「……今回はリヴァイを連れて行こうと思う」
兵舎の廊下をミケと二人で歩きながら、エルヴィンは重々しく呟いた。
ミケは軽く返事をした。
「ああ、いいんじゃないか。ていうか、今まで連れて行ってなかった方がおかしいんだから」
この時期、エルヴィンが一緒に来いと言うのは月に一度、各兵団のトップが集まる定例会議の事だ。
エルヴィンだけで行く事もあるが、ミケやハンジが同行する事もある。
もちろんどの場合も随行は伴っているが、エルヴィンはリヴァイだけは連れて行った事がなかった。
「ん、まあ……王都では色々あったからな。主に私のせいだが」
エルヴィンは少し気まずそうだ。
「なら、無理に連れて行かなくてもいいんじゃないか?」
「そうもいかない。リヴァイは有名になり過ぎた。調査兵団の英雄を連れて来いと、矢の催促なんだ。リヴァイを調査兵団の象徴、広告塔にしたのは私だが、今は少し、後悔している。名を上げるとは、人目に晒されると同義だ。見世物にして、これ以上リヴァイの負担が増えるのは、どうも……」
巻き込んだエルヴィンとしては狙い通りではあったものの、責任を感じずにはいられないらしい。
ましてや二人は今、大っぴらには言えない関係になっている。軍隊ではよくある事とはいえ、好んで吹聴する事でもない。バレるリスクは少ない方がいい。
「それに、もうひとつ理由がある。……こっちの方が問題だ」
顔をしかめてエルヴィンは言った。
「何だ」
「ウチの家族だ。会議のついでに私一人だけで顔を出すと、リヴァイはどうした、とうるさいんだ」
へえ、とミケは思った。
リヴァイが半年間、エルヴィンの実家に世話になっていた事は知っていたが、そこまで好意的に受け入れられているとは知らなかった。
「リヴァイのおかげで私が家に寄り付くようになったと、いつでも諸手を上げて大歓迎なんだ。確かに預けていた半年の間は煩雑に帰省したし、こないだの家出でリヴァイが迷惑をかけた分、埋め合わせの意味も込めて顔を出してたんだが……」
「いい話じゃないか」
「そこで終わればな。まだ、続きがある。リヴァイを連れて帰れば、実家主催で調査兵団の資金集めの為の夜会を開いてくれると言うんだ」
腑に落ちた、とばかりにミケは頷き、
「あー、それは……」
「ウチの家族はただリヴァイを見せびらかしたいだけなんだ。一番最初に。それは、有名になる前から懇意にしていたと言えば評価も上がるし自慢にもなるし、ちやほやされて楽しいのはわかるが……私は、そういうのは嫌なんだ。リヴァイは客寄せの道具じゃない。私が言っても、説得力がないだろうが」
似たような事をしている自覚はあるらしい。
だが、貧乏調査兵団にとって、エルヴィンの実家主催の集金パーティーは魅力的だ。
リヴァイを貸し出すだけで調査兵団の懐は傷まないし、貴族や豪商の邸宅を一軒一軒回って寄付を募るより、効率的で手っ取り早い。常にスポンサー集めに四苦八苦している調査兵団としては、リヴァイというエサで釣っただけでも新たな出資者が増えるのはありがたい。
「……そんな訳で、お前も来てくれ。ミケ」
「俺もか? お前とリヴァイがいれば十分じゃないか?」
団長と兵士長が揃って留守にするのに、この上分隊長の一人まで?
ミケの疑問ももっともだったが、
「アレにお偉方の相手が出来ると思うか? リヴァイは誰かれ構わず喧嘩を売るような真似はしないが、誤解されやすい態度と口の利き方してるからな。憲兵団はプライドの塊みたいな奴等だし、一見、新兵の付き人にしか見えないリヴァイは格好の獲物だろう。お貴族様相手でも同じ事だ。下手に絡まれないように、ついててやってくれ」
「俺はストッパーか。わかった」
自分からは売らないが、リヴァイは売られた喧嘩は買う。
リヴァイが本気を出せば誰にも止められないが、そうでもないなら体格差で何とか押さえ込める。といっても、ミケとエルヴィンくらいだが。それなりの実力と恵まれた体格と、リヴァイが手加減してくれる程の知り合いでなければ不可能なので中々にハードルは高い。
大男のミケが側にいるだけでも威嚇になるだろうし、いざという時、団長自ら部下の体に手をかけて止めるのもアレだ。エルヴィンの意図を完璧に理解して、ミケは了承した。
数日後。
調査兵団の幹部三人は馬車から王都の兵団本部に降り立った。
今回は平団員の随行は伴わなかった。リヴァイが何かやらかした場合、上官が派手に大立ち回りしている姿を見せるのは色々とよろしくない。既にやらかす前提で話が進んでいるが、なければ無いでいいとして、有事の際に合わせるのは当然の事だ。
「おお、エルヴィンではないか」
綺麗に禿げ上がった年配の男性がこっちを見つけて近付いてきた。
背後に一人、随従の女性団員を連れている事からかなりの役職である事が窺える。
「ピクシス指令」
エルヴィンは慌てて敬礼し、ミケはもう知っていますね、とリヴァイを紹介した。
「リヴァイ。駐屯兵団トップ、ピクシス指令だ。ご挨拶しなさい」
エルヴィンの隣でリヴァイは無言で頭を下げた。
ピクシス指令は老体にかかわらず、案外と背が高い。エルヴィンより少し低いくらいだ。単にリヴァイが平均より低いだけなのだが、20センチも違えば上から見下ろされる立ち位置になるのは否めない。
くしゃっとピクシス指令は相好をほころばせ、
「そうかそうか、お主がリヴァイか。噂は聞いておるぞ。人類最強の名を欲しいままにしておるそうな」
楽しげにリヴァイの肩やら頭やらをはたいた。そのまま右手を差し出して、握手を求める。
リヴァイもまた右手を出し、ピクシス指令の手首をがしっと掴むと、
「あ」
「あ」
エルヴィンとミケが止める間もなく、リヴァイはくるりと手首を返し、ついでに足も引っ掛けて、ピクシス指令の体をぽーんと大きく跳ね上げて一回転させてしまった。随従の女性団員も指令自身も、一瞬の事で何が起こったかまだ理解出来てないようだ。
「気安く触るな、馴れ馴れしい」
あくまで軽く、タッチしただけに見えたのだが、リヴァイには不快だったらしい。
指令から手を離して、ミケのマントで握った右手とポンポンされた頭と肩をゴシゴシ擦っている姿は、嫌いな人間に撫でられた所を必死で舐めて、匂いを消そうと毛づくろいする猫に似ている。
「リヴァイ! 何て事を!!」
エルヴィンが叱咤する。
「手加減はしたぞ。脳天から落とされなかっただけでも感謝しろ」
確かに、投げ飛ばした割には怪我などしないよう、最後まできちんとコントロールしていた。
「そういう問題じゃないだろう!」
エルヴィンが更に叱責しようとするのを、ピクシス指令が立ち上がりながら止めた。
「良い、良い。今のは確かにワシが悪かった。一流の兵士に不用意に触れるなど、その場で殴り倒されても文句は言えん。すまなんだな、リヴァイ」
指令はひょい、といつも携帯している金属製の水筒、スキットルを胸ポケットから取り出し、ミケの後ろに半分隠れて睨みつけているリヴァイに差し付け、
「まあ一献。詫びの印じゃ」
笑いながら促した。
リヴァイはくん、と鼻を近づけて芳醇なアルコールの香りを確認すると、ひと口含み、
「あ」
「あ」
これまた止める間もなく、皆があっけに取られて見守る前でリヴァイは上を向き、くーっと中身を全て呑み干した。ん、とばかりに空になったスキットルをリヴァイはピクシス指令に返し、
「悪くない。……が、仮にも指令なら、もう少し上のランクの酒を飲め。期待しちまったじゃねえか」
と、のたまった。
「……ミケ!」
エルヴィンとアイコンタクトを交わしてミケはリヴァイの口を塞ぎ、両脇を抱えてダッシュで消えた。
エルヴィンは深々と頭を垂れた。
「申し訳ありません! リヴァイが呑んでしまった分の酒は、後ほど届けさせますので……!」
ピクシス指令は鷹揚に手を振り、
「いやいや。お主が謝る必要はない、エルヴィン。まあ、まだ若そうじゃし、これから幾らでも礼儀を叩き込む機会はあるじゃろう。気にせんでも良い」
「はあ……それは少々、望み薄かと」
エルヴィンは浮かない顔で答えた。なぜじゃ? とピクシス指令は首を傾げた。
「童顔と低身長のせいで若く見えますが、アレはもう三十路ですから。その年齢であそこまで凝り固まってしまっては、再教育は難しいでしょう。これでも二年間、何とか矯正しようと努力してきたのですが……」
眉間の皺がエルヴィンのこれまでの苦労を忍ばせる。
ふむ? とピクシス指令はそれまでの好々爺の表情を引き締めると、
「リヴァイのあの身長、若さは、よもや……」
「その事はどうか、追及しないで下さい。過去がどうあれ、アレが役に立つ人材なのは私が保証します。性格もかなり難アリではありますが、その辺りは私がうまく、コントロールしますので」
心配は無用です、と力強くエルヴィンは断言した。
そんなエルヴィンの態度に思う所があったのか、ピクシス指令は、
「……なるほど。では、ワシからいらん詮索をせぬよう、他の団員に言っておこう。少なくとも駐屯兵団に関しては心配せずとも良いぞ、エルヴィン。上層部にも、出来るだけ話を通しておく」
「ありがとうございます」
内心ラッキー、と思いながらエルヴィンは殊勝に礼を言った。
エルヴィンは調査兵団トップ、ピクシス指令は駐屯兵団のトップで役職的には一応同等の立場だが、何せ母体数が違う。調査兵団約三百人に対し、駐屯兵団は三万人である。桁が違う。
キャリアの長いピクシス指令は全ての兵団をまとめるダリス・ザックレー総統とも個人的な交友がある。
憲兵団トップのナイルはエルヴィンの訓練兵時代の同期だし、これは、予想外にいい風が吹きそうだ。
「では」
失礼します、ともう一度礼をして、エルヴィンはその場を辞した。
調査兵団用に宛てがわれている控え室に向かう。
乱暴にドアを開けると、ミケがしーっ、と人差し指を口に当てながら出迎えた。何事かと思えば、リヴァイがソファに堂々と寝そべってくうくうと寝息を立てている。
「ここに着いた途端、寝た。あのスキットルに入ってた酒、かなりキツイものだったんじゃないか?」
二人してリヴァイを見下ろしながらミケが言う。
「キツくなくとも、一気飲みだったからな……アルコールが急激に回ったんだろう。いつもはそんな飲み方しないのに、何をやってるんだか。全く……」
悪態をつきながら心配そうにリヴァイの髪を撫でるエルヴィンに、で、どうする? とミケは聞いた。
「もうすぐ会議が始まるぞ。叩き起こして連れて行くか?」
「……そうだな。今夜は私の実家でパーティーもあるし、昼間はこのまま寝かせておこう。幸い、ピクシス指令が色々と根回ししてくれそうだし、アルコール臭をぷんぷんさせたのを連れて行っても逆効果だろう。寝たリヴァイを起こすな、って言葉もある」
「……ちょっと違うような……」
ミケが呟いた。まあ、寝ていてくれた方が平和ではある。
相手がピクシス指令だから助かったものの、来た早々二度もトラブルを起こし、この先も似たような事になるなら、夜会に備えて体力を温存していた方がいい。
起きたらいつでも水分が取れるようにソファのサイドテーブルに水差しとコップを置き、エルヴィンとミケの二人分のマントをリヴァイの体にかけて、部屋を出た。戻ってくるまで起きてくれるなよ、と祈りながら。