弱虫

 

 手が震う。
 落ち着け、落ち着け。
 致命傷じゃない。急所は外れている。




 土井は震える指を握りこみ、替えたばかりのさらしを確かめる。
 ちらりと、桜の花びらの大きさ程度、赤い血が滲み出ては来ているけれど。
 大丈夫だ、大丈夫。
 もう、血はほとんど止まっている。
 大丈夫。




 血の気の失せた顔を、土井はのぞきこむ。
 額に張り付く前髪を、まだ震えの収まりきらない指先でそっとすくう。
 常は絹糸のようにさらさらと指間を流れる茶のかかった髪は、今は汗なのか、汚れなのか……強張りついて、くぐり抜けて来た修羅場の凄まじさを伝えてくる。
 髪をすくい上げる動きに、うっすらと瞳が開いた。
「もう、大丈夫だよ、大丈夫」
 おだやかに語りかければ、白くなった唇が、
「…………」
 音はないまま、はんすけ、と動いた。
「大丈夫。わたしはここにいるよ」
 おだやかに、安心させるように笑いかけるけれど。
 怖かった。
 怖かった。
 救おうと、必死で手当てする指の隙間から、君の命がさらさらこぼれていってしまうような気がした。君が手の届かない遠くへ、逝ってしまうような気がした。
 怖かった。




 足がすくむ。
 手が震う。
 わたしはいつからこんな臆病者になった?
 急所は外れている。血は止まった。もう大丈夫だ。
 そうわかっていて、でも、血の気の失せた君の顔を見、浅い呼吸を耳にして、身が凍えるような恐怖は消え去らない。
 君が、わたしの力及ばぬところへと、連れ去られてしまうのではないか、と。





 若気のいたりだ、一時の気の迷いだと。
 どうして最後まで笑い飛ばしてしまわなかった?
 どうして受け入れてしまった?
 あのまま、かわし続けていれば、こんな手足が冷たくなるような怖さは、きっと味わわずにすんでいた。
『山田先生、息子さんが大怪我されたと聞きましたけど。予後はいかがですか?』
 そんなふうに、心配しながらもどこか他人事の気安さで、流してしまえていたろうに。
 どうして……こんなに深く、君と関わってしまったのか。




 愛している、愛している。




 わたしを置いて、逝かないでくれ。




 手当てに使ったさらしをたらいで洗ったら、たちまち水は真っ赤に染まった。
 水を替えても、また、その水は赤く染まって。
 涙がにじんだ。
 さらしをぎゅっと絞る手にも、力が入らない。
 土井は自分を叱咤する。
 わたしはいつからこんな弱虫になった?
 なにを泣く。なにを怖がる。
 ……愛しいものができると、人はこんなに弱くなるのか……。





「すいません……ご迷惑を……」
「本当だよ。いつか倍返しにしてもらうからね」




 軽口を叩いて返して、土井は愛しい年下の恋人に、にこりと笑った。