夕焼けに夜の闇が混じりかけた空の下。ジャパンエリア宿舎裏の浜辺で彼女は待っていた。
「ごめん、待ったか?」
円堂が小走りでやってくると、彼女――フィディオは振り返る。
「ううん、今来た所」
にっこりと微笑むフィディオ。
二人はそれぞれの練習を終えた後、夕食をする約束をしていた。
「じゃ、行こうか」
「ああ。そうだマモルはなにが食べたい?」
「え……どうしようかな……」
顎に手を添える円堂。ちっとも考えていなかった。
そもそもフィディオと二人きりで食事など初めてだし、彼女から携帯のメールで誘われるのも初めてだった。
しかも誰にも“ナイショ”でなど――――。
今夜だけ
初めメールを読んだ円堂は突然の誘いに困惑した。
つい数日前、イナズマジャパンとオルフェウスが試合を行い、イナズマジャパンが勝利を収めた。そして次の日、オルフェウスの監督であり、勝敗が決まると同時期に逮捕された影山が事故死をした。その直後の誘いだったのだ。
フィディオがどのような思いで自分へメールを出したのか。
円堂は知りたい気持ちと心配する気持ちで誘いに乗った。影山は祖父の仇であり、恨むべき相手ではあるが彼は生き方を変えようと足掻き、オルフェウス――特にフィディオから信頼されていたのは察している。
「マモル?」
「うわっ」
いきなりフィディオに顔を近付けられて驚く円堂。
「ひょっとして、お腹が空きすぎた、とか?」
くすくすと笑うフィディオ。彼女の表情からは悲しみが見えない。
円堂がなにかを言う前に、フィディオが続けた。
「そうだマモル。ちゃんと約束は守ってくれた?」
「約束?」
「誰にも内緒って」
「ん、ああ」
こくこく頷く円堂。
宿舎の玄関で風丸に“どこ行くのか”と問われ“ちょっと”と曖昧な返事で答えた。
嘘は吐いていないが話せなかったのは、どこか罪悪感が付き纏う。
「なんで秘密にするんだ?」
「わかってないなぁ、マモルは。君は人気者なんだから、皆ついてくるに決まってる」
「皆来たら駄目なの」
「そうだよ。だってデートだし」
「で………………」
円堂の頬にほんのりと赤みがさす。
いくらサッカーばかりの彼ではあるが、思春期の中学生である。色恋の話題はくすぐったい。
「フィディオ、食事をするんじゃないのか」
「食事だよ?それに、デートって初めから言ったらマモルは断るでしょ?カゼマルがいるんだし」
「風…………。え、風丸が?えっ?」
「そうじゃないの?」
フィディオの瞳が円堂の心を覗き込むように見据えてくる。
「え……えーと……」
困り果てる円堂。風丸とは友達以上恋人未満の関係であり、認める事も否定する事も出来ないデリケートな話題であった。
「安心してよマモル。デート一回じゃ、ウワキにはならないよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
念を押すようにフィディオの指先が円堂の手に触れる。
「そうなんだ……」
「うん」
まんまと丸め込まれる円堂。
「マモルの食べたいものが決まらないなら、私の食べたいものでいい?」
「……いいよ」
その方が円堂としては助かる。
いきなりデートという刺激的な単語も出てきて、彼の判断能力はことごとく乱されていた。
「ならアメリカエリアへ行こう。ハンバーガー食べたい」
ニッとフィディオは白い歯を出して微笑んだ。
アメリカエリアのハンバーガー店で夕食を取る円堂とフィディオ。
二人ともジャージ姿で、おまけにイナズマジャパンとオルフェウスのキャプテンを務めているせいか、とても目立った。数回、客や店員に試合頑張れと応援をされる。
「マモル美味しいねえ」
向かい側の席でフィディオは美味しそうにハンバーガーを頬張った。
「日本とはまた違った味付けで美味しいよ」
フィディオの嬉しそうな顔に円堂もつられて笑う。
食べているうちに外は日が沈んで暗くなった。
「すっかり夜になっちゃったな」
食事を終え、伸びをしながら円堂が言う。
「フィディオ、イタリアエリアまで送っていくよ」
「有り難う。だったら、こっち行こう。早く回れるんだ」
来た道とは別の方向を指すフィディオ。
彼女の示すままに、円堂は横に並んでついていった。
昼間とは異なる雰囲気に初めは興味深かったが、次第に違和感を覚えてくるようになる。
歩く人が大人ばかりになり、子ども二人である自分たちが随分と浮いているように感じてきた。
「フィディオ……この道、合ってるのか」
「マモル。こっち」
フィディオの円堂の腕を捉える手が強く引き寄せる。
「ここに、しよ」
フィディオが足を止めたのはアメリカンな木造建築のホテルであった。
「ここ?」
円堂は意味がわからない。
「ここ、だよ」
引っ張られるように店の中に入れられる。
「二名です」
フィディオはフロントでテキパキと手続きを済ませ、鍵を預かった。
「マモル、行こう」
階段を上り、鍵を通した部屋に入る。
「フィディオ、どういう事だよ」
フィディオの手を振り払い、不機嫌さを露にする円堂。
「今日はもう遅いし、休もう」
ベッドに腰をかけ、足をぶらつかせるフィディオ。悪びれもせず、けろっとしている。
「俺、帰る」
背を向ける円堂に、フィディオは立ち上がって放つ。
「待ってマモル!行かないで!一人にしないで!」
悲鳴のような叫びに、円堂は反射的に振り返った。そこには悲しみに満ちたフィディオがいる。
やはり、彼女は影山を失った悲しみを溜め込み、隠していたのだと悟った。
「マモル……お願いだ……行かないで……」
ぺたん、と床にしゃがんで項垂れる。
「フィディオ。どうしてこんな事……」
円堂はフィディオに歩み寄り、膝を突いて彼女に目線を合わせようとした。
「学んだんだよ……。ニッポンジンはね、強引じゃないと、繋ぎ止められないって」
フィディオの言う"ニッポンジン"に円堂は二人心当たりがある。一人は本来のオルフェウスのキャプテンであるヒデ、そしてもう一人は影山――――。
ヒデの事情や、彼女にとっての影山がどれほどの存在か円堂にはわからない。けれども、彼女と親交のある日本人は彼女から距離がある事はわかる。
「マモルにいて欲しかった。マモルならいてくれると思った。一緒に歩いたり、ご飯食べたり、したかった」
「それは、影山と、したかった事か?」
「……わかんない。考えたくない。どうにもならない」
頭を振るうフィディオの髪が乱れた。
「ごめんマモル……みっともなくて……。こんな姿、君には見せたくなかった。もっと、上手く出来ると思ったのに」
「そんな事しなくていい。俺は、フィディオが本当の気持ちを言ってくれて良かったって思う」
「マモル……」
フィディオが顔を上げれば、円堂の温かな笑みがある。
「君の目を見ればわかる。君はとても、温かい」
フィディオは目を細め、円堂に抱きついて肩口に顔を埋めた。
耳の横で、掠れた囁きが誘う。
――――マモル。今夜だけでいいから、我侭を聞いて。
断れなかった。ここで彼女を引き剥がせるような人間にはなれなかった。
――――いいよ。
呟くように、そう答えていた。
円堂が宿舎へ連絡を入れ終わると同時に――――。
ぱちん。音を立てて部屋の明かりが消える。
薄闇の中で、ジーッというジャージのファスナーを下ろす音。
布を擦らせて、フィディオがベッドに潜った。
「マモル」
その一声に、全身がすくむような動揺を覚える円堂。
「マモル」
「わ、わかった」
乱暴にジャージの上着とズボンを脱ぎ、目をぎゅっと瞑ってフィディオのいるベッドに入り込む。
ジャージの下はユニフォームだが、試合とは異なる冷や汗に背が滲む。
「マモル、緊張してるの?君が?」
横になり、間近でフィディオが喉で笑う。
「悪かったな」
恐る恐る目を開けると彼女の顔があった。青い瞳に白い肌――日本人とは異なるそれは間近で見れば見るほど不思議に映り、緊張が加速する。息を吸えば女の匂いがした。いい匂いのような気がしてくる。
「悪くないよ、私も緊張している」
フィディオがユニフォーム越しに胸に手をあてる。
男とは異なる輪郭に丸い乳房の膨らみに、目が離せなくなる。
「えっち」
呟きに、顔から火が出そうになった。
「カゼマルに、言うよ?」
「な、なんで風丸がそこで出て来るんだよ」
「だってマモル、今カゼマルの事を考えてる」
「!」
目を丸くさせる円堂。そう、確かに目はフィディオを追っていたが頭は風丸の事を考えていた。
フィディオとなにもするつもりはないが、きっと彼女は傷付き、自分も傷付くのだと思っていた。
「君は見ていて飽きないよ。君をずっと見ていれば、楽しいままだったのかな」
「フィディオは、影山の事を考えてるのか?」
「そう見える?」
「……………………………」
「答えてよ、マモル」
「わからないから、聞いてみた」
「正直だな」
安堵したような息を吐き、フィディオは目を瞑る。
求めるように円堂の胸に触れてきたフィディオの手を、そっと包むように握った。
「ねえマモル。触ってもいいよ」
「……………………………」
握る手が、一瞬動きをぴたりと止める。
「マモルなら、いいよ。カゼマルには秘密にしておくから」
「やめろよ、そういうの。フィディオ、お前はそんな奴じゃないだろ」
――――もし。
フィディオだけに聞こえるように、声を潜めて囁く。
「俺がこの手の先を触ってしまったら、俺の知っているフィディオは戻って来ない気がする。そしたら、戦えないだろ、決勝」
「そうだった…………。約束をしたよね、マモル」
フィディオの指が握手をするように円堂の手を握り返した。
「ああ………うん……」
感触を確かめるように、フィディオは一人頷き、落ち着いた呼吸をする。
「やはり……君で良かったと思う……。お休み、マモル」
「うん、お休みフィディオ」
円堂も安堵して、目を瞑った。
翌朝。二人がホテルを出ると、フィディオが声をかける。
「マモル。ここでお別れしよう」
「え、ああ」
「昨日は有り難う。今日からはまたライバルだ。君への感謝は、それが一番の伝える手段な気がする」
フィディオの表情はすっきりとしており、尚且つ勇ましい。
円堂の知っている普段のフィディオに戻っていた。
「フィディオ。決勝で思いっきり戦おうな!」
手を差し伸べる円堂だが、フィディオは手を出さずに顔を突き出す。
ちゅ。
頬に、彼女の唇が触れて、離れた。
「センテヒッショウ。油断は禁物だな、キャプテン」
じゃあ、と手を上げて去って行くフィディオ。
立ち尽くす円堂は、遅れてしてやられたような苦い顔をする。そこに照れはなく、先制点を取られたような、試合時の表情になっていた。
宿舎に戻れば、風丸が腕を組んで待ち構えている。
どきりと顔をしかめるが、勇気を出して向かう。
「円堂、昨日どうしたんだよ」
「先制点、取られてきた」
風丸の前で足を止め、告げた。
「はぁっ?」
素っ頓狂な声を上げる彼女に、円堂はぱちん、と音を鳴らして手を合わせた。
「ごめん。風丸の言いたい事はわかる。けど、聞かないで欲しい。絶対に勝つから」
「訳わかんない。円堂、昨日"ちょっと"だなんて言って、なんで明日なんだよ。ライオコットに来て日本語の意味、忘れたのか」
「風丸!どーか!この通り!!」
「……………………………」
組んだ腕を解き“はーっ”と、わざとらしく溜め息を吐く風丸。
「お前頑固だからなあ。けどな、今だけだからな。後で話せよ」
「ああ!」
パッと顔を輝かせる円堂。正直すぎる反応に呆れてしまう。
「っふ」
呆れすぎて、笑ってしまう。
「あのな風丸!浮気じゃないから!」
「………………………前言撤回……しよう、か?」
風丸の笑顔が凍りつき、頭の天辺から角の幻影が揺らいだ。
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