色のついた液体の中で、氷が溶けゆく流れ。
二階堂は居酒屋の個室で、突っ伏すように酒の入ったグラスを見詰めていた。
グラス
最近、よく飲むようになったと自覚している。
酒は好きな方で、それなりには飲むが、溺れそうになるまで飲みはしなかった。
こうなった理由も自覚はしている。
二階堂は木戸川清修のサッカー部監督を務めており、元日本代表選手の経歴から期待をされてきた。十分成果を上げていて、フットボールフロンティア全国大会準決勝まで勝ち進んだ。けれども決勝戦当日、エースストライカーの豪炎寺が会場に現れないまま試合は行われ、結果として敗北してしまった。
生徒たちは豪炎寺がいなかったからだと落胆し、彼を恨み、期待は手のひらを返されるように風当たりが強くなった。当の豪炎寺は理由も語らず、不登校になってしまっている。近々転校するとの話を先日、校長より聞いた。
豪炎寺が現れなかった理由も校長から教えられた。彼の妹が当日に事故に遭ったのだという。
二階堂は肝が冷えていくのを感じていた。全国大会にあがった時から、何度も不審な電話を受けており、その度に二階堂は断っていた。これは、報復だというのか――――。
元々優勝常連校の帝国学園は曰くつきであった。だがサッカー部を纏めている影山は協会の重役であり、下手な勘繰りは大きすぎる陰謀の影を踏んでしまう危険が付き纏う。豪炎寺の件で、これは二階堂だけの問題では済まされないのは明らかだ。裏で糸をひく存在は、一枚も二枚も上手で、相手を傷つける効率の良い方法を熟知している。
要するに、だ。これは仕事のストレスなのだ。
重すぎて背負いきれず、潰されそうになっている。そして抜け道が見えない。
去ってしまう豪炎寺に、かけるべき言葉も見つからない。願うのは彼がサッカーをこれからも続けてくれる事だ。豪炎寺が大事にしている存在を傷つけたのが、偶然ではなく悪意だと知ってしまえば、彼は本当に打ちのめされてしまうだろう。
無力だ。ひたすらに無力だった。選手として功績を上げ、監督としても認められ、天狗になっていたのだろうか。監督は選手と同じフィールドには立てないのだ。何もかも出来るわけではないのだ。
「……………………………………」
二階堂は酒をすすり、空になると突っ伏した。
ただこの息苦しさが、喉元を通って過ぎ去るのを待っていた。
それからしばらく経った。
部は武方を中心に立ち上がり、次のフットボールフロンティアを目指して猛特訓を重ねている。選手たちは豪炎寺のいない穴を自力で埋め、自力でさらに高みを目指そうとしている。
二階堂の気持ちも随分と落ち着いたものだと意識している。
だが、酒の飲む量は減るどころか増えていった。
しかも選手時代の友人たちを誘っては一緒に飲むようになった。
「はは、乾杯」
へらへらと笑い、やたらとグラスをあてては乾杯をしたがる。
友人は二階堂の様子を心配するが、大丈夫大丈夫とペースを速めていった。
結局、酔いが回りすぎて立てなくなり、近くのホテルに寝かせてもらう。
「ごめんな」
一言詫びて、枕を抱き締めてうつ伏せに寝る。
わかりきっていたはずなのに、こんな結果を招かせた。まるでこれでは誘い込んだようにも二階堂には思えてしまう。
なんでだろう。
寂しいのだろうか。
なんで今更。
半眼の瞳は夢と現実の間をさまよい、己に問いかけている。
「監督」
突然呼ばれた声に、二階堂は飛び起きて振り向く。すると、友人が笑っていた。
「すげえ反応」
「ああ、なんだ」
大きく息を吐き、ベッドに潜る。
「今の呼び方、いるんだよ、そういう生徒が」
「へえ」
相槌を打つ友人。
「大きくもない、小さくもない、ちょっと聞き取り辛いのに、よく聞こえる」
「よく見ているんだな」
「けど、もう見れないんだ」
「卒業したのか?」
「いいや、転校」
「そっか、残念だな」
「しょうがないさ」
「なんだよ、随分と名残惜しそうに」
――――は?
発しようとした声が出ない。
「確かにそれはあるが、そういうんじゃなくて」
「なに言い訳してんの?変だぞ」
「え、いや……」
口をつぐむ二階堂。これ以上喋ると、からかわれそうなのでやめておいた。
――――豪炎寺。
頭の中で彼の声を思い出そうとする。
少し、あやふやになっている。たぶん、実際に聞けばわかるのに。
シーツにくっつけた胸が、どっ、どっ、と鼓動する。
なぜだか落ち着かなかった。気持ち悪い、いつもと違う感じがするのだ。
仰向けに変えれば気にならなくなるが、感触の記憶だけはなかなか離れてはくれなかった。
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