唇は‥‥おまえの唇は、こうしてついばんでやるだけで、柔らかくてあまい感触をくれる。そうして何度もきり丸の唇を利吉はついばみ‥‥いつしか、きり丸も同じように利吉の唇を軽く挟んで吸って離れてを楽しんで。
「‥‥へえ」
 一段落した時に、きり丸が感心したように声をあげた。
「これだけのキスでも、意外と気持ちいいんだね」


 ゆっくりと床の上へときり丸を導く。
 即物的に応じる時ではないと、ようやく悟ってくれたらしいきり丸は、利吉のリードで床の上に押し倒されながら、しかし、まだまだ醒めた目を利吉に向けた。
「なあ。‥‥これってさあ、やっぱ先生にばれるとマズくない?」
「そりゃまずいだろう」
「いいの?」
「‥‥おまえが後で口止め料とか言いださなきゃな」
「タダでも言わねえよ。先生怒るとこわいもん」
「俺もだ」
 きり丸の瞳に笑みが浮かんだ。
「‥‥いいの?」
 低い声でもう一度、確かめるようにきり丸が問う。
「‥‥俺は、きり丸。これが半助を裏切ることだとわかってる。本気でおまえに情がうつったのではないにしろ、な。‥‥つまらん浮気で半助を裏切ったことはないし、それはこれからもないだろうと思うが‥‥おまえをこれから抱くことで半助を裏切るなら‥‥これは仕方ないと思う」
 そう答えて利吉はきり丸の頬を撫で、顎の線をなぞった。
「‥‥仕方ないな‥‥。俺はおまえが可愛いし、今おまえを抱きたいと思ってる。もちろん、それは今この一時だけの気持ちで、おまえに惚れたはれたということではないが‥‥それでも、おまえは可愛いよ、きり丸‥‥おまえを抱いて、半助を裏切ることになるなら‥‥仕方ない」
「アハ」
 きり丸が笑った。
「利吉さんって結構、タラシなんだ。女口説くの、得意でしょ?」
 振られたことはほとんどない、と事実を答える前に、利吉は顎の線から首筋に滑らせていた手を、きり丸の襟の中にもぐりこませた。
「‥‥少し、黙ってろ」
 指先がとらえた小さな突起を、きゅ、と擦りあげた。


 何度も唇を合わせ、首筋や耳朶にも愛撫の口づけを落としながら、利吉はゆっくりときり丸の全身を愛でる。
 ‥‥難しいことではなかった。
 きり丸の、上背は伸びても、まだまだ骨格のできあがっていない身体は男のごつさに
はまだ遠く、かといって、とらえどころのない柔らかさに満ちた女の身体の得体の知れなさともちがう。その身体は‥‥すっきりと適度な張りに満ちて、しかしまだ未熟な柔らかさは備えていて。その手足の伸びやかさと、少年期特有の中性的な印象は利吉を愉しませたから、その肌に顔を埋め、その手足に手を這わせ、唇で柔らかな部分をついばむのを、利吉は自然にこみあげる熱心さで続けた。
 ―――小生意気なガキだと思っていた。今でも思っているが。それでも、おまえ、こんな身体をしてたのか。こんなになめらかで、まだこんなに華奢で‥‥なあ、おまえ、こんな身体をしてたのか‥‥。
 きり丸の全身を見たかった。
 肌をあますところなく、味わってみたかった。
 どこが柔らかく、どこが張っているのか、自分の手で探ってみたかった。
 ‥‥その熱心さが、セックスの基本だと知っている。
 ‥‥その相手への好奇心と探求心が、相手の同意を得ておだやかに満たされるなら、それは愛のある行為だと言えるし、好奇心と探求心を満たす過程で、相手に快感を与えられるなら、それはお互いに満ち足りたセックスだと言える。
 きり丸。
 利吉はきり丸の全身を愛撫した。


 しかし。
 拒んでいる、というのではない。
 投げやり、というわけでもない。
 利吉はきり丸の表情をうかがう。
 ‥‥かすかに寄せられた眉を見ても、なにも感じていないわけではないだろうが、目の底に冷め切った光がある。
 どれほど優しく細かく、乳首とその回りを刺激しても、柔らかな下草の生えだす下腹部の肌をなめ回しても、きり丸の身体は芯から反応を返しては来ない。
 利吉の愛撫に反応しているのは皮一枚のことで、きり丸の本体は扉を閉ざした向こうにある。
 ―――これでは、今までこいつがされてきたことと、変わらない。
 だから利吉は呼んだ。
「きり丸、きり丸‥‥」
 口づけて名を呼び、再び口づける。
「‥‥きり丸‥‥」
 耳たぶを吸い上げ、名を呼ぶ。
「きり丸」
 呼びながら、頬と頬を擦り合わせた。
 ぴくん。
 利吉の手の中におさまっていたきり丸の肉茎が、堅さを増して大きくなった。


 擦りながら、
「きり丸」
 利吉は呼びかけた。
「俺を呼んでみろ」
「‥‥え」
 横に投げられていた瞳が、正面から利吉の瞳をとらえた。
「俺を‥‥俺の名前を呼んでみろ」
 ぎゅっと握る手に力を込めた。
「あ! ‥‥ふ‥‥」
 初めて声をもらしたきり丸が、唇を動かした。
「‥‥‥‥り、きち、さん」
「そうだ」
「利吉さん、利吉さん‥‥」
 それが呪縛を解く鍵だったのか。
 身体の中心を利吉に握られたきり丸の全身が、さっと朱を帯びて熱くなった。
「利吉さん‥‥利吉‥‥」
 きり丸の手が初めて利吉を求めて宙を泳いだ。
 肩に、きり丸の左手が当たり、爪がくいこむほどにしがみつかれた。
 髪に、きり丸の右手が絡み、ぐっと引き寄せられた。
「あ‥‥あ、ふぅっ‥‥!」
 燃え立つほどに堅くそそりたつものを、利吉は素早く擦り続けながら、命じた。
「呼べ」
「‥‥りき‥‥利吉さんっ! 利吉さ‥‥っ!」
 あ、あああっと続けて高い声を放ち、きり丸は利吉にしがみついたまま、激しく背を反らせた。同時に。熱いものがずず、ずずっと利吉が握った肉棒から吐き出される。
 それが最後に震えて滴を絞り落とすまで、利吉はしっかりと手の中で受け止めた。
「‥‥は、‥‥ん」
 目尻に涙をためたきり丸が荒い息をつく。
「きり丸‥‥」
 利吉は唇を合わせ、舌をぞろりと絡めあわせた。
「きり丸‥‥かわいいよ、おまえは」


 いままで。
 させている時に、自分の名前を呼ばれたことなどなかった。
 相手の名前に興味を持ったことも、なかった。
「きり丸」
 利吉が名を呼ぶ。
 ‥‥不思議だった。それだけで、『自分』が相手にされていると思えた。
 ほかの誰でもない、ここにいる自分を、利吉は抱いているのだ。
 大胆に体の細部まで探り押し開き、優しい力加減で噛み、撫で、つねっていく‥‥。
「きり丸」
 呼ばれるたびに、いちいち驚きに似たものが走る。その走り抜けていく先に、利吉の愛撫の手があり唇があり、するとそこはいちどきに熱を持つ。
 セックスで熱くなることがあるのは知っている。‥‥でも、それがこんなに‥‥自分の根っこから揺さぶって持って行こうとする‥‥そんな身の底から湧き上がるような熱だとは‥‥知らなかった。
 呼べと言われた。
「利吉さん」
 呼んだ瞬間に、自分に絡む腕が、のしかかる体が、誰のものなのか強烈に意識され、きり丸は全身が火を吹くほどの羞恥を、初めて感じた。
 いま、裸になって身を重ね、常には人目にさらさぬそこに手を添えているのは‥‥。
「りきち‥‥さん」
 人と人が、その素肌を合わせ、快感を引き出し合うのは、これほどに生々しい感じのすることだったのか、ときり丸は思い、思ったからと言って消えるわけではない羞恥に身悶えた。
 名を呼ばれて走る熱と、名を呼んで湧く羞恥に、利吉の的確な愛撫が加わって、きり丸はやすやすと頂点へと追い詰められた。
「あああっ!」
 のけぞりながら夢中で握り締めたのは利吉の腕と髪‥‥。
 こんな風に‥‥誰かにすがりながら果てるのは‥‥しっかりと受け止められながら果てるのは‥‥こんなにも気持ちのいいことなのか。
 初めて知った快感に、きり丸はため息をつく。目尻を濡らすのが涙だと気が付いて、とっさに隠そうとしたところを、あたたかで大きな腕に抱き込まれた。
「きり丸‥‥かわいいよ、おまえは」
 なるほど、『かわいがる』とはよく言った。酔客が女を抱いた自慢話にその言葉を使うのを聞くたびに、自分勝手に人の体を使っておいてずうずうしい表現もあったものだとしか、きり丸は思ったことがなかったが。
 なるほど‥‥こんなふうに包み込んで大事に情をかけたなら、その表現も正しいと言えるなと、きり丸は納得する。
 太ももあたりに、利吉の熱く猛って堅いものが押し付けられている。
「‥‥いれたい?」
 きり丸は喉にからまる声で聞いていた。
「いれたい? いいよ‥‥おれなら、いいよ‥‥」


 このままでも充分なのかもしれないと利吉は思っていた。
 伝えてやりたかったことは伝えられたと思う。情を交わす、その意味とあたたかさは。 しかし。
 きり丸の若い肢体が快感に震えるのを見て、それを自分の手で引き出して、それで終わりにするには、自分もまだ若すぎるのかもしれない。股間のものはもうさっきから、痛いほどに張り切って、きり丸の狭い肉路にねじいって行きたくてたまらなくなっている。
「いいよ」
 とささやかれた。
「いいか」
 と聞き返した。
「うん」
 返事とともに、形よくしまった双丘を差し向けられて。
「‥‥きり丸」
 細い腰をつかんだ。
 軋む入り口に押し当てた。


 そこは‥‥きつかった。
 食いつかれているかのように利吉のそれは締め上げられた。
「‥‥っく‥‥う‥‥」
 耐えながらゆっくりと腰を進めた利吉は、うつむいたきり丸の肩や上体を支える腕が細かく震えているのに気づく。
「‥‥こらえるな‥‥」
 なめらかにきれいな背中を、撫でた。
「こらえるな‥‥つらいなら、声を出せ」
 それでも、唇を噛み締めているらしいきり丸に、覆いかぶさり耳元でささやく。
「つらいなら、言え。‥‥やめてはやれんが、聞いててやる。おまえが泣くのを‥‥」
 だから、つらかったら泣いてみろ。
 そしてぐっと利吉は最奥まで、自身を埋め込んだ。
 きつい上に、熱い。熱くてきついのに、利吉のそれは柔らかく、濡れたような粘膜に包み込まれている。咥えこまれて痛いほどに狭いのに、その肉路自体は極上の織物のようになめらかで柔らかい。しかも、それが‥‥。
 利吉は呻きをもらす。
 ぴっちりと圧迫しながら、利吉のものを根元まで呑んで、そこは‥‥蠢いていた。
 こまかな蠕動が、大きな波を描いて絶え間なく、おこる。
 気を抜けばすぐにも吐精してしまいそうな気持ち良さに、利吉は呻く。
 ―――これは、確かに‥‥客が群がるのも、わかる‥‥。
 きり丸が詰めていた息を吐き出した。喘ぎに、聞こえた。
 その瞬間に感じた衝動は、利吉をうろたえさせるほどに強かった。
 ‥‥思いきり、泣き声を上げさせたい。狭くて極上に気持ちのいいここを、突いて突いて突きまくって、ぐしゃぐしゃにしてやりたい。喉の奥から叫ばせたい‥‥。
「‥‥きり丸!」
 そう呼んで、後ろから抱き締めることで、利吉はその衝動をこらえた。
 きり丸にこれほど男の嗜虐性を刺激するものがあるとは思わなかった。今、この衝動のままに走れば、自分は今まできり丸を買い、おもちゃにした男たちと変わらない。その思いが、ぎりぎりで利吉を引き留めた。
「きり丸‥‥動くぞ、いいか」
 小さく頭が動いたのを見てから、利吉はゆっくりと腰を動かした。


 溺れるな。
 利吉は自分に言い聞かせる。
 自分勝手に自分ひとりの快感を、追うな。
 だから利吉は、きり丸の反応に最大の注意を払った。どう動いたときに、声がもれるか、どこを突いた時に、からだが跳ねるか。
 利吉はきり丸の快感を、懸命に追う。


 浅くゆっくり出て行ったものが、勢いづいて奥まで突き上げてくる。
「うあ‥‥ぁん! あ、んっ!」
 高く濡れた‥‥あまい声が上がる。
 利吉の動きはきり丸から、初めての快感を引き出す。
 今までのように、これでもかこれでもかとばかりに突かれるのには慣れてもいたし、それで身をよじるような気持ち良さなど感じたことなどなかったが、今の利吉のように‥‥ゆっくりと反応を楽しむように責められるのは‥‥慣れていなかった。
「きり丸‥‥もっと泣いてみろ」
 利吉の指が、ツンと立ったままになっている乳首をくすぐる。
「あ‥‥ッ」
 引きかけた身を抱え込まれて、また肉棒を奥まで打ち込まれて。
「ひっ‥‥ん、ん‥‥あ、ああ!」
 耳朶を噛まれて背筋に電流が走るのに、腰は熱いものをのまされて痺れているのに、また腹を打ちそうに勃ちあがったものを、さらに擦られて。
 続けざまにきり丸は高い声を放ち、身を捩り続けた。


 最後に共に果てた時。
 利吉はその力強い腕に、きり丸を抱き締めていた。
 きり丸は‥‥その両腕を、両足を、しっかりと利吉に絡めていた‥‥。


 身を寄せ合い、互いの肌を求めながら、ふたりは余韻が静かに響くその夜を、眠った。


「利吉さん! 朝飯だよ!」
 利吉の眠りはきり丸の蹴りに破られた。‥‥照れ隠し、はわかる。自分だってどうしようと悩むところはあるのだから、それぐらいにしてもらったほうがやりやすいのは確かだ。‥‥確かだが。
「二度も蹴るな! 二度も!」
 布団を跳ね飛ばして利吉は叫んだ。
 にや、ときれいな顔に意味ありげな笑みを浮かべたきり丸が立っていた。
「へえ。一度はいいんだ」
 利吉はふと心づく。同じ笑みを浮かべた。
「‥‥ああ、一度ならな」
「二度は駄目だね」
「ああ、駄目だ」
 目を見交わす。‥‥二度は駄目だ。
 落ちた沈黙は雄弁に二人の決め事を取り交わさせる。
 ふときり丸がうつむいた。
「ありがと」
 空耳のような小さな声が言い、すぐに、
「朝飯! みそ汁冷めるぞ」
 いつもの声が利吉を促した。


 いい躯だったよな。
 利吉は思い出す。‥‥一度きりか‥‥。
 マズイマズイ。
 頭を振って利吉はスケベ心を追い出した。

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