薫紫亭別館


進撃top



僕と花

 リヴァイ班長はいつでも体に合った服を着て、首元にスカーフを巻いている。
 どんなに激しい訓練の後でもそのスカーフが乱れた事はないし、ボタンを緩めた事もない。
 ちょっと潔癖症が入っているらしい神経質な班長は、スプーンが曇っていたらマイ手巾で磨き始めるし、洗濯物も人任せにせず、朝イチで起きて訓練前に済ませる。変人揃いの調査兵団でも一、二位を争う奇矯さだが、実力も一位なので誰も文句が言えない。
 むしろ綺麗好きなのは結構なことだ、と上から推奨さえされている。
 そんな班長が、幾ら非番とはいえどう見ても体に合ってないだぼだぼのシャツとズボンを着て朝の食堂に現れたら、騒ぎにもなろうというものだ。
「リヴァイ……それ、エルヴィンの?」
 同じ班長であるハンジが近付く。
 入団期間は丸っきり違うが、班長に就任したのは同時だったので周りからは何となく、同期の様に見られている。リヴァイはぴら、と襟を抓みながら、
「ん。エルヴィンの部屋を掃除した時、お駄賃に貰った」
 時々えらく可愛らしい言葉遣いになるのもこの班長の特徴だ。
 ちゃんと余った裾と袖は切って、雑巾にしたんだぞ、と得意そうに説明する。へ、へえ……と奇人変人のもう一方の雄、ハンジをも返答に困らせる事に成功したリヴァイは、配膳された食事を持って、先に席に着いていたエルヴィン分隊長の向かいに座った。
「……リヴァイ。時系列が違う。お前が私の部屋を掃除して、ついでにあちこち引っ掻き回して勝手に強奪していったというのが正しい。言葉は正しく使いなさい」
 スプーンを置いて、エルヴィンが窘める。
 大して変わらねえだろうが、とリヴァイはちぎったパンを口に運ぶ。
「後、それは寝間着にすると言って持っていったものだろう。脱ぎなさい」
 エルヴィンが言うと、
「しょうがねえだろ? 洗濯ものが乾かねーんだから」
 リヴァイは窓の外に顔を向けて、もう十日ほどもじとじとと降りやまない雨を指し示した。
 リヴァイ曰く。
 ここの所は雨続きで、下手をすると一日に数枚、替えの服が必要になる。訓練後の夕方と、リヴァイの場合は昼の休憩にも濡れた服を着替えるので三枚だ。寝間着もプラスすると四枚だ。毎日の洗濯を欠かさないリヴァイは、支給された隊服も私服のシャツも、乾く前に着倒してしまった。
「半袖が二枚、長袖が二枚。一年で支給されるシャツが四枚って少な過ぎンだろ。せめて一年目の奴にはもう少し寄越せ。足りるワケねえだろ」
 そう言うリヴァイ自身がまだ入団して一年未満、なのに班長な事を皆が知っている。
「人間、生乾きの服を着ても死にはしない。ついでに、ニ日や三日同じ服を着ても生きていける。場合に拠っては一週間でもイケる。今がそれだ。お前は少し神経質過ぎる」
「雨が降っても野外訓練が中止された訳じゃないだろ。ンなドロドロの服、誰が着たいよ。確かにいずれ晴れるだろうといつもの調子で洗ったのは見込みが甘かったが、別に悪い事をした訳でもないだろ。それに今日は休みなんだから、何を着ようと俺の勝手だ」
 綺麗好きなのは良い事だ、とお墨付きを得ているリヴァイは強気だ。
 が、エルヴィンは断固とした態度を崩さずに、
「軍人にはそれにふさわしい服装、というものがある。兵士たるもの、非番であろうと休日であろうと、即呼び出しに応じられるような衣服を身につけているべきだ。上に立つ者なら尚更だ。お前は班長だろう、リヴァイ。班長がそんな格好では、下に示しがつかないと思わないか?」
 リヴァイは自分の身なりを見下ろして、シャツの裾を引っ張りながらつぶやいた。
「……そんなに似合わないか? コレ」
 似合うか似合わないかでいうと、恐ろしいほど似合っている。
 彼シャツ、彼氏のシャツを着た彼女というよりは、やはりパパのワイシャツを頭から被って悪戯している子供、な雰囲気だが、リヴァイ自身の放つオーラが退廃的過ぎる為、結果として見てはいけないような、やましいような、健全だか何なんだかよくわからないカオスな事になっている。
「そういう問題ではない。心構え、の問題だ。お前には上官としての自覚が足りない」
 むう、とリヴァイは頬を膨らませた。ただでさえ目付きが悪いのに、更に凶悪な顔に。
 しかしそんな事で怯むエルヴィンではない。
「わかったら、戻って着替えてきなさい。公序良俗を守るのも、お前の努めだ」
「嫌だ。ンな生乾きのクッセェ服なんか着て、俺が風邪でも引いたらどうする気だ。……ああ、そうか」
 何か思いついたらしい。ぽん、とリヴァイは手を打つと、
「エルヴィンが俺の着替えを買えばいいんじゃねえか。よし、新しい服買いに行くぞ」
「待ちなさい。何で私が」
 エルヴィンは抗議した。どんな論理の飛躍だ。
 調査兵団は確かに薄給だが、シャツの一枚くらい買える金額は貰っている。
「俺の服装に文句タレたのはてめえだろうが。他のヤツは誰も何も言ってないんだから、……ああクソメガネがちょっと言ってたような気がするが、イチャモンつけられた訳じゃないしな。とにかく俺はこれで不自由を感じてないんだから、そこまで言うならエルヴィンが俺の衣服を揃えるべきだろ。俺を拾って、調査兵団に入れたのはてめえなんだから」
 正論だ。ぐうの音も出ない。エルヴィンは負けた。
「わかった……午後から町に出よう。用意しておきなさい」
「雨が降ってるから屋根付きの馬車な。濡れんのヤダし。最初は雨も面白かったんだが、こう続くとうんざりしてくるよなー……ついでに晩メシもつけてくれ。豪華なのな。外出届けくらいは書いてやるから」
「………」
 エスカレートする要求に、エルヴィンは眉間に皺を寄せた。
「生地はそこそこの質でいいからな、エルヴィン。あんまり安物はやめとけよ」
「………………」
 エルヴィンの皺がどんどん深くなっていくのに気づかずにリヴァイは追い打ちをかける。たぶん素だ。
 ぴたっと匙を持つ手が止まったエルヴィンとは対照的にリヴァイは美味しく食事を平らげ、さっさと食器を片付けると、
「じゃ、エルヴィン、正午に兵舎の玄関ホールでな。遅刻すんなよ」
 足取りも軽く去っていった。
 あの気難しい班長が楽しそうなのはいい事だよな、と食堂に居合わせた平の団員達は噂した。
「ちゃっかりしてやがんなー……」
 感心したように言いながら、やって来たミケがエルヴィンの隣に座った。
「さすが、って感じ。あんなにおねだり上手だったっけ? リヴァイ」
 ハンジもくっついてきて斜め前の椅子に着く。
「……貢がれて当然、だと思ってるんだ。あれで一応、かなり人気があったらしいから」
 エルヴィンは頭を抱えている。
「あの三白眼がそこまで売れてたのか……?」
「いや、おかしくないよ。我儘な方が好き、ってゲテ趣味の奴は何処にでもいるし」
 ミケの疑問に、ハンジが答える。この辺はさすがに小声で話している。
 まあ、人気でなければ、売り物の時期を伸ばせるよう薬を打たれる事もなかったかもしれないが。
「あいつ絶対、私に財力が無かったらついてきてないな……」
 実は、リヴァイが今持っている私服もエルヴィンがあつらえたものだ。
 更に言うと髪をカットさせたのもエルヴィンだ。
 首筋に刃物を当てさせないリヴァイを、なだめる為に同じく刃物を持たせ、危険を感じたら使えと言って床屋を呼んだ。あれはまだシーナの、エルヴィンの実家の離れだった。組織を壊滅させて独立したリヴァイは立派なゴロツキで、外見に構わなくても良くなったおかげで髪は散切り、服装も適当なものだった。
 それでも洗濯は行き届いていて、垢染みた格好をしていないのはさすがだったが。
 調査兵団に入れる為にまず髪型と服装から改めさせたのだが、それが良家のお坊ちゃま風に仕上がったのは、ちょっぴりエルヴィンの趣味が入っている。
「……まあ、その財力のおかげでリヴァイが釣れたんなら大漁と言っていいんじゃない」
「そうだな。あれだけ強くて最強で小さいけど大物なのが多少の服と食事でついてくるなら、出費は惜しまない方がいいだろう。あれはお買い得品だったぞ、エルヴィン。調査兵団の未来の為にも、お前はあれを捕まえとけ」
 無責任に煽る感じにハンジとミケが畳み掛ける。
 それならかかる費用も経費で落としてくれないだろうか、とエルヴィンは名家の出身ならぬ弱気な言い草を吐いている。うん、まず無理だろう。周囲はこっそりエルヴィンに同情した。
「……ところでエルヴィン、リヴァイに掃除させてるの?」
 職権乱用は良くないわよ、とハンジが言う。
「知ってるだろう、アレは掃除が趣味なんだ。頼めば君達の部屋だって掃除してくれるぞ。漏れなく罵倒語を伴った小言がついてくるが」
 頼まれずともエルヴィンの部屋だけは掃除してくれるワケね、とハンジは呆れつつ、
「……でも、お古のシャツの一枚や二枚で掃除してくれるなら、私も頼んでみようかな。口うるさいかもしれないけど、リヴァイなら隅々まで完璧に掃除してくれそうだし」
「サイズは合うだろうが、むしろリヴァイの方が小さいだろうが、君のは女物だろう。さすがに可哀相だからやめてやってくれ」
 今度はミケが提案した。
「んじゃ、俺が頼むか。エルヴィンのより雑巾に取れる部分が大きくて、喜んでくれそうだ」
「服は今日、私が大量に買ってやる事にするから、他の事で頼む。私の手が離せない時、代わりに遊んでやるとか相手してくれるとありがたい。放っとくと拗ねるからな」
 結局、エルヴィンは自分のもの以外のお古をリヴァイに着せる気は無いらしい。
 自覚があるかは疑問だが。
 ちなみにリヴァイは非番だったがエルヴィンは休みでも何でもなかったので、午後からの都合を付けるべく、食後は東奔西走していた。幸いキース団長もリヴァイの重要性は理解していたので、ご機嫌を取るべく連れ出す事を認めてくれた。その際、些少のカンパもくれた。額面は僅かだが、この心遣いが嬉しい。
「エルヴィン」
 エルヴィンの苦労など全く知ろうともせず、正午、リヴァイが玄関ホールで待っていた。
 エルヴィンくらいになると、無表情の鉄面皮の中に隠されたリヴァイの感情を読み取れるようになる。
 久しぶりのお出かけに、リヴァイが浮き立っているのがわかる。
 エルヴィンは知らず微笑した。
「――おいで。リヴァイ」
 エルヴィンは呼んでおいた馬車の扉を開けて、リヴァイを手招いた。

<  終  >

>>>2013/7/31up


進撃top

Copyright (C) Otokawa Ruriko All Right Reserved.