薫紫亭別館


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洗礼

 ――そろそろヤバイな、と思っていたのだ。
 リヴァイが無言でほうきを取り出したり、台拭きを持って食堂のテーブルを吹き始めたら危険信号だ。
 怒りゲージがMAXになるまでまだ少し時間がある。
 あるが満タンになってからでは遅い。来たるべき爆発に備えて、エルヴィン他、いい加減付き合いの長くなってきた連中は水面下で色々と準備を整える事にした。キース団長に話をつけ、許可を貰い、分隊長と班長同士で話し合いを設ける。リヴァイ抜きで。
 古参の兵士もこれからの成り行きはなんとなくわかる。そおっと距離を取って、火の粉がかからないよううまく立ち回っている。わからないのは、先日入って来た新兵だけだ。
「ここを見ろ。こんなに埃が溜まっている。お前らの目は飾りか、節穴か!?」
 ある日、ついにリヴァイは今期の新兵を整列させて怒鳴りつけた。場所はやはり食堂だ。
 不特定多数の古参と新兵が入り交じって歓談するのはここしかない。
 掃除、洗濯は新兵の仕事だ。地下街仕込みの罵倒語を交えて面罵する内容はたぶん新兵には半分もわからなかったに違いないが、どうも清掃が行き届いてなくて叱責されている、という事だけは伝わったらしい。うつむいて、嵐をやり過ごそうと萎縮している。
「班長がお前らの後を掃除しているのを見て、何とも思わなかったのか。お前ら訓練兵時代、一体どういう教育受けてきたんだ!?」
 お前は訓練兵団を経てないだろ、とか言ってはいけない。
 新兵の為に擁護しておくと、何もゴミ溜めレベルに汚れていた訳ではない。恐らく普通の人間から見たらよく出来ましたとお褒め頂けるレベルの出来だ。だが調査兵団ではそれでは足りない。潔癖症で粗暴で最強の上官を納得させる水準でなくてはならない。
 おばあちゃんの知恵袋的な知識まで駆使して掃除しまくるリヴァイの方が異常だが、奴は誰にも止められない。全く関係ないが、元々大浴場の入浴日は男女で分かれていたが、リヴァイが来てから更に幹部とヒラに分かれ、時間制限が付けられた。男のみ。
 リヴァイのせいで、おかげで調査兵団の慣習は大幅に変わった。良かれ悪しかれ。
「今日の訓練は中止だ。徹底的に掃除するぞ、いいな!」
 リヴァイは高らかに宣言した。


 リヴァイの鶴の一声によって幹部もヒラ団員も強制的に清掃イベントに突入する。
 もちろん、ただの一班長にそんな権限はないのだが、それを可能にしたのが周囲の根回しだ。
「全くもー、リヴァイは勝手なんだからー」
 フリーダム過ぎるのも考えモンだよね、と、書類の山を崩しながらハンジは副官のモブリットに話しかけた。巨人研究の第一人者であるハンジには研究室が与えられている。寝に帰るだけの自室はともかく、こちらは結構な散らかり具合だ。よいしょ、とモブリットは手伝いながら、
「そんなこと言って、リヴァイ班長が爆発した日を掃除の日にしようって言い出したのは、ハンジ班長じゃないですか」
「あははー。だって、丁度いいんだよ。普段片付けるヒマなんかないしさ、指導するべき新兵もリヴァイに取っ捕まってお説教されてるし。新兵達には不幸だけど、これも調査兵団に来た者の宿命だよ。ここでやってくなら、ここのやり方に慣れてもらわないと」
 ハンジが自分の事を棚に上げてリヴァイをこき下ろしていた時、ミケも似たような会話をしていた。
「……何故私達まで、掃除しないといけないのでしょうか」
 憮然として言ったのは、ミケの部下のナナバだ。
 ミケは自分達に割り振られた倉庫の中身を綺麗に積み直しながら、
「そう言うな。いつもの事だろ。普段見過ごして汚れている所を一旦リセットして、新たな気分で始めるってのはいい事じゃないか。まあナナバは、いつもリヴァイばりに綺麗にしているが」
「あんなのと一緒にしないでください。私は普通です」
 サッサッ、と素早く細かくほうきを動かすナナバはやっぱり何処かリヴァイに似ている。ふむ。自分がリヴァイに甘いのは、どうやらこの部下のおかげで、当時はまだ部下ではなかったが――免疫が出来ていたかららしい。ミケは分析した。
 カスパル班長も他の班長も、話し合いに従って自分達の担当エリアを掃除している。
 新兵達は、先輩も幹部も平等に清掃しているとは夢にも思ってないだろう。
「ま、俺達はまだ気楽なモンだ。リヴァイに見張られてないからな。新兵達には可哀相だが、たまには俺達に代わってリヴァイのお守りを引き受けて貰おう。掃除の仕方を習っといて、困る事はないだろうしな」
 ミケは笑った。
 す、とテーブルをひと拭きしただけで美しい飴色の輝きを発生させるリヴァイのレベルには一生かかっても追い付けないだろうが、これからの時代、家事は出来た方がいい。ちなみに料理、食事だけは、いかな調査兵団といえど賄いのおばちゃん、料理人を雇っている。
 ごはんがまずいと何だか物悲しくなるものだ。ただでさえ娯楽が少ないのに、三度三度の食事がソレだと暴動を起こしたくなる。逆に言えば、ごはんさえ美味しければ、多少の不満は逸らせるのだ。
「エルヴィンはそろそろ帰ってきたかな。ナナバもある程度で切り上げて、演習場へ手伝いに行ってくれ。俺は風呂の具合を見てくる」
 ひと通りの整頓は終えたと見て、ミケはナナバに指示を下した。


「………」
 新兵達は、ある一画を呆然と見ている。
 食堂のテーブルや椅子は全て廊下に出され、さっぱりした空間の床の一部だけが異様に光り輝いている。
 掃除したのはもちろんリヴァイだ。
「これくらい光っているのが普通だ。お前達は磨き方が足りない」
 石造りの床の表面が何故こんな輝きを放つのかは謎だが、事実は小説より奇なり、上官に実践して見せつけられては駆け出しのペーペーに不平は言えない。しかし、リヴァイの様にほうきだけで同じだけ光らせるのは不可能だ。
 モップと水、場所によっては石鹸の使用も許して貰い、一斉に磨き始める。
 リヴァイは両腕を組んで見ていたが、時折り手を添えて使用方法を改善させたり、適当に何人か指名して、廊下に移動させた椅子の脚を拭かせたりしていた。当然、見本を見せるのも忘れなかった。
 同じ色になるまで磨き上げろ、という命令により、新兵達は四苦八苦している。
 同じ人間なのだから班長が出来るなら自分達にだって出来る筈、人間……だよな? とつい疑問に思う。
「よし。終わったら椅子とテーブルを中に戻せ。ちゃんと出来てるな、よくやった」
 ほっとしたのも束の間、リヴァイは次は水屋と廊下だ、と言い出して新兵達を絶望させた。
「食堂のおばちゃん達には感謝しても仕切れない。いつも美味しい料理ありがとう、の感謝を込めて掃除すること。廊下は玄関ホールから手洗い所まで含める。サボるなよ。見回りに行くからな」
 はい……、と力なく新兵が答える。
 普通の上官なら声が小さい! と復唱させたかもしれないが、リヴァイはそこには頓着しない。上下関係の希薄な生活を送ってきたからかもしれない。そのおかげで言葉遣いを直させるのにエルヴィンが苦労している。本人はたぶん気づいていない。
 しかし掃除さえ出来ていれば多少の無礼は許されるのだから、やりやすいとも言えるかもしれない。
 問題は、無礼を働こうなんて気がさらっさら起きない事だ。
 ちっちゃい癖に妙に迫力のある班長は、新兵ごときでは目を見返す事さえ難しい。先輩達が慕っているのが信じられない。もしかして長く付き合えば砕けてくるタイプなのかもしれないが……想像出来ない。無理だ。助けて先輩方。
 そういえば昼食はどうなったのだろう。朝からぶっ通しでやらされているような気がするのだが……食堂のおばちゃん達もいなくなったし、ペナルティとして自分達の昼が抜かれるのは百歩譲ってわかるのだが、他の人達は? リヴァイ班長と同格の班長も分隊長もいるだろうに、解せない。
 疑問を抱えながら黙々と新兵達が手を動かしている所に、
「リヴァイ」
 救世主がやって来た。ミケ班長。
「風呂沸いたぞー。入れってよ」
「……風呂」
 リヴァイは少し心動かされたようだったが、
「いや、いい。コイツらの指導しないと」
「はいはい。抱っこしてやるから行こうな」
 ひょい、とミケが縦抱きにリヴァイを抱き上げると、否定した割には大人しくリヴァイは腕の中に収まった。お前等もういいぞ、とミケが言う。リヴァイはむー、と唇を付き出したが、やがてミケの肩から顔の上半分を覗かせると、
「今日の所はこれで勘弁してやる。これからはいつも、このレベルを保っているように」
 無理難題を突き付けながら、リヴァイはミケに連行されていった。
 ミケが振り返った。掃除用具を片付けたら全員演習場に集合せよ、とミケは命令を残した。


「バーベキューをする、というのはどうかな」
 そう提案したのはエルヴィンだった。
 リヴァイ抜きの会議室、班長と分隊長が揃って顔を付き合わせて、リヴァイ対策を練っていた。
 エルヴィンは集まった顔ぶれを見回して、
「もうアレはどうしようもないから見放すとして……フォローすべきは新兵達の方だと思う。せっかく崇高な決意を抱いて調査兵団に入団してくれたのに、やらされるのが掃除では、新兵達のリヴァイへの反発は避けられない。一度でも一緒に壁外調査に出れば、そんなものは霧消するとわかってはいるが……その時には新兵の数も、半分以下に減っているだろうしな」
「そうだね。どうせなら生きている内に、楽しい思いさせたげたいしね」
 ハンジが同意する。
 かなり酷い事を言っているようだが、これが調査兵団の現実だ。
「支持する。アレに付き合ってくれたご褒美、という訳だな。名案だと思う」
 ついにカスパル班長も、アレ呼ばわりを始めてしまった。
 賛成、とミケ他の班長も同意して、エルヴィンは議題を進める。
「では、細かい部分を詰めていこう。まず予算が問題だな。後、どうやってリヴァイを新兵から引き剥がすか……」
 調査兵団の補正予算から少々、幹部のポケットマネーからも少しずつ出し合い、肝心のリヴァイからは後でエルヴィンがなんとか取り立てるとして、買い出し部隊がエルヴィン、引き剥がし役がミケと決まった。訓練も中止せざるを得ないので、この際一緒に掃除しよう! と言い出したのはハンジだ。
「食堂のご婦人方にはその時は半休を取ってもらう事になるが、これで大体の所は決まりかな。それでは、皆、リヴァイの動向から目を離さないでくれ。団長には私から話をつけておく」
 ――こうして、リヴァイが爆発した時の対応が決まった。
 それは最初の爆発から変わることなく、今も調査兵団の伝統として続いている。


「あっははー。やってるやってる。エルヴィン、私の分はー?」
 ハンジが踊り出しそうな足取りで駆けて来た。
 演習場ではブロックで仮組みした土台に網を乗せて、エルヴィン自ら肉を焼いている。
「君は後回しだ。まずは新兵に食べさせてやらないと」
「はーい」
 ハンジは素直に飲み物に手を伸ばした。何箇所か設置してある炉端の周りでは、新兵達が立ったまま、皿に盛ってもらった肉に食いついている。まさに地獄から天国、な気分だろう。古参の兵にも数少ないハレの日である事には変わりなく、持ち込んだ酒を回し飲みしている。
 まだ十代半ばの兵が多い新兵に酒は基本NGだ。自前ならOK、と線引きしている。
「エルヴィン」
 ミケに抱っこされたまま、濡れ髪のリヴァイが演習場にやって来た。エルヴィンは目を細めた。
「……何で抱っこされてるんだ、リヴァイ」
 ミケが答えた。
「風呂に連れて行く為に抱き上げたら、何か気に入ったみたいで……」
「抱きグセをつけないでくれ、ミケ。リヴァイも降りなさい。新兵の前でみっともない」
 新兵の前、が効いたのかリヴァイは割合素直に降りた。これがいつものメンバーだけなら、何やかや駄々を捏ねて降りなかったに違いない。ハンジの隣でリヴァイは皿を手に持つ。
「あらー、リヴァイ、お風呂入ってきたのー? 良かったねー」
 計画を知っていても、素知らぬ顔でにこやかにこう言えるのがハンジだ。女は怖い。
「ミケ、ちょっと……」
 エルヴィンはそっとミケに耳打ちした。
「……まさか一緒に風呂に入ってないだろうな、ミケ」
「……お前ウザイ。エルヴィン」
 見りゃわかんだろ、とミケはしっしっ、と犬の仔を払うような仕草をした。
 ほっとした顔をして、エルヴィンは肉を焼きに戻った。
 ミケに匂いを嗅がれ、ハンジにうっかり巨人の質問をして一晩中拘束され、リヴァイの逆鱗に触れてお掃除指南を叩き込まれてようやく調査兵団の一員、だ。これは壁外調査に行って帰って来て一人前、というのとはまた違うベクトルの話で、それをエルヴィンが取り纏めている。
「昼食と夕飯を兼ねてるからな。夜中に空きっ腹を抱えたくなかったら、今の内に沢山食べておきなさい。遠慮はいらない」
 エルヴィンは新兵の皿を受け取って、新たに焼けた肉を乗せた。

<  終  >

>>>2013/8/9up


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