薫紫亭別館


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「下手くそ」
 言われた瞬間、エルヴィンは真っ白になった。
 いや、脳が理解する事を拒否したのかもしれない。言ったリヴァイはエルヴィンの膝から降りて、といって行為真っ最中だった訳じゃない。二人とも上から下まできっちり服を着込んで、同じ部屋の中にはハンジとミケもいる。
 事の始まりはこうだ。
 ミケが珍しい酒を手に入れたとかで、今夜は三人揃ってエルヴィンの部屋を訪れた。
 二部屋ある内の書室の方でみんなで床に直接座って、車座になって飲み始めたのだが、エルヴィン的にはリヴァイだけの方が嬉しかったらしい。リヴァイから部屋に来てくれる事がOKの合図なのだから無理もないが、始めは普通に取り繕っていたのが酔いが回ってきたのか、少しずつ言葉に刺が増えてきた。
 リヴァイはリヴァイで、ここぞとばかりに甘え倒している。
 エルヴィンの私室で、人目があるから手は出されなくて、だがそれは身内同然のハンジとミケなので、リヴァイには遠慮する理由がない。御機嫌でエルヴィンの膝に座って、背中をエルヴィンの胸に預けてちびちびとグラスを舐めている様は実に心和むほのぼのとした光景だったのだが、くっつかれているエルヴィンにとっては、ひたすら悶々とする時間だったらしい。
「……ちょっとこっち向きなさい、リヴァイ」
 ひょいとリヴァイの腰を持って浮かせて、座り直させる。
「いいか。私は、皆と飲むのが嫌なんじゃない。しかしだな、こうお前と密着していると、体の一部が反応してしてしまうのは自然の摂理というヤツで、仕方のない事なんだ。それをお前は、私の苦脳も知らずに無邪気に膝に乗って安心しきっている。もう少し危機感を持て。いや、私の事も少しは考えてくれ。日頃お前を従わせている私が言えた義理ではないが、手出し出来ない状態で、この体勢はフェアじゃない。不公平とは思わないのか?」
「………」
 エルヴィンの戯言はまだまだ続く。
「せっかくのプライベートだ。四人でワイワイやるのもいいが、私の部屋で会うなら二人きりの方がいい。四人で飲むのはまた後日にして、ミケとハンジには申し訳ないが遠慮して貰って、今夜は二人で過ごさないか? もちろん、この埋め合わせはする。場所も用意するし、酒も探してこよう。そういう訳だからミケ、ハンジ、今日の所は引き取って……」
 ぐ、と口元にグラスが差し付けられた。リヴァイが持っていたグラスだ。
 ――そこで、冒頭の発言に戻る。
「エルヴィンが失礼な事を言って悪かったな。原因は俺だから、俺が消える。二人は良ければこのまま残って、このアホの頭を冷まさせてやってくれ」
 いや別に、エルヴィンの気持ちもわかるしいちいちもっともだと思うし、そんなリヴァイが責任感じなくとも……というのがハンジとミケの見解だったが、リヴァイは既にドアの向こうに消えていた。
 ああ、やっぱり……。わざとらしく、ハンジは大きな溜め息をついた。
「冬までお預け食らわせた、って聞いた時から、もしかしてエルヴィンて下手なんじゃないかと思ってたんだよ。上手かったらそんなこと言わない筈だもんね、幾らリヴァイが消極的でも。リヴァイかわいそー、きっと頑張って演技してたんだろうね。それも愛だね」
「………」
 エルヴィンは頭を抱えた。思い当たる節が多すぎる。
 男の新兵は大体、悪い先輩や上官に連れて行かれた先の娼館で女を知る。
 エルヴィンも例外ではなく、キラッキラの十代の時に鮮やかに童貞を切って捨てた。だが、その後が続かなかった。特に理由はない。なんとなくだ。行きつけの店や女をつくる事もなく、普通に兵士として修練し、誘われれば一緒に行く程度だった。
 寄ってくる女にも不自由しなかったが、一応は名家出身なので遊ぶ相手は選ばないと、また実家に借りをつくる事になる。かといって正式な交際だと、軽々しい扱いは出来ないし、先に待つ物が重すぎる。
 エルヴィンは結婚する気はなかった。
 調査兵団などに入っていれば、自分がいつ死んでもおかしくない。残される悲しみは少ない方がいい。
 そう思って余り遊んでこなかったツケが、こんな所で回ってくるとは……!
 思い出したようにミケも言った。
「そういやリヴァイ、俺にエルヴィンの相手してやれよとも言ってたな。アイツ、浮気容認派なんじゃないのか」
 そんな恐ろしげな会話が交わされていたとは知らなかった。
 エルヴィンは顔を上げてミケを見た。
「いや、こないだお前らがぎくしゃくしてた時、リヴァイに嘆願したんだよ。調査兵団の平穏の為に、色々あるだろうが目をつぶって、エルヴィンと寝てやってくれってね。すぐ撤回したが。リヴァイの意志とか人権無視の、余りにも虫のいいお願いだったからな。和解のしるしに抱っこ要求されて、抱き上げたら、すぐにお前が奪い返しに来て鐘楼に連れ込んでったが」
 ……あの時か。エルヴィンはますます落ち込んだ。
「……言っとくけどエルヴィン、もし他の相手と寝たりしたら、その時点で私がリヴァイ貰うからね」
 ハンジはエルヴィンを睨めつけた。
 意外そうにミケが聞いた。
「え? お前、リヴァイ好きだったのか」
「調査兵団の女はほぼ全員リヴァイ好きだよ。当たり前でしょ。多少取っ付きにくかろうと背が低かろうと、人類最強、というだけでお釣りが来るよ。女は強い男が好きなの」
 トントン、とハンジは指先で自分の頭を示しながら、
「リヴァイの身体能力と私の頭脳が合わさったら、凄いパーフェクトな子供が出来ると思わない? あの遺伝子を残さない手は無いよ。この際リヴァイにはハーレムでも作って、片っ端から種付けして貰ってもいいくらいだよ。それがまあ、エルヴィンなんかに引っかかっちゃって、もったいないったら……!」
 本気で惜しそうにハンジは言った。
 食料事情がそれを許さないだろうが、誰もが一度は考える事でもある。
「貴重な精子をムダ撃ちさせてるんだから、ちゃんと満足させてあげないと承知しないよ、エルヴィン。そうだ。今からでも、リヴァイに子供つくろうって提案してみようかな」
 言ってみるだけならタダだしね、と踊るようにハンジは部屋から出て行った。
 残されたミケとエルヴィンは、
「……お前もムダ撃ちしてるのになあ。エルヴィン」
「……ミケ。慰めるポイントが違う……」
 しみじみと二人で酌み交わした。
「ところで、ほっといて大丈夫なのか、ハンジ。万一リヴァイがその気になったらどうするんだ」
「その心配はないだろう、リヴァイが体を開くのは私だけだ」
 ……多分。と、付け足したのが不穏だが、ともあれエルヴィンは言い切った。
 まあ飲め、とミケが酒を注ぎ足してくれたので、飲みながらアドバイスを仰いでみる。
「いや俺も、ヒトに自慢出来るような、大した経験はないんだが……」
 相手はしてやれないが、と前置きしてから体験談を話し始める気配りの男、ミケ。ふんふん、と感心しながらメモの用意をするエルヴィン。うむ、完全に酔っぱらっている。ハンジはさっさと退去して正解だったかもしれない。
 そのハンジはというと、リヴァイの部屋の前で元気に子供つくろー! と叫んで、リヴァイに鍵を開けさせていた。……こちらも少し、酔っていたのかもしれない。
「……似たような事を考える奴もいたモンだな。俺の子供が欲しいと言ったのは、お前で二人目だ」
 ちょっと呆れた表情でリヴァイは言った。
 え、そうなの? とハンジは先を促した。
「ああ。ドクトル・アントンって変態医師がいてな。俺はドクって呼んでたんだが、そいつがミョーに俺の子供を欲しがってた。それで一回幾ら、で用意された女達を相手してたんだが、何度ヤっても出来ない。さすがにおかしいって事で、ドクが俺の精子を調べさせてくれって言うから、こちらも高額ふっかけて採らせてやった」
 それでそれで? とハンジが身を乗り出す。
「生きてる子種は無かったらしい。どうも子供の頃に、薬のせいで高熱を出した事があったから、それが原因じゃないかってドクは言ってた。だからせっかく言ってくれても、子供はつくれない。悪いな、ハンジ」
「う、うん……残念だけど……」
 ハンジは暗い顔をした。が、内心はそうでもなかった。
 リヴァイが女でもイケるとわかったのは収獲だ。こみあげてくる笑いを噛み殺しながら、ハンジはこっそり小声で聞いた。
「……で、ほんとに下手なの?」
 明後日の方向を向いてリヴァイは答えた。
「……愛情って、何にも代えがたいモノだよな」
 下手なのか……。ハンジは同情してしまった。両方に。
「まあその分、俺が経験豊富だからいいんだ。こっちが合わせればいいだけだしな。面白がって広めるなよ、ハンジ。お前らに知られたのも、ちょっと失敗したなって思ってるんだから」
 珍しく後悔しているらしい様子に、つくづく可愛いなあ、とハンジは思う。
 客観的にはエルヴィンもかなり、いや非常にいい男だし、こんなにいい男達が二人でくっついて完結してるなんて世界の損失ではないかと思うのだが、遠巻きに見ているからこそ今の平和が保たれていると思うので、これでいいのかもしれない。……女性であるハンジ自身が言うのも何だが、女社会は複雑だし。
「言わないよ。私の部屋にもお酒あるから、取ってくるから飲み直そ? 他にもエルヴィンに言いたい事があるなら、今の内に愚痴っておきなよ。誰にも言わないし、私からエルヴィンに言える事なら、それとなく注意してあげるからさ」
 んじゃ、待っててねー、とハンジはすぐ近くの自室に戻った。
 隠し場所から酒を取り出しながら、しっかし、リヴァイにとって性的な事はイコールお金、なんだなあと悲しく思うと同時に、それを乗り越えてリヴァイを手に入れたエルヴィンが少し羨ましくも思える。本気でエルヴィンからリヴァイを盗る気はないが、これくらいは許して貰おう。
「お待たー。持ってきたよー」
 さりげなくリヴァイの隣に座って、グラスを忘れた事にして酒瓶を回し飲みする。間接キスだ。
 案外と乙女な自分を発見して、私ってばいじらしいなー、とハンジは自分で自賛した。


 堅物なのは認める。
 憲兵団や政府相手には遺憾なく発揮される駆け引きも、リヴァイ相手には発現しない。だがそれは、恋する男の純情という事で、許して貰いたい。エルヴィンはミケ経由で手に入れたhow-to本を大真面目に読み込みながら、本来、あまり遊んでないなどは美徳ではないかと考えていた。
 エルヴィンが弁舌巧みに言いくるめるタイプなら、リヴァイは一撃必殺、ひと言でダメージを与えるタイプだ。もっともリヴァイなら、それ以前に眼光だけで黙らせる事が可能だが。
「俺が目の前にいるのに、こんなモンで勉強してンじゃねえよ」
 おなじみエルヴィンの書室。
 普通に椅子に座っているエルヴィンの反対側からリヴァイは机に腰かけて、エルヴィンからぺいっと本を取り上げた。
「リヴァイ。ミケから聞いたんだが……」
 エルヴィンは手を組み、らしくもなく歯切れの悪い口調で尋ねた。
「その、お前は、私が他の人間と寝ても平気なのか? ミケに私の相手をしてやれ、とか言ったと聞いてるんだが……」
「いや。あれはミケが余りにも理不尽な要求しやがったので、言い返してみただけだ。ミケにこっちの趣味は無いしな。でも、他のヤツと寝られても、仕方ないとは思ってる。人数だけで言うなら、てめえがこれから幾らやり返そうと頑張っても追い付けないくらい、相手してきてるしな」
「それは……!」
 お前のせいじゃない、と続けようとした口を、ぽふっとリヴァイの手が塞いだ。
「あんまり考え過ぎるなよエルヴィン。ハゲるぞ。それでなくとも最近腹が出てきてるのに、更に前髪前線まで後退したら、目も当てられないだろう」
「………」
 密かに気にしている事をズケズケ言われてエルヴィンは内心傷ついた。
「ま、俺はてめえがハゲても太っても愛してるけどな」
 生え際にキスが落ちてきた。
 リヴァイはお行儀悪く完全に机の上に乗って、エルヴィンに向き合っている。
 エルヴィンは立ち上がり、薄く面白そうに笑うリヴァイを、机の上に縫い止めた。


「……で、どうなったんだ」
「ああ。もう、リヴァイに頭を下げて教えてもらう事にしたよ。私が相手するのはリヴァイだけだし、喜ばせたいのもリヴァイ一人だけだからな」
 ミケの問いに開き直ってエルヴィンが答える。
 ――エルヴィン・スミス。手のひらの上で転がされる幸せを知った今日この頃。

<  終  >

>>>2013/12/2up


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