ROOM No.909/ex
(注)この話は米日です。
「実は…前から付き合ってる奴がいて、……その、そいつがどうしても俺と一緒に暮らしたいって言うから、ちょっとだけ一緒に住んでやることにしようと思う」
普段と変わらない夕食の後、アーサーがなんの脈絡もなく唐突にそんな話を始めて、アルフレッドはぽかんと目の前の兄を凝視した。
あまりにもいきなりすぎて、彼の言っている意味がよくわからなかったのだ。
「今、なにか言ったかい?」
首を傾げて問い返すと、アーサーは頬を赤く染め声を荒げて答える。
「…っ、だから! 付き合ってる奴がいて、しばらくそいつと一緒に暮らすからこのアパートを出て行くって言ってんだ!」
「付き合ってる奴……って、ついにそんな妄想を抱くまでになってしまったのかい…?」
「妄想じゃねえよ! つーかついに、ってなんだよ。どういう意味だコラ」
アーサーには親しい友人、どころか普通の友人すら片手の指で足りるほどしかいない。
友人でさえそれしかいないのに、一緒に住みたいなんて言うほど親密な仲の恋人なんて、一体いつのまに作っていたのだろう。
まったくどこの物好きだ、とアルフレッドは兄の恋人を憐れに思った。
「ふーん。で? 誰なんだい、付き合ってる相手って。俺の知ってる人?」
「お、お前も知ってる奴だけど……、誰でもいいだろ」
誤魔化すように言ったアーサーに、まさか菊じゃないだろうね、と不安になったアルフレッドはしつこく詰め寄る。
菊はアーサーと親しい数少ない相手なのだ、ありえない話ではない。
繰り返し問い詰めても、なにか理由があるのかよほど言いたくない相手らしく彼はなかなか口を割らなかったが、二時間にも及ぶ問答の末ようやくアーサーは相手の名を白状した。
しかし無理矢理聞き出しておきながら、相手の名前を聞いたアルフレッドは耳を疑ってしまった。
「えー…………えっ? 今日はエイプリルフールじゃないんだぞ、アーサー」
「そんなことわかってる! つか、冗談じゃねえからな、これ」
「……へえー……」
とりあえずアーサーの恋人が菊じゃなかったことにはほっとしたが、それよりも絶対に違うだろうと思っていた人物だったのでそっちの方に驚いた。
顔を合わせればケンカばかりしていて、友人と呼ぶにも躊躇うような相手と実は付き合ってました、ってどういうドッキリなのかとなんともしょっぱい気持ちにさせられたが、アーサーが誰と付き合おうと相手が菊でなければアルフレッドは口を出す気はない。
菊は優しいし、一緒にいるととても癒される。
多少の我が侭は聞いてくれるし、アルフレッドに振り回されても結局は全部受け止めてくれる。
そして菊の方が年上だけれどそうと思えないほど彼は童顔で、身長もアルフレッドよりだいぶ低い。
そういうところもかわいいと思えて、菊はアルフレッドの一番のお気に入りなのだ。
だからアーサーの恋人が菊だったら困ると一人で焦ってしまったが、むしろ意外な相手で良かったとほっとした。
けれどもそのあと引っ越しは一週間後だなんて言われてさすがに急すぎるだろうと怒ったが、相手が相手なだけにアーサーも引っ越すぎりぎりまで言い出せずにいたらしいことは想像に難くない。
気持ちはわかるがこんなぐだぐだな報告では、アーサーに恋人が出来た奇跡を喜ぶより先に、誰かに愚痴の一つも零したくなるというものだ。
後日アルフレッドは菊を呼び出し、アーサーの恋人のことも含めてすべて暴露し散々愚痴りまくった。
菊も初耳だったのだろう、あの二人が付き合っているという話を聞いて初めは酷く驚いていたようだったが、やけにすんなりと納得していたのが不思議だった。
そうして愚痴を言いながら飲んでいるうちにアーサーが出て行くことが妙に寂しく思えて、その日荒れに荒れたアルフレッドを菊はひたすら宥め慰めることに終始した。
最後には飲み過ぎて散々に酔っ払って動けなくなったアルフレッドを菊は自宅に連れ帰り、 「こんな姿を見たら、アーサーさんも心配で家を出られないでしょう」 と子守歌つきで優しく寝かしつけてくれた。
アルフレッドにこんなふうに親身になって優しくしてくれるのは、家族のアーサーを除いては菊だけだ。
好きだとか付き合いたいだとかそこまで明確な感情はこのときはまだなかったけれど、菊の優しさはアルフレッドの胸にじわりと染みて、どんどん浸透していっている気がする。
もっと一緒にいたいという思いが高じて、それ以来アーサーのことをだしにして菊を呼び出し、どうでもいいようなことで愚痴っては彼に慰めてもらいながら気持ち良く酒を飲むのが最近の楽しみになっていた。
菊の方もアーサーが出て行って、アルフレッドが一人暮らしになって寂しい思いをしているとでも思っているのか、誘えば応じてくれて同じ話を何度繰り返してもいつも優しく宥めてくれるから、つい調子に乗ってしまった。
菊はいつもにこにこ笑って本音を口に出すことは少ない。
なので彼が自分に呼び出され、酒を飲むのに付き合わせていることにストレスを溜めているなんて、少しも気が付かなかったのだ。
その日もいつも通りにアーサーの話をして菊と飲んで適当に帰るつもりだったのに、彼が急にアーサーの家に行くと言い出すなんてまったくの想定外だった。
ただ菊と二人で飲みたかっただけだったのだが、考えてみればこのところ少しアーサーの愚痴を言いすぎたかもしれない。
とはいえアルフレッドも彼らがどんな生活をしているのか興味がないわけではなかったので、菊と一緒にアーサーたちの住むマンションを訪ねていくことになってしまったのである。
久しぶりに会ったアーサーは、思ったよりも元気そうだった。
四六時中ケンカばかりしていた相手と一緒に住むなんて、生傷だらけなんじゃないかとほんの少し心配だったけれど、生傷どころか首筋や耳の後ろなどアーサーには見えないところに赤い鬱血の痕がいくつも散らばっているのが見えて、 あぁ、余計な心配だったんだな、 とものすごく複雑な気分になる。
もう帰りたいな、と思ったけれどなぜか菊は楽しそうだったので、このまま帰っても家で一人で退屈だし、それなら楽しそうな菊を見ている方がずっといい。
今日くらいは二人の邪魔をしてやるんだぞ、とここに居座ることを決めると、寝室やリビングを勝手に弄ってフランシスを困らせたり、意外と幸せそうなアーサーが羨ましくてふて腐れたような態度を取ったりした。
そういうことをするといつもは窘める菊も、今日は一緒に悪ノリに乗ってくれたのがなにより嬉しい。
そのあとはDVDを観ている途中で飲み過ぎて眠くなって、いつのまにかソファで寝てしまったらしく気が付いたら朝になっていた。
フランシスの用意してくれた朝ご飯を食べて菊と二人で彼らのマンションを後にしたが、アーサーのことはどんな生活をしているのか少し気になっていたから、元気でフランシスともそれなりに上手くやっていることに安心した。
アーサーがいつ戻ってきてもいいように、彼の部屋は出て行ったときのままにしていたが、どうやらその必要はなさそうだ。
ゲームやらマンガやら自分の私物が増えてきたので、ちょうどいいからアーサーの部屋は近いうちに物置にでもしてしまおうと考えながら歩いていると、帰り道、菊は嬉しそうに笑って言う。
「心配いりませんでしたね。あんなにケンカばかりしていたのが嘘みたいです」
「…そうだなぁ…、あの二人見てたらなんだか羨ましくなったんだぞ」
「そうですね。アルフレッドさんは好きな方はいないんですか?」
何気なく訊いてきた菊に、アルフレッドは思い切って今思っていることを伝えてみようかなぁとふと考えた。
アーサーたちのマンションに行く前までは、まだ菊と付き合うとかなんとかそこまで考えてはいなかったのに、今はなんだか無性に彼を離したくないような気持ちでいっぱいになってしまったのだ。
もしかしたら、アーサーたちにあてられたのかもしれない。
「いるよ。でもちーっとも気付いてくれないんだよ。それどころか俺のことブラコンだと思ってるみたいでさ」
足を止めて隣を歩いていた菊を見下ろすと、彼も立ち止まってアルフレッドを見返した。
「……飲みに誘うのも、ほんとはアーサーのこと愚痴りたかったわけじゃないんだ。一緒に飲んで話とかしたかっただけなんだけど、俺にしては回りくどかったのかなぁ、全然気付いてくれないんだよ」
「…あの、……アルフレッド、さん?」
空気を読むことに長けている菊はこの場の空気を不穏なものだと感じたのか、不安げな表情は隠し切れていない。
それでもアルフレッドは語気を強めて話を続けた。
「ねえ、菊。俺と付き合わないか?! 菊とは趣味もそこそこ合うし、付き合ったらきっと毎日楽しいと思うんだよ!」
「え?! ええっ……ちょ、ちょっと待ってください、何を言い出すんですか、いきなり!」
唐突すぎる告白に菊はいつもぼんやりとしている瞳を大きく見開き、目元を朱に染めている。
こんな顔は初めて見る、とアルフレッドはさらに菊に詰め寄った。
「いいじゃないか、君だって今付き合ってる奴いないんだろ?」
「そ、そうですけど、そういう問題じゃないです! か、からかうのはやめてくださいっ」
すっかり顔を赤くして慌てて早足で歩き出した菊の後を、アルフレッドも急いで追う。
歩幅が倍ほども違うので、あっという間に追いついてしまった。
「待ってくれよ菊、からかってなんかないよ! じゃあ付き合うのは後でもいいけど、とりあえず今日の昼ご飯、一緒に食べないかい?」
いくらなんでもあまりに答えを急ぎすぎたかな、と思いとりあえずの妥協案を示すことにして菊の隣に並んで問うと、彼は赤い顔を俯かせ少し考えて答えた。
「…ハンバーガー以外でしたら、ご一緒します」
アルフレッドの大好物を真っ先に拒否するということは、これは日本式の遠回しなお断りなのかな、とも思ったが、ハンバーガー以外ならいいと言ってくれているのだから今日は素直にハンバーガーは我慢することにする。
「じゃあ今日の昼ご飯はホットドッグにしようか!」
「ハンバーガーと変わらないじゃないですかっ」
菊は一応突っ込んだが、結局 仕方ないですね、 と苦笑いを浮かべただけで、今日の昼食はホットドックで了承してくれたらしい。
調子に乗ってそっと菊の手を握ってみると、触れた瞬間は僅かに強張ったけれど、彼は繋いだ手を解くことはしなかった。
それどころかほんの少しだけ彼からも握り返されたような気がして、アルフレッドは手のひらに伝わる優しい温もりに表情を綻ばせ、二人並んで帰路についた。
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7話までの仏英同棲話はこの番外編のための布石的な 米日書けてたのしかった!