刹那の欲情を永遠の愛として

 


 
 刹那の欲情を永遠の愛として
 ――いつも、その背を見送っている……
 
 
 
 
 
 生徒の成長は嬉しい。学年が進むに従い、入学時にはやんちゃな子どもでしかなかった生徒たちが卒業時には大人の入り口にまで差し掛かるのを、土井はいつも驚きとともによろこびを持って見ていた。
 が。
 学年とともに巻き込まれる難事の厄介さまで成長させることはないだろうにと、時に土井は歯噛みする思いになる。
「きり丸っ!」
 左手で乱太郎を背中にかばいながら、土井は混戦の中、敵に背後を取られたきり丸に向かって叫んだ。慌てて振り向こうとするきり丸の背後で白刃がひらめく。
「…っ!」
 咄嗟に愛しい教え子を救おうと躯が動いたが、経験深い忍びの勘が間に合わないことを土井に知らせる。
 きり丸の頭上めがけて振り下ろされる凶刃が無慈悲に陽光を弾いて土井の目を射た、しかし、その刹那。
「ぐああっ!」
 断末魔の叫びを上げてのけぞったのは、きり丸を狙っていたその背後の男の方だった。倒れこむ男の背中に突き立つのは一本の苦無。
 一陣のつむじ風のように戦場に駆け込んでき、きり丸を救った影は、見る間に土井たちを襲った男たちを薙ぎ払った。
 正確な太刀すじ、容赦のない剣さばき。相当な手練れであるのはすぐに知れたが、その背格好からは助けに飛び込んできてくれたのが誰と判じることはできなかった。だが、
「怪我はありませんか」
 まさに鬼神の凄まじさで男たちを屠り終えた忍び装束の男の声には、確かに聞き覚えがあった。
「え……」
 うるさそうに忍び頭巾を取り払えば、ばさりと流れ落ちるのは鳶色の髪、現れたのは色白の、秀麗に整った面立ち。
「利吉君!」
 驚いて声を上げれば、
「お久しぶりです」
 数年ぶりに出会った利吉はにこりともせずそう言った。
 
 
 
「本当に……久しぶりだね。三年、いや、四年ぶりかな? 乱太郎たちはまだ一年生だったから……」
「あの制服は五年生でしょう。四年ぶりですね。お懐かしいです」
 口ではそう言いながら、しかし、利吉の顔には昔を懐かしむ色も土井との再会を喜ぶ色もない。こうして学園に無事戻り、茶の椀を前に向かい合っているというのに、利吉は親しげなくつろいだ表情を土井に向かって一切見せない。
 ……仕方ないか。
 四年前の別れを思えばそれも当然かと、土井は苦笑が漏れるような気がする。
 改めて目の前の若者を見やった。四年前にもその体躯はもう少年のものではなかったが、それでもどこかに線の細さが残っていた。だが、今、目の前に座す美丈夫に未成熟なものが持つあやうさを探すのは難しい。肩も胸も厚みが増したくましくなり、背さえ少し伸びたように見えた。最前、顔を見るまでわからなかったはずだ。あの別れ際、土井に向けられた背は細かったが、今は成熟した牡のたくましさがそこにある。
「……元気そうでなによりだ」
 感慨を押し込め、土井は無難な言葉を選んだ。今さら、あの時のことを土井のほうからほのめかす気はなかった。
 廊下から人の気配がした。
「利吉、来とるのか」
「父上」
 さらりと障子が開いて父伝蔵が姿を現すと、さすがに利吉の顔がやわらいだ。
「助けられたそうだな。礼を言う」
「たまたま通りがかってよかったです」
「乱太郎たちも改めて礼を言いたいと言っておったぞ」
「久しぶりに学園に来ましたが、あの子たちも大きくなりましたね」
 なごやかな親子の会話を聞けば、土井と利吉が疎遠になっていた四年の間にも父子の関係は良好だったことがうかがえた。
 土井はうつむく。
 耳の奥に甦るのは憤りにあふれた利吉の声――
『わたしには理解できませんっ!』
 想いを寄せられているのはわかっていた。十八の若さは秘めた恋には向かない。利吉の想いは土井を見る視線に、近づいた時に震える指先に、交わす言葉の端々に、沁み出ていた。
 その利吉の恋心に気づきながら、土井はわざと煽るようにからかってみたことがある。少年の域を脱したばかりの、大人のとば口に立つ若者の純粋な想いが、行動を伴ったものになっていくのか、それとも淡く精神的なものだけで消えていくのか、土井には興味があった。
 その、あまり趣味がよいとはいえない自分の興味に土井は気づいていたから、いざ、利吉が土井の上に伸し掛かり、
「あなたが好きです。あなたが、欲しい」
 真摯に訴えてきた時には驚きより申し訳なさが立った。
「君はなにか勘違いしている」
 一時の自分の感情を信じるな。わたしは君が思っているような、そんな立派な人間じゃない。
 その土井の言葉に、
「わかっていないのは、あなたのほうだ!」
 利吉は叫ぶように応えた。
「わたしにはもう、あなたしか見えないことも! どれほどあなたに焦がれているかも! なにも、なにも、あなたはわかってない!」
 好きです。呻くような声とともに、抱き締められた。
 そこまで言うのなら、と土井が利吉の望むままに身を与えたのは、熱い言葉にほだされたせいでもあったが、土井にとってはその行為自体にさほど意味がなかったせいでもあって。さらに言ってしまえば、何度か肌を重ねてやれば、一時の熱病のような利吉の恋心も多少は落ち着くかもしれないという読みもあって。
 続けないために、関係を深めたのだとも言えて……。
 だから。
 土井は利吉と関係を持った後も己の生活を変えなかった。利吉が望めば抱かれたが、同じように、ほかの男にも……望まれれば、抱かれた。
 その日、大木の腕の中にいたのは、だから土井にとっては特別変わったことではなかったのだ。
「わたしへの……当てつけですかっ! おまえでは不満だと、そういうことですかっ!」
 利吉がそう顔色を変えて怒るのはわからないでもなかったが、土井にはやはり不思議で。
「どうしてそうなるのかな。当てつけとか、不満とか」
 ぎりっと利吉の奥歯が鳴った。
「……先生は……大木先生のことがお好きなんですか…!」
 苦々しさに満ちた声音に、土井は正直に答えた。
「好きかどうかなんて……考えたこともなかったな。さばさばして面白い人ではあるけどね、大木先生は」
「あなたは……じゃあ……」
 喘ぐように利吉の息が、速く、荒くなった。その合間に言葉が搾り出されてくる。
「なぜ、わたしを、受け入れて、下さったんですか!」
 涙さえにじむ利吉の瞳を土井は見つめた。情交などいっときの肉の交わり。そう割り切ることのできない利吉の若さが、いっそ哀れで。
「……君のことが、嫌いじゃなかったからだよ」
 せめて自分の中の真実で答えてやりたくてそう言った土井に、利吉は顔をこわばらせた。
「……嫌いじゃないって言うだけで……好きだと言い寄る相手に抱かれ……好きかどうかもわからない相手とも関係を持つ……と?」
「利吉君……」
 触れようとした土井の手を、利吉は振り払った。
「わたしには……わたしには、あなたがわからない!」
 それが利吉の精一杯の抗議なのは承知しながら。
「君に、わかってもらわなきゃならないのかな……。わたしは君と寝たけれど、君のものになった覚えはないよ」
 土井は静かに反論した。心から、利吉の未熟さ若さを哀れみもしながら。
 真っ青になった利吉の唇が震えた。そして。
「わたしには理解できませんっ!」
 叩きつけるような言葉が最後だった。利吉は土井に向かい、くるりと背を向けるとそのまま去って行った――
「……ですか、土井先生?」
 呼びかけられてはっと顔を上げた。
「え、あ、すいません、ちょっとぼうっとしてました……」
 山田が苦笑気味にこちらを見ていた。
「利吉のわがままです。今晩、土井先生と飲みたいなどと。都合が悪ければはっきり言ってやって下さい」
「え」
 意外な言葉に目を見開けば、
「先生のお宅にお邪魔してはいけませんか。いろいろご相談に乗っていただきたいのですが」
 物腰柔らかく利吉が言ってくる。
「あ、ああ…いいよ。いらっしゃい」
 目だけはまったく笑っていない利吉に向かって、土井はうなずいたのだった。
 
 
 
 会うのも四年ぶりなら、利吉を家に迎えるのも四年ぶりだった。
 利吉が足繁く通っていた頃と、造作は変えていない。
「……変わってませんね」
 ひとわたり、部屋を見回して利吉が呟く。
「……君は、変わったね」
「いつまでも子どもじゃいられませんから」
 そう言うと、利吉は土井を振り返った。
「ところで先生は、変わってしまったわたしはお嫌いですか?」
 こちらの意思を図るような視線が土井に向かって注がれる。きゅっとその瞳が細められた。
「……子どもの遊び相手はして下さっても、生意気になったわたしの相手はおいやだとか?」
 探るように低められた声音に、以前にはなかった男の色気がある。
「いや、そんなことはないよ?」
 正面切って『いやか』と問われてうなずけるはずもない。利吉が望んでいるだろう台詞を口にしながら、かつてはこんな会話でも楽々と優位が取れていたのにと思うと、土井はつい苦笑が漏れた。
「君のほうこそ、こんな年寄りの相手はどうかと思わない? もうわたしも三十近い……」
 言葉はぐっと抱き寄せてきた利吉の、唇に覆われて途切れた。
「年寄り?」
 重なった唇の間でくぐもった声が、笑いを含んでいた。
「いえ。あなたは変わらず魅力的ですよ……」



 隣のおばさんが時々風を入れてくれるおかげか、しまいこんであった布団はさほど湿気臭くなってはいなかった。
 薄い布団の上で抱き合った。
 いや。抱き締められた。
 会話でもそうだったように、利吉はかつてそうだったようには土井に主導権を渡さなかった。自分は手早く着ているものを脱ぎ捨てながら、まだ袂の抜け切れていない土井に手を貸す素振りで、利吉はするりと土井を己の躯の下に敷きこんだ。
 唇をきゅっと吸い上げられる。唇の合わせ目をぞろりと舐められる。
 もっと深くを探ってほしくて誘い込むように唇を開けば、まだだと言うように唇は離れていく。
 物足りなさに、つい、その唇を追えば、薄く笑う気配と共に、ようやく深い口付けが与えられた。
 口中を探る舌先の細かな動きも、大胆に歯列の裏側と言わず喉の奥と言わずねぶっていく動きも、かつての利吉にはなかったもので。
 ……巧くなった……。
 早くも濃くて甘い官能の予感を覚えながら、土井は思う。口付けひとつにさえ、格段の成長のあとがある。
 そうして土井の口中を存分にしゃぶりながら、利吉の指先はこれもかつてにはなかった繊細さで土井の乳首をいじりだす。
「…あ、あ……っ」
 つん…つ、つん……乳首のまさに突端を触れるか触れないかの微妙な突かれ方に我知らず声が上がった。それでも利吉にはまださほどの興奮の色はなくて、ただ二つの胸の尖りを交互に優しく弄り続けるのが、心憎いほどで。
 焦らしの後に押しつぶすように二本の指でそこを摘まれて、たまらず背が反った。まだ利吉の手に触れられていない男のモノに、一気に血が集まっていく。
「ああ、もうこんなですか」
 笑いの……冷たい笑いの気配とともに、利吉の手が布越しにようやくソコに触れてきた。柔らかく、しかし、ためらいのない強さで握りこまれる。
「ふ、ぅっ……!」
 声が漏れた。
 布を隔てた、少しもどかしいほどの感触がかえってヨクて。
「アア、アッ……は、う…」
 擦られて、土井は腰を揺らした。
 快感に素直な自分を土井は許している。行為を進めながらも、利吉が以前のような溺れるような熱い感情で自分に触れていないことは感じていたが、それはそれでかまわなかった。技巧的に上達した利吉の愛撫は焦らしを含みながら土井を煽ったし、土井は素直にその快感に酔った。
 肉の交わりなど、ただ、それだけのこと。利吉がそこに過剰な意味を求めなくなったというなら、それでいい。土井は利吉の欲望のために、己の快感のために、己の躯を差し出すのになんのためらいもなかった。
 だから、利吉が土井の猛ったモノを覆う乱れた下帯を取り去り、じかに触れられた刺激にじわりと先走りの露を滲ませた土井自身をあやしながら、やはり猛り立った状態の己のものを土井の隘路の入り口へと差しつけて来た時にも、土井に否やはなかった。
「く、ぅ……んッ」
 馴染みのある圧迫感をこらえ、土井は利吉を迎え入れた。
「う、ン、ん……っ、あぁっ……!」
 こればかりは何度経験しても脳髄にまで鈍い痺れが走るような気がする、他者を己の身の内に受け入れる瞬間。短い声を切れ切れに上げ、土井はそれを耐えた。
 熱く硬い肉の槍が狭い肉の輪を押し拡げながら土井の中へと深く埋め込まれる。
 そのまま揺すられた。
 躯の中を擦られ、抉られ、貫かれながら、土井は湧き上がる馴染みの快感に身をまかせる。再会から一度も温かい笑みを見せない利吉に後ろを穿たせて。土井はこれでいいと思うのだ。
 情など、いらない。
 ヤラレて、感じる。ヤッて、感じる。お互いがお互いの躯を使って快感を得る。一時の酔いを得る。それでいい、それだけでいい。
 土井は深く目を閉じた。抜き差しの律動に合わせて腰を揺らし、ただ性感を追うために。


 その、最中だった。


「本当に、厠と変わりませんね」
 冷たい声音が土井に斬りかかってきた。
 土井は薄目を開ける。
 利吉が上からのぞきこんでいた。さめた、どこか嘲りを含んだ表情で。
「肉便器という言葉があるそうです。どんな男にも挿れさせ、精を吐き出させる女のことを言うそうですが、あなたも同じですよね」
「…………」
 そういうことかと思った。そういうことか……。
「そうでしょう? あなたは誰でも受け入れる。嫌いじゃないというだけで、誰にもヤラせる。……こんなふうに」
 利吉の手がぐっと土井の膝裏を持ち上げる。上向き加減になった腰に、利吉は上から体重をかけながら己自身を土井の中に突き込んだ。
「うあっ…!」
 容赦のない責めに声が上がれば、上から嘲笑う声がする。
「ほら。気持ちいいんでしょう? 男の道具にされて。男にむさぼられて。あなたはただいやらしい、きたならしいだけの……」
 言い募る利吉にはスキがあった。
 土井は腕を伸ばすとその両肩をつかんだ。不意のことに態勢を崩した利吉と、腰を支点にくるりと体を入れ替える。
「いやらしい? きたならしい?」
 利吉の上に跨るかっこうになって、土井は薄く笑った。浅くなったつながりを、腰を落とし直すことで、もう一度深くする。そのままゆるく腰を回せば、土井の温かさの中に呑み込まれたままの利吉が小さく呻いた。
「じゃあ、君は? 汚いものに手を触れても、君の手は白いままだとでも?」
 ゆっくりと浮かした腰を、素早く落とす。拍子をとるように三回四回と繰り返して、意識して利吉を呑んだソコをぎゅっと締めた。
「……う……」
 くっと利吉の眉が寄った。
 ほら……。土井は上から利吉を見据えながら、腰をうごめかす。嘲笑いたければ笑うがいい、莫迦にしたければすればいい、だけど、ほら……君はそんな汚いわたしに、感じている……。
 何かをこらえるようにきつく寄せられた眉の下で、利吉は一度かたく目を閉じたが。その瞳が再び見開かれた時、その視線はやはり射るような鋭さで土井を見上げていた。
「……わたしは……あなたとはちがう。あなたと交わっても、わたしは、あなたのような、人間には、ならない」
 利吉の手が土井の腰をつかんだ。自由を奪われ、下から思い切り突き上げられて、土井は思わず呻きを漏らした。
「わたしは……あなたのようには……」
 ぐっぐっと……下から何度もきつい突き上げをくらって、土井は歯を喰い締めた。
 若造が、と思う。
 ガキが。
 少し、知恵がついただけ。中身は変わらぬ未熟さのまま。人を糾弾し、非難することを覚えただけで。おまえは変わらない、子どものまま。
 おまえなどに。蕩かされるものか。
 こみあげてきたものをやり過ごし、土井は利吉に視線をあてる。
 おまえこそ。逝ってしまえ。蔑んだ、わたしの中で。

 
 情交は、諍いに似た。


 責めて、責められて。おまえが逝け、逝け、と。
 短く荒い息が双方の口から漏れる。湿った肌のぶつかる音が、部屋の暗闇に響く。淫猥な、肉が肉を抉る湿った音が、時折、そこに混ざる。
 土井と利吉は睨み合っていた。
 睨み合いながら、交わっていた。
 相愛の恋人よりも熱く。激しく。
 息を合わせ、動きを合わせ、視線を合わせ、彼らは交わっていた。
 濃密で、淫らな、その時間の果て。
 彼らは同時に、一人はその相手の腹の中に、一人はその相手の腹の上に。互いの精をしたたかに吐き出したのだった。



 夜半。
 崩折れるように横たわったら、もう最低限の後始末さえ億劫で、土井はそのまま布団の中で眠ってしまったのだったが。
 かすかに人の泣く気配があって、土井は目覚めた。
 声は聞こえない。震えも伝わってこない。だが、土井の背中で、利吉が泣いていた。
 身じろぎほどでもなく、躯を動かせば、髪が一束、利吉のほうへと取られているのがわかった。
 ……髪に、顔を埋めて、泣いているのか。
 土井は再び目を閉じた。
 『先生、先生』、四年前の利吉の真摯な瞳が思い出される。『あなたはわかっていない』と言った。『どれほどわたしがあなたを好きか。あなただけで、どれほどわたしがいっぱいになっているか』
 『あなたが、好きです』、真剣な響きは今も鮮明に土井の耳に甦る。
 そうだね……。
 わたしはわかっていなかった。
 君がどれほどわたしを好きなのか。四年を経て、なお、侮蔑し、怒りをぶつけねばすまないほど、君の中がわたしだけでいっぱいだったと、わたしはわかっていなかった。
 だけどね、だけど……。
 背中で利吉の忍び泣きが続いていた。



 気がついていたことに、気がついていたからだろう。
「謝りません」
 青白い顔で利吉は言い切った。
「あなたは汚いと、わたしは思っています」
 土井はやはり薄く笑った。
「負け惜しみに聞こえるだろうけれど、わたしは汚くてもかまわないよ? きれいなことにそれほど意味があるとは思えないから」
 利吉は強張った顔のまま、
「軽蔑します」
 そう言った。
 仕方ないね、と土井は笑った。



 朝もやの中を、すらりとした立ち姿が遠ざかっていく。
 土井は戸口に背を預け、それを見送る。
 ――君がそれほどわたしのことを好きだとは、わたしは気が付いていなかった。
 だけどね、だけど……。
 わたしはいつも君の背を見送っている。
 君が振り返りはしないかと。……戻ってきて、わたしを抱き締めはしないかと。
 わたしは君の背を見送る。
 今度はいつ会えるだろうかと。わたしのことを忘れてしまいはしないだろうかと。
 君も、気が付いてはいなかったろう……?
 利吉の背が遠ざかる。
 その姿が見えなくなるまで、土井はそこに佇んでいた。
 
 
                                             終