薫紫亭別館


ビィトtop



青また青

 なんでそんなに楽しそうなんだよおおっ。
「おお!! 俺はこっちの方が楽しそうでいいや!!」
 ビィトは大はしゃぎして言った。でも、僕はちっとも楽しくないよ。そりゃ飛行機に乗れるのは嬉しかったけど、それが座席じゃなくて、その翼の所に乗せられるなんて思ってもなかったし。しかもシートベルトとか、そんな安全装置が一切無いんだよ? いつ手を滑らせて海へ落っこちるか知れたものじゃない。
「どうしたキッス!? 見ろ、いい景色だぞ!?」
 この飛行機は複葉機で、ビィトは片手を二枚の翼をつなぐ柱の部分に軽く回しただけで悠然としている。
 僕にはとてもそんな余裕はなかった。僕もビィトと同じく、反対側の右翼の柱に手を回しているのだけど、僕は両手でかきついている、というのが正しい説明だった。幾ら定員オーバーとはいえ、女の子を両翼に乗せるわけにはいかないし、だから僕もしぶしぶ了承したのだが、こっそりガントリィさん、往復してもう一度迎えに来てくんないかなあ……というのが本音だったりした。
 もちろん飛行機も飛行機乗りも稀少なこの時代、更に大陸間を往復する……なんて危険な真似を無理に犯してくれるガントリィさんにこれ以上のワガママは言えない。目指すベカトルテに着くまで、どうやらこの姿勢でしのぎ切るしかないらしい。
 大きくため息をついた僕の耳に、風の音に混じって「いやっほお──っ!!」などという、お気楽な叫び声が聞こえた。ビィトの声だ。いつもは頼もしいビィトの声も、今の僕には無性に癇にさわる。
「わあ……すごーい」
 これはポアラだ。ある程度上昇して気流に乗ったのか、飛行機の角度も安定してきた。そうすると、後部座席に二人詰め込まれているとはいえ一応振り落とされる心配だけはない女の子達は、眼下に広がる景色を観賞する余裕が出来たらしい。
「広ォい。海ってホントに青いのねー」
「あっあれ! あの銀色にちらちら跳ねてるのって、もしかして魚!?」
 女の子達は無邪気なものだ。しかし、そう聞くとなんとなく……僕も薄く目を開けて下を見た。すぐ後悔した。青、といっても群青色に近い濃い青に、ふらあと意識が遠くなって吸い込まれそうになる。
「この辺りはな。魚影がまだ見えるが、ベカトルテに近付くに従って魚まで減ってきちまって……!」
 ガントリィさんが吐き出すように言った。どこも色々大変らしい。
「……ベカトルテって……一体どんな国なの?」
 ポアラの問いに、ミルファやガントリィさんが答えている。
 ベカトルテは世界最大の工業都市で、僕らが今乗っている飛行機や車、船など、ありとあらゆる乗り物を建造していたらしい。どうもピンと来ない。僕が過ごした黒の地平では、飛行機や船はもちろん、車さえほとんど見たことが無かったし。移動手段はもっぱら徒歩で、時折り飼い慣らした魔物、たとえば大怪蝶とか……を乗りこなしていた。
 世界はそれだけ広いってことか……うんうん、と僕が一人納得している頃、みんなは随分シリアスな会話をしていた。
「……もう出来やせんのかもなあ……昔みたいな活気を取り戻す事など……」
 ガントリィさんが述懐する。ビィトが励ましている。うん。僕もビィトと同じ気持ちだよ。魔人さえ倒せば、きっと世の中良くなるよ。ビィトのその威勢のいい所が僕はとても好きだなあ、と思う。
「……よォし決めたっ! グランシスタに行く前に、いっちょそっちを片付けようぜ! ベカトルテ近海魔人の大掃除だっ!!」
 ビィトが大きく出たのとほぼ同時に魔物が現れた。
 噂をすれば影、なんてどっかで聞いた格言を思い出したりする。
「軍艦トータスじゃっ!! あいつらのせいでどれだけの飛行機や船が沈められたことか……!!」
 軍艦トータスは亀のような甲羅に、タコの足のような大砲を装備していた。狙うべきはやはりその砲筒の部分だろう。誘爆は避けたいから水の天撃で、凍らせるのが一番いい。ガントリィさんが慌てて迂回しようと旋回させる機上から、僕は軍艦トータスに狙いを定めた。その前にビィトが飛び降りた。
「げえっ!! 飛び降りたああっ!? 何する気なんじゃあいつう……!?」と、ガントリィさん。
「もうやる気なんだ。近海の大掃除……」と、ポアラ。
「さっそく始めるぜッ!!」
 ビィトは何の躊躇もなく飛び降りた。あああもう。どーして魔物に有利な状況で戦おうとするかなあ……人間が船にも乗らず身ひとつで海に落ちてどーするよ……立ち泳ぎしながら戦うのかな。ちょっとかなり疲れそうだな。
 なんて言ってる場合じゃない。早くしないと飛行機はどんどんビィトから遠ざかってしまう。
「……僕はビィトの応援に行くから、みんなは飛行機で先に行ってて」
 ビィト一人にやらせるわけにはいかないし、二度とビィトから離れないと個人的に誓願も立てている事だし。
 海の青色を見ていると目をつぶりたくなったけど、どこから敵の攻撃が来るかも知れないので仕方なく目を見開いた。天撃の気流をマントに集める。この服は閣下……いや魔人グリニデに貰ったものだけど、防御力が高いのでそのまま着ている。服に罪はないし。
 マントに風をはらませて、僕はゆっくりと飛行機から海に降下する。
 ビィトはもう派手にやっているようだ。バーニングランスが火花を散らすのが見える。
 うう、だから火器はやめて欲しかった……。
 言っても今更仕方がないので、さっさと片付けるのに専念しよう。
「よおキッス! 来てくれたのか!」
「ほっとくわけにもいかないしね!」
 さて、片付けた後どうすればよいのやら……まだまだグランシスタまでは遠そうだし、泳いでいくのも大変だろうから、ビィトに言って一匹だけは残しておいて、代わりに陸まで連れてってもらおう。そうしよう。一匹くらいなら、見逃したっていいだろう。どうせ軍艦トータスが、ここにいるだけで全部ってわけじゃないだろうし。
「ちょっと君キミ」
 僕は僕と対峙した、一匹の心もちちいさめの軍艦トータスに向かって話しかけた。
「このままじゃ全滅だよ。キミだけは助けてあげるから、僕のお願い聞いてくんないかなあ」
 ビィトは本気だ。魔物をすべて殲滅するまでやめないだろう。それに比べると僕のやり方はズルい上に反則だけど、どうも僕はまだ魔物寄りの考えを捨てきれてないらしい。魔物や魔人は確かに倒すべき敵なのだけど、グリニデ城で魔物に囲まれて暮らした二年間が僕に親近感を感じさせる。樹の魔物と海の魔物という違いはあれど。
「商談成立だね」
 ちいさめの軍艦トータスは海に深く潜っていった。ひと段落したら顔を出してくれるだろう。
 出てこなくても、それはそれでいいかと僕は思った。意図的に逃がしたと知ったらビィトに怒られそうだし、その辺はあの軍艦トータスに任せるしかない。
 僕はほんの少し憂鬱な気分を抱えながら、迷いを払うように目の前の敵に集中した。

<  終  >

>>>2004/7/19up


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