イングリッシュ・ローズ/06
……目を覚ますと、イギリスはすうすうと寝息を立ててまだ俺の隣で眠っていた。
ベッドサイドの時計に目線を向けると、とっくに授業が始まっている時間になっていて、いくら昨夜寝るのが遅かったとはいえ(あの後さらに二回やって、最後にはイギリスの意識が飛んでしまった)完全に遅刻だ。
(うーん……どう足掻いても遅刻だしなぁ……だったらもうちょっと寝かせてやりたいけど、起こさないと怒るよなー…)
よほど昨夜の行為が身体に響いたのか、完全に爆睡状態のイギリスを起こすのはどうにも気が引けて、その寝顔を見つめながらしばし悩んだ。
かといって起こさなければ 何で起こさなかったんだよばか! とか、謂われのない非難を浴びることは間違いないわけで。
結局後で文句を言われる(だけで済めばいいが、同時に拳か蹴りが飛んでくる確率がかなり高い)のは目に見えているので、とりあえず軽く肩を揺すって声を掛けてみることにする。
「イギリスー……起きなくていいのかよ? 俺たち遅刻だぞー」
俺の呼びかけにイギリスはうるさそうに寝返りを打っただけで、ぐっすり寝入ってしまっているようだ。
とりあえず一応声を掛けたのだからこのまま放っておいても良かったが、起こさなかった後のことを考えるとちょっと……かなり怖い気がする。
ともかく起こして怒られることはないだろうから、どうにか起こしてやろうとイギリスの鼻をつまんでみた。
「…………………」
しばらく反応はなかったが、一分も経つとさすがに苦しくなったのか眉を顰めて顔を背けようとする。
それでもまだ目覚める気配のないイギリスの鼻をがっちりつまんで、口にも唇を重ね容赦なく呼吸口を塞いでやると、ぴくり、と瞼が動いた。
「…ん、……んっ」
苦しげな声が漏れ、寝ぼけたような半閉じの瞳がこちらを向いたので、鼻をつまんでいた手は放したが唇は塞いだまま舌で口内を擽ってやる。
寝起きのイギリスはいまいち状況がわかっていない様子で、それでも俺の身体を力の入らない手で押し返そうとする。
何度も食むように唇を擦り合わせているうちに、上手く飲み込めなかったのか、混ざり合ってどちらのものともつかない唾液が唇の端から伝い落ちた。
やがて本当に苦しくなったらしいイギリスが、どん、と強く胸を叩いたのでようやく顔を上げて解放してやると、まるで陸に上がった魚みたいに真っ赤に色づいた唇を震わせて荒い息を吐く。
「目ぇ覚めたかよ。起こしてやったんだから感謝しろよなー」
俺がニヤリと笑ってそう言うと、イギリスは目元を赤く染め鋭い目つきでじろりと俺を睨み付けた。
「何恩着せがましいこと言ってんだよ、朝からサカってただけだろーが!」
「すぐそーいう可愛くないこと言う……声掛けても起きなかったじゃねーか。それより…もう授業始まってるぜ、早く行かなくていいのかよ?」
「どっちにしろ遅刻なら急いでもしょーがねえだろ。午後から出る」
時計を見たイギリスはきっと血相を変えてベッドから飛び出すんだろうなぁ、という俺の予想はあっさりと裏切られた。
それどころか返ってきた答えはまったくの想定外で、それなら起こさない方が良かったな、と短く溜息を吐く。
「お前はどーすんだよ」
「え? あー…、じゃあ俺もそうしよっかな」
午後から登校なんて正直だるいし今日はこのまま休みたいのが本音だ。
しかしそんなこと言おうものなら怒られそうだし、とりあえずイギリスに合わせようかと思ったのに、奴はえらく迷惑そうに顔を顰めて俺の額をぺし、と叩いた。
「何でだよ、お前はさっさと学校行けよ。ってか早くベッドから出てけ! いつまで一緒に寝てる気なんだよ!」
「ちょ、何その言い草酷くない?! むしろここ俺の部屋なんだけど!」
ここが俺の部屋だということを忘れていたらしいイギリスは あ、 と呟いて顔を背けると、耳が赤く染まっているのが見えた。
きっと俺の部屋で寝てる理由だとか昨夜のこととかを思い出して、それが頭の中をぐるぐる回っているに違いない。
…昨夜のことといえば、イギリスからあんなふうに誘われるとは想定外だった。
しかも普段は絶対してくれないようなことを積極的にしてくれて、やけに素直で大人しかったのも驚いた。
このところ真面目に仕事をしてた対価にしてはもらいすぎって気がしないでもないけど、たまにはいいよなー、あーいうのも…。
俺から誘えばそれなりに応じてくれるのに、イギリスからしたいとかそういう意思表示をはっきり口に出すことなんか今までに数えるくらいしかなかったし。
イギリスにとってはそっちの俺との関係は、何つーか…もう惰性みたいなもんなんじゃないかって思ってたけど、昨夜みたいに切羽詰まった状態のときに俺のところに来たってのは、……俺が誘うから惰性でただ応じてたわけじゃないってことを態度で示されたような気がする。
溜まっていたなら自分で処理することだって出来たのに、それをしないで俺のところに来たってのは、俺にして欲しかったって言ってるようなもんだ。
それに 何もしてないのが悪い とか言ってたけど、それも俺に何かされるのを期待して待ってたってことなんだろうか。
口は悪いしすぐ手を出す乱暴な奴だが、こういう可愛いとこあるんだよなぁ。
イギリスの性格は圧倒的に腹立つ部分の方が多いんだけど、時折垣間見る意外な一面は結構な確率で俺の心臓を射抜くから困る。
そんなことを考えながらイギリスの顔をじっと眺めていると、
「さっきから何こっち見てニヤニヤしてんだこのヒゲ野郎!!!!!!」
と、突然罵声とともにバシーンと頬に衝撃が走った。
意識が一瞬飛びかけるほどの強烈な一撃に、顔があらぬ方向に捩れ俺の身体はベッドに沈んだ。
目から火花が出るってのはマンガだけだと思ってたけど、今の一撃を喰らって本当に瞼の裏に星が散るんだと知った。
「ちょ…痛い! いきなり何すんだよーもう、首取れてない?」
「取れるか!!! 大体てめえがやらしい顔して笑ってるからだろ変態! 昨日も散々好き勝手なことしやがって、あんな…、トイレでするとかありえねえだろーが!」
「えーそれ俺のせいなの?!」
「そうだお前のせいだ、お前が放っておくからああなったんだからな!」
確かに昨夜は俺もいろいろ調子に乗っちゃったけど、好き勝手にやったというならイギリスだって似たようなもんじゃないか?
けどそれは蓄積された欲望が暴走した結果だということはもう知っているし、その捌け口を俺に求めてくるくらい我慢させてしまったのは悪いことをしたかと思う。
「まぁ…それは悪かったけどさ、…お前も我慢しすぎてあんなになるくらいなら、もっと早く言えよ」
「そ、そんなこと言えるわけねーだろ! 二週間前のあれ以来……、ほとんど毎日生徒会室に顔出してたくせにお前何も言ってこねーし…」
「ええええええ?! だってお前、あれからずっと怖い顔して俺のこと睨み付けてたじゃん! 寄るなとか触るなとかそういうことだと思ってたんだけど?!」
「っ、別に睨んでたわけじゃねーよ、急に仕事をするようになったから、何を企んでんのかと思って見てただけだ!」
「企むってお前なー……ここんとこ毎日真面目に仕事してたのだって、この前みたいなことにならないようにって思ったからだし、……お兄さんはお前がその気になるのを待ってたんですけどー?」
「そんなの知るか! いつもそっちから言ってくるのに、俺から言えるわけねーだろっバカ!」
ぶん、と振り上げられた拳を避け、その科白につい苦笑してしまう。
イギリスの言うこともわかるが、結局溜め込みすぎて昨夜のように爆発したら本末転倒だってことには気付いてないらしい。
「やりたかったら一言そう言えば済むのに。俺はいつでも構わないぜ? まぁ、昨日みたいにトイレでしたいってんなら別にいいけど」
そう言って意地悪く笑うと、イギリスは目元を真っ赤に染めて俺の髪を容赦なく引っ張った。
「ふざけんな、あんなとこもう絶対嫌だからな!」
「痛い痛い痛い! わかったからやめてマジで痛いから!」
禿げるかと思うほど強く引っ張られて俺が情けない声を上げると、イギリスは呆れたように溜息を吐いてじろりと鋭い視線を向ける。
やがてしばらく無言でこっちを見ていたイギリスの表情が、ふっと緩んだかと思ったら、目線を逸らして小さな声で呟くのが聞こえた。
「……お前……、俺がそういうの言えないって、わかって言ってんだろ……」
その言葉を聞いて、俺はイギリスから誘ってこない理由をようやく理解した。
触れ合いたいとか、それが気持ちいいとか思っているのは俺だけで、イギリスにとってはただの性欲処理でたまたま俺がその相手に選ばれただけなんだと思っていたのに、……そうじゃなかった。
昨日までの一ヶ月も放っておかれたのは俺の方だとばかり思っていたけれど、奴の方も言うに言えなくて我慢していたものらしい。
その事実は温かな感情として、想像以上に俺の心の深部に染み込んでいく。
何となく気恥ずかしくなって、いつも通りの軽口でからかうような口調で言った。
「何だよお前いい歳して自分から言うのが恥ずかしいとか?」
「な、そんなわけねえだろ! 俺はその、別に…」
もごもごと語尾は小さくなり、続く言葉は次第に消えていく。
そんなわけない、と言いつつ口ごもってしまうあたり、そういうわけだと言っているのも同然だよなぁ。
それがおかしくて俺はイギリスの赤く染まった耳元に唇を寄せ、わざと息を吹きかけるようにして囁く。
「はっきり言えねえなら何か合図でも決めよっか? 俺とイギリスだけがわかるように……な?」
「ばっ、バカかお前! そんなもんいちいち決めるなんて、それこそ恥ずかしいだろうが! そーいうのは他の遊び相手に言ってやれよ、……いればの話だけどな」
「他の遊び相手って何だよもうー、こういうことすんの俺も今はお前だけだし、遊びのつもりはないけどなぁ…」
そりゃきっかけは成り行きみたいなもんだったけど、それは本当にきっかけに過ぎなくて、多分俺はイギリスのことをずっと前から憎からず思っていたんだろうと思う。
そうでなかったら性格極悪で切りたくても切れない腐れ縁のこいつと、そのときの成り行きとか雰囲気なんかでそういう関係にはならないしなれない。
今はまだ俺のイギリスに対する感情を明確に位置付けるのは難しいが、少なくとも俺にとっては単なる性欲処理や遊びなんかじゃないことは確かなのだ。
「…どーだかな。お前の下半身が節操ないのは今に始まったことじゃねえしなぁ?」
俺の言葉をまるっきり信用していないのか、イギリスは醒めた目で一瞥すると鼻で笑ってそう言った。
「そういうこと言ってると次は全校集会の壇上で襲うぞ」
冗談のつもりだったのだが、真に受けてしまった(奴いわく、俺のこの手の冗談は冗談に聞こえないらしい)イギリスが、思い切り眉間に皺を寄せて そんなことしたら命はないと思えよ、 と恐ろしくドスのきいた声で呪詛のように呟いたのが聞こえた。
……こいつの場合本当に呪い殺されそうで怖すぎる。
すみませんでした、と素直に謝ると、普段通りの照れたような怒ったような複雑な表情を浮かべて何か言いたそうにこちらをじっと見つめているので、俺も奴の双眸を覗き込むようにして目を合わせる。
睨めっこでもするみたいに見つめ合った(いや睨み合った…かな)後、ふいにイギリスが視線を逸らしてこう言った。
「……明後日の晩空けとけ」
「…え?」
イギリスの言った科白の意味がすぐには理解出来なくて、咄嗟に問い返すとイギリスはさっきよりも赤くなった顔を隠すようにそっぽを向き、声を荒げて再度同じ言葉を口にした。
「明後日の晩空けとけっつったんだよ!」
「えっと……それって次のお誘い、的な?」
「か、勘違いすんなよ! 全校集会のときにおかしな真似されたら困るからだからな!」
したいなら我慢しないで言えとは言ったけど、こんなに早く言ってくるとはさすがに予想外で、思わず吹き出してしまった。
すると案の定、不機嫌そうに眉間に深い皺を刻んでこちらを睨んでいるイギリスと目が合った。
やっぱり今のなし、とか言われると困るので、俺はそこで話を切りベッドから降りてさっさとバスルームに向かう。
「どこ行くんだよ」
「そろそろ風呂入って学校行く準備しないとまずいだろ。何なら一緒に入る?」
「いやだよバカ。俺は一度部屋に戻る」
イギリスはベッドから上半身だけ這い出て、床に脱ぎ捨ててすっかり皺だらけになった制服を拾い上げシャツを羽織ると、俺があちこち痕を付けた肌がシャツの下に隠れた。
風呂も自分の部屋で入るつもりらしく、手早く身支度を整えると俺の方には振り返りもせずに部屋のドアを開ける。
「……明後日忘れんなよ、……待ってるからな」
かろうじて聞き取れるくらいの小さな声でたった一言だけ告げて、バタン、と扉は閉じられた。
ただそれだけのことに、俺は頬の筋肉が緩むのを抑えることが出来なかった。
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こういう関係に至るまでの話と、この後の話もそのうち書きたいなぁと思います。
この話はいわゆる前中後篇でいうとこの中篇……なんですが、なにゆえそんな中途半端なとこから書き始めているのか…!