スミス氏、エルヴィンの父はエルヴィンの顔を老けさせて口髭を整えた見るからに厳格で重厚な紳士だった。母親、スミス夫人は笑うと頬にえくぼの出来る、おっとりした女性で、夫婦で並ぶと氏の鋭さを夫人の柔らかさがカバーして、凹凸がぴたりと合っている。実にお似合いだ。
夫妻は邸宅のエントランスの前で三人を迎えた。
実子のエルヴィンとかつて居候だったリヴァイを代るがわるハグし、ミケには握手を求め、邸内に招き入れる。居間と呼ぶには豪華過ぎる居室に据えられたソファを勧められ、ミケはエルヴィンの隣に座った。
「それにしても遅かったな、エルヴィン。予定では、三時にはこちらに来ている筈だったろう」
重々しくスミス氏は口を開いた。
遅れたのはリヴァイが呑んでしまった分の酒を、新たに買い求めてピクシス指令に届けていたからだ。
幹部三人で来たせいで、会議中にヒラ団員に買いに行かせる事も出来ないし、やはり、リヴァイのしでかした不始末は唯一の直属の上官であり、恋人でもあるエルヴィンが取らねばなるまい。
会議から戻り、幸い、まだ眠っていたリヴァイをミケに任せて酒を買いに出た。当然自腹だ。
リヴァイに関する経費を調査兵団の予算に計上する事はとうの昔に諦めた。エルヴィン自らピクシス指令に届け、リヴァイの非礼を詫び、これからの根回しをお願いする。その為に酒はかなり高級な銘柄を購入しておいた。
酒に釣られるようなピクシス指令ではないが、世話になるのに誠意を表すのはこれが一番いいと思った。
ピクシス指令も、恐らく正しくエルヴィンの意図を組んでくれるだろう。
「すみません、お父さん……予定外の出来事があって」
お父さん、か。意外と庶民的な呼び方してるんだな、とミケは思った。
手土産を買いに出る事といい、エルヴィンの感覚はそこらの一般庶民と変わりない。ご両親は如何にもな上流階級だが、もしかしてエルヴィンだけが鬼っ子なんだろうか。それとも、ああ見えてご両親も案外とフランクなタイプなのか。
そう考えていたミケの目算は外れた。
スミス氏は社会人として時間を守る事がいかに大切な事か、信用に繋がるかをこんこんと説教している。
エルヴィンは黙って聞いている。言い訳も反論もしない所が潔い。
一方で、リヴァイは夫人に呼ばれて窓辺近くで立ち話している。
家令らしき老人が、小間使いに両手で持てるほどの箱を持たせて入ってきた。スミス夫人は壁際のローボードの上で箱を開けさせて、中身を取り出し、
「見てリヴァイ。あなたの正装よ。もう随分前に仕上がっていたのに中々お披露目する機会がなくて。それもこれも、エルヴィンがあなたを連れて来なかったせいね。でも、今夜着てくれるならそれでいいわ。さ、羽織ってみて」
リヴァイの肩に服を当てて、ああやっぱり似合うわー、と夫人はきゃっきゃしている。
「……お母さん」
父親の小言が一段落した隙を突いて、エルヴィンは母親に話しかけた。
「今夜の夜会は調査兵団の集金パーティーという側面上、兵士長として、リヴァイにも兵団服を着て出席して貰います。気持ちはありがたいのですが……」
「なに言ってるのよ。交渉事はあなたの役目でしょ、エルヴィン。リヴァイを巻き込まないで」
「そうだな。実戦では世話になりっぱなしなのだから、それ以外の事はお前がやりなさい。リヴァイの手を煩わせるんじゃない」
「………」
えーと、実子なのはエルヴィンだよな? とつい疑問に思ってしまう光景だ。
ミケが首を捻りながら静観していると、
「……兵団服で出る。エルヴィンがああ言ってるから」
上着を当てていた夫人の手からするりと離れて、リヴァイは言った。
箱の中を覗きこんで、光沢のある、白い布を摘み上げる。首に巻く装飾用の布、クラバットだ。
「これだけ使わせて貰う。これならいつも巻いてるからな」
「まあ……!」
目を潤ませながら、スミス夫人は強くリヴァイを抱きしめた。
「何ていい子なの! ごめんなさいね、エルヴィンが我儘で。でも、嫌な事は嫌と言っていいのよ? でないとまた一人で抱え込んで、ふらっと居なくなったりしちゃうんだから」
思わずミケはエルヴィンを見た。エルヴィンは真っ青になって、冷や汗をかいている。
ご両親はリヴァイとエルヴィンの仲を、何処まで知っているのだろう!?
「よそ見するな、エルヴィン。お前はこれから、夜会に出席してくれる貴族達の名前と肩書を覚えなければならないのだからな。顔は私が出迎えの時に一緒にいて教えてやるが、そこから先はお前次第だ。フリート達にも来るなと言っておいた。お前は一人で寄付の確約を取り付けねばならない」
フリート達、とはエルヴィンの兄達の事だ。
確かフリート、という長兄が家督を継いでいて、あと何人か、兄と姉がいるらしい。
そう、ミケは聞いた事がある。
「幸いザカリアス君もいるし、二人なら半分ずつ覚えればいいのだから、楽なものだろう。名簿を」
スミス氏は家令に書類を持って来させ、ずらっとテーブルの上に並べた。
「リヴァイはこっちよ。せっかくのパーティーなんだから、綺麗にしとかなくちゃね。調査兵団の英雄が、尾羽うち枯らした姿なんて見せられないわ。そうでなくとも兵団服なんだから」
リヴァイは夫人に連れられて、どうやら湯浴みに行ったらしい。
自分は交渉要員に入っている訳だな、と多少釈然としないものを感じつつ、これも分隊長の務めとミケはさっさと名簿を二等分にして、エルヴィンと共に暗記に集中した。
夜会は七時からだったが、その三十分前にはぼちぼち客が到着し始めていた。
エルヴィンは父と共に大広間の入り口に立ち、招待客を出迎えた。
家督を継いだ長兄ならともかく冷や飯食いの末っ子には、こういった華やかな場所には縁が無い。調査兵団の団長となっても、それは同じだ。王都の憲兵団や母体の大きい駐屯兵団とは違い、調査兵団など僻地の弱小兵団に過ぎない。
エルヴィンは父に紹介して貰いながら、必死で頭の中で、記憶の名簿の名前と相手の顔を突き合わせた。
表面上はもちろんにこやかに、微塵もそんな素振りは見せなかったが。
大変だな、と思いつつ、ミケも他人事ではない。エルヴィンの背後で待機して、自分も顔と名前を脳裏に叩き込む。前髪で表情が隠れるのがこんなにありがたいと思った事は無い。
……一方、リヴァイはというと。
ミケがふと気づくと、リヴァイは広間に設置してある長テーブルの上から、セッティングされた料理を皿に山盛り盛っている。スミス夫人が隣にいるから了承済みなのだろうが、夜会が始まる前から食料を確保するのは如何なものか。
「あら、可愛い軍人さん。あちらの団長さんの付き人なの?」
夫人の知り合いらしき女性がスミス夫人とリヴァイに近づいた。トロスト区でこそリヴァイは有名だが王都ではまだまだマイナーで、それが貴族の女性では尚更だろう。男性なら今夜のパーティーの性質上、ピンと来る者も多いかもしれない。
「こちらはリヴァイ。こう見えても兵士長なのよ。団長の次に偉い役職なの」
普通は団長に次ぐのは分隊長という並びだから、夫人はわざわざ説明を入れたのだろう。兵士長、とはリヴァイの為だけに作られた役職だから、リヴァイがいなくなれば兵士長という称号も無くなる。
「普段は兵長、と呼ばれてるんですって。ね、リヴァイ」
夫人はリヴァイを紹介し、ぶっきらぼうながらもリヴァイも挨拶を返し、なんとなく雑談が始まった。
「随分小柄なのね。何歳なの?」
「一応成人している。ガキの頃の食生活が貧しかったせいか家系なのか、ここで身長が止まった」
「そうなの。だから私リヴァイには、沢山食べて貰いたいの。息子が世話になってるのに、離れて暮らしてるからこんな時にしか役立てなくて」
……どこまで本気か芝居かわからない会話だった。
リヴァイが成長しなかったのは薬のせいだし、三十路でも成人には違いない。多分、貴族の女性には二十歳成りたて位に思っているだろうが。
「こんばんは、スミス夫人。そちらは?」
「お招きに預かりまして。何やら話が弾んでらっしゃるようですが、私にも紹介して頂けません?」
あっというまにリヴァイの周りは同伴されてきた女性陣で一杯になった。
貴族の女性は物怖じしない。リヴァイはかなり取っ付きにくいタイプで、上官という事もありリヴァイと親しく口を利く女などハンジしかいないが、しがらみが無いぶん話しやすいのかもしれない。
エルヴィンはリヴァイがやらかさないかハラハラしていた。
が、まだ招待客が全員来ていない以上動けない。
エルヴィンの一瞥でミケは了解し、すいとエルヴィンから離れた。が、いつのまにか輪から外れてきたスミス夫人がミケに近づき、釘を刺した。
「あれでリヴァイは女性慣れしてるから、ほっといていいわ。むしろザカリアスさんが余計な口出しをする事で、リヴァイの仕事がやりにくくなるかもしれない。エルヴィンの心配性にも困ったものね。リヴァイの事は私に任せて、ザカリアスさんはエルヴィンについててやって頂戴。何かあれば、私がリヴァイをフォローするから」
そうまで言われては、ミケは戻るしかない。
エルヴィンも目の端で母親とミケを捉えていたらしく、何となく察した。
「……お袋さんに追い払われたぞ」
「……すまん。母には後で私からよく言っておく」
「何をコソコソ話している。夜会はまだ始まったばかりだぞ」
父親、スミス氏が喝を入れた。楽隊が演奏を始める。夜会が始まった。これからが本番だ。
リヴァイは確保した料理を持って休憩用のソファに移動したが、女性陣もくっついて行った。
「これも食べてみて。あひるのハムよ」
「こっちはパーチって魚。西のヤルケル区の湖で穫れるの。ちょっとクセがあるけど、美味しいわよ」
入れ代わり立ち代わり、ご婦人方が持ってくる料理をリヴァイは素直に食べている。
大勢の女性の中に男が一人。
一見ハーレムのようにも見えるが、そこそこ権力のある招待客の連れ合いだけあって年齢層が高いので、どちらかというと親戚の子供におやつを勧めるおばちゃん達か、雛に餌を運ぶ親鳥に近い。
「人類最強って本当?」
「一応、そう呼ばれている」
「巨人ってどんな感じ?」
「人間を縦に二、三人並べた位の高さから建物の屋根から顔が見える位まで、色んなのがいる。余り知性は感じない。言葉も通じないしな」
ご婦人方の質問に、律儀にリヴァイは答えている。
愛想はないものの問えば返ってくる反応に、ご婦人方はご満足のようだ。
「――ウチの荘園では小麦が沢山穫れるの。もしそちらが希望するなら、格安で融通してもいいわ」
リヴァイのごく近くに座って話を聞いていた黒髪の婦人が、ふと思いついたように言った。
リヴァイもそれには積極的に食いついた。
「本当か? それは助かる。ウチは貧乏兵団だからな」
「本当よ。でも、条件があるわ、可愛い兵長さん。ここにキスしてくれたらね?」
綺麗に紅を塗った唇を指先で示しながら婦人は笑う。
若い子からかっちゃダメよ、いいじゃなーい、などとご婦人方が盛り上がっていると、
「そんなのでいいのか」
椅子から立って婦人に近づき、ごく自然な動作で婦人の顔を両掌で包み、リヴァイがキスしようとした瞬間、
「こら」
ぺち、とスミス夫人が手持ちの扇子でリヴァイの頭をはたいて止めた。
不満そうにリヴァイはスミス夫人を見上げた。
「駄目よ。冗談に決まってるでしょ。こちらの方々は皆きちんとした所の奥方様なんだから、軽々しい振舞いは出来ないの。あなたもこういう場所に出るようになったんだから、冗談か本気か見極められるようにならないとね」
「冗談……なのか?」
え、いや、その、と黒髪の婦人は狼狽している。
「そうか……俺のキスひとつで支援が受けられるなら、安いモンだと思ったんだが……」
冗談なら仕方ないな、とリヴァイは席に戻ってうなだれた。
しおしおとしおれる姿に、何やら自分が子供にとてつもなくひどい事をしたような罪悪感に襲われる。
「じょ……冗談ではないわよ!? いや、条件は冗談というか、軽いおふざけだったのだけど、傷つけたならごめんなさいね。でも、取引はしてもいいと思ってるの。本当よ? 話を詰めましょう。年間、どのくらいご入り用? そちらで粉に挽かれるなら、もっとお安く提供する事も可能よ?」
「わ……私の所でも、芋や豆類など保存に適するものを作っているから、少し回してあげてもいいわ」
「そうね。巨人の脅威から私達を守って下さっている調査兵団の方々に、協力するのは人類として当然の義務だわ。どうか遠慮なく希望を言って。出来うる限り、希望に添えるよう努力するわ」
打ちひしがれているリヴァイに、先を争うようにご婦人方は支援を申し出ている。
うまい。こっそり様子を窺っていたミケは内心舌を巻いた。
リヴァイは自分の売り方を心得ている。
いつ、どんな時にどんな風に振る舞えば、一番効果的か熟知している。
そうでなければ商品として一流にはなれまい。普段アレなのは単にやる気がないからで、ああいう流れに持っていくなら威嚇するような大男が近くにいるのは好ましくあるまい。さすがはエルヴィンの母、人畜無害に見えても策士だ。
「……ザカリアスさん!」
その、エルヴィンの母親、スミス夫人がミケを呼んだ。
「皆様のお申し出はとてもありがたいものですけど、さすがにリヴァイ一人でお話を聞くのは無理がありますわ。こちらは分隊長のミケ・ザカリアスさん。詳しい事はこの方にお話しくださいな。リヴァイにはこれから、デザートを食べさせなければなりませんから」
何か理不尽なものを感じつつ、リヴァイも焼き菓子や果物を口に運びながらも一応商談を進めているようだし……とミケは一礼しながら一人ひとりの名前と住所を聞き出し、手に持ったボードに書き留め、後日、改めて正式な契約に伺う同意を取り付けた。
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