薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
久しぶりにグリニデ城に帰ってみたらば、見知らぬ人間がいた。
「待てってベンチュラ! その書類持ってかれたら困るんだってば!」
グリニデ城下を元気にベンチュラと追っかけっこしている金髪の、まだ子供と言っていい人間の少年。
なんだかすげえ違和感が。この魔人の城に人間の子供。
「……何だアレ……」
俺は窓からその光景を見下ろしながら、誰にともなく呟いた。
「あれか? キッスだ」
同じ室内にいたロズゴートが答えた。いや別に質問した訳じゃなかったのだが。ていうか、それが名前かー? キッスだって。変な名前。
「で、そのキッスとやらは、何だってこんな所にいるんだ?」
「グリニデ様が拾ってきた」
今度はまごうかたなき質問にも、ロズゴートは最小限の言葉で答えた。
いや、だから何故拾ってきたのかとか、どういう理由でここにいるのかとか、そーいう事を聞きたかったんだが。うるさくないのは結構だが、余りに口数が少ないのもそれはそれで困りものだ。
「グリニデの旦那が直々に拾ってきたから生かしておいてやってるってか?」
この城に、人間が全然いなかった……という訳ではない。オモチャにしたり虫達の生餌にしたりと、使い捨てだがそれなりに、捕まえて置いておいた事もあった。しかし、それも肉の柔らかいメスが主で、子供とはいえオスを捕らえてきた事はなかった。ましてや、自由に外を歩かせるなど。
「何か誤解しているようだな。キッスは玩具や食料としてここにいる訳じゃない。仲間だ。私達の」
「へ!?」
改めて俺は窓から下を見た。
するとこちらに気付いたのかベンチュラが、自分の糸を飛ばして俺が顔を覗かせていた窓枠まで飛び上がってきた。
「よお。帰ってたのかフラウスキー」
「ベンチュラ。何、人間なんかとじゃれてンだ」
俺があからさまな嫌味を込めて、鼻の頭に皺を寄せながら言うと、
「何だよ。いいだろ。俺の勝手だ。あいつ、からかうと面白いんだぜ。何言ってもマジに取るしな。なあ、ロズゴート」
開き直ったようにベンチュラは答えた。ロズゴートは同意の返事さえしなかったが、フードの影で笑ったのがわかった。なんと、ロズゴートまで。あの人間のガキは、一体いつからここにいるんだー?
と。バタバタと足音がして、廊下からキッスとやらが駆け込んできた。
「ベン……チュラ……、やっと追いついた……!」
息が切れている。人間にはベンチュラのように、自分の糸を使って窓枠まで這い上がるなんて芸当出来ないからな。走ってくるしかなかったんだろう。なかなか大変だな、人間ってのも。
キッスは額の汗を拭いて顔を上げた。目が合った。
「あ。フラウスキー」
俺は光の速さでキッスに歩み寄って、その咽喉っ首を締め上げていた。
「なに馴れ馴れしくヒトの名前呼んでやがンだ、ああ!?」
「ご、ごめんなさいっ。実物を見たの初めてだったから、つい……っ!」
「実物だあ!?」
「よさないか。大人げないぞ、フラウスキー」
ロズゴートが割って入った。キッスを庇うように背にしたのがまた癪に障る。
「このバカ」
ぽかっ、とベンチュラがキッスの頭をこづいている。それはいい。いいのだが、しかし。
「迂闊に名前呼んでンじゃねェよ! あの事がバレたらどうすンだ!」
聞こえないとでも思っているのか。一応小声では話しているようだが、あいにくこっちには丸聞こえだ。
「おまえら俺に黙って何企んで……!」
「改めて紹介しよう、フラウスキー。キッスだ」
ロズゴートが機先を制するようにキッスの左腕を掴んで、手袋に隠された腕輪を露出させた。
「この腕輪をしている限り、キッスは我々の仲間だ。無用な諍いはやめろ。グリニデ様の意にも反する」
グリニデの旦那の名前を出されちゃ、こちらとしても引き下がるしかない。ロズゴートはベンチュラに向き直って、ベンチュラにも小言を言った。
「おまえもだ、ベンチュラ。キッスの仕事の邪魔をするんじゃない」
「あ、ああ……」
ベンチュラは慌てて手に持っていた紙きれをキッスに返した。そういえば、その書類が無ければ困るとか言っていたような。キッスは両腕でその紙切れを抱きしめて、
「良かったああ……これが無いと報告書が書けない所だったんだよ。ありがとう、ロズゴート」
礼を言うキッスに、ロズゴートはいや、などと答えている。ベンチュラは腕組みしてケッと鼻を鳴らした。
うーむ、何というか……雰囲気変わったな、この城。というか、ロズゴートとベンチュラ。前からあんなだったっけかー? もう少しとっつき難いというか、素っ気無かったようなイメージが……ベンチュラは前から小物だったが、キッスがいるせいか妙に兄貴風を吹かしているような。
まあ、可愛い顔はしているよな。確かに。明るい金髪に空色の目。気の強さなど微塵も感じられないあくまで弱く柔らかく、というと聞こえはいいが、どこかぼけた印象を与える容姿。この弱っちそーな所がベンチュラなんかは安心するんだろう。今まで一番格下のパシリだったからな。
しっかし、どーも油断しちゃいけねーような気がするんだよなあ、俺には。……どこがどうとはうまく言えないけれど。
「それじゃ僕、報告書仕上げてくるね! じゃ、また。会議でね」
入ってきた時とは打って変わった軽やかな足取りで、キッスはこの部屋から出て行った。
白いマントがひるがえる残像をまぶたの裏に感じながら、俺はロズゴートに聞いた。
「あいつ、何の仕事してンだ? スパイか?」
「グリニデ様の遺跡発掘調査の手伝いだ。あれで魔文字や古代魔文字にも長けていてな。今まで読めなかった石版などをガンガン解読してくれて助かっている。おかげで、グリニデ様の御機嫌もいいしな」
「ふーん」
アレでねェ……まあ人間、何かひとつくらい取り得はあるモンだ。無ければグリニデの旦那に瞬殺されているだろう。グリニデの旦那も使える部下には好意的だし、人間でも居心地悪くはないだろう。
「あれ? ベンチュラは?」
いつのまにかベンチュラも消えていた。俺はベンチュラがキッスにこそこそと喋っていた事を思い出した。俺はもうひとつロズゴートに問うた。
「アイツの部屋は? ロズゴート」
※
無体な事はするなよ、と嫌な感じの忠告をしてからロズゴートは部屋の場所を教えてくれた。
「えーっと……確かこの階の三番目のドア……」
ノブに手をかけると、内側からベンチュラの声が聞こえてきた。やっぱりここにいやがったか。俺は思わず耳を側立て、中の様子を窺った。
「だーから、実物とか言うなってンだよ! じゃあニセモノでもあるのか、って疑われたらヤバいだろーが!」
「もう疑われちゃったような気もするけど……」
「余計マズいじゃねーか!」
またベンチュラがキッスの頭をこづいたんだろう。ポンポン殴るなよー、なんて声も聞こえてくる。俺はそおっと、音を立てないように用心しながら細く、わからないくらいにドアを開けた。
「とにかく移動だな。ここに置いといちゃ、いつフラウスキーにバレるかわからないからな。どっか適当な物置にでも放り込んでおこう。あ、世話はおまえがするんだぞ」
「え──」
ぶつぶつ言いながらも、キッスもベンチュラに従って何かを運ぼうとしている。
今まで窓辺に置かれていたらしいそれは、
……鉢?
「なんっじゃ、それはああああ!!」
鉢。幾つもの。そして栽培されていたのは、……俺!?
俺はつい大声を出して、部屋に足を踏み入れていた。
「何だ、それは! 俺、……だよな? えらくちっちゃいけど。どうやってそんなモン栽培したんだ!!」
俺はベンチュラが持っていた鉢のひとつを取り上げて怒鳴った。
「お、俺じゃねーよ。キッスが……」
「あっベンチュラ。なに僕だけに責任転嫁してんのさ、ズルいよー」
俺の突然の乱入に驚きながらも、ベンチュラとの連帯責任に持ち込もうとする辺り、やっぱりコイツかなり神経太いぞ。なよっちそーだが、どうしてどうして。見た目で判断するもんじゃないな。
「どっちが責任とかは今はいい! どうやってコレをつくったんだ!?」
俺は、俺のミニチュアが生えている鉢を目の前に突き付けて言った。腰から下は一本化して土から生えているが、腕も二本揃っているし、この顔はどう見ても俺のもの。ご丁寧に煙草(火ナシ)まで咥えている。
「え……えーと、それは確か、俺がキッスにおまえの事を教えてやってる時に……フラウスキーはいざという時には自爆して、中枢からやり直す……とか、言ったんだよな?」
ベンチュラは自信なさげにキッスを見た。
「そうそう。それで、中枢って何? って僕が聞くと、種みたいなもんだって答えられたから……もしかして、四散した体の方でも再生できないかなー、と思って……」
四散した体の一部を拾ってきて貰ったんだよね、ベンチュラに。と言ってキッスは笑った。
「ほら、挿し木の要領で。でもなかなか根付かなくて……土を変えたり肥料を工夫したり、根付いてもすぐに枯れちゃったりして、ここまで育てるの結構大変だったんだよ。一応目標は足まで再生して、完全に自力で歩けるようにする所までなんだけど、まだそこまでは遠いなあ」
その屈託のない笑顔を見る限り、罪悪感はこれっぽっちもないらしい。
まあそうかもしれない。キッスにとっては、挿し木で株を増やしたり品種を改良しているのと変わらないのだから。だが、勝手に増やされているこちらの立場はどうなるのか。後、ベンチュラの方は。
「……出来たのはこれだけか? 他には無いのか?」
俺は努めて優しく聞いた。
「え? ベンチュラが持ってったけど……何株か。かなり成功したのを」
俺はこっそり逃げ出そうとしていたベンチュラの、触覚をひっ掴んで問い質した。
「それをどうした? 何に使った? 怒らないから言ってみろ。ん?」
日頃下っ端扱いして、思いっきり見下されているベンチュラが、俺のミニチュアクローン株に対している事などなんとなく見当がついていたが。予想通り、ベンチュラは冷や汗をたらたら流して、媚びるように口もとを歪めた。
「おまえらなあ……!!」
俺は腕の銃を引き抜いて、部屋の中を乱射した。俺の可愛いミニチュアクローン株達、許せ。キッスとベンチュラにオモチャにされるよりは、俺がこの手で葬ってやるから。
「お、落ち着けフラウスキー! 俺達が悪かった! もう二度とこんな事はしないから!」
「言うのが百年遅えんだよ!!」
このさいベンチュラと余計な知恵をつけた人間のくそガキも殺しておこうと思ったのだが、ロズゴートに止められた。あれだけ派手に暴れていれば、ロズゴートが様子を見に来ない方がおかしい。
「無体な事はするなと言っておいたろう。聞いていなかったのか?」
「聞いてたけどよ、それ以上にコイツ等がした事の方がムカついたんだよ!」
と言っても、さすがにロズゴートとやり合う訳にはいかない。ベンチュラと人間の子供なら、殺してもグリニデの旦那はお許しくださるかもしれないが。
……キッスが旦那のお気に入りだという事は、もう少し後になってから知った。その点では、ロズゴートに感謝すべきかもしれない。あの子供を殺していたら、グリニデの旦那の癇癪は半端なモノじゃ済まなかっただろうし。
俺は渋々引いた。次にやったら今度こそ殺すぞ、と脅しつけておいてから。
俺とベンチュラは別々にキッスの部屋から退出したが、俺の耳にはまだ、キッスが部屋の中でロズゴートに礼を言っているのが聞こえていた。
「ありがとう、ロズゴート。フラウスキーって怖い人だったんだね……挿し木株を見ているだけじゃ、わからなかったけど」
「気にするな。下手に好かれなくて幸いだ。あいつはロリベド野郎だからな」
俺はガクッと前につんのめった。
キッスは本気で驚いたらしく、
「え……えー!? ロ、ロリベドって……フラウスキーってそういう人だったの!?」
「そうだ。子供や小動物ばかり愛玩している野郎でな。奴の部屋にはそれ用の写真集だとかグッズばかり積んである。いいか、おまえも自分の身が可愛いならフラウスキーには近付くな。まあおまえは、奴の好みからすれば育ち過ぎているから大丈夫だろうが」
違う! 確かに事実だが、何か違う。部屋にある写真集は『LITTLE
DOG』だし、グッズって……あのファンシーグッズ類の事かー!? 誤解を招く言い方するなロズゴート!
「う、うん、わかった! フラウスキーには近付かないようにするよ。忠告ありがと、ロズゴート」
妙に力を込めてキッスはうなずいた。らしい。ロズゴートがフードの奥でほくそ笑むのが目に見えるような気がした。なるほど、これだけ騙しやすいと、一緒にいても面白いだろう。
ただ、ネタに使われる方はたまったものじゃないが!
とぼとぼと廊下を歩きながら、俺は、これからはもう少し煩雑にグリニデ城に戻るべきか真剣に悩んでいた。
< 終 >
>>>2005/1/20up