ビフロストの橋
「……で、入口の所でうろうろしてたから、案内して来たんだけど……」
ダイは、自分よりちょっと下くらいの少年を二人、魔道士の塔の執務室に連れて来ていた。
塔主のポップはまだいない。
そして、この部屋の実質的な管理者である塔主代理のスタンは、どことなく怒っているように見えた。
「何でも、ポップに憧れて田舎から出て来たのはいいんだけど、王都には知り合いも親戚もいないし、塔に入れて貰えなかったらどうしよう……なんて話してるから、ついお節介しちゃって。……えーと、スタン、怒ってる?」
語尾をちいさくしながらも、単刀直入にダイは聞いた。
線目のスタンはいつも笑っているように見えるのだが、今回ははっきり睨んでいるとわかる視線で後ろの二人を見据えると、
「いえ。そういう事でしたら、仕方ありません。マスターに憧れて、という事なら二人とも魔法使い志望ですね?」
珍しく強い口調でスタンは聞いて、新入り二人がまごついて返事をする前にさっさと他の学生を呼び、魔法指南役のハーベイが講座を受け持っている教室に連れていくよう言いつけた。その後、少し考えてから、寮監のウィリーを呼んできてくれとも告げた。部屋割りの相談をしたいから、と。
学生に連れられて新入りの二人が行ってしまうと、スタンはダイの方に向き直り、
「……勇者様、ちょっとそこにお座りください」
否やと言わせぬ口調でスタンは指示した。
いつもお茶を飲んだりカードをしたりする四人掛けのソファに、ダイとスタンは向かい合わせに座って、ダイは新入りをここに連れて来た経緯を詳しく説明させられた。といって、大体の所は既に話してしまっているので、二人の雰囲気だとか、うろうろしていた時の様子だとか、入学には余り関係ないんじゃないかな、とダイが不審に思う事ばかりだ。
「よくわかりました。ありがとうございます、勇者様」
ひと通り話し終えると、スタンは軽く頭を下げて礼を言った。が、すぐに顔を引き締めて、
「勇者様が親切心からなさった事とは承知していますし美しい事だと思いますが、これからは、そういう人物を見掛けても、どうか放っておいてください」
「え? 何で?」
「最初に、勇者様に説明しておかなかった僕達にも落ち度はありますが……」
スタンは姿勢を正して、
「勇者様は、塔の入学基準がどうなっているかお知りですか?」
「来る者拒まず……だったよね? ポップ自身、アバン先生の押しかけ弟子だったからって」
ダイは頭をひねりながら答えた。
「そうです。ですが、本当に全員受け入れていたら、そう大きくない塔は、すぐに満杯になってしまいます。それでもいつもほとんど一定の人数に学生達が保たれているのは、どうしてだと思いますか?」
「放校……放塔っていうのかな。してるの?」
「ええ。マスターの預かり知る所ではありませんが。この塔に在籍する基準はただひとつ、『自分がどれだけ塔の役に立つか』です。残念ながら勇者様がお連れになったあの二人には、その資格が欠けているとしか思えません」
「ちょ……ちょっと! まだ来たばっかりなのに、そんな……!」
判断を下すのが早過ぎるのではないか、とダイは抗議した。
スタンはふるふると首を振ると、
「塔に入学試験はないと思われていますが、実はそんな事はないのです。明文化されてないだけで、実際は試験も規律もあります。でなければ秩序が保たれません。一緒に塔で学びながら寮で皆で生活しながら、新入り達はそれを感じ取って行きます。そこからはみ出た者は放逐されます。その前に、自分から出て行く者の方が多いですが。早晩、あの二人もそうなるでしょう」
「だからどうして! さっき顔を合わせたばかりなのに、どうしてそんな事が言い切れるのさ!?」
苛々とダイは声を荒げた。
「勇者様がお連れになったからです」
スタンの答えにダイはぽかーんと口を開けた。
「あの二人は勇者様の前にも、寮から塔にやって来た他の学生とも顔を合わせている筈です。学生の方から新入りに声をかける事はありません。尋ねられれば返事はしますが、親切に執務室まで連れて来る事はしません。場所を教えて、それだけです。『自分で塔の執務室のドアを叩く』、それが、塔への入学を認められる第一歩なのです」
「……オレが、最初に出会った一人だとしたら?」
「ここが魔道士の塔、という事はわかっていたようですから、表でうろうろする位なら、誰かが通りがかるのを待たずに入ってくれば良いのです。入りさえすれば誰かしらいるでしょうから、入学したいんですが、と言えばその誰かがここの場所を教えるでしょう。後は同じです」
そうなの……かな? スタンの答えは淀みない。
こうも堂々と言い切られると、余計な事をしてしまったらしい自分に落ち込む。
スタンは慰めるように話題を変えた。
「勇者様。この塔が出来たばかりの頃を覚えていらっしゃいますか?」
こくん、とダイは頷いた。
「うん。皆で塔を大掃除したり机を運んだりして、大変だったよね」
「その前です。あの面倒臭がり屋のマスターが、重い腰を上げて姫から塔を借りるまでの」
「と、いうと……」
ダイは塔が出来る前の事を思い返した。
パプニカの客分扱いになっていたポップの下には、毎日のように弟子希望の嘆願書が届いていた。
ポップは封を破りもせず、それらは机の上にどんどん積み上がっていった。
見兼ねたダイが時々整理しなければ、あっというまに雪崩て床に散乱していただろう。
元々整頓好きなタイプじゃないのだ。
「せめて読むくらいしてあげたら? 可哀相じゃないか」
だってオレ弟子取る気ねーもん、とポップはそっけない。
それならお断りの返事を出せと言っているのに、ポップは手紙もダイの助言もキレーに無視して、好き勝手な日々を送っていた。パプニカの城門を叩く者も大勢いたが、ポップは門番に頼んでシャットアウトして貰った。いささかフリーダム過ぎる言動に腹が立ちはしたものの、ポップだから仕方ない……とつい思ってしまうのは、惚れた弱みというヤツだろうか。
そんな中、座り込みが始まった。
対面は叶わないし手紙はなしのつぶてだし、業を煮やした者達が最後の手段として城門前で座り込みを開始したのだ。むろん他の通行人や城門を通る要人や商人の邪魔にならないよう、少し端に寄ってではあったが、手や胸に弟子希望の紙を掲げていたのでどんな団体かはわかった筈だ。
日に日に増えてゆくその数に、さすがのポップも知らん顔は出来なくなってきたらしく、ダイと一緒に城壁の上からその様子を見下ろして、うーむ、と唸っていたのを覚えている。
「そうです。僕もそれに参加しました」
その中にはスタンもいたらしい。スタンは細い目を更に細めて、
「あの時の僕達も、田舎から出て来たばかりで、右も左もわからない者だらけでした。宿に連泊出来る程の所持金もなく、城門の前で顔見知りになった者同士で、王都の外れで野宿を繰り返し、ただ、マスターの弟子になりたい一心で座り込みを続けたのです。途中で諦めて帰郷してしまった者も、もちろんいましたが」
残念そうにスタンは眉根を寄せた。頭をひと振りしてスタンは気を取り直し、
「でも、そのかいあって、マスターは塔と寮を用意して、僕達を受け入れてくれました。もちろんマスターはああいう人ですから、手取り足取り、懇切丁寧に指導してくれるなんて事はありません。僕達は自分でマニュアルをつくらねばなりませんでした」
「………」
「今、塔にいるのは、皆そういった過程を経て来た者ばかりです。無論、塔が出来てから入ってきた者達も。自力で執務室へも来れないで、塔でやっていけるものでしょうか。他力本願な者は塔には要りません。一応、観察期間は設けますが」
そこでスタンの話は途切れた。
寮監のウィリーと、相談役のゲイルが入ってきたからだ。
この二人も卒業免状のシャムロック・バッジ持ちで、同ナンバーだ。相談役とはカウンセラーみたいなもので、学生達の悩みを聞いたり文字通り相談にのったりして、心のケアを行う役目だ。
ダイは一人で執務室を出た。
塔の入り口まで戻って、ぺったり腰を下ろす。
背中を丸めて、悪い事しちゃったのかな……と反省していると、明るい声が上からかかった。
「どーしたダイ?」
ポップだった。相変わらず重役出勤だ。
「ちょっと来て」
「うわっ」
ダイはポップを抱えて以前エダマメを植えた高台まで上ると、そこでポップを下ろした。
だーっと今朝あった事をとりとめもなくぶちまける。こういう時、ポップは口を挟まないでいてくれるのが嬉しい。普段、ダイの軽く十倍は口数が多いのが嘘のようだ。
「あの二人、やめちゃうと思う? ポップ」
「さあ? オレはまだ直接会ってないから、何とも言えないな」
どうでもよさそうにポップは言った。むう、とダイは頬をふくらませた。
「もー! ポップがそんなだから、スタン達が苦労するんだよ!」
「いやだってスタンの方が塔主っぽいし。仕事してるし」
「ポップが真面目にしないからでしょ。魔法指導だってハーベイに任せっきりだし」
「オレだってちゃんと指導してるぞ。ただ、一度聞いてきたヤツは二度と質問してこないだけで」
いやそれは、ポップの教え方がマトリフ譲りだからだろう。
アバンを真似ればもう少し、質問の頻度は上がると思われる。
大体ポップがダイより先に塔に来ていれば良かったのだ。そうすれば執務室に連れて行っても、あ、そう程度のふたつ返事であの二人を引き渡せたし、もしかして、入口で遭遇するのはダイじゃなくてポップだった可能性もある。これならスタンもぐうの音も出ないだろう。
「あーわかった! お前、いい事したと思ってたのに、スタンに怒られたからクサッてンだろ」
腑に落ちた、とばかりぽんと手を打って、優等生だもんなあダイ、と笑いながらポップはダイの頭をぐりぐり撫でた。
「ち、違うよっ。オレはただ、案内しちゃった以上責任を……!」
慌てて弁明するダイの言葉をまあまあ、とポップはさえぎって、
「考えようによっちゃ、そいつらすげえラッキーじゃね? 塔に来て、まあ誰かに断られた後としてもだ、結果的に勇者に取りついで貰えるなんて、超運がいいと思うぞ。オレはやめないと思うな。そういう奴らは要領がいいんだよ。ソースはオレ」
けらけら笑うポップに、ダイは肩の力が抜けてゆくのがわかった。
「そう思う?」
「ああ」
自力で入ったってやめる奴はやめるしなー。経過がどうあれ塔に入った以上、そこからはそいつらの自己責任なんだから、ダイが責任を感じる事なんかなくね? とポップは言い足した。
ダイでも知っている塔の不文律、自己責任という単語を聞いて、そうなのかな、とダイは思う。
ぺち、とポップは軽くダイのおでこを叩いた。
「おまえ考え過ぎ、気にし過ぎ。名ばかり塔主でも、責任者は一応オレなんだから、オレを無視してスタンがそいつらをやめさせる事はないよ。向こうからやめたいと言ってきたら別だが。それにオレ、スタン信頼してるし。仕事に私情を挟むような奴じゃないぞ」
ダイはハッとした。自分が告げ口めいた事をしてしまったのに気付いたからだ。
「スタンに謝った方がいいかな……?」
「別にいらないだろー。って、何で謝るんだ? ダイ、スタンに何かしたのか?」
心底ポップは不思議そうだ。
ううん、と首を振って、ぎゅ、とダイはポップに抱きついた。
スタンの予想は外れた。が、ポップの言う通りにもならなかった。
ダイが案内した二人連れは、一人が塔に残り、一人が郷里に帰ったのだ。ダイは、その事をダイの姿を認めて駆けてきた先日の少年に礼を言われて知った。
「先日はどうもありがとうございました。まさか勇者様だとは思いもしませず、お手を煩わせてしまって申し訳ありません」
もう一人は他の講義を受けているのかなと思って質問したら、そういう返事が来た。
幼馴染みで、一緒に魔法使いになろうと誓い合って塔に来たらしいが、どうもこちらの少年は、ポップの言う頭脳班の方が性に合っていたらしい。少しずつ別行動が増え、擦れ違いが続き、片方の少年が帰ると言ってもこの少年は残った。そういえば、自分に声をかけてきたのもこちらの少年だったような気がする。
「頑張ってね」
ダイが言うと少年は会釈して、来た時と同じく足早に去っていった。
少年と話したのはそれっきりだ。
ポップは今日も重役出勤だった。ダイはスタンを相手に、あっさりし過ぎてない? などと言っていた。
「足並み揃えるだけが友人じゃありませんよ。特に塔は、独立独歩の気概が強い奴等の集まりですし」
さらさらと、書き物をする手を休めずにスタンは答えた。
「自然にそういうタイプが残る?」
「そうですね」
我が強いのばかりが残った割には、塔は統制が取れている。
ダイは、自己責任以外の、明文化されていない規律とやらをスタンに質問してみた。
「んー……、マスターに心酔している事、でしょうか」
ダイは驚いた。
「心酔してたの!?」
「そこまでびっくりされるような事を言ったでしょうか……? ええ、もちろん。多分、反抗ばかりしてるハーベイも、しょっちゅう覗きに来るオスカーも、マスターの弟子なら、全員」
スタンは書き物をしていたペンを置き、
「塔はマスターを核にした生き物みたいなものなんですよ。魔法班を筆頭に、頭脳班、救護班、工作班……運営が長くなるにつれ、個人の得意分野に合わせて細分化されて行きましたが、基本、学生達は塔の利益になる事でしか動きません。単に自分達の属する塔を、自分達で維持しているだけですが」
トントン、と書類を何枚か重ねて机に打ちつけて下を揃えた。
「魔道士の塔をつくったのはマスターですから、マスターについていけない者、まあ、ああいう性格の方ですから――は、自ら塔を去ります。学力が足らずに脱落した者、自分では塔の役に立てないと出てゆく者、もちろんバッジを貰って目出たく巣立ってゆく者などもあり、代わりに入ってくる新入りがいて、そうして多少の増減はあるものの、塔はいつも一定の人数と、質を保っているのです」
「へえ……」
塔について余り突っ込んだ内容を知らなかったダイは素直に感心した。
あ、でも、とダイは前置きして、
「……でも、ポップはそんなに、塔を重要視してないかもしれないよ」
嘆願書を溜めまくっていた時期や、新入りの動向を気にもしていなかったポップの振舞いを思い返して、気まずそうにダイは言った。いいんですよ、とスタンは笑った。
「昔、君臨すれども統治せず、って王様が何処かにいたと記憶していますが、塔もそんな様なものだと思ってください。マスターは象徴として、そこにいてくれるだけでいい。細かい事は僕らがやります」
それにマスターは、ちゃんと僕達の事を見てくださってますよ、とスタンは話を閉めた。
どこが? とダイが聞くと、それは宿題です、考えてみてくださいね、とはぐらかされた。
ポップがようやくやって来たのでそれ以上問い質せなかったが、ダイはずっと考え続けた。
門番に押しかけ弟子達を遮断して貰っていたポップは、署名や嘆願書を取りつがないよう頼む事も出来たのだとダイが思い当たったのは、それからしばらく経ってからの事だった。
< 終 >
>>>2011/4/14up